第3話 契約者

「……契約?」


「はい、わたしと契約を交わして貰えませんか?」


俺の抵抗が無いと思ったからだろうか、突きつけた鎌をゆっくりと下ろしながら彼女は淡々と答える。


これはかなりやばい奴に襲われたのかもしれない。この状況で持ち掛けられる契約など、どう考えてもまともなものではない。脅迫され、ろくでもない条件を突きつけられるに違い無かった。


「……いくつか質問してもいいか?」


「なんでしょうか?」


「まず契約って言うけど、具体的にはどういう内容なんだ?」


「そうですね――簡単に言えば、あなたのことを監視するためのものです」


「監視……?」


「はい、厳密には監視だけではありませんが主な目的はそれです。ハロルド様はこの世界を脅かしかねない人間だと判断されました」


「……人違いだろ?」


意味がわからなかった。ただの護衛兵にそんな力がある訳がない。現に今だって、この少女に手も足も出せないまま蹂躙じゅうりんされたばかりだ。


「いいえ、間違いなくハロルド様のことです。あなたの存在は現世のバランスを崩しかねません」


真剣な瞳でまっすぐ俺のほうを見て言うものだから、俺は押し黙った。


「……じゃあこんなことをしてまで俺を拘束した君の目的は?」


「現世に対する脅威であるあなたを監視し、現世のバランスを保つことです。その為にわたしはここに来ました」


正直、俺は何ひとつ理解できなかった。この少女は何を言っているんだ?


彼女がでたらめを言っている可能性もあるが、彼女の様子を見る限り、どうにも嘘を言っているようには見えなかったのだ。


そして、さっき俺の目の前で弾けた光球のことを思い出す。あれはおそらく彼女が使用した力だろう。


神に仕える人間の一部は霊術を用い、あのような力を行使できるが、もしかすると彼女もそのような人物のひとりなのだろうか?


「……君は何者なんだ?」


聞かずにはいられなかった。俺からのその質問に、彼女はこう答えた。


「わたしは死神……冥界に仕えし者です」


帰ってきた答えはとてもシンプルでわかりやすいものだった。


にもかかわらず、俺の頭を混乱させるには十分な破壊力を持っていた。


俺がほんの少しだけ期待した聖職者という答えとは方向がまるで違う。さらに付け加えるならば彼女は人ですらなかった。


神官だと言われた方がまだ俺の頭は正常に現実を理解することができただろうが、彼女のような身なりをしていてそれを期待するのは間違いであったようだ。


「死神……ね」


彼女の格好が、まるでそうあるべきとでもいうかのように型にはまっているからであろうか?


あるいは、先ほどの不思議な力のせいだろうか?


頭の中は混乱しているのだが妙に納得もしている。心のどこかで、それが本当のことかもしれないと受け入れている自分がいた。


「もしそうだとしたら、俺の命を狩りに来たんじゃないのか?」


そう質問する俺の言葉を心外だと言わんばかりに、彼女はすぐに否定した。


「死神の役割は命を奪うことではありません。人間の世界ではそのようなイメージが先行しているようなので少し不本意です。わたしたちの本来の役割は、生前の人間の魂と現世との不適切な繋がりを断ち切ることです」


「不適切な繋がり?」


「はい、現世を離れるべき人間の魂が強い思念などによってその場所に滞在してしまうことです。俗に言う悪霊というものでしょうか」


「それはやっぱり、生きている人間に危害を加えるからか?」


「すべてが人間に危害を加えるわけではありませんが、基本的にはそう思ってもらっても構いません。憎悪や怒りが原因で現世に滞在することはやはり多いですから。時折、願いや後悔、それから慈しみによって現世を離れられない魂もいますけどね」


彼女の返答には一切の迷いが無かった。


俺はこのまま質問を続けた。


「……ところで俺がもつ世界のバランスを崩しかねないものってなんだ?どうにも実感がわかなくてな」


「ハロルド様は霊力をご存じですか?」


「ああ、知っているよ」


霊力といえば、この世界の生きている生物全てに備わっている力のことだ。生命力と言い換えることもできるかもしれない。


これは神から授かった力であるとされている。霊力が尽きると人間に限らず、すべての生き物は死ぬ。いわゆる生命のともしびみたいなものだ。


自分の中を流れる霊力を感じることできるのは一部の人間だけであり、それができる人間は神に選ばれた人間である証だそうだ。つまり、国家最高位の職業である神官になれる。


このリネアス王国にも教会があり、そこで働く司祭やシスターの一部は、霊力を使って神の奇跡とも言われている霊術を行使できる。霊術とは、霊力によって不思議な現象を引き起こすための手段のことで、かつては戦争にも使用されたほど大きな力を持っている。


「ハロルド様の持つその霊力が、数年前から急に異様な速度で増え続けているのです。こんなことは今まで前例がありません」


「そもそも俺は霊力を感じることができないからよくわからないが――俺の霊力が増えると何か問題があるのか?」


「あります。具体的には生命のバランスが崩れてしまいます。強すぎる霊力は、ただそこに在るだけで生命が持っている合理性を否定しかねません」


「……すまん、よくわからん」


「そうですね――こっちの世界ではない死後の世界……つまり冥界で問題が発生すると言った方が分かりやすいでしょうか」


そこで彼女はペンとノートを取り出すと、丁寧にイラストも描いて説明してくれた。


「死神ノートです」と言って、表紙が趣味の悪い模様で彩られているものを、無表情のままどこか誇らしげに見せてきたので曖昧な笑顔を返しておいた。


「すべての生き物は、天界からあらかじめ決められた寿命を持って産まれてきます。もし、その寿命が変化するようなことがあればどうなると思いますか?」


「寿命が変わってしまうことがあるのか?」


「はい、寿命が変化する例として自殺が挙げられます」


「ああ、なるほど……じゃあ自殺の他には、事故死や戦死とかでも変化してしまうってことか?」


「はい、ですが事故死や戦死は寿命が変化する場合と変化しない場合があるので判断が難しいです。――この話は長くなるので割愛しますが、とにかく寿命が変化するのは大きな問題になります」


彼女は説明しながらサラサラとペンを走らせる。ノートの中にはファンシーな生き物が描かれていた。


「なぜなら寿命の変化により、存在するはずの生命が誕生しないことがあるからです。当然逆のことが起きることもあります。後者が起きるのは稀ですが」


つまり存在してはいけない人間が存在し、存在するべき人間が存在しなくなる可能性があるということだろうか。


「そして、普通の人間が今のハロルド様のようなとてつもなく大きな霊力を持ったものに近づいてしまうと、霊力のバランスを崩して早死にしてしまうことや、逆に霊力が調和して長生きすることがあるのです。これは大問題です」


「未来にも影響を及ぼしかねないってことか……」


俺がそう呟くと、彼女は頷いた。


「ですが、この世界には未来修正力というものがあるので、まずおかしなことにはならないはずです」


「未来修正力?」


「未来修正力というのは、生命の存在数の定義のことです。どれくらいの数の生命がこの星に存在するのかを決めているものと言えばいいでしょうか」


「そんなものもあるのか……」


「ですが、もしここで生命の数の不確定要素があると、未来への影響を抑えるためにわたしたちの冥界での仕事が尋常じゃないくらい増えます。特にハロルド様のような、会う人全員に意図せず影響を与えてしまうような場合は手が付けられなくなります」


彼女は一切表情を変えずにそう言った。


丁寧に受け答えをするため感情を読み取りにくかったが、彼女の気が立っているような気がしてなんとなく気まずかった。


「今言ったことは君と契約すれば解消されるのか?」


「はい、ハロルド様の身体から溢れている余剰分の霊力をわたしが奪い取ります。そうして霊力が溢れすぎないようにバランスを保ちます」


「それをするだけなら契約する必要はないと思うんだが?」


「冥界では、契約することなしに現世の生きている者に対して一切の干渉をしてはならない、という決まりがあるのです。それが現世でバランスを保つことにも繋がりますので」


「……え?じゃあなんで俺は襲われたんだ?」


「今回は初回なので冥界から干渉の許可は下りています、ですがこれ以上の干渉をしようと思うとハロルド様の意志表示が必要になります」


初回ってなんだよと思ったが、心の中にとどめておく。


荒唐無稽こうとうむけいな話であったが、彼女の言うことはどこか真実味があった。


それに、彼女はとても嘘を平然と並べられるような人間ではない。


……いや人間ではなく、死神なのか


嘘をつくような人間は態度や語り口でわかる。目を見ない、細かい質問に答えない、特定のタイミングで鼻をさわるなど、相手が嘘をついていることがわかる瞬間はいくつも存在する。


詐欺や捨て駒としての行使が平然と存在する傭兵の頃は、嘘を見抜く力が無いと生き残ることが難しかった。


しかし、彼女にはそんなものはまったく見受けられなかったのだ。


俺は自分が傭兵だった頃の経験を信じて、彼女の言っていることを受け入れることにした。すべてを信じるのは難しいが、彼女が言ったことに大きな間違いはないのだろう。


そう思わせるだけの気立てが彼女にはあった。


「でも、それだけきちんとした事情があるなら、奇襲なんかせずに普通に話してくれたら良かったじゃないか」


肩をすくめながら彼女にそう言った。


このような状況に置かれていなければ到底信じるなんてことはあり得なかっただろうが、あまりに対応が淡白な彼女の反応を変えてやろうという趣旨からの言葉だった。


俺の思惑通り、彼女の表情が少しだけ変わった。


「……ハロルド様を説得するのは困難だと見受けられたため、まともな話し合いができないと思い、それで少々乱暴ですがこのような方法をとらせていただきました」


「いくらなんでも極端すぎるだろ……」


「申し訳ありません……実は死神として人間と契約を結ぶのは今回が初めてのことなのです。わたしたちには人間に契約を強制させるだけの現世への干渉力はないから失敗しないようにと何度も念を押されていたので焦ってしまいました……」


俺を襲ってきたときの勢いはどこへやら、彼女の声がどんどん小さくなっていく。しまいには口をつぐんで黙りこくってしまった。


そんな彼女の様子を見ていると、俺がものすごく悪いことをしているような気分になった。


「いや、その……そっちにも事情があったのは分かったし大丈夫だ。ところで契約はどうすればいいんだ?」


そんな気持ちをごまかすように、俺は少しだけ早口で彼女にそう告げた。


「契約してくださるのですか?」


「ああ、このままだと問題になりそうだしな」


「ありがとうございますハロルド様、これからよろしくお願いします」


俺の言葉を聞いた彼女の声色は、すぐにもとの調子に戻っていた。


なんだか騙されたような気分になった。


彼女は俺にお礼を告げるとローブに手を入れ、ごそごそと中を探った。そしてそこから、白い紙を取り出して俺に手渡してきた。


これまた真っ黒なペンと紙の下に敷くための下敷き……であっているのだろうか、微妙に悪趣味な模様が入った厚紙も一緒にこちらへ寄越してきた。


「そこに名前を書くだけで構いません、フルネームで書いて下さい」


紙に目を通すと、そこには契約書と角がとれて可愛らしい大きな文字で書かれており、名前を書くのであろう場所に黒線が引いてあった。


まさかとは思うが、この『契約書』という文字は彼女が書いたのではないだろうか?


「なんですか?」


疑いのまなざしを向けていると、彼女から声をかけられた。


「いや……なんでもない」


突っ込むのはよしておこう。死神との契約の書類はかなり適当であるらしかった。


とりあえず自分の名前を書く。


書き終えて、ふと右下に目を向けるとそこには『契約主 エリー』と書いてあった。エリーというのは彼女の名前だろうか?


「書けましたか?」


前から彼女が背伸びをして覗き込んでくる。その弾みでさらりと彼女の髪が揺れた。どこかなつかしい、いい匂いがして思わずどきりとした。


「ちゃんと書けていますね……」


彼女はそう言うと、俺から契約書を受け取った。そして手際よく契約書にさらさらと何かを書き込むと、再びこちらへ近寄ってきた。


「それではこれから契約に入ります。手を出して下さい」


「手?」


言われるままに俺は手を差し出す。


すると彼女は俺の手を取り、指を絡ませてきた。それは大きな鎌を振り回していたとは思えないほど小さな手だった。


そこから優しい温もりが伝わってくる。それから彼女は、もう片方の手のひらで包み込むようにしてしっかりと俺の手を握ってきた。


それが余計に俺を困惑させた。


「な、何をしてるんだ?」


俺はどぎまぎしながら彼女に問い掛けた。ところが彼女は目を閉じており、返事をすることはなかった。


しばらくすると、彼女は呪文のようなものを唱え始めた。


「現世と冥界を見渡せし精霊よ、我との盟約に従い応えよ。我、冥界の名の下に汝との誓約を履行する者、項に書かれし文言に従い、この者との契約を認めたまえ」


彼女がそれを唱え終わると同時に、周囲がぼんやりとした光に包まれる。


すると先ほどの契約書が青白い光を発して、神秘的な模様が現れた。


静かに流れる川の上を蛍が飛び交っているかのような淡い光は数秒で消えていき、辺りは再び夜の闇に包まれた。


幻想的な景色だった。


不思議なことに、契約書を見るとすべての文字が消え去って真っ白な紙になっていた。


目の前で起きた現象に、俺は魅せられた。彼女が見せてくれる力は美しいものだった。


「あの……」


彼女のほうを見て呆けていると声をかけられた。


「ハロルド様、契約はこれで終わりですのでそろそろ手を離して貰えますか?」


彼女に指摘されて、俺は急いで握っていた手を離す。


「す、すまん。あまりに綺麗だったから……」


「……?」


彼女は鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしていたが、ややあってなんとも言えないような表情を浮かべた。


「その……なんと言えばいいのでしょうか。今までわたしのことを口説きにくる方などいなかったので、少し戸惑ってしました」


「えっ? あ、いや、綺麗っていうのは契約のときの光のことで……」


と、ここまで反射的に答えてから俺はしまったと思った。


「契約の時の光?わたしは目を閉じているので知りませんでしたが綺麗なのですか……そうですか」


彼女は俺から目を逸らした。


「勘違いなんかしていませんから……」


表情は変わらないままうっすらと頬を染めて首を振る彼女に、慌てて俺は言葉を紡ぐ。


「いや、違うんだ。君が綺麗じゃない訳じゃなくて、何というかとてもかわいいと俺は思うぞ……」


「そ、それはどうも、ありがとう……ございます」


(って初対面の女性に何を言っているんだ俺は!?)


ここまで弁解してから俺は気恥ずかしくなって黙りこんでしまった。


彼女の顔を見るのが恥ずかしくなってうつむく。俺はその恥ずかしさから逃れるために、気になったことを彼女に尋ねることにした。


「そういえば君の名前はエリーって言うのか?」


「……契約書の名前をご覧になったのですか?」


俺が頷くと、彼女の表情に少しだけ陰りが差した。


「申し訳ありません、自己紹介が遅れてしまって。わたしはエリー……と呼ばれています」


「呼ばれているって?」


「実はわたし、死神になる前の記憶が無いのです。名前すらまともに思い出せない様子だったので、それでは呼ぶときに困るからと名前をつけてもらいました」


「そうなのか……」


「なので、わたしのことはエリーとお呼び下さい。実はこの名前、けっこう気に入っています」


「わかった、これからよろしくエリー」


俺はエリーに手を差し出す。ところがエリーがその手を取ることは無かった。


「勘違いしないで貰いたいのですか、私の役割は干渉ではなく監視です。不要な接触は避けて下さい」


エリーはそれだけ言うと、踵を返して俺の家の方へと歩いていってしまった。


俺は、差し出した右手を下ろしてため息をついた。


契約の時はあんなにしっかりと両手で俺の手を握っていたのに、握手はさせてもらえないようだ。


「これからどうなるんだろうな俺は……」


応えてくれる声は無く、その呟きは空中に霧散していった。

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