6. お隣さん

「コンバンワ、コユメ-サン」

「おお。ハイ、アルフレッド」


 帰宅中、家の入り口付近で、隣人のアルフレッドに珍しく遭遇した。

 私ことコユメちゃんは集合住宅に住んでいる。

 と、わざわざ申告してみたところで、意外性はない。「集合住宅といっても、実は長屋だけどね!」なんてどんでん返しがあったら面白いのだけど、いわゆる普通のアパートやマンションタイプの建造物だ。今どきは珍しくもない。特に都市部では。

 もっと意外性や情緒を纏って生きたいものだけどね。

 集合住宅ということは、壁一枚隔てた向こう側はお隣さんの領域ということである。つまり、人と人との居住区が物理的に近い。この言い様にはもちろん、精神的には遠いこともあるという現状を含蓄している。

 秋深き 隣は何を する人ぞ。

 松尾芭蕉まつおばしょうの一句が違う意味で身に染みる。

 というわけで、アルフレッドがどういう人物なのかは、私もよく知らない。挨拶はする程度の仲というだけである。


「オ元気デスか?」

「うん、元気だよ。アルフレッドは?」

「元気してマス。この間、台風と地震に驚きまマシタ」

「ああ、日本は災害大国だからね。地震・雷・火事・おやじ。津波や噴火や温泉もあるよ」

「地震、雷……火事、オヤジ?」

「オヤジは……ハウスキーパーのこと。ファミリーで一番強い人物の例えだね。日本はファミリーの中でヒエラルキーがあったからね。そのトップがイコール『オヤジ』で怖かったわけ」

「オー、ナルホド」


 オヤジが元は山嵐ヤマジで台風を指していた……って説もあるらしいけれど、信憑性が微妙なのでそこまでは説明しない。こういう細かな機微までは意思疎通出来ない。

 本音は、そこに温泉を並べたところにツッコミが欲しかったけれど。


「ユメミ-サンは博学多才デスね」

「いやいや。博学でも多才でもないよ。そんな四字熟語、よく知ってるね。アルフレッドの日本語の上達速度にこそ、私は舌を巻くよ。あー、『I impressed you』って意味」

「でもユメミ-サン以外は、あんまり話してくれまセン。日本人とてもシャイ」

「あー、そうだね。日本人は見なれない人に対して寛容ではないからね。かくいう私もシャイだけど」

「ユメミ-サンはよく喋りマス。立て板に水」

「ことわざもよく知ってんな……私が教えたのか?」

「ハイ。さっきヒトツ知りマシた。『舌を巻く』」

「確かにね……」


 私からものを習うというのは、たぶん色んな偏りが生じてしまって、正直良い影響は残らないと思うんだけど……。ついつい出ちゃうんだよな。

 面白いじゃん。ことわざ、四字熟語、故事成語。

 隙あらば捻じ込んでいきたいじゃん。

 むしろ積極的に、アルフレッドをやけに「日本の故事にだけ詳しい外国人」に調教していくというのも面白いのではないか……? と、私の中で悪いコユメちゃんが鎌首をもたげ始めたところで、彼は手を振った。


「ワタシは行きマス」

「ああ、またね」

「ハイ」


 見送って部屋に帰る。

 小野寺オノデラが正座して待っていた。

 正座といえば、幽霊って足痺れないのかな? 痺れる足も体重もなさそうだもんな……。


「ていうか何で正座?」

「デザート~食べたいんだけど~、その前にごはん~食べないといけないかな~って……」

「そんな、『待て』されたペットみたいな……」

「早く食べようよ~。おでん! 用意したから!」

「はいはい」


 食欲が絡むと元気な小野寺。もしかして、幽霊になった心残りは食べ物に関する事情だったりするのかな。特定の食べ物を集めて献上すると、スッキリ心残りがなくなって成仏、そしてミッションコンプリートな感じかな。

 別に除霊したいわけでもないけど。小野寺いると助かるし。

 何より会話相手として適度に適当なんだよね。


「……というわけで、アルフレッドとちょっとお話してきたよ。日本のお隣さん文化というのは、都市部ではすでに衰退しつつあるよね」

「美味しい~! やっぱりおでんといえば、染み染みホクホクの大根だよね~」

「古来の『イエ』や『ムラ』的な思考は一部で残しつつ、お隣さん的な互助システムは失われてしまったから、かつては分担してた負担が個人にし掛かってる。だから現代の若者たちは苦労してるのかも。仮説だけど」

「ちくわや煮卵の、旨味をじんわり残しつつ、お腹にずっしり積もっていく感じが、もう幸せ~!」

「家といえば、集合住宅って呼び名についてさ。日本だと正に『住宅』が『集合してる』って表現になってるんだけど、英語ではアパート……『a-part-ment』と書く。partはパーツ、分けられたって意味だから、巨大なものを分けて住処にしてるイメージなんだよね。文化の違いを感じるね」

「つみれのちょっと雑味がある感じも、おでんの中では見事な調和を果たすよね~」

「一方、マンションという言葉は、日本にカタカナとして導入された時に、本来の意味が歪められちゃったって話は有名で……」

「もち巾着なんて~、最高~!」

「……」


 こやつ聞いちゃいねえ。

 そもそも会話じゃない、これ。お互いに違うことを話してるだけだわ。

 いいや……なんか幸せそうだし。食事中のハムスターとかウサギみたい。


「は~、ごちそうさまでした!」

「うん。よく食べたね」

「よし~、デザート準備するぞ~! 旬のフルーツ」

「間髪入れないのね……。フルーツの何?」

「言ってなかったっけ?」


 きょとんとする小野寺。

 今日のお前は食い意地しか見せてないよ。

 私と全然コミュニケーションしてくれてないよ。

 知ってか知らずか、それとも少し余裕ができたのか、小野寺はポーズをとりながら橙色に熟れたその果実を取り出して見せた。


「じゃじゃ~ん。柿だよ~! あ、多めにあるから、お隣のアルフレッドさんにもあげてね~」

「はーん。そんな季節か。あ、そうだ」

「ん、な~に?」

「柿を渡すのなら、ついでに彼にはこの言葉を教えてやらないとね」


 隣の客はよく柿食う客だ。

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