第13話 タリアの教会
俺は一人でタリアの町へと向かっている。エリーに外出を断られたことでちょっとだけ落ち込んでいた。
エリーは宿に残してきた。
部屋にある露天風呂をはじめとした宿の施設は案内しておいたので、宿の中でもそれなりに楽しんでくれていたらいいのだが。
今は完全に陽も落ちて、空はすっかり深い藍色に染まっている。
屋台や店の看板は明かりが点き、暗闇の中にぽっかりと街の様子が浮かび上がっていた。
そこでは高らかに響き渡る笑い声と酒に酔った人々の喧騒に包まれていた。
「すげぇなこれは、ここまで騒がしいのはアナトルムの城下町以来だ」
この辺りの最大の王国であるアナトルムに、この小さな街が匹敵しているのだから驚きだ。
街の中に入っていくと、その中心で旅芸人が様々な芸を披露している。
一つの芸が終わる度にわっと歓声が上がり、観客から大量のチップが投げ込まれた。
俺は屋台で骨付きの大きな肉を買い、それにかじりつきながらタリアの様子をしばらく見ていた。
途中、酔っ払った兵士のおやじにお前も飲め飲めと絡まれたりもしたが、なんとか丁重に断ってきた。
名目上は仕事中ではなく、休暇を取るための帰省途中ではあるのだが、リネアス王国の護衛兵が未成年で飲酒するのはまずいだろう。
俺が街に入って一時間ほど経過しただろうか。中心から少し離れたところで、俺は水を飲みながら時間を潰していた。
「……エリーにも見せてやりたかったな」
きっとエリーは、たくさんの見知らぬ食べ物に目を白黒させたに違いない。
そして、少し酒くさい人間たちの熱気に包まれるという経験をして、その暑苦しさに不満をこぼしただろうか。
それとも、なんとも言えない独特の雰囲気を楽しんだのだろうか。
この街の夜の世界を彼女が知ることがないのは、とても悔やまれた。
そんなことを考えながら踵を返す。
あまり長居しても仕方がない。これからは酒を飲み交わす大人たちの時間だ。
火照った身体を冷やしてくれる涼しい夜風を感じながら、俺はエリーの待つ宿に戻ろうと歩き始めた。
そんなとき、ふと教会への案内板を見つけた。
大半の教会は夕方には閉めてしまうのだが、ここは夜の街と言われるだけあって教会は夜になっても開いているようだった。
とはいえそんなに遅くまではやっていないらしく、閉館時間まではあと一時間ほどであった。
(教会……か)
かつて俺がまだ十歳にも満たない年齢のとき、故郷であるハトリヤの教会へよく足を運んでいた。
それは父の影響が大きかった。
父は仕事でほとんど家に帰ることはなかったが、帰ってくる度に俺を連れて祈りを捧げに行っていた。
父は兵士でありながら熱心な教会の信者でもあった。俺が祈りの言葉を覚えたのはその頃だ。
俺は少し迷ってから教会の方へと足を運んだ。
案内板の通りに進んでいくと、途中小さな林があった。
陽が落ちているため、暗くてあまり道が見えなかったがなんとか足元を探りつつ歩いていく。舗装はきちんとされているようで、石や段差に
その道を通り抜けたところに教会は建っていた。
教会の周囲は綺麗に整備された石畳が入口まで続いており、入口の扉の周囲はタリアの街では見かけなかったような大きな木に囲まれていた。
その木が白い街灯に照らされていて、葉が光を受けてゆらゆらと揺れている。
何というか、夜の教会は人を寄せ付けないような荘厳で不気味な雰囲気があった。
少し気圧されながら扉を押す。ギギギッと木の軋むような音が鳴り、扉は開いていった。
教会の内部には大きなステンドグラスが張られていた。
今はシャンデリアに光が灯されており、外から光が差し込んでくることはないが、それでもそれが綺麗なものであることは容易に想像ができた。
部屋の奥には天井まで届くほど大きなパイプオルガンが置かれている。
そして、そのパイプオルガンの横には、この教会の神父が立っていた。聖職者はその階級が分かるイヤリングを身に着けているからすぐに見分けがついた。
その人はかなり若く見える。見た目の年齢は二十代後半くらいだろうか。
一般的に、教会を任される神父の平均年齢は五十歳に近い。
若年で教会を任させるのは難しいとされている。何故なら教会内部では年功序列の思想がかなり根強く残っており、教会の上層部にその実力を見染められるのは簡単なことではないからだ。
そんな中でタリアの教会を任されるほどであるから、彼が教会から厚い信頼を得ているということがうかがえた。
「ようこそ、タリアの教会へ」
神父は俺を見つけて声をかけてきた。俺も軽く挨拶を交わす。
「珍しいですね、こんな夜更けに教会へいらっしゃる方がいるなんて」
「ご迷惑でしたか?」
「いえいえ、そんなことはありませんとも。いつも夜になると誰も来なくなるので退屈していたところです」
神父は歓迎しますよと言って、俺を迎え入れてくれた。
中に入って俺は祈りを捧げる。
祈りの言葉を言うのは小さな子供の時以来で覚えているかどうか不安だったが、何度も反復していたことは意外と覚えているもので、始めてしまうとすらすらと言葉が出てきた。
そのため、手際よく祈りを済ますことができた。
神父はその様子を遠くから見て、一緒に祈りを捧げていた。
「こんな遅くまで教会が開いているのはタリアぐらいですけど、何か理由が?」
俺がそう尋ねると、その質問を待っていましたとばかりに神父は話を始めた。
退屈だったというのは、どうやら本当のことらしい。
「あなたは、タリアが夜の街と言われているのは知っていますか?」
知っていますと俺は答えた。
「この時間まで開かれるようになった由来は、五十年ほど昔に遡ります」
その後、彼はタリアの簡単な歴史について語ってくれた。
彼の話を要約するとこんな感じだ。
五十年ほど前にタリアで原因不明の大きな火災があったそうだ。
当時も夜の街として栄えていたタリアは、この事故で何人もの死傷者を出すことになった。
それだけではなく、かつては街の中心部に位置していた教会も火災によって全焼してしまった。
それ以来、タリアの復興と安全を願って夜遅くまで教会を開き、祈りを捧げる習慣ができたらしい。
「今ではもう、その習慣もなくなりつつありますが」と神父が少し寂しそうに答えている姿が印象的だった。
そしてなぜ教会がこのような街の外れにあるのかというと、教会が立てられているこの場所が、かつてはタリアの中心部であったからだそうだ。災害によって地形や人々が通る道が変化してしまい、結果としてタリアの中心部は変化していった。
旅人にとっての交通の要所になっている現在のタリアがある位置は、五十年前までただの草原だったみたいだ。
タリアにそんな歴史があるなんて思ってもみなかった俺は彼の話に聞き入っていた。
その後も彼は、こんな夜に教会を訪ねてきた俺のことを邪険にせず、笑顔で質問に答えてくれた。
軽く話をして帰るつもりだったのだが、思っていた以上に話し込んでしまった。
ふと気が付くと、時刻は閉館時間の五分前になっていた。
「そろそろ閉館時間ですね、今日は私のお話を聞いてくれてありがとうございました」
彼はそう言って、入り口を閉める準備に取り掛かる。
本来ならここでお礼を告げて帰るのが礼儀なのだろう。エリーをあまり待たせすぎるのもよくない。
ただ、俺にはどうしても聞いてみたいことがあった。
しかし同時に、その内容を神父に話していいのかというためらいもあった。
最後の最後まで話を切り出すことができなかったが、このままではせっかくの機会が失われてしまう。そう考えた俺は、意を決して聞いてみることにした。
ここまで丁寧に話をしてくれた彼なら、答えてくれるだろうという期待もあった。
「あの、もう一つだけいいですか?」
「はい、構いませんよ。どうかしましたか?」
一呼吸おいてから俺は質問を続ける。
「……死神について聞かせてもらえませんか?」
「死神……ですか?」
神父は不思議そうな顔をしていた。
まずいことを聞いてしまったかもしれないと思った。
教会という神を信奉する場所で、死神という死を運ぶとされているものを聞くべきではなかったのかもしれない。
俺はエリーから死神の役割について話を聞いているから死神に対しての認識が違うだけで、本来は人間が好き好んでその話をするようなものではないのだ。
「どうしてそのようなことを聞いてみたいと思ったのですか?」
「それは……」
俺は神父からのその質問の答えに
まさか本当のことを言うわけにはいかないし、仮に言ったとしてもおそらく信じてもらえないだろう。
なんとか彼が納得するような言い訳を考えないといけない。
俺が黙っていると、彼はじっと俺のことを見つめてきた。
それは俺の真意を見さだめようとしているかのようで、心の中を全て見透かされてしまいそうだと感じるほどだった。
居心地が悪くなった俺は、思わず彼の視線から目をそらしてしまう。
彼は目を細めて俺のことを観察するように見ていたが、次第に険しくなった顔を緩めていった。
「いえ、言いたくないのなら無理に言わなくても構いません。ただ少し不思議に思っただけですから」
彼はそう言うと、側にあった机の中から一冊の本を取り出した。
「この本には今まで世界で起きた不思議な出来事がまとめられています」
「不思議な出来事?」
「ええ、例えば一夜のうちに大都市が海の底へと消えたと言われている神の大災害と呼ばれているお話です。御伽話として有名なので、あなたも聞いたことがあるかもしれませんね」
俺はその御伽話を聞いたことがあった。というより、誰もが知っているような有名な話だ。
強大な力で全てを支配下に置き、かつての時代を築いたと言われている大国アトラ。
それが一夜のうちに闇に飲み込まれるように海の底へと消え去ったという信じられないような話だ。
現在では、力や権力による支配をしたアトラは神の天罰によって滅んでしまったというのが通説になっており、正しい行いをしなければならないという教訓の一つとして伝わっている。
「このような話は口伝によるものですし、その上もう数千年以上も前の話なので、情報の信頼性には欠けるかもしれませんが、それでも構わないというのであればお伝えすることができます」
神父はそう言いながら本を開いた。
「この本に載っている死神に関係する項は、一度心臓が停止してこの世を去りかけた男の臨死体験についてのお話が記載されています。その男は心臓が止まっている間、冥界と呼ばれる場所に導かれたと、そのように話したそうです」
大国アトラに関する口伝に関しては正直に言って眉唾である。
かつて本当にそのような出来事があったと信じることができるのかと言われると、首を傾げざるを得ない。
しかし、臨死体験に関する男の話は、冥界という言葉が出てくるあたりただの与太話というわけでもなさそうだった。
「聞かせてもらってもいいですか?」
「ええ、もちろん」
もう閉館時間を過ぎてしまっていますねと笑って、神父は一度正面の扉に向かい、扉を施錠してからゆっくりと語り始めた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます