第16話 クリューとエリー

~Side Ellie~


月が空高く昇り、夜も更けてきたころ。


わたしはハロルド様が寝静まったのを確認してから冥界へ向かった。


あのあとハロルド様は入浴を終えてから隣の部屋で何か考え事をしていた様子だったが、疲れていたのか布団に入るとすぐに寝息を立て始めた。


わたしは死神だから睡眠を取る必要がない。


それなのにわざわざ寝る部屋を別々に割り当てるあたり、彼はとても律儀なように思えた。


今回も報告のために、クリュー様がいる部屋へと向かう途中だ。


薄暗い廊下を歩きながら、わたしはどこか上の空だった。


何度も脳内で思い起こされるのは、今日わたしとハロルド様との間にあった出来事。


(……見られた)


今思い出しても、かあっと顔が熱くなる。


今まで死神として数年間活動してきたが、異性に裸を見られたのは初めてだった。


あまりの恥ずかしさに、思わず死神の鎌を顕現させてハロルド様のほうに投げつけてしまった。


物理的に打撃が効くように顕現させてしまったのは、恥ずかしさでかなり余裕が無かったからだろう。


しかし、よくよく考えるとわたしのほうに過失があるのだ。


鍵をかけずに服を脱ぎ、あまつさえ温泉につかって気分転換をはかっているなど、死神としての役割を自分は忘れているのではないか……。


挙句の果てにはハロルド様に干渉し、軽傷とはいえけがをさせてしまう失態。


今までのわたしなら絶対にしないようなミスだった。


昨日クリュー様と会話してから、わたしはどのようにして振る舞えばいいのか、あるいはどうしたいのかがわからなくなった。


クリュー様に与えられた使命を全うし、冥界にこれ以上の迷惑をかけないために、ハロルド様への手助けはやめようと決意した。


そっけなくハロルド様に返事をし、突き放すような態度を取ることで気持ちの整理をつけているつもりだった。


……それがうまくいっていたかどうかは定かではない。


そして、わたしはハロルド様のお誘いを断ってタリアの街について行かなかった。


ハロルド様に着いて行くと、干渉しないという決意が揺るぎそうだったからだ。


監視対象なのだから、本当はずっと目をかけていなければならないのだが、今のわたしにはそれができなかった。


こんな状態ではついて行っても役割を果たすことは難しい。そう考えたわたしは、ハロルド様を見送ってからひと息つき、今後の方針を固めていこうと冷静に考える時間が与えられたはずだった。


ところがいざ一人になってみると、なんだかよくわからないもやもやとした、表現するのが難しい不思議な感情が湧き上がってくるのだ。


これからのことを考えていかなければならないのに、思い出されるのはハロルド様とのことばかりだった。


いつもわたしの歩調に合わせてくれて、通らなくていい道もわざわざ遠回りまでしてわたしに綺麗な景色を見せてくれて、頼んでもいないのにイチゴキャンディを買って押し付けてきて……。


(ハロルド様はわたしが気づいてないと思っているのでしょうか?)


思わずくすりと頰が緩んでしまう


イチゴキャンディだって、綺麗な景色を見るための遠回りだって、彼が意図していたことだと気づかないはずがないのだ。


気付けばわたしは、そんなハロルド様の優しさに甘えてしまっていた。彼に話しかけられるのを楽しみにしている自分がいた。


それが楽しくて、居心地のよいものになってしまっていたのだ。


死神としての本来のわたしの役割を果たすために、それは捨てなくてはならなかった。


(それなのに……)


ハロルド様はわたしの失態を許し、あまつさえ我慢するななどといった言葉をわたしにかけてくるのだ。


(…………)


そんなことを考えていたら、もうクリュー様の部屋の前に着いてしまった。


これからわたしは、自身が犯した失態をクリュー様に報告しなければならない。


「……はぁ」


自分の感情と、死神としての使命がこれほど一致しないことがあっただろうか。


数年間、死神としてしか生きてこなかったわたしには、この死神としての在り方を変えることは難しかった。


それが自分を形成している全てだから。


それは記憶を失っていたわたしに、新たな生き方を与えてくれたものだった。


クリュー様は変わってもよいと仰っていたが、わたしにはその決断ができなかった。


「……はぁ」


扉の前で足を止めたまま途方に暮れる。これで何度目のため息だろう?


「なんじゃ、辛気しんき臭い顔をして部屋の前でため息ばかりつきおって。入らぬなら通して欲しいのだが……」


わたしは突然後ろから掛けられた声に驚いて飛び上がった。


慌てて後ろを振り向くと、クリュー様が怪訝そうな顔をして立っていた。


「く、クリュー様。いつからそこに?」


「いつからもなにも、お主が廊下を歩いているときから後ろにずっとおったのだぞ?声をかけようかと思ったのだが、お主がずっと心ここに在らずといった様子でいたからそっとしておいたのだが……」


わたしはそんなにひどい表情をしていたのだろうか?


しかし、クリュー様にこの様子を見られたのならば、今更なにを取り繕う必要があると言うのだろう。


これではもう、わたしの身に何かあったと言っているようなものだ。


「クリュー様、ハロルド様のことで報告があります」


わたしは勢いのままに、クリュー様に報告をしてしまおうと考えた。


わたしのその言葉に、クリュー様はわかっていたとばかりにこくりと頷き


「まぁ、焦らずともよい。とりあえず部屋に入ろうか」


と答え、部屋の扉を開いた。


クリュー様に背中を押されて、わたしは部屋の中に入る。


クリュー様が使っていた机の上にあった大量の紙の山は、以前と比べてだいぶ減ったように見えた。


最近は冥界の仕事が滞りなく進んでいるようだ。


「さて、それでは報告を聞こうではないか」


クリュー様は椅子までゆっくり歩きながら、わたしにそう言った。


その言葉を皮切りに、わたしはハロルド様との事の顛末てんまつを説明した。


クリュー様は最初、真剣な表情をしてわたしの話を聞いていたが、途中から頬が緩んでいき、わたしが生まれたままの姿を見られてしまったことをしどろもどろになりながら伝えようとしたところで遂に耐えられなくなったようで、ぶっふぉという音と共に吹き出して大きな声で笑い始めた。


「わ、笑わないで下さいクリュー様!」


椅子に座っていたクリュー様は笑いすぎで腹を抱えていた。そこまで笑うことないと思う。


わたしは恥ずかしさをこらえながらハロルド様にけがを負わせてしまったところまで何とか言いきった。


「くっふっふ……あー笑った笑った。お主、可愛すぎるぞ。それにしても照れ隠しとはいえあのでかい魔道具を放り投げるとはな」


「それは……申し訳ありません」


「いやいや、別に謝らなくともよい。干渉をしても構わないと言うておっただろう?ハロルドのけがも軽傷のようだしそこは問題ではなかろう」


クリュー様はしこたま笑って少し落ち着いたようで、再びわたしのほうに向き直った。


「あやつがお主の心を大きく揺さぶっているということは話を聞いているだけでよく伝わってきた。そして、その原因がわからずお主が悶々としていることもな」


「…………」


「何度も言うておるが、エリーは死神としての役割を重く受け止めすぎだ。お主がよくやってくれていることはもう十分わかっておる。自分がお主に望んでいることは、お主がやりたいことをしっかりと表現してくれることだ」


「やりたいこと……ですか?」


「そうだ、ハロルドと話をしたいならすればよいし、現世の美しい景色を見たいなら見ればよい。美味しいものだって食べても構わないし、欲しいものがあるならお願いして買ってもらえばよい」


「ですが、それは……」


あまりにも現世へ干渉をし過ぎているのではないか。


そう考えているわたしの心を読んでいたかのように、クリュー様は微笑んだ。


「なに、死神の規定というものはあまりこの世の理がわかっていない数千年前に作ったものであるからな。一応形として残してはいるが、ここまで厳密に守らずとも現世へ影響が出ないことはもう分かっておるのだ」


「……そうなのですか?」


「うむ、今さら作り変えるのも面倒だったからそのままにしてあるだけなのだ。それに、最初からいい加減にしてもよいなどと言ったら規則を守らない奴が増えるかもしれんだろう?」


いかにもクリュー様らしいおおらかというか、悪く言えば適当な理由であった。


そして、クリュー様の年齢は一体いくつなのだろうか?


「もちろん数百人、数千人単位でそれをやられると問題だが、そもそも死神の数は両手で数えられるほどしかおらぬ。現世に生きる人に大きく干渉しない限り問題は起こりえない」


だからな、とクリュー様は続けた。


「お主がやりたいようにやってみるとよい。もちろん、監視と霊力調整は行なって貰うことになるからそこはきちんとお願いするぞ」


「……わかりました」


自分の思うように……。


役割を果たしていくことで自分の存在を確かめていたわたしにとって、それはとても難しいことに感じる。


でも、笑顔でわたしに語りかけてくるクリュー様を見ていると、今まで抱えていた不安が少し和らいだように思えた。


「まあ、そうは言っても行動を変えることは簡単ではないだろう。いきなりハロルドの奴に金銭が絡んだおねだりするのは少し難易度が高いかもしれぬ。だから、これを使って一度お主の好きなものを買ってもらうといい」


クリュー様はそう言って、机の下にある棚の中からピカリと光るものを取り出した。見たところそれは一枚の硬貨のようだった。


「ほれ、受け取るがよい。こいつがあればそこそこにお主の欲しいものは手に入るであろう」


クリュー様の手からピンとはじかれた硬貨を受け取る。


現世では見たことのないデザインで、これにどれほどの価値があるのかわたしには分からなかった。


「クリュー様、こんなものを受け取るわけには……」


「なに、今までのお主の働きを考えるとこれでも少ないくらいだ。でも、そうだな……せっかくだからそれで買ったものを後で教えてくれ。自分はお主がなにを買うのか興味がある」


くっふっふとクリュー様はいたずらっぽく笑った。


クリュー様はわたしが変わるために背中を押してくれている。


あとはわたしが勇気を出すだけだと、そう言われたような気がした。


「……ありがとうございます、クリュー様」


「どういたしまして。ほれ、もうすぐ現世は朝になる。行ってくるとよい」


「はい、いってきます!」


わたしはひとつの決意をして、クリュー様の部屋を後にするのだった。




§§§




「本当によかったのかクリュー?」


エリーが現世のほうに出かけていってしばらくすると、ヤーマがその大きい身体を揺らしながら部屋に入ってきた。


「部屋に入るなりなんだやぶから棒に」


「いやなに、冥界で働く死神の一人であるとはいえ、お前があれほど肩入れするなどかなり珍しいことだと思ってな。なにか理由があるのだろう?」


「お主が何を考えておるのかは知らんが、エリーを気にかけているのは単純な理由だ。あやつが死神たちのなかでも優秀なのは知っておろう?もっと冥界のために動いてもらわねばならん」


「それはわかっているんだが、それ以外の理由はないのか?」


「恋する乙女を応援しないなどおもむきが無いであろう?」


「真面目に答えて欲しいんだが……」


「むう、わりと真面目に答えたのだがな」


ヤーマは少し不服そうな表情を浮かべていたが、ふうと息をついて諦めたようにこちらに向き直った。


「……まあいい、お前はいつもよくわからないが、誰よりもこの世界のことを考えているのは知っているからな。あまり深く追求しないでおこう」


「くっふっふー、いい心がけだな」


「なんだその笑い方。また何かに影響されたのか?」


「エリーが前の笑い方をお気に召さなかった様子でな、だから変えてみたのだ」


ヤーマはやれやれといったふうに手を上げた。


「とにかく、たまった書類仕事を今月のうちに終わらせたいから、決してさぼらずに最後までやるんだぞクリュー。この書類はお前しか片付けることができないんだからな。最近天界から早くしろという要請が来てうるさくてかなわない」


「そんな要請は放っておけばよい。自分は全力で仕事をしておるぞ」


「まあそう言わずに頼む。そろそろユノが怒りだす頃合いなのだ」


「ああ、ユーちゃんか。あやつはいつも気が短くて困る」


「……もとはといえばお前が仕事をさぼって天界に遊びに行きまくっていたせいだと思うぞ。あと、ユーちゃん呼びはやめておけ」


それだけ言い残して、ヤーマはまたその大きな身体をのっしのっしと揺らしながら仕事に戻っていった。


「……自分は少し卑怯な奴であるのかもしれんな」


その言葉は、誰にも聞かれることなく一人だけの部屋で消え去っていった。

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