第5話 リネアス王国

エリーに出会ってから数か月が経過した。


彼女との生活も少しずつ慣れていき、日常の一部になってきたとき、突然リネアス王国の王城から呼び出しがかかった。どうやら俺に与えたい任務があるようだ。


俺とエリーは二人、休日の予定を返上して朝から家を出ることになってしまった。二人とは言いつつも、はたから見れば俺がひとりで歩いているようにしか見えないのだが……。


凪いだ風が木の枝を揺らし、葉がさわさわと擦れる音を立てる森を横目に俺たちは城下町へと向かう。


エリーは死神だが、人間と同じように歩いていた。


完全な先入観でふわふわと浮遊するものだと思っていたが、どうやら浮遊には相当エネルギーを消費するらしく、普段は俺と一緒に歩くのが常であった。


城までは徒歩でおよそ一時間と少しかかる。普段通っている仕事場へ行く倍近い時間だ。


「王城からの呼び出しということですが、どのような用件なのですか?」


珍しく彼女のほうから尋ねてくる。


表情はいつもと変わらなかったが、監視対象なのに余計なことをしないでくれと言わんばかりの無言の圧力があった。


「さあな。ただ名指しで呼び出されるあたり、あまり良いことではないとは思うがなぁ」


やれやれと肩をすくませながら俺は答えた。


兵士の個人的な呼び出しは基本的に良いことがない。候補として挙げられるのは罰則か左遷させんか使い走りだ。稀に昇進などがあったりするが、昇進するような戦果はここ最近に挙げた覚えが無いので除外だ。


今から王城へ行くのが億劫おっくうで仕方がなかった。


エリーは俺の話を聞いてかすかに眉をひそめたが、それ以上何も聞かずに俺の後ろをついてくるのだった。


それからほどなくして城下町に到着した。まず目に飛び込んできたのは、大きな白い城壁だ。


城下町全体をぐるりと囲い込むように建てられたそれは、リネアス王国の観光名所にもなっていた。がっしりとそびえ立つそれはいつ見ても迫力に圧倒される。


これほど強固に城壁が建設され城も大きいのだが、国としては中規模程度だというのだから、大国と呼ばれる国がいかに規格外であるのかが窺える。


兵士の身分証を城門で提示して、城下町への唯一の入り口である門をくぐると、そこには外に広がる清閑な緑の景色とは打って変わり、辺り一帯がどよめきや喧騒に包まれていた。


周りを見渡すと、沢山のレンガで作られた大きな建物が並び、それを彩るかのように食料を山積みにした屋台が列を作っている。


もうすぐ昼食の時間が近づいてきているからであろうか、大通りでは肉や魚が焦げたような香ばしい匂いが漂い、商人や子供たちの声が響いていた。


(久しぶりに来たけど、やっぱりここは活気があっていいな)


そんなことを思いながらふとエリーの方を見ると、彼女は落ち着きなくきょろきょろと辺りに視線を巡らせ、様々な屋台を観察しては感心したように声を漏らしていた。


エリーはリネアスの町並みに興味を示しているようだ。普段あまり変化のないその表情も、心なしか柔らかくなっているように感じた。


「さてと、指定されている時間までまだ余裕があるな……」


町の中央にある時計塔をみると、屋台を覗いて軽くお腹を満たすには十分な時間があった。


何か腹の足しになるようなものを買おうと思ってポケットに入っている財布の中を確認しようとしたとき、不意にエリーに声を掛けられた。


「ハロルド様、あちらにあるお店は何を売っているのでしょうか?」


エリーのほうから話しかけてくるとは微塵も思っていなかった俺は、その出来事に驚きながらも返事をする。


「ん?どこの屋台だ?」


「奥から二つ目の店です」


エリーが指差した先には、キラキラと光る色とりどりの果物が並べられていた。


「ああ、あれはフルーツキャンディだな。 いろいろなフルーツを飴でコーティングしているんだ」


「キャンディ……」


エリーは俺にあまり干渉をしないということを忘れてしまったかのように、目をきらきらと輝かせながら様々な屋台の食べ物の名前を聞いてきた。エリーが屋台でよく見かけるような食べ物のことも知らないというのは意外だった。


「エリーは今まであまり屋台を見たことがないのか?こんなもの大して珍しいものじゃないぞ?」


死神として多くの人たちの未練を断ち切ってきたのなら多種多様な場所へ行っているはずで、このような町の景色は見慣れているものだと俺は思っていた。


しかし、エリーの返事は予想とはかけ離れたものだった。


「……わたしは現世でこのような活気のある場所に来たことはありません」


俺はエリーのその返答に言葉を詰まらせた。彼女の言ったことが本当だとするならば、エリーの生活は一体どのようなものであったのだろう?


何も言えずにいると、彼女は少しだけ死神のことを教えてくれた。


「前にも申し上げましたように、死神は現世に干渉することを固く禁じられています。現世への滞在は最小限にとどめなければなりません」


それから、と彼女は付け加えた。


「人の強い思念が残留する場所が、このような活気ある場所になることはまずあり得ません。未練や憎しみはその想いが強い分だけ空気を歪め、人が離れていきます」


「じゃあ今までエリーが行ったところって……」


「汚染された樹海、暴力や盗みが横行しているスラム街、あとは戦争中の国などが中心でした」


彼女のその言葉に俺は衝撃を受けた。


エリーは人間と契約をするのは初めてだと言っていた。つまり、エリーは死神として人々の魂を救済している間、一度も賑わいのある街を見たことが無いということだ。


それならよく目にするような食べ物を知らないことも、これほど目を輝かせて屋台を見て回っているのにも合点がいく。


「……悪いな、変なこと聞いちまって」


「いえ、気にしないでください。ハロルド様にいろいろ教えてもらえてよかったです」


エリーはそう言うと、何事もなかったかのように再び屋台へと視線を向けていた。


どうやら最初に教えてやったフルーツキャンディがかなり気になるらしく、そこに並んでいる綺麗な飴をじっと眺めていた。


「欲しいのか?」


そう尋ねると、彼女は少しだけ考えるそぶりを見せた。


「……わたしは現世へあまり干渉してはいけませんので」


エリーは遠慮がちに答えたが、その視線が屋台から離れることはなかった。要らないと返事をしないあたり、エリーは嘘がつけないのだろうなと感じた。


お昼ご飯には少し物足りないが、俺はフルーツキャンディを買って二人で食べようと思った。エリーには余計なお世話だと言われるかもしれないが、彼女が喜んでいる顔を見てみたかった。


「ちなみにどれが一番食べてみたい?」


「いちごの……こ、こほん。それをあなたが知っても仕方ありません」


エリーは咳払いでごまかそうとしたがバレバレであった。彼女はいちごのキャンディが食べてみたいようだ。


「にいちゃん、さっきからひとりで何をぶつぶつと言ってんだ?」


ふと、フルーツキャンディの屋台を営んでいる気の良さそうなおじさんに声を掛けられた。


彼にはエリーが見えていないから、俺が屋台の前でどのキャンディが欲しいのか自問自答しているように見えていたことだろう。


少し恥ずかしい。


「いや、すみません。どれもおいしそうで悩んでしまいまして」


「お、嬉しいね。そんなに欲しいなら買ってくれたらひとつサービスしてやるよ、どれがいいんだ?」


俺は子供の頃以来、フルーツキャンディを食べていなかった。小さなときは買い物に出かけるたびに買って貰うほど好きだったのに不思議なものだ。


母親が幼い頃に亡くなり、父親が仕事で家を空けていたから、俺がいつもキャンディをねだっていたのは祖母であった。


祖母はいつも、お父さんには内緒だよと言いながら俺が好きなキャンディを一つ買ってくれたのをよく覚えている。


懐かしさを感じながら、俺はリンゴキャンディとイチゴキャンディを貰うことにした。


会計を済ませ、エリーのもとへと戻る。


彼女はどこか羨ましそうに俺の手に握られているキャンディを眺めていた。


「ほら、やるよ」


俺はイチゴキャンディを差し出した。エリーは驚いた顔をしたが、キャンディを受け取ることはなかった。


「これは受け取れません」


「そうか、これは店の人がおまけしてくれたんだが、俺は二つも要らない。誰かに食べて欲しかったんだが、食べないなら捨てるしかないな」


「ちょ、ちょっと待って下さい。捨ててしまうのですか?」


エリーは狼狽していた。焦る彼女は初めて見たが、なんだか愛らしかった。


そんなエリーに俺はイチゴキャンディを投げ渡す。思わず受け取ってしまったエリーは、それをどうしていいのか扱いに困っていた。


キャンディを持ったままピクリとも動かず固まっている。


「俺がキャンディをたまたま二つ貰って、それを捨てるかエリーが食べるかの違いしかない。これなら現世への干渉も無いんじゃないか?」


「…………」


かなりめちゃくちゃな理論だが、エリーは考え込んでしまった。


彼女は感情を表にあまり出さないし、言葉もどこかよそよそしい。こうやってまごついている姿はとても新鮮だった。契約主とお客様という関係でなければ、こんなエリーをもっと見られたのかもしれない。


エリーはキャンディを食い入るように見つめて逡巡しゅんじゅんしていたが、やがて諦めたようにふうと息を吐いて笑顔を見せた。


「そうですね、食べ物を粗末にしてはいけませんから」


彼女の笑顔を見たのはこれが初めてだった。見たことのないエリーのその表情に、胸の鼓動が高鳴った。


なぜか見てはいけないものを見ているような気分になった俺は、自分で買ったリンゴキャンディに口をつけた。


一口かじると、リンゴのほのかな酸味が口の中に広がり、飴の甘さがそれを引き立てた。


「うん……」


それは子供の頃に食べたものと同じ味がした。

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