1. ハードル

 さてさて、始まりました。コユメちゃん日記。

 そうそう、煽るもんでもないね。ハードルが上がる。


 土台、物書きなんて人種は、常に頭の中で文章をこねくり回しているような生物なわけで。要は脳内文字まみれ。通常はそれを吐き出す時に、整理をつけるわけ。整理ってのは、余計なもんを削いだり削ったりするって意味も含まれるからね。そうしてやっとこ完成したものが、論説だったり小説だったりノベルだったりブログだったりする。

 整理・削減したクセにあの分量かよ……ってさ。

 そいつが枷もなしに綴り始めたら、延々とそれが続くんじゃないかって思うのよ。

 でも一方で。

 書きやすいってことは、読みやすいってことでもあるかもしんない。

 だって思考に近いパターンだからさ。

 いや、反論やら非難やら轟々だろうけれどさ。

 ってなわけで、やってみようと思ったわけ。


 そんなあたりで、そろそろ同居人の小野寺オノデラからツッコミが入る。


「コユメちゃん~、また何か始めたの?」

「またって何さ。いつも私が何かを始めちゃうみたいじゃない」

「そうだよ~。コユメちゃんは色んなものに手を出しては、すぐにやめちゃうじゃない」

「よく見てるね」

「同居人ですから~」


 そうなのだ。

 いや、偉そうに言ってんじゃねえよ。そうなのです。

 三日坊主という奴は、実は私の前世なのかもしれない。というくらいには、私はやることなすこと長続きしない人間だ。すぐ飽きる。ま、飽きるっていうのも知恵のひとつだよ……なんてうそぶいてみる。


「物事が大成するまでにはハードルがいくつかあるのよ」

「ほ~ほ~」

「よく指摘されるのは、『はじめる』ハードルだね。はじめちゃえば半分は進んでいるとすら言われる。うだうだ考えているだけでは形になりっこない。決定的な差は、行動に移すかどうかで生じる。つまり、やってみるってのは大事なんだよ」

「そうだね~。他のハードルは?」

「うん。『続ける』ってハードル。ここを越えるのがまた難所」

「コユメちゃんが苦手なやつだね~」

「その通り」


 指をチッチと振って見せる。この仕草に意味はない。

 小野寺は肩をすくめる。その仕草には多分、「呆れた」って意味が込められている。


「はじめる、やってみる、工夫する。そして出来た。出来るようになった。……というのと、続けるというのには、また大きな差があるんだよ。決定的なやつ」

「何がどう違うの?」

「続けるためには、気力と体力が持続しないといけない。つまり、興味と健康だね。常に一定の成果を出し続ける人間を、プロフェッショナルと呼ぶ。数回で満足しちゃう奴は、アマチュアなのだよ」

「つまりコユメちゃんは?」

「甘ちゃんなアマチュア」

「あはは」


 笑うなよ。うるせえよ。

 まあ、漫画の連載とか実際凄いよね。週刊連載は人間の所業ではないようにすら思える。いつの時代まであれは続くのだろう。ブラックな職場ではないだろうか。ペンのインクじゃねえんだぞ。


「他にもあるの? ハードル」

「小野寺。さてはハードル好きか、お前? 人が自虐で苦しむ姿を見て喜ぶタイプか」

「違うよ~。コユメちゃんが広げた話でしょ~」

「そうだな。うん。広げるといえば風呂敷だが……」

「他にも広げるものはいっぱいあると思うけど……夢とか敷地とか~」

「いや、筆頭で風呂敷だね。お隣さんのアルフレッドにも尋ねてみるといいよ」

「なぁに、その無駄な自信~」

「まあ、広げた風呂敷は畳むのが物語のマナーなわけで。最後のハードルは『終わること』だよねって」

「ちょっと無理やり繋げたね~」


 だからうるせえよ。

 無理やり繋げないと、この話こそ終わらないじゃん。

 と思ったけれど、そこまで言うと小野寺が気を落としてしまうので口には出さない。基本的に、話に乗ってくれる良い奴なんだ。しょんぼりはさせたくない。


「終わる――つまりは、辞め時。言うなれば、引き際だね。こいつを見誤ると、またしんどい未来が待っている」

「なるほど~」

「物語も挑戦も人生も、終わるべき時には終わるべき――だと私は思う」

「かっこいい~」

「や、ごめん。多分、私死ぬ間際になって『いやだぁ! 死にたくない!』とかみっともなく騒ぐわ。っていうかそういう台詞言ってみたいわ。憧れるわ。今わの際に言ってみたい発言トップスリーに入るわ」

「あはは。あたしにそれ言う?」

「小野寺だからかえって笑えるかなって」

「コユメちゃん、性格悪いな~」


 とか言いつつコロコロ笑われる。


「ま~、人生はともかく。尻切れトンボのままのお話とか~、ちょっと残念だよね~」

「そうそう。きれいに終わって欲しい。商品として売り出すためにも、完成形は見据えないといけないんだよ。『ここで終わり』って誰かが決めないと、延々と出荷できない。出荷できないってことは、世に出ない」

「世に出ないってことは~?」

「他人と共有できないってことさ」

「終わりが無いと、逆に孤独ってことだね~。哲学的!」

「うん。ていうかこのハードルって観点自体が哲学だとは思うよ」


 何のハードルも感じず、始めて、続けて、きれいに終わらせられる人もいる。

 そいつを他人は天才と呼んだりする。

 天才じゃなくても、たまーにそんな風にうまくいく物事もある。

 身も蓋もなくいってしまえば、行き詰ってしんどいと感じた時には、目の前にハードルがあるように思えるってことなのだ。すんなり進む限り、こんな話な意識に浮上しない。誰も彼も毎日悩んでいるからこそ、ハードルの話に対して「あるある」ってされるのだ。

 世知辛い。


「お話は~、終わり?」

「うん。終わり……アレ? 私がなんか始めたって話じゃなかった?」

「そうだよ~。でも、そうやって『お話すること』が始めたことなんじゃない?」

「……まあ、そうしておこう。終わって良かった。本当に良かった」

「じゃ~、記念に乾杯しましょう~」

「脈絡がないね」

「ないけど~、お酒が余ってるから」

「何のお酒?」

「えっとね~、リンゴの発酵酒だよ~」

「なるほど」


 そいつは、シードルだ。

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