第21話 過去の話

今日はもう遅いからという理由で、シエラは俺に王城の客間を一室与えてくれた。


明日以降も王城には自由に出入りしてもいいらしい。おまけに客間を寝泊りに使用することも許可してくれた。


体裁的に階級が下の部屋しか用意できなくて申し訳ありませんわなどと言われたが、ついさっきまで小国リネアスの兵士だった俺からすれば破格の待遇もいいところである。


とはいえ、王城を護るための兵士や多くの王族貴族に囲まれながら何日もここで寝泊りするほど俺の肝っ玉は大きくない。それにシエラの厚意に甘え続けるわけにもいかないだろう。


そのうち城下町の宿を押さえるつもりだ。


部屋に入って荷物を置き、真っ白な親書に目を落とし考えにふけっていると、今日は王女と面会した際に一言も言葉を発することのなかったエリーが、ふいに声を掛けてきた。


「ハロルド様は厄介ごとに巻き込まれる天才なのでしょうか」


いつものじっとりした目で俺を見つめてくる。


彼女のその言葉にぐうの音も出なかった。


エリーには今しがた、はぐれていた時にシエラとの間になにが起こったのかをひととおり話し終えている。


「俺だって予想外だったよ……」


本心を口にするがエリーにはその言葉は届きそうもない。


彼女は肩をすくめて見せた。逆の立場だったら俺だってそうなると思う。


「それにしても王女殿下はなぜハロルド様にこのような役割を与えたのでしょうか?こう言っては何ですが、ハロルド様はそこまで実績や地位があるわけではありませんよね?」


「もう少し優しくいってくれるとうれしいがその通りだよちくしょう」


エリーの辛辣な言葉が胸に突き刺さったがまったくもってその通りだった。あのとき俺がシエラを助けたとはいえ、ここまで面倒を見てくれるのは不自然だ。


しかし、だからと言って俺がこの状況を変えることなどできる訳がなかった。ただ受け入れるしかないのが現状である。


「ところで、親書解読のための当てはあるのですか?」


「はっきり言ってまったくないな、一から情報を集めるしかなさそうだ」


シエラからは、アナトルムで解読に携わった人間を何人か聞いてはいる。しかし、ひとり残らず良い返事は貰えなかったそうだ。


だからといってあまり調査の間口を広げ過ぎるわけにはいかない。


何故ならシエラの行動は教会への謀反、つまり神への反逆として処理されても文句は言えない内容だからだ。


王女の権限を発動すればいくらでも優秀な人材が集まってきて、手柄を立てるために切磋琢磨を繰り返すのだろうが、国家や教会にその動向を悟られてはまずいため、秘密裏に解析を行わなければならない。


そうなるとシエラがあまり大きな行動を起こせないというのが現実だろう。だからこそ俺を雇ったとも言える。


場合によっては俺が国外へと情報を集めに行く必要が出てくるかもしれない。


再び親書に目を落とし、その任務を遂行するための手掛かりの無さに頭を抱えそうになっていたとき、エリーが肩口からその親書を覗き込んできた。


「ハロルド様、少しその親書を見せていただいても構いませんか?」


「いいぞ」


エリーに親書を手渡す。何も書かれているようには見えないそれを、エリーはじっくりと観察した。


「なにかわかるのか?」


「いえ、私には何が書かれているのか見当もつきませんし、どうすればこの術式が解読できるのかもわかりません。ですが……」


エリーは親書から顔を上げて迷っているように視線をさまよわせていたが、結局何も言わずに顔を伏せてしまった


どうかしたのかと思い、声を掛けようとしたところで突然扉がノックされた。


俺とエリーは顔を見合わせる。


エリーは開いていた親書を小さく折りたたみ、そっとコートの中にしまった。


そして、俺に気を遣ったのか部屋の奥のほうに向かい、備え付けられた椅子にちょこんと腰かけた。


再び扉がノックされる


「どうぞ、開いています」


俺の返事を聞いてから扉がそっと開かれる。


「夜分に失礼する」


開かれた扉から現れたのは、白くて大きなひげが特徴的なシエラ王女の側近バン・ホプキンスであった。


慌てて姿勢を正す。


「バン様?どのようなご用件でしょうか?」


固く緊張がちな俺の態度が伝わったのだろうか、バン様はそんな俺を手で制した。


「そんな固くならなくてもよい、ワシが勝手に尋ねてきただけじゃからな。ハロルドくんとは少し話しておきたいことがあっただけじゃ」


時間はあるかね?と聞かれたので二つ返事で了承し、部屋の中にあった椅子を差し出した。


ありがとうと言ってバンは腰掛ける。


バン様の手にはウィスキーの酒瓶とグラスが握られていた。


「さて、ハロルドくん。昼間も言うたが君には本当に感謝している。よくあの貴族どもから姫さまを助けてくれた」


「いえ、助けたというか、あれは成り行きといいますか……」


「成り行きでも構わない。奴らから逃してくれたことが大事なのだ」


バン様は酒瓶からウィスキーを大きな氷の入ったグラスへとくとくと注ぎ込み、一気にあおった。


空のグラスの底にわずかに残った酒が、部屋の照明を反射してきらりと光っている。


「飲んでみるか?」


ふいにバンがそのようなことを聞いてきた。


断るのも少し失礼な気がするが、俺はまだ飲める年齢ではない。


どうしようかと悩んでいると、バンはくつくつと笑って冗談じゃと言った。


「君はまだ未成年だろう?飲めるようになったらこの老いぼれに付き合ってくれ、それまではしっかり生きるのじゃぞ」


バンは二杯目を飲むために再びとくとくとグラスに注ぎ込んだ。


からりと氷が溶けてグラスを滑る音がする。


「さて、ワシが伝えたいことは姫さまについてのことじゃ。なぜ姫さまが教会に対して不信感を持っており、王城を抜け出してまで教会の情報を集めに行ったのかということについてじゃ。それに失礼を承知で言わせてもらうが、どうして実績の無い君を雇ったかということも不思議に思っていることじゃろう」


「それは……まぁ、はい」


二杯目のウィスキーを口にしながら、バンはこちらを見た。


「姫さまはあの通り、お転婆でワシの言うことなど一つも聞こうとしないのは見ているとわかるだろう?今朝も部屋の前に警備をつけておったのに気づけば部屋におらぬ。まさか一国の姫がカーテンを外して何本か結び、二階から下に垂らして壁を伝って降りるなどと誰が考えようか……」


どこか諦めたような表情でバンは言った。どうやら本気で悩みの種のようである。


しかし、とバンは続けた。


「姫さまには幼き頃より不思議な力が備わっておった」


「不思議な力……ですか?」


「そうじゃ、姫さまには人の善なる心と悪しき心を読み解くことができるのじゃ」


俺は思いもよらないその言葉に目を丸くした。しかしバンは、真剣な表情を崩さなかった。


「シエラ様がまだ生まれて七年の幼き頃、アナトルム王城に一人の男が仕官してきた。男の能力は非常に高く。国王はその男を気に入って城に住まわせた。兵からの人望も集め、皆がその男を歓迎していた」


今から十年も前の出来事じゃとバンは遠い目をした。


「ところが、姫さまだけは男に対して態度が違った。そいつを城に入れてはいけないと震えながらわしに言うのじゃ。城に住む皆に人懐っこくくっついていた姫さまが、そのようなふるまいをなさるのがわしらには意外じゃった」


バンの口調に力が込もる。彼は何かに突き動かされるように言葉を吐き出していた。


「わしは最初、姫さまの話を聞き流しておった。姫さまにとって苦手な人間もいるだろうと、その程度にしか考えておらんかったよ。しかし、姫様は毎日わしに伝えに来たのだ。あの男は変だ、父上が危ないとな。あまりに何度もしつこく言われるものじゃから、わしも意識するようになって、その男は伝えずに王の居室付近の警戒の人数を増やしておいたのじゃ。そうしてある時、姫さまの予想が的中する事件があった」


「事件……?」


「国王の首が狙われたのじゃ」


俺はそのような話は聞いたことがなかった。大国アナトルムでそのようなことが起きていたなら、知らないはずがないのだが……


「わし達の協力を得ることができなかった姫さまは、襲撃者に一人で立ち向かっていた。本来、わしは姫さまの身代わりにならなくてはならなかったのに、わしが見たのは腹を刺されて血まみれになった姫さまじゃった」


重苦しい空気が流れる。バンはうつむき加減で、その表情はよく見えなかった。


「暗殺を謀ろうとした奴は国王の居室付近でわしが増員させた兵士によって捕らえられていた。後になって調べていくと、暗殺者は城の警備状況を知っていたとしか思えない方法で城に侵入していることがわかったのじゃ」


「それってもしかして……」


「そう、暗殺者にそれを伝えているスパイがいたのじゃ。そしてそれが、姫さまが恐れていたあの男だった」


俺は鳥肌が立った。バンの話はとても偶然とは思えない出来事だった


「男の素性を調べると、今まで語っていた身分はすべてでたらめで、違法薬物を売ってお金を稼いでいた元商人だと言うことが分かった。国王が行ったアナトルムの政策で薬物の取り締まりが厳しくなり、商売機会を奪われたことを逆恨みしていたことが動機じゃったよ……」


平和な時代が長く続いて気を抜いていたわしらの怠慢たいまんじゃったと、バンはその時のことを思い出した様子で力なく言った。


「姫さまが何度もわしを説得し兵士の増員を決定させ、暗殺者と対峙して時間を稼ぎ、その兵士が気づくことができたおかげで国王は無事に今も生きておる。これは奇跡と言っても過言ではあるまい」


しかしな、とバン様は続けた。


「国王はシエラ様の勇敢な行動を皆に伝えようとはしなかった。なぜならスパイを雇ってしまったなどということが皆に知られてしまうと王族のイメージダウン、国の兵士たちの信頼の低下に繋がってしまうと考えたからじゃ。それでも姫さまは笑っておられた。父上が助かったのならそれ以上を望みませんとな」


「…………」


俺はなにも言うことができなかった。


シエラのあの明るく活発な様子からは想像もできない一面だった。


「姫さまは誰よりも強いお方じゃ」


はっきりと、確信を持った声色で俺にそう告げる。


「姫さまは現在、政略結婚を国王から勧められておる。それが君もアナトルム郊外で出会ったランベルト公爵家じゃ。ハロルドくんもその名前を聞いたことぐらいあるじゃろう」


ランベルト公爵家。大商会の運営に携わり、教会ともつながりが深く、大きな力をもった貴族の家系だ。


その商会の運営は小物から嗜好品、果ては武器まで多岐に及ぶブランドを確立し、商会の代表になっている。


「そのランベルト公爵家から王位継承権の低い姫さまにお見合い相談が来た。それがつい先月のことじゃ。国の力を高めるためにも、ランベルト家との繋がりを持つことは確かに大きいじゃろう。国王は娘であるシエラ様を嫁がせることに前向きであった」


「しかしシエラ様は断った……」


「そう、ランベルト家との縁談を断ったのじゃ。当然国王は怒った。お前は国の発展を考えていないのかとな」


そこまで話し終えるとバン様はしばらく無言のまま口を閉ざしていた。


グラスの中に残っているウィスキーがわずかに揺れていた。


「姫さまは国王にお見合いの報告を終えたあと、わしにその意図を話してくださった。かつて話半分に姫さまのお話を聞き、お守りすることができなかったこの無能の老いぼれにな……」


バン様の声は震えていた。過去を思い、悔やんでも悔やみきれぬような気持ちがあふれてくるようであった。


「国を護るために、わたくしはランベルト家とは婚約いたしません……と」


ほう、とバン様は息を吐き、残ったウィスキーに口をつけた。グラスには結露による水滴がついており、氷はすべて溶けていた。


「姫さまには何かが見えておるのじゃろう。それがどのようなものかわしには見当もつかぬ。じゃが、わしは姫さまのことを信じておるのじゃ」


バン様は語り終えるとポケットからハンカチを取り出し、机の上にグラスの丸い跡を作っている水滴をふき取った。


「姫さまが教会のことについて探っているのは、霊峰アナトへ送られた友人と会いたいというのが一つ、そしてもう一つが教会のおかしな点を告発することで教会とつながりのあるランベルト家との縁談をお流れにするという目的じゃ。だから姫さまは今、城を抜け出してまで教会の尻尾をつかもうと躍起やっきになっておる」


「そう……だったんですね」


「ハロルド君、ここまでの話はわしの主観じゃ。信じきれぬこともあるじゃろう。じゃが、わしはハロルド君が姫さまの前に現れて、姫さまに気に入られ見染められたのは偶然ではないと思っておる」


バンは立ち上がり椅子を元の場所に戻し、すこし酒気を帯びて赤く染まった顔をほころばせた。


「どうか君の力を貸してほしい。この老いぼれだけでは難しいことも増えてきたのでな」




§§§




バンが部屋から出ていった後、俺は彼から手渡されたメモを見ていた。


姫さまから受けた命だけでは何をすればいいかわかりにくいだろうからと候補にあたる場所をいくつかまとめたものを受け取ったのだ。


「とりあえず、明日に向かう場所は決まりそうですね」


話が終わるまで部屋の奥で座っていたエリーが声をかけてきた。


その表情はどこか憂いを帯びていた。


エリーも先ほどの話を聞いて思うところがあったのかもしれない。


「そう……だな、明日はアナトルム郊外にあるノイム村の有識者に話を聞きに行ってみるか」


ふと壁に掛かった時計をみると、もう日付が変わっていた。


「もうこんな時間か……」


さっと上着だけを着替えて部屋の電気を消す。


今日はいろいろなことがありすぎた。とにかく一休みして明日改めて考えるとしよう。


「おやすみ、エリー」


「おやすみなさいませ、ハロルド様」


もう何度目かわからないほど繰り返したエリーとの挨拶を終え、エリーが部屋の外に出ていく様子を眺めてから俺は瞼を閉じた。

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