第15話 不慮の事故

「……思ったより冷えるな」


教会からの帰り道、俺は風で冷えた二の腕をさすりながら、神父のミカルから教わったことについて考えていた。


平たく言えばエリーのことだ。


未だ何一つわからない彼女の過去に想いを馳せて、ああでもないこうでもないと想像を巡らせる。


知らないことを考えるなんて完全に無意味な行為であることは理解しているのだが、つい思考がそちらへと向かってしまうのだ。


俺はエリーのことをもっと知りたい。


しかし、今の俺とエリーの関係では彼女に踏み込むことはできないし、彼女もそれを望んでいないだろう。


帰ったらエリーに何を話そうかとか、どう声を掛けようかといった案を、頭の中でいくつか書き出しては消していく。


このペースで歩けば、あと数分もすれば宿に到着する。


普段なら近い距離に宿があることは嬉しいことのはずなのだが、この時ばかりは教会から宿までの距離が近いことが恨めしかった。


数分では彼女にかける良い言葉なんて思い浮かばない。


悩ませている頭を休めるようにふと空を見上げると、夜空に大きな満月が浮かんでいた。それは半分ほど雲に隠れていたが、暗い夜道を明るく照らすには十分すぎるほどの輝きを放っていた。


そうやって逡巡しているうちに、自分の部屋の扉の前についてしまう。結局、何も思いつかないままここに来てしまった。


だから、とにかくエリーと会ってみることにした。


いろいろ考えていても仕方がない。きっと、彼女の顔を見ると今まで通り何かしらの言葉をかけることができるだろう。


そう考えて腹を決めた。それが正しいのかはわからないが、今は彼女と無性に話がしたかった。


「……よし!」


俺は意気込んでから目の前の扉を勢いよく開く。


「ただいまエリー、長い時間待たせてすまなかった……な……?」


あれほど彼女に会った時のシミュレーションを繰り返していたはずの思考が完全に停止した。


ドアノブを握ったまま、俺は一歩も動くことができなかった。理解を超えた出来事に、呆然と立ち尽くして息を飲む。


思っていた通り部屋の中にエリーはいた。そこまでは別に構わないのだ、何もおかしなことはない。しかし、ひとつ致命的にまずいことがあった。


彼女は全裸だった。


厳密に言えばパンツを履こうとしていたところだ。黒を基調とした意外と大人っぽい下着だった。


まだしっとりと濡れている彼女の美しい髪は、彼女が入浴していたことを明確に示している。エリーが普段身につけている黒い衣服は、用意されていたハンガーに丁寧に掛けられていた。


身体に残る水滴をはじいている目の覚めるように白い肌と、完全に成熟している訳ではないが、充分に女性らしさを帯びた身体が俺の頭をくらくらさせる。


理性が見ることを止めようとするものの、俺の視線はどうしてもエリーに釘付けになってしまっていた。


エリーはしばらく何が起きたのかわからないといった様子で、無言でその場に立ち尽くしていたが、俺と目が合うとたちまち顔を真っ赤に染めた。


「す、すまん……」


俺はエリーにそう声をかけ、後ずさりしながら扉から出て行こうとした。


その直後のことだった。


「……いやぁぁああああ!」


天をく悲鳴と共に、どこから現れたのかエリーの鎌が俺の顔を目掛けて吹っ飛んできた。


「んがっ‼」


強い衝撃を受けて意識が遠のいていく。


ゴンッという鈍い音と共にそれは俺の額にクリティカルヒットしたのだった。




§§§




目を覚ますと知らない天井があった。


すぐ横から綺麗な銀髪の少女が顔を覗き込んでいる。


(……エリー?)


「…………」


彼女は黙ったまま俺のことをじっと見つめている。


その顔は無表情のようにも見えたが、少しだけ心配していることが感じ取れた。


彼女は俺の目が覚めたことを確認しながら何度も目を瞬かせる。


「……生きて、ますか?」


小首をかしげて彼女は尋ねる。


「……なんとかな」


「そうですか、それはなによりです」


エリーはそれだけ告げると座っていた椅子から立ち上がり、俺の額に置いてあったタオルを冷たいものに取り換えた。


ひんやりとした感触が触れる。


赤くなって熱を持っているところが冷やされて気持ちよかった。


「ありがとうエリー、俺はもう大丈夫だ」


エリーにそう言って身体を起こそうとしたら、手でそっと制止された。


「だめです、頭を打ったのですからしばらく安静にしておいてください」


「いや、本当にもう大丈夫だ、ありがとな」


彼女の制止を振り払い、俺はベッドから起きあがってそのふちに腰かける。


そのままエリーのほうに視線を向けた。


「……どうかしましたか?」


額に乗せてあったタオルを右手で持ったまま、俺は勢いよく頭を下げた。


「さっきはその……すまん、ノックくらいするべきだった」


そんな俺の言葉を聞いてエリーはその瞬間を思い浮かべてか、リンゴのように顔を赤らめた。


「いえ、あれはわたしのほうも不注意でした……鍵くらいはかけておくべきでしたから」


それに、と彼女は続ける。


「干渉をしないで下さいとハロルド様にあれほど言っていたのに、それをわたしのほうが破ってしまったせいでけがもさせてしまいました……」


俺のれた額を見ながら、申し訳なさそうにしゅんと肩を落とす。


エリーは死神としての責任感からか、現世に干渉をしないという役割を全うすることができなくて落ち込んでいるようだった。


たとえ俺がそんなこと気にしなくてもいいと言ったとしても、きっと彼女の気が晴れることは無いだろう。


「あのさエリー……」


「はい?」


俺は思い切って、彼女にあることを聞いてみることにした。


「ここ数日少し無理をしてないか?」


「……え?」


そんな言葉が俺の口から飛び出るとまるで予想していなかったのだろう。


彼女は目を丸くしてこちらのほうを見ていた。


「なにかあったのか?」


あまり深くは踏み込んで聞かなかった。


どうして急によそよそしくなったんだとか、あれほど興味を示していた街に、何故ついてこなかったのかといったことには触れないようにした。


それは、彼女が話したくなったときに話してくれればいいし、話すのが嫌なら話さなくてもいい。


ただ、もし何かを彼女が抱え込んでいて、それを俺に話すことで少しでも気が楽になるのなら話して欲しかった。


神父が言っていた言葉が脳裏によみがえる。


かつて現世に大きな未練を抱えたまま亡くなってしまっても、それでもなお、純粋な心のままでいたのが死神だと彼は言っていた。


俺は、そんな彼女の力になりたいと思った。


「……なにもありません、無理なんてしていませんから」


「そうか……」


苦しげにそう答える彼女に、俺はただ一言だけ言葉を返した。エリーが言うことを望んでいないなら、それは仕方がない。


再び二人の間に沈黙が落ちる。エリーはきっと、誰かに甘えることが苦手なのだと思う。


城下町でフルーツキャンディを買ったとき。


旅の途中で綺麗な景色を見たとき。


タリアで興味のある店を見つけたとき。


彼女はいつだって何かを欲しいと言わなかった。


もっといろいろなものを見たいとも、もっと遊びたいとも言わなかった。


旅が始まってから一度も、俺は彼女のお願いを聞いたことがない。


彼女は死神としての役割を果たそうと、いつだって一生懸命なのだ。


「…………」


無意識のうちにエリーのほうに手が伸びていた。


うつむいているエリーの頭に触れる。


そして髪を崩さないようにそっと撫でた。


「へ……えっ……?ハロルド様?」


彼女は何が起こっているのか理解できず、視線を宙に漂わせたまま目を白黒させていた。


「……あまり我慢ばっかりするんじゃないぞ」


そのまま頭の上でゆっくりと手を動かし、最後にポンポンと軽くたたいてやった。


「ときどきでいいから、エリーが本当に望んでいることを伝えてくれたら、俺は嬉しいな」


俺はそれだけエリーに告げて、汗を流す為に浴場へと向かった。


エリーは放心したように俺が部屋から出ていくのを見ていたが、俺が扉を閉める直前、彼女は思い出したようにこう言うのだった。


「ハ、ハロルド様、不必要な干渉はおやめください!」

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