第28話 ナギ大聖堂

ようやくナギ大聖堂の前に到着した。全力で走って来たので、まだ息は上がっていた。


ここは、この大陸で最も大きな典礼を行う場所だ。


アナトルム中心部の人が多く喧騒に包まれている雰囲気とは別世界のように、大聖堂前の広場はたいそう静かな場所であった。


古色蒼然こしょくそうぜんとしたシンプルな石造りの聖堂を取り囲むようにしてオークやブナの木が生えている。


聖堂前の広場には青々と生い茂る芝が植えられており、中心では噴水が澄んだ水を優雅に噴き出していた。


今はまだ神祭の準備期間であるからだろうか、人口の多いアナトルムにしては人っ気はかなり少なく、木陰で読書をする人や噴水の側で水遊びをする子供がパラパラと見えるだけだ。


俺は噴水がある広場の手前に立って、クリュメノスから譲り受けた地図を見た。


探知ダウジングを行ったときに印をつけた場所を改めて確認する。


それはナギ大聖堂の前面にそびえ立つ、尖った屋根が目印になっている時計塔を示していた。


「……やっぱり聖堂の中だよな」


あまりの平和な光景に緊張を解いてしまいそうになったが、クリュメノスの言っていた通り、気を緩めるわけにはいかない。仮に相手が賊をけしかけて俺を襲撃してきた霊術に精通している者と同一人物であるならば、俺が探知ダウジングを行ったことにも気がついているだろう。


そうなると、待ち伏せをされている可能性もある。


改めて身を引き締めようと思いなおしたとき、突然首からかけていた翡翠ひすい色のペンダントが輝き始めた。


おぼつかない手つきでそのペンダントを手に持つと、どこからかクリュメノスの声が聞こえてきた。


「ふむ、成功したようだな。聞こえておるかハロルド?」


「は、はい、聞こえています。どうかしましたか?」


なんとかクリュメノスからの言葉に返事をする。通話ができるとは聞いてはいたが、いったいどのような原理で遠くにいる相手の声が聞こえているのだろうか?


「お主、もうナギ大聖堂の前に到着してしまったか?」


「え、はい。いま広場にいますけど……」


「急いでその場から離れるのだ!ナギ大聖堂の中心から霊力による結界の出現を確認した。待ち伏せされていたと考えてよいだろう。残念ながら自分の考えていた最悪の事態になっているようだ」


「結界?」


俺はこの平和そのものを体現したかのような空間で、何か得体の知れない出来事が起こっていることがまるで信じられなかった。


だが、クリュメノスの慌てようからしてただならぬ出来事であることは間違いなさそうだ。


とにかく教会の土地の中から身を引こうと踵を返した時だった。


(……!)


全身の毛が逆立つような寒気と共に、感じることができるようになったばかりの霊力の奔流に飲み込まれるような感覚。


たった数秒の間に、俺は相手の領域内に囚われてしまった。


ふと周囲を見渡すと、まるで俺だけを狙いすましたかのように、周囲で平和なひと時を過ごしていた人たちは消え去っており、時計塔の時刻はまだ日中であることを示しているにもかかわらず、空が黄昏色を携えているかのように朱く染まっていた。


「これは?」


「ふむ、どうやら遅かったようだ」


クリュメノスがぽつりとつぶやく。俺は自身の周りに起きた出来事を把握できなかった。


「これは外部との関係を遮断する結界だ。いまは魔道具を介しておるから会話ができているが、それも長くは持たないだろう」


魔道具のペンダントから聞こえてくる声に焦りが感じ取れた。


「今その結界に対して解析を試みている。転移座標が不規則に変化するから転移テレポートが難しくなっている」


「俺はどうすればいいですか?」


「自分が転移可能になるまで相手からの接触がないならばこのまま待機と言いたいところだが……」


「どうかしましたか?」


「あまり悠長に構えている時間がないかもしれん。エリーの命が危ない」


「……なんだって?」


「自分たち冥界の住人を利用する人間がいるという話をしただろう?その可能性は極めて高いうえ、奴らの実態は冥界の住人を贄として悪魔に捧げることで呪術を行う者たちのことだ」


俺はクリュメノスの説明についていけなかった。まるで現実感がない。


「エリーが生贄にされるということですか?」


「そうなる、そして贄として取り込まれてしまってはもう二度と転生の輪に戻ってくることはできない。エリーは完全に世界から消滅してしまうことになる」


人間は死んだら転生する。これは教会の教えでもあるし冥界や天界があることからもなんとなく予想がついた。


しかし、エリーはそれすらも不可能になり魂ごと消滅するかもしれないとクリュメノスは言った。


クリュメノスは話し終えた後、魔道具越しに何かを行っている様子が伝わってきた。おそらく座標の解読を行っているのだろう。


「俺がエリーを助けます」


俺の決断に迷いはなかった。


「しかし、それは危険すぎる。自分が解読を終えるまで待つという手も……」


「それでは遅いかもしれないんでしょう?」


俺の言葉にクリュメノスは黙り込んだ。


「……わかった。任せたぞハロルド」


「はい、クリューさんは補助をお願いします」


俺は意を決し、駆け足で時計塔の中へと入っていった。

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