第18話 お嬢様

タリアを出発してからはあっという間だった。


アナトルムまでの道のりは残すところあと少し、一日も歩けば到着する距離になった。


エリーはタリアで買い物を終えたあと、硬貨を置きに慌てて冥界にトンボ帰りしていたようだったが、次の日の朝には戻ってきた。


その手首には、蒼いブレスレットが着けられていた。


エリーとの関係も今のところ良好だ。


時にはエリーからも話しかけてくれるようになり、この二人の距離感は安心できるものだった。


「まもなくアナトルムですね。あとは王城に行き謁見し、教会へ親書を届ければとりあえずひと段落という感じでしょうか」


「一応俺に与えられた仕事は終了ということにはなるが、きっとリネアス国王が望んでいることは到着してからの雑用だろうな」


「しばらくはアナトルムに滞在するということですか?」


「そうだな、もう少ししたらから開催される神祭が終わるまでだいたい一ヶ月くらいだから、その期間は滞在ということになる」


その後は実家があるハトリヤに戻って数日間の休憩を取り、そこからリネアスに帰還という流れになるだろうか。


ぼんやりと頭の中で予定を立てながらエリーとの会話を楽しんでいたとき、その時間は突然の悲鳴により終わりを告げた。


俺たちは声がした方を振り向く。


エリーと顔を見合わせたあと、俺はすぐにそちらに向かって駆けだした。


「いやっ!手を離しなさい無礼者!」


向かった先では、高級そうなドレスに身を包んだ女性がいた。


年はまだ成人しているようには見えない。


身なりからして、お金持ちの貴族のお嬢様といったところだろうか。


そんな彼女が数人の男たちに取り囲まれて腕を掴まれている。


「そう言わずにこちらに従っていただけませんか?私たちもこのような乱暴なことはあまりしたくはないのですよ」


「以前そちらのご子息との縁談はお断りしましたわ!これ以上わたくしに関わらないでいただけます?」


「そうはいきません、あなたの父上様からもお嬢様のことは頼まれているのです」


「わたくしは頼んだ覚えはありませんわ!」


ぎゃあぎゃあと男と少女が言い争いをしていたが、どうやら彼女が襲われているとか暴力を受けているという訳ではなさそうだ。


「ハロルド様、何やら揉めているようですがどうするのですか?」


エリーが後ろからゆっくり追いついてきて、俺に尋ねた。


俺は正直、この話し合いには首を突っ込まないほうが正解だと思った。


あの会話から察するに、貴族どうしの縁談がもつれているようで、なにも関係ない俺が口出しをするようなことではない。


「とりあえず俺が想像していたようなことは起きてないみたいだ。バレないように退散するか」


エリーにそう告げて引き返そうとした。


その時である。


ドレスを着た少女は男たちの一瞬の隙をついて腕を振り払い、そのウェーブがかった金髪を揺らしながらこちらに駆けてきた。


「お待ちなさいそこのあなた!そう、そのリネアス兵の服を着たあなたですわ!」


ばっちりと指を指されてしまった。


俺の隣にやってきた少女は、がっしりと俺の腕をつかみ、懇願するように俺を見上げてきた。


「後生ですわ、助けて下さい」


「ええっ!?」


助けろと言われても俺にどうしろと言うのだろうか。事情を詳しく知らない俺に説得なんてできるはずもない。


戸惑っているうちに、正面からすごい形相で男たちが迫ってきた。


「貴様何者だ!お嬢様に何をするつもりだ!」


どうやらこの少女によからぬことをしようとしているように見えたようだ。


誤解ですと叫びたかったが、俺の意図が伝わる前に掴み掛かられてしまいそうな勢いである。


突然の出来事に正常な判断力を欠いた俺は、まだ腕に抱き着いている少女を抱え上げ、その場から全速力で逃げ出した。


後ろからは男たちの怒号と、ハロルド様お待ちください!という声が聞こえてきたが俺に止まる余裕は無かった。




§§§




「助かりましたわ」


「ど、どういたしまして」


ぜえぜえと肩で息をしながら、俺はこの『お嬢様』と森の中にいた。


男たちを巻く為に見通しの悪い森に入ったのだ。


(逃げる為に森の中に入ってばっかりだな俺……)


なんとか逃げ切ったが、もうこんなことは勘弁してほしい。


「あなた、お名前は何というんですの?」


「俺ですか?俺はハロルド、ハロルド・マーティンです」


「ハロルドというのですね、よくやってくれました。是非この後うちに来て下さい、お礼を差し上げたいですわ」


「ありがたい申し出ではあるんですけど、俺はこれからアナトルムの王城に向かわないといけないんです」


「あら、それは都合が良いですわ。わたくしのうちはちょうどそこにありますもの」


「……え?」


「ですが、なぜリネアスの方がこんなところまで来ているのですか?ずいぶん離れているでしょう?」


ずいぶんと気になる発言が飛び出た気もするが、とりあえず質問に答えておく。


「教会に親書を届けに来ました」


名目上は、だが。


「教会ですって?」


少女は教会という言葉がでるなり、俺に不審な目を向けてきた。


とくに問題があるようなことは言っていないつもりだが……


「少しその親書を見せてもらってもよろしくて?」


ここまできて、疑いの目を向けられる理由がわからないのだが、面倒事を起こすことが嫌だった俺は少女の迫力に押されてつい親書を見せてしまった。


「こちらです。リネアス国王のサインもありますよ」


鞄から取り出すや否や、少女は俺から親書を奪い取り、その場でびりりと親書を開封した。


声にならない悲鳴が俺の口から漏れた。自分の首が吹き飛ぶ瞬間を目の当たりにした気分だった。名目上とはいえ教会と国を結ぶ親書を勝手に開封するなど打ち首は免れない。


少女はそんな俺の様子など気にも留めず、親書の内容を眺めている。


「おい!なんてことするんだ!」


腹の底からえるように声を出し、少女から親書を取り返そうとしたその時、少女は親書の中身を開いて俺に見せてきた。


そこには一文字も文章が書かれておらず、真っ白な紙が一枚入っていただけだった。


「な、なんで白紙なんだ?」


困惑する俺を見据えて少女は言う。


「何も書かれていない訳ではありませんわ。ここには他人に見られてはいけないように、暗号霊術シークレットコードが施されています。特殊な解読が必要なのでしょう」


「そ、そうなのか。だったら余計に開けたらだめなものじゃないのか?」


道中で襲ってきた野盗のことを思い出す。


あいつらをけしかけた奴はやはり、厳重に管理されたこの親書が目的で俺のことを襲ってきたのではないか?


「ああ、おれの護衛兵生活も終わりだ……」


親書を開封した少女に怒る気にもなれず、俺は膝をつき頭を抱えて、自分のこれから先の真っ暗な人生に思いを馳せた。


「問題ありませんわ」


「……へっ?」


「たとえあなたの持っていたこの親書が教会に届かないところで問題はありません、あなたの他にも同じものを持ったものが多数派遣されていることでしょう。」


「なんでそんなことがわかるんだ?」


「これと同様の手紙をいくつか見たことがあるからです。かけられている術式も同じものでした」


この少女は一体何者なのだろうか。


「ですがもし、この手紙の封を切ったことであなたがリネアス王国から解雇されたら、その時はわたくしが責任を持ってあなたを雇って差し上げます」


「……どういうことだ?」


たとえ貴族といえども、反逆に近しいことをした俺をかくまっておくようなことはできないはずだ。


それこそ、リネアスより強大な力を有していない限り……。


「そういえばまだ名乗っていませんでしたわね」


肩にかかった金色の髪の毛をさらりとかき分けて彼女は名を告げる。


「わたくしの名はシエラ。シエラ・アナトルムと言いますの。アナトルム王国の名を受け継いだ、れっきとした王女ですわ」

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