第30話 選ばれし力

~Side Ellie~


(ああ……)


ハロルド様は再び戦闘を始めてしまった。


この時ほど自分の愚かさを、動かない身体を呪ったことはない。


わたしが油断せず、この男に捕まらなければ、ハロルド様はあんな風に戦い、怪我をすることもなかった。


怪我をしたハロルド様と男の力の差は歴然だった。今はハロルド様が気力で耐えているが、それもいつまで保つかわからない。


そして、霊力と魔力がわたしの身体から消えていくのがわかる。まもなくわたしはこの恐ろしい獣の贄として消滅してしまうのだろう。


誰も助からない。


そのことが、わたしには恐ろしくてたまらなかった。


(お願い……)


もう動くことのできないわたしは助からないだろう。きっと、ハロルド様に異端者アウトサイダーのことを伝えなかった罰が当たったのだ。


だからせめて、ハロルド様だけでも生き延びて欲しい。わたしはハロルド様の力になりたいと心から願った。


つい甘えてしまうほど優しすぎる彼を、支えてあげたかった。


(ハロルド様に力を……!)


誰かに向かって無意味なお願いを繰り返す。意識がなくなりそうになっても、何かに縋るように祈っていたそのときだった。


『あの男を助けたいか?』


突然発せられた声に周囲を見回す。


だが、わたしの他にこの声に気づいた様子はなかった。


『助けたいのかと聞いている』


物々しく低い声で尋ねられたわたしは、戸惑いながらも返事をする。


(……助けたいです)


『よかろう、ならば鎌を顕現させるがよい。いつもお主がやっているようにな』


謎の声はそう言って再び声を潜めた。声をかけても、それから返事が返ってくることはなかった。


わたしは混乱していた。だが、もうその声に賭けるしかない。


この弱った身体では鎌を顕現させることすらできるかどうかもわからない。


迷っている時間はなかった。


わたしは全神経を鎌の顕現に集中させる。普段なら何も考えずともできる当たり前の動作が、耐えられないほどに苦しかった。


それでもわたしは気力を振り絞る。


今にも意識が飛んでしまいそうだった。


(――顕現せよ!)


詠唱を終える。


ごとりと大きな音を立てて床に鎌が転がったのを確認した直後、それは大きな光を放ち始めた。





§§§





目眩がする。


視界が歪み、踏ん張っていないと倒れてしまいそうだ。


だんだんとダガーを振る速度が鈍くなり、霊術に対応する反応も緩慢になっていく。


対するディアは、攻撃の手を緩めない。


いささか霊力が少なくなったことによる疲れが見えるが、まだまだ戦えると言わんばかりの余裕の表情だった。


だが、それでも俺は諦めない。


この手が動く限り、この足が動く限り、俺は戦い続けた。


しかし、そんな苦しみが永遠に続くのかと感じるような時間は、それほど長くはなかった。


目眩でよろけた俺の胸を、ついに拘束が貫いたのだ。


「がっ……」


よろよろと床に倒れこむ。


意識はあるが、もう身体は指先すら動かせない。


勝負は決した。


「私は君に敬意を表する」


ディアの声だけが聞こえる。俺には奴がどのような顔をしているのか、もう見る気力も無い。


「君のように、誰かの為に命をせる人間がいるのなら、まだ世界は捨てたものではないのかもしれんな」


コツコツと床を歩く音がした。


「せめて苦しまないように、あの世に送ってやろう」


ディアが霊力を込めているのが分かる。


(はは、かっこ悪りぃな……)


全力は尽くした、でもエリーを救うことはできなかった。


(ごめんな、エリー……)


俺は自分の死を覚悟した……その時だった。


ディアの背後で吹き上がる霊力の奔流、うつ伏せで力なく倒れる俺は、何事かと顔を上げる。


「なんだ、一体何が起こっている!?」


俺は初め、ディアがこの霊力を溢れさせたのかと思ったが、どうやら奴にとっても予想外の出来事のようだ。


霊力によって溢れる光の先には、エリーが持っていた鎌があった。


やがて鎌から滝のように溢れ出た霊力は俺に向かって一直線に飛び込んでくる。


そのまま俺の身体に霊力が満たされていく。


動かなかった指が動く。


腕も動く。


脚も動く。


身体中に力が満ちていく。


俺はゆっくりと身体を起こす。


光に包まれているうちに傷は癒え、体力も気力も有り余るほどだ。


この奇跡は一体誰が起こしたのだろうか?


(いや、考えるまでもないな……)


俺はエリーのほうを見つめる。エリーはもう力を使い果たしたのだろうか、倒れたまま動かなくなっていた。


ふぅと大きく息を吐き、再びディアと対峙する。


数秒前まで死に体だった俺から生気がみなぎっている様子を見たディアは困惑したような表情を浮かべていた。


「一体何をした?」


ディアは俺を睨みつけたまま尋ねる。


俺はダガーをゆらりとディアに突きつけて答えた。


「悪いなディア。どうやら俺は一人で戦っていた訳じゃないようだ」


地を蹴り、疾風の如く駆け出す。


「ここから先は二対一だ」


俺の動きを見たディアは再び拘束バインドを放つ。


今までと同じ、俺を追尾する光の刃。


しかし、俺にはそれが止まっているかのように見えた。


霊力で爆発的に引き上げられた身体能力。


前面のあらゆるところから襲いくる槍のようなそれをダガーで消失させる。


そのままディアとの間合いを測る。先ほど拘束バインドで打ち抜かれるまで、ただやられていたわけではない。


奴の霊魔術解除ディスペルの発動範囲はおよそ長剣五本ほど。なかなかの射程を誇っている。


攻撃を対処するのはそれほど難しいと感じなくなった。だが霊魔術解除ディスペルがある限り、まだディアが優位であるのは間違いない。


奴の霊魔術解除ディスペルをかいくぐり、直接攻撃を与える手段は数少ないだろう。


しかし、俺は奴の霊魔術解除ディスペルに唯一の弱点を見出していた。


奴の霊魔術解除ディスペルは範囲内にある自身以外の霊術をすべて無効化してしまうという恐ろしいものだ。だが、奴に何度か攻撃を仕掛けてわかったことがある。


それは、連続して術を発動することが難しいと言うことだ。


一度霊魔術解除ディスペルを使用すると、次の発動までおよそ五秒程度の準備時間がある。だからあの時ディアは霊術を使わず、俺をメイスで殴りつけたのだ。


俺が奴の隙を突くとしたら、その五秒間に攻撃を加えるか、あるいは一度の霊魔術解除ディスペルでは消失させきれないほどの霊力を込めた攻撃を行うかのどちらかだ。


正直なところ、わずか五秒の隙をつくのはかなり難しい。


ディアは持久戦の構えを解いていない。今の俺の強化された身体能力といえども奴の攻撃すべてをかいくぐりながら五秒以内に敵に致命傷を与えるのは不可能に近いだろう。


だとするならば、俺に残された選択肢は一つしかなかった。


(……やるしかねえ!)


エリーからの力を受け継ぎ、弱気になっている場合ではない。


今度こそ失敗は許されない。


クリュメノスに言われた言葉を思い出す。


自分の霊力を最大限に利用するにはイメージが物を言う。


明確なイメージ、強い想起こそが力の源だと、クリュメノスは言っていた。


今、俺が感じるべきは無限の可能性だ。


ディアはさらに攻撃を放つ。


ついには拘束バインド以外にも、数種類の霊力消費の激しい霊術も打ち込んできた。


それにしても奴の霊力量の底が知れない。


どれほどの修行を積めば、あの境地まで至れるのか想像もできなかった。


俺は一度後ろに下がってそれらを避ける。


その様子を見て、ディアは再び少しずつ余裕を取り戻していた。


「ふん、避けるだけじゃ私には勝てんぞ」


「言われなくとも」


俺は距離を保ったまま右手に握った短剣に霊力を込めていく。


イメージするのは大剣。


現在も語り継がれている御伽話の中で、神が一振りで大国アトラを光の中へ消し去ったとされる、全てを貫き、大地を吹き飛ばし、海を一振りで割る力を持った伝説の剣。


短剣を触媒に、白い光の剣が生成される。


エリーが身を賭してまで俺に吹き込んだ霊力の奔流を、短剣を介して顕現させていく。


元々小さなダガーだったその形は、もはや原型を留めておらず、そこには刀身が俺の身長くらいある大剣の姿があった。


「君は一体何者なんだ?」


ディアは眉をひそめながら俺に問いかける。


「そうだな……護衛兵やってたら死神と契約させられただけの、ただの人間さ」


俺はさらに霊力を込める。


出来上がった大剣は霊力が絡みつき、草原を駆ける突風が剣に巻き付いているかのように渦巻いていた。


白く発光するそれは、まるで小さな太陽のようだ。


「何て力だ……!」


ディアはその剣が放つ光に瞠目どうもくする。剣を振らせまいと持てる限りの霊術を、洗練された弾丸の如く打ち込む。だが、今の俺を止めるには及ばない。


奴の攻撃をすべて避け、俺は大剣を振りかぶった。


「受け取れディア、俺たちの力を!」


神が放った無上の一撃の名を告げる。


聖なる神衝エスタリトリビュート


瞬間、一陣の閃光が走った。


膨大な霊力をまき散らし、すべてを食らい尽くしてしまいそうなほどのエネルギーがディアへ向けて放たれる。


奴の霊魔術解除ディスペルの射程に入るのは一瞬だった。ディアへ向けた斬撃の大部分はそこで消失し莫大な霊力を散らしていくが、奴の術を持ってしてもすべてを消すことは出来なかった。


しかし、奴はまだ諦めない。自身を覆う霊障壁を構成し、斬撃を受け止めようとする。


だが斬撃が吹きすさぶ嵐の如く奴の障壁に激突した瞬間、そこには大きな亀裂が生じた。


「バカな……!私が負ける?私は……私は教会を変えねばならないのに、また失敗するというのかッ!」


障壁が耐えたのはほんの一瞬であった。


「おおおおおおおおおおッ!」


俺は剣先に手ごたえを感じ、さらに深く押し込んでいく。放たれた斬撃は遂にディアへと届く。


「ぐああああッ……!」


響き渡る轟音。ディアは光に包まれ見えなくなり、奴の背後にいた大きな魔力を持った獣も巻き込みその閃光は石でできた教会の壁を突き破った。


やがてエネルギーは雲をかき分け空の彼方へと突き上がる。


その光はまるで天界と現世を繋ぐ細い柱のようであった。

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