第17話 買い物
タリアの夜が明けた。
朝起きてみるとエリーはいなかった。
今日の出発は昼以降を予定している。そのためゆっくりと寝ていても良かったのだが、昨晩は疲れていたのかぱたりとベッドに倒れこむようにして寝てしまい、結果としてずいぶん早くに目が冴えてしまった。
宿の朝食まで時間があったため、太陽の光を浴びようと散歩に出かけることにした。
朝のタリアは、夜の熱気がまるで幻であったかのように静かだった。
時折、地面に散らばったゴミを拾い集めている人や道の端のほうで酔いつぶれて寝ている人を何人か見かけたが、基本的にはもの寂しい様子だ。
歩きながらこれからのことをぼんやりと考えた。問題は山積みだ。
リネアス王国から与えられた使命のこと。アナトルムへの親書のこと。――そして、エリーのこと。
しばらくあてもなくさまよい歩いて時間を潰していると、気付けば朝食の時間になっていた。
少し急ぎ足で宿に戻り、普段よりも豪勢な朝食をとったあと部屋に戻ると、エリーは部屋に帰ってきていた。
「……おはようございます、ハロルド様」
「おはようエリー」
俺たちは、ぎこちなく挨拶を交わした。
俺はエリーと何を話せばいいかわからず、彼女と見つめあったまま固まってしまった。
「その、そうしてじっと見つめられると恥ずかしいのですが……」
「す、すまん」
慌てて彼女から目をそらす。
そのまま特に話を交わすこともなく、エリーと俺はちょうど一人分の空間を開けてソファに座った。
ちらりとエリーのほうを見てみたが、その表情からは何を考えているのか読み取ることができなかった。
昨日の夜、衝動のままに彼女の頭を撫でてしまったが、よく考えたら失礼なことをしていたかもしれない。
無言のまま数分、なんとも言えないようなむず痒い雰囲気が流れ始めていたとき、エリーがそれを打ち破るように声を上げた。
「あの、ハロルド様」
「どうした?」
彼女は何度か自分を落ち着かせるように深呼吸をし、そのあと一気にまくし立てるように言った
「その、もしよろしければ買い物に付き合っていただけないでしょうか?」
普段の彼女からは考えられないような声量だった。
彼女はそれを言い終えたあと、ソファに座ったままローブの中からちらりと見えている自分のスカートをきゅっと握りしめていた。
そんなエリーの様子に面食らった俺は、しばらく何もできずに放心していた。しかし、改めて彼女の言った言葉の意味を考えると、それは彼女と過ごしてから初めて俺に伝えられたお願いだった。
昨日エリーに言ったことを思い出す。
もし、あの言葉がエリーに届いていたのだとしたら何よりも嬉しく思う。
少しうつむき加減できゅっと唇を結び、俺の返事を待っている彼女の様子を見ると、彼女がどれほど勇気を出して今の言葉を口にしてくれたのかが伝わってきた。
「いいぞ、どこに行きたいんだ?」
笑って返事をした俺の表情を見たからだろうか、エリーは安心したような表情を見せた。
昨日の夜俺が眠った後、彼女に何があったのか、何を思ったのかは俺にはわからない。
でも、こうしてエリーが自分の思ったことを俺に伝えられるのはとてもいいことだと思った。
俺の返答を受けて、彼女は少し遠慮がちに答えた。
「……タリアの入り口にあったお店に行ってみたいのです」
§§§
太陽も高くなり、人の活気が出てくる頃。俺はエリーと連れ立って街を歩いていた。
目的はもちろん、エリーの買い物に付き合うことだ。買い物をした後、そのままタリアを発つために、宿の退出手続きは済ませてきた。
俺の隣を歩くエリーは落ち着きが無く、どこか緊張したような面持ちだ。彼女にとってこの買い物はどんな意味を持っているのだろうか?
借りてきた猫のようにおとなしいエリーを連れて、店の前に到着する。エリーが行きたいと言った店は思った通り、彼女が昨日の夕方に覗き込んでいたところだった。
木でできた小屋のような外観のその店は、装飾も玄関の前に小さな花が植えられている以外にはこれといった物はなく、派手なものが多いタリアの中ではかなりシンプルだった。
指輪やチョーカー、髪飾り、ヘアピンなどといったアクセサリーから、観葉植物のような生活雑貨品もあり、商品のラインナップはかなり多彩だ。
エリーはそれらを店の前でじっと見つめている。
「何を買うつもりなんだ?」
「その……まだ決めてはいません。でも、身に着けられるものがいいと思っています」
「そうなのか、いいものが見つかるといいな」
エリーはこくりと頷き、店頭に置かれている商品をひとしきり見たあと、中に入っていった。
店内は大きなガラス窓から太陽の光が差し込んでおり、明るい印象を受けた。
「いらっしゃいませ」
中には女性が一人いた。どうやら彼女一人でこの店をやっているようだ。
エリーは奥に入っていき、ブレスレットが陳列されている棚のところに向かった。
彼女に着いていくと、思っていたよりも多くの種類のブレスレットが置いてあった。
ざっと目算して数百種類といったところだろう。石の種類はこんなにあるのかと俺は驚いた。
そのままエリーと一緒に商品を眺めていると、蒼い宝石を基調に彩られたブレスレットが目に入った。
それは、エリーの瞳の色によく似ていた。
思わず手にとって眺めると、吸い込まれてしまいそうなほど蒼く澄んだそれは、太陽の光に照らされて小さく輝いていた。
様々な種類の商品があり、どれを買うか決めかねている様子のエリーだったが、俺がこのブレスレットを持ったまま立っているのを見るとそっと近づいてきた。
「ハロルド様はブレスレットが欲しいのですか?」
「いや、そういうわけじゃないよ」
「そうなのですか?真剣に選んでいるように見えたのですが……」
エリーは不思議そうな表情をして、俺が持っているブレスレットを覗き込んだ。
「綺麗な色ですね」
「ああ、エリーに似合うと思う」
「へ?」
俺のその言葉にエリーは呆気に取られたようで、こちらのほうを向いたまま固まってしまった。
「か、からかわないで下さいハロルド様。わたしにはこんな明るい色の宝石が似合うはずがありません」
エリーは俺の言葉を否定して首を振った。
「そうか?別にそんなことないと思うんだが……まあエリーが気に入らないなら仕方ないけど」
「…………」
返事がなかったので俺がブレスレットを棚に戻そうとしたらエリーが
「……ほんとうにそれがわたしに似合うと思っていますか?」
「どうしたんだ急に?さっきそう言ったじゃないか」
「……わたしが死神でもですか?イメージと違ったりするんじゃないですか?」
「別に明るく綺麗におしゃれしている死神がいてもいいだろ?」
エリーはしばらく思案したあと、俺の手からブレスレットを受け取り、じっと見つめていた。
そして手首にそっと着けて、ひとしきり眺めた。
「……これにします」
エリーがそう言ったので、俺は少し驚いた。
「いいのか?俺に気を使わなくてもいいんだぞ?」
「いえ、わたしはこれがいいのです」
そっとブレスレットを手首から外し、彼女は俺のほうに向き直った。
「ハロルド様、申し訳ないのですが商品の購入をお願いしてもよろしいでしょうか?わたしはあの店員には見えていないと思いますので……」
「ああ、もちろん構わないさ」
エリーからブレスレットが手渡される。
結果的にそれを選んだのは俺だから、なんだか照れくさかった。
そして、そのまま会計に向かおうとしたらエリーに呼び止められた。
「待って下さい。ハロルド様にお金を出してもらう訳にはいきません」
商品の値段は見ていなかったが、この前給料も入ったところだし貯金もある。俺はエリーにお礼もかねてプレゼントしてやるつもりだった。
「いいって、助けてもらったしいつも俺の霊力を調節してくれているからそのお礼」
と、そう伝えたのだがやはりエリーは納得しない様子だった。
「……ハロルド様、そこまでわたしに気を使わないで下さい。わたしもその……毎日あなたから楽しい気持ちを貰っていますので」
後半は消え入りそうな声だった。
エリーにそう言ってもらえて、俺は安心した。
俺が勝手にエリーといるのが楽しいと思っていたわけではなく、エリーも一緒にいて楽しいと思ってくれていたことが本当に嬉しかった。
俺がエリーに買ってあげたいんだとそう伝えると、エリーはしぶしぶといった様子で、半分ずつお互いに支払うことで構わないということになった。
「……ありがとうございます。ハロルド様」
エリーは小さな声でそう言った。彼女は久しぶりに笑顔を見せてくれた。
「こちらが硬貨です」
エリーがローブの中のポケットからコインを取り出し、俺に手渡した。
俺は目玉が飛び出そうになった。
「エ、エリーこれは本物か……?どこで手に入れたんだ?」
「え?」
「これはポケットなんかに入れていいものじゃないぞ……」
「これってそんなに価値があるものなのですか?」
エリーはこの硬貨の価値をわかっていないようであった
「これはアナトルムのかつての王が即位した時に作られたコインだ。これが本物だとしたら、この一個で豪邸が立つ」
大国アナトルム。今向かっている都市でもあるそこは、国名でもあるアナトルムの名を冠した王が何代にも渡って国を治めている。
このコインは数代前の王が作らせたもので、世界に数十枚しかないという。
確か武闘の世界大会で予選を通過した者だけに配られたものだ。
どうやって手に入れたかわからないが、この硬貨は現在もコレクター達の間で高額で取引されている。
時間を重ねる度に少しずつ値段が上がっている商品でもあった。
慌ててエリーに返して、とりあえずはポケットの中に入れておくように言った。そして冥界へ行って置いてくるようにと伝えた。
「今回は俺が出しておくから、細かいのができたときにまた渡してくれ」
「は、はい。申し訳ありません」
エリーはあっけに取られた様子で、俺がブレスレットを購入するところを見ていた。
ブレスレッドを購入するとき、俺は店員の女性からすごく変な顔で見られていた。
忘れそうになるが、エリーは周りには見えていない。おそらく俺は、独り言を言いまくって突然驚いて慌てている不審者に見えたことだろう。
俺とエリーは会計を終えると、逃げるようにその店から出て行ったのだった。
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