第31話 転生の息吹

しばらくして光が収まっていく。後に残されたのは壁に大きな穴の開いた教会と吹き飛んだ椅子や机と瓦礫の山だけだった。


「はは……自分のやったこととは思えないな」


思わず感嘆のため息が漏れる。


あれほどの霊力を消費したにも関わらず、まだ身体は余裕を持って動くことができた。


急いで俺は床に倒れているエリーの元に駆け寄る。


「大丈夫かエリー?」


ゆっくりとエリーの身体を起こしてやる。意識は残っていたが彼女はぐったりとしていて、俺は焦りを覚えた。


「どこか痛むのか?」


俺がそう聞くと、エリーは弱々しくふるふると首を振った。反応は返すことができるようだが様子がおかしかった。


俺がエリーの様子にうろたえていると、突如俺の前にクリュメノスが現れた。


「――おお……これはまた派手にやったな」


クリュメノスは周囲を見渡し乾いた声を漏らした。


転移魔法テレポートによってここまで飛んできたのだろう。どうやらディアがいなくなったことでここの結界は解けたようだ。


「大丈夫だったか二人とも?特にハロルド、お主は本当によくやったな。通信が効きにくい魔道具越しだったがお主の頑張りは……」


「クリューさん、エリーが……」


俺はねぎらいの言葉を遮るようにしてクリュメノスに声を掛けた。エリーは息も絶え絶えにこちらを見ていた。


クリュメノスはエリーの姿を見て表情を引き締めた。そしてしばらくエリーの容態を観察していたが、やがて曇った表情で俺に向き直った。


「エリーの霊力が尽きかけている。大半が贄として持って行かれたようだ」


「それは……大丈夫なんですか?」


「……今のエリーの様子だと持ってあと三十分ほどだ。このままだと彼女は現世から消滅してしまう」


その言葉を聞いた瞬間、目の前が真っ暗になったような錯覚を覚えた。クリュメノスは今何を言ったのか、理解することを脳が拒否した。


心臓がきゅうっと何者かに鷲掴みにされたような感覚だった。


「そんな……そんなことがあってたまるか!」


血が出そうなほど強く拳を握りしめ、感情が昂るままに叫ぶ。動悸が止まらず、額からは冷や汗が流れた。


「俺がもう少し早くディアを倒していたら……もう少し早くエリーのことに気付けていたら!」


後悔が俺に纏わりついてくる。しかし、もう遅い。


「俺にもっと力があれば……」


自責の念がくつくつと腹の中で湧き上がる。


「……いいのです、ハロルド様」


今まで儚げに呼吸を繰り返していたエリーが声を上げた。


「ハロルド様がわたしのことで思い煩う必要はありません。すべてわたしの油断が引き起こしたことなのですから……」


エリーは俺の手をきゅっと握ってきた。その手は細く、握り返すと折れてしまいそうだった。


「……泣いているのですか?」


いつの間にか俺の眼には涙が浮かんでいた。目頭は熱くなり、とめどなく涙がこぼれ落ちていく。


「ハロルド様は優しすぎます。わたしの為に泣くなんて……もったいないです」


エリーは握っていた手と反対の手で、俺の目元を拭う。その手首には蒼いブレスレットが着けられていた。


「ここまで助けに来てくれてありがとうございます」


ふにゃとエリーは笑った。


「ハロルド様はわたしが助けて欲しいと願ったら来てくれました……。わたしに構わず逃げて欲しいと言ったときも、その身を犠牲にしてまで……わたしを護ろうとしてくれました」


それだけじゃありません、とエリーは続ける。


「ハロルド様はわたしに現世のことをたくさん教えてくれました……。フルーツキャンディの味、景色の美しさ、人間同士の営み。短い間でしたけど、すごく楽しかったです」


「そんなこと言うなよ……これからまだまだ一緒に知っていったらいいじゃないか」


エリーは首を振った。腕の中で彼女の力が抜けていっているのがわかった。


「ハロルド様……わたし、ハロルド様と契約出来て……一緒にいられてよかったです」


「エリー……」


「そして、クリュー様……わたしに名前と役割を与えて下さって……本当にありがとうございました」


後ろでクリュメノスは黙ってエリーの言葉を聞いていた。


「――わたし、死神として過ごした時間をずっと忘れません……」


その言葉を最後に、エリーの身体の力は完全に抜けていった。


まぶたは閉じられ、眠っているかのようだ。


まだ脈も呼吸もあったが意識はなくなっていた。


「……こんなことでエリーが死んでいいはずがない」


俺はエリーをそっと教会の椅子に寝かせてクリュメノスに詰め寄る。


「何か方法はないんですか?」


「あるにはある、だが……」


クリュメノスはそこで言葉を区切った。どこか躊躇した様子で俺を見つめている。あまり俺に伝えたくないようだった。


「教えてください。俺ができることなら何でもします」


俺が語気を強めて言うとクリュメノスは諦めたように一つ息を吐いて話し始めた。


「霊術の一つに転生リインというものがある。それは自身の霊力を相手に分け与えるものだ。かつて優秀な王を何代にも渡って生かし続けるために王宮で使われていたこともある代物だ。これが成功すればエリーは恐らく助かるであろう」


「だったら今すぐその霊術でエリーを!」


そう答えた俺を制して、クリュメノスは続けた。


「しかしだ、そのように死にかけている人間を生き返らせるような奇跡にも近いことを起こすには当然リスクが伴う。その霊術の術者が生き残る確率は一割に満たない。これは技術的な問題ではなく、誰が行っても同じだ。故に現在は禁術に指定されている」


暗い表情をしてクリュメノスは続ける。


「自分がエリーを救えるのなら救ってやりたい。だが、ここで冥界の統治者である自分が死ぬわけにはいかないのだ……」


「だったら俺に教えて下さい」


クリュメノスは驚いた表情で俺のほうを見た。


「確かに、お主のその霊力が毎日爆発的に増えるという体質なら、生き残る可能性は多少引き上げられてはいるだろう。しかし、失敗した時の代償は大きい。それでもやるのか?」


「やらせて下さい」


ためらいはなかった。可能性があるならやる、それだけだ。


「お主、死ぬのが怖くはないのか?」


「……もちろん怖いです。でも、このまま何もしないと、きっと生きていても俺は心から笑うことができないと思います」


「そうか……」


「一つだけ確認させて下さい。たとえ霊術が失敗して俺が死んでしまっても、エリーは助かるんですよね?」


「うむ、確実とは言い切れんがかなりの高確率で生き残ることができるであろう」


「それを聞いて安心しました」


クリュメノスは俺の意志が変わらないことを理解すると、俺を横目にエリーのそばまで歩いて行った。


「ハロルドよ、術を教える前に一つ聞いておくことがある」


静かな声でクリュメノスは尋ねる。


「もし失敗して死んでしまった時、何かやって欲しいことはあるか?自分はこれでも冥界の神をやっている。何か要望があるなら言うてみるとよい」


俺は少しだけ考えて返事をした。


「そうですね……だったら、俺が死んだ時のお迎えはエリーでお願いします」


俺の返答を受けてクリュメノスは呆気にとられた後、クスクスと笑った。


「天使じゃなくてよいのか?」


「はい、エリーがいいです」


「くっふっふ。よかろう、確かに承った」


クリュメノスはくるりとこちらを向いた。


「それでは転生の霊術リインを教えてやろう。実はこの術は詠唱するだけでは発動しない。発動させるには詠唱した後、あることをせねばならんのだ」


「あること……ですか?」


「うむ、それはだな……」

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