第19話 おてんば王女

「王女……?」


「ええ、王女と言いましても継承権は低いですけれど。人前に出ることはほとんどありませんし、国民にもそれほど深く認知されていないのではないでしょうか」


これはとんでもない人に出会ってしまった。


「いやいや、待って下さい。何故護衛の一人も付けずに街の外に出かけていたんですか?」


一国の王女ともあろう者が一人で出かけても大丈夫なのだろうか?


現にさっきトラブルに巻き込まれているように見えたが。


「城を抜け出してきました。護衛の監視があっては息苦しくて仕方ありませんわ」


王女はあっけらかんとそう言ってのけた。


「わたくしは教会の動向を調査しています。教会の今の状態はどこかおかしいですわ。あなたのように何も知らされずに国と教会の結びつきに利用されているような方もたくさん見てきました」


「それは私に伝えても大丈夫なのですか?教会に不信感を持っているなど一国の姫、それもアナトルム王国の王女殿下が言わない方がよろしいのでは……?」


「ハロルド、おおやけの場所以外ではわたくしを王女殿下などと呼ぶ必要はありませんわ。名前を呼んでいただいて結構です。周りに身元が知れ渡ると困りますし、名前を呼ばれないのはあまり好きでなくってよ」


「……それではシエラ様とお呼びすればよろしいですか?」


「それで構いませんわ。それほど珍しい名前ではありませんし、気付かれることもないでしょう」


「わかりました」


間違いなくこの人は変わり者だ。


王女として生活をしてきたのなら、教会からの援助や教育もかなり行われているはずで、不信感を抱くというのは考えにくい。


というかそもそも、王女は城を抜け出したりしない。


「ところで、不信感を持っていることを私に伝えても大丈夫なのかと言いましたわねハロルド?」


にこりと王女は笑っていた。


嫌な予感がした。


「もちろん大丈夫ですわ。なぜならあなたは、これからわたくしと共犯になっていただくのですから」


「……はい?」


「あなたには今持っていた親書の解読に向かっていただきます。教会は一体何を隠そうとしているのかをはっきりさせますわ」


「ちょ、ちょっと待って下さい」


「待遇については安心してもよろしいですわ。今のリネアスの護衛兵の平均よりも、休暇と給料は倍程度差し上げますわ」


「王女殿下、それは大変嬉しい限りなのですが、そうではなく……」


「シエラですわ」


「え……あーシエラ様」


「ふふ、それでいいですわ。本当は様もいりませんけれど」


で、何かしらとシエラは金色の髪をサラリとかき分けて胸を張っている。


「どうして私にそのようなことを頼むのですか?ほかに適任者がいると思いますが……」


「あなたはわたくしを助けてくれました。それだけで十分信頼に値すると思いますわ。わたくしはこの数か月間、ずっと協力者を探していましたの」


何かおかしなことでも?という様子で彼女は言った。


「私がこのことを告発するかもしれませんよ?」


「あら、告発するの?」


慌てる様子もなく、優しく笑ったまま彼女は言った。


「……するつもりはありませんけど」


「そう、だったら問題はなくてよ。ですがもし、告発したくてたまらなくなったら自由にしていただいてかまいません。その時はあなたをうちで雇う約束は無しにさせていただきますわ」


完全に俺の負けだった。


王女に雇ってもらえなければ俺はリネアスから解雇される可能性があり、そうなった時は間違いなく路頭に迷うことになる。


これに関しては完全にシエラ王女のせいなのだが、その分彼女は俺を好条件で雇ってくれることを約束してくれた。


それに、仮に告発をしてまわったとしても、俺の実績と信頼度では誰にも相手にされないのが目に見えている。


この時点で、俺は王女殿下の提案を受けるしか道は無くなっていた。


彼女を助けた時点で俺の道は確定していたのだ。


しかし、かなり唐突のことではあったが、リネアスの護衛兵にそこまで思い入れがあるわけではない俺にとってこの申し出は願ってもないことであった。


「……わかりました、お受けいたします」


「嬉しいわハロルド、これからよろしく頼みますわ」


シエラから差し出された手を握り、俺はがっちりと握手を交わした。


「シエラ様、お聞きしたいことがあるのですがよろしいですか?」


「構いませんわ」


「その、教会への不信感は一体どこから生まれてきたのですか?根拠があるなら教えていただきたいのです」


彼女は少し考えたあと、話し始めた。


「ハロルドは教会が定期的に人を神に仕えさせるという名目のもと霊峰アナトへ向かわせているのをご存知?」


「霊峰アナトへ?」


霊峰アナトというのはアナトルムの名の由来にもなった聖地だ。


アナトルム王国からは馬車で半日とそれなりに距離のある場所にそびえ立つ急峻な山のことである。


教会から特別に許可を貰った人間しか立ち入ることができず、そこには戦いの神が祀られている。


「ええ、数年に一度、一人だけ教会から一生を神の使いとして歩むためにアナトへ向かうみたいですわ。アナトへ向かった人は俗世との関わりを断ち、毎日神に祈りを捧げるとされています」


それは初耳だった。


「ところがこれは王族の一部の人間と教会の上層部しか知らないことですわ。現に今、ハロルドもこのことを知らなかったでしょう」


シエラはさらに付け加えた。


「あまり好ましくない伝統であるとは思いますが、アナトへ向かう本人がそれを望んでいるならば仕方がないことだと考えていました。ところがおかしなことに霊峰へ向かった人はその人が存在していた全ての証拠が消されていたのですわ。そして、どういう訳か誰もその人がどうなったのかを知らないと言うのです」


「存在が?」


「ええ、名前、戸籍をはじめとしたその人に関わる全てが消されていました。教会へ尋ねても神の使いとなったのですの一点張り、当然面会も不可能。そして何よりおかしいのが、神の使いとしてアナトへ送られる人間は戦争孤児をはじめとした、教会の教育機関で面倒を見ている引き取り手のいない人ばかりということですわ」


存在が消えていたとしても大きな問題にならないような人間がアナトへ送られているということだろうか?


「……少し前にわたくしの知っている方がアナトへ送られていきましたわ。その方とは教会への訪問の際に一度お話しさせていただいただけでしたが、わたくしに大切なことを教えてくれました。わたくしが教会のことを探るのは、もう一度あの方に会いたいという個人的な想いもありますわ」


明るく自信満々なシエラの表情が少し暗くなっていた。


彼女にとって、その人はそれほど大事な人だったのだろうか。


しかし、彼女が見せたそんな表情は一瞬だけで、すぐに元通りの顔つきになった。


「という訳ですわ。理由はわかったかしら?」


さっき見せた表情が嘘のように、キラキラした笑顔で王女は続けた。


「これから一度アナトルムの王城にご招待しますわ。正式にわたくしの護衛として契約を結んでいただきます。それでは行きますわよ」


彼女はくるりと後ろを向き、王城を指差した。


「わかりました、ですがその前にもうひとつだけよろしいですか?」


ずんずんと進もうとしていた王女を一度静止した。


王城に向かおうとしていたシエラは、まだ何かありますのとでも言いたげな不服な面持ちで振り向いた。


だが、俺にはアナトルムに向かう前にどうしてもやらなければいけないことがあるのだ。


「……先ほどシエラさまを助けた際に落し物をしてしまったので探してきてもよろしいでしょうか?」


一刻も早く、あれ以降姿が見えないエリーを拾いにいかなければ……。




§§§




「ハロルド様、どういうおつもりですか?」


健気にも最初にはぐれた場所で待っていたエリーの最初の言葉はそれだった。


「急にそこの女性と二人で逃げて姿を見失ってしまって……ハロルド様は彼女と二人で何をしていたというのですか?」


その場で待つしかなかったであろうエリーに、俺は申し訳ない気持ちになった。


後ろから王女が付いてきているので、言葉を話してエリーに言い訳をすることもできず、必死に目配せをして、王女に不自然に思われない程度の動きも交えて俺の気持ちを伝えようと試みる。


が、どうやら上手く伝わらないようだ。当たり前である。


「ハロルド、何をおかしなことをしているのですか?探し物は見つかりましたの?」


彼女も例によってエリーのことは見えていないようで、俺の挙動を不審がっていた。


「シエラさま、見つかりました」


「見つかったの?では、早く王城に向かいますわよ」


王女はくるりと向きを変えて先に歩いて行ってしまった。


俺はその後ろを着いていき、距離が空いたところで王女に聞こえないように小声でエリーに語りかける。


「心配かけてごめんなエリー」


その言葉にピクリと肩を震わせて、エリーはそっぽを向いた。


「……心配なんてしていません。ハロルド様はわたしの監視下にあるのですから、勝手にいなくなられては困ります」


彼女はそう言って振り向き


「とにかく何があったのかは教えてもらいますから」


と続けた。


少しむすっとしながら呆れたような表情で彼女は俺の後ろをついてきた。

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