第22話 来訪者
~Side Ellie~
現世の夜の時間は、今のわたしにとって比較的自由な時間だった。
冥界には先日ハロルド様の状態について報告に行ったばかりなので、今夜は特にやらなければならない予定も無い。
ハロルド様を監視する立場である以上、アナトルムから遠く離れるわけにはいかないが王城のテラスや中庭を散歩するくらいは構わないだろう。
空に浮かび上がる月を見ながらテラスから顔を出す。そこにはうっすらと城下町の夜景が浮かび上がっていた。
シエラという王女につられて馬車で移動していたとき、わたしは馬車の荷台に乗って移動していたが、町の躍然たる様子は見事なものだった。
夜の町はその姿を隠し、この場所にはフクロウの鳴き声と風に煽られた葉の擦れる音だけが聞こえてくる。
夜の王城はとても静かだった。
テラスに備え付けられてあるベンチに腰掛け、愛用のローブからハロルド様に返し忘れていた親書を取り出す。
相変わらずそこには何も書かれておらず、真っ白にしか見えない。
わずかに霊術を行使した痕跡を感じるがその程度だ。シエラに言われなければ、これが解読の必要な文書であることすらわからなかっただろう。
現世に生きている人間たちの霊術も馬鹿にできないものである。
そんなことを考えながら夜のひと時を過ごしていると、いきなり目の前に白い羽がひらひらと落ちてきた。
不思議に思い空を見上げたが、星が瞬いているだけで何も見つけられない。
「こちらですよ、小さな死神さん」
背後からかかる声。わたしの姿が見えていることに驚きを隠すことができず、心臓を跳ねさせながら振り向くと、そこには教会の祭服に身を包んだ男がいた。
首から下げられてきらりと光を放つ十字架が、彼が教会に仕えている者であることを明確に示唆している。
わたしはベンチから立ち上がり距離を取りながら、鎌を顕現させて身構えた。
この神父は死神であるわたしのことが見えている。どのような理屈で認識できているのかはわからないが、只者でないことは確かだ。
そんなふうにわたしが緊張している様子を見て、男は肩をすくめた。
「おやおや、そんなに警戒なさらないで下さい。私にはあなたのような少女を怖がらせるような趣味はありませんから」
不意に、その背中から普通の人間にはあり得ないものが現れた。
「翼……」
夜道を照らす月のように、男の背中で揺れるそれは夜闇に反発しながら白く輝いていた。
わたしはこのような容貌を一度だけ見たことがあった。それはクリュー様がユノ様と面会した時のことだ。
ユノ様のような天界の住人たちは皆、背中から翼が生えている。クリュー様が言うには階級が上がるほど翼が立派なものになっていくらしい。
わたしの目の前に現れた男の翼はかなり立派に見えた。
「はじめまして、私の名はミカル。ミカル・カランと現世では名乗っています。あなたを見つけるのにはたいへん苦労させられました」
顕現させていた翼を消失させながら、ミカルはこちらに歩み寄ってくる。
「あなたと契約したであろう人間であるハロルド・マーティンとは一度お会いさせていただいております。申し訳ありませんがタリアからあなたたちをこっそりつけさせていただきました」
「……どのような要件でしょうか。天界の者と冥界の者の現世での接触は禁止されているはずですが」
わたしは天界からの来訪者に表情を強張らせた。
原則として天界の者は現世に来ることはない。例外として、冥界で審判を受ける必要がないと判断された人間が天界の戦士として迎え入れられる場合にのみ、天使が現世に舞い降りるのである。
しかし、そのようなことはほとんど無い。数百年に一度あるかないかである。
「なに、私の要件は実に簡単なことです」
ミカルはそこで一度言葉を区切った。少しだけ表情が険しくなっていた。
「なぜクリュメノス様は特異点の人間が発生したことを天界へ報告しないのですか?この報告は天界への義務になっているはずです」
「え……?」
それは初耳だった。冥界はハロルド様のことを天界に伝えていない?
当然連携を取っているものだと考えていたわたしは何も言えずに立ち尽くした。
「やはりその現状を知らせていませんでしたか……まったく、クリュメノス様は何を考えているのだ」
呆れたようにため息をついて、ミカルは現状の説明を始めた。
事の発端は半年ほど前、現世でわずかに霊力のバランスが乱れ、未来修正力が働いたことだった。
まず発動することのないその力が起動したことで、現世で何かおかしなことが起きているのではないかという疑問が天界で生まれた。
そのため天界は、現世管理の役割を担っている冥界から、未来修正力が働いた原因の調査報告が来るものだと考えて待っていたが、冥界からは一度も報告が来なかった。
不思議に思った天界は何度か冥界に使者を送ったが、冥界は知らぬ存ぜぬの一点張りであり、話にならなかった。
そこで、天界のトップであるセラから白羽の矢が立ち、現世調査のお達しが届いたのがミカルだったという訳だ。
力を抑える道具を身につけ、人間たちにも自身の姿が認識できるようにして教会に身分を隠して潜入し、未来修正力が働いたと思われる場所の付近に調査に来ていたところハロルド様に出会った。
ハロルド様が冥界からの干渉を受けていることを発見したミカルは、彼こそ冥界が隠している未来修正力が働いた原因だと気づき、その証拠を押さえるためにここまで追ってきたのだという。
「とにかく、天界と連携を取るようにクリュメノスに伝えて下さい。状況証拠も押さえました。冥界にあまりにも勝手に動かれると天界も困るのです」
「……申し訳ありません。クリュー様には伝えておきますので」
どうしてクリュー様は天界に伝えなかったのだろうか?
やれやれと疲れたように肩を落としているミカルを見ていると、なんだかすごく罪悪感が湧いてきた。
彼にも天界で仕事があっただろうに、わざわざ現世で人間のふりまでして調査をしていたとはご愁傷様としか言いようがなかった。
彼の口調は優しかったが、何だかわたしはひどく怒られたような気分がした。
少し落ち込みながら軽く俯いていると、ミカルがわたしのローブから見えている親書を見て表情を変えた。
「それは?」
「あ、これはハロルド様が教会から親書として受け取ったものです。お返しするのを忘れてしまって……」
わたしは慌ててローブの奥へと親書を突っ込んだ。
「それをどうするおつもりですか?」
「わたしは別に何もいたしません、ハロルド様はこの解読をするつもりのようですが」
「そうですか……」
ミカルの眼の色が変わった。
「その親書に書かれていることは知らない方がいいことだとしても、あなたの契約主はそれを解読するつもりですか?」
「どういうことですか?」
「いえ、ただのおせっかいですよ。もし解読するというなら覚悟を持ってくださいという意味です」
「何が書かれているのかご存知なのですか?」
「ええ、私こう見えても神父として教会に雇われているので」
と、ミカルが神父にしか見えない格好でそういうものだからおかしかった。
「ですがその一枚だけでは意味はわからないでしょう」
ミカルは真剣な表情を崩さない。
「だからあなたたちはその続きを知ろうとする。私にはそれが幸福なこととは思えません」
わたしを見つめたままミカルは立ち尽くす。その表情から何かを読み解くことはできなかった。
「……ハロルド様にはそう伝えておきます」
わたしは彼の真剣な様子に気圧されるまま返事をした。
「ですが私の忠告を聞いてもなお、解読したいと望むのでしたら、あなたの司令官であるクリュメノス様に頼むとよいでしょう。あの方なら一日もかからずに読み解いてしまうはずです」
ミカルのその言葉を聞いてわたしは驚いた。
「どうして解読の方法をわたしに教えるのですか?知られたくないことではないのですか?」
「知られたくないとは一言も言っていませんよ、書かれているのは現世の真実に近づくものであって、天界とは関係ありませんから」
ミカルは改めてわたしに向き直った。
「あなたたちにはその真実を知る資格があります。それを止めようとは思いません」
「資格?」
「そうです。君たちにはそれがある」
「わたしとハロルド様に……ですか?」
ミカルは頷いた。
わたしにはその資格というものはよくわからなかった。
聞いてみようとも考えたが、ミカルの纏う空気がそれを許してくれそうになかった。
わたしとミカルの間に風が吹き、ざわざわと木の葉が音を立てている。
微妙に息苦しい雰囲気を払拭するかのようにミカルが話し始めた。彼が纏っていた不穏な様相はもう消え去っていた。
「ところで、最近の教会の動向についてはご存知ですか?」
教会といえば、ハロルド様がシエラから調査を命じられていたところだ。シエラが言うには、どうにも不信感を抱かざるを得ないような現状のようであるが、わたしは詳しくは知らない。
「現世のほうでも教会に関して不信感を持っている者がいるようですがそれ以上は……」
「なるほど、そういうことならこれはあなたには伝えておくべきでしょう。最近教会でも無視できないことが起こりましてね……」
わたしはハロルド様から聞いただけだが、どうやら教会できな臭いことが起こっているようだ。
「教会の動向というよりは、教会の敵対者の動向というほうが正しいでしょうか」
「教会の敵対者?」
「はい、教会に反発して犯罪行為をするような人間たちは一定数います。そういった人間を
「……具体的にはどのようなことが起きているのでしょうか?」
「霊力で強化された武器を持って教会の関係者へ襲い掛かってくるようです」
「霊力で強化された武器?」
ハロルド様を襲ってきた盗賊たちも同じ性質の武器を持っていた。同一人物の犯行の可能性がかなり高いのではないだろうか。
「ええ、最も酷いものでは殺人も起きています。ですが、霊力を使えるのは神の加護を受け、神に祝福された者だけだと教えている教会にとってこの事件は非常にまずいですね」
「……犯罪者に神の加護が宿ってしまった」
「そういうことになってしまいますからね。教会はこの事件のもみ消しに心血を注いでいます。現在も事件の火消しに奔走していることでしょう」
教会内部から異端者が出たということであろうか?あるいは教会からの援助なくして霊力をあやつれるようになったのであろうか?どちらにせよ、神祭を近くに控えている教会が置かれている状況として芳しくないことはわかる。
「教会内部では大きな懸賞金をかけてその犯人の捜索に乗り出しています。まあ、当然でしょうね」
ミカルはそっと口元に手をあてた。
「あなたの契約者がその争いに巻き込まれて死んでしまわぬよう注意しておくに越したことはないでしょう。冥界の規定上、干渉した契約者に死なれると困るはずです」
「…………」
わたしはクリュー様が言っていたことを思い出していた。
『あやつが寿命を待たずして現世から居なくなることがあればそれが一番よい』
それを忠実に行うためには、ミカルが言ったことをハロルド様には伝えない方が賢明だ。
だが同時に、わたしはハロルド様ともっと一緒にいたいと思うようにもなっていた。ハロルド様が死んでしまうと、きっともう二度と彼とは会えない。
けれど、これはわたしのわがままだ。冥界にも迷惑をかけるだろうし、監視や報告も大変になるだろう。
結局わたしはどうすればいいのか答えを決めかねていた。
「……ご忠告感謝いたします」
ミカルに感謝の意を伝える。
「それでは私はこれで一度帰らせていただきます。クリュメノス様への報告、お忘れなきように」
ミカルはそう言い残し、再び翼を顕現させるとテラスからひらりと飛び降りた。
空を見上げるとまだ月は高かった。
まだまだ夜は終わりそうにない。
(少し疲れましたね……)
一人残されたわたしは、再びテラスにあったベンチに腰掛け、悩みを抱えたまま自由な時間を過ごすのだった。
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