第5話 久しぶりの我が家


 ナガルが実家へ戻ったのはちょうど日が暮れた頃だった。屋敷を囲む畑や林は闇に包まれている。

 門衛も馬屋番も、ナガルを見ると酷く驚いた顔で「早く旦那様にお会いしてください!」と懇願してきた。


 何事か起きているのだ。

 彼らの表情から、どうやら人の生死にかかわる事態ではないらしいとわかったが、ナガルははやる心を抑えきれず、玄関前の石段を駆けあがり素早く扉を開けた。


「ナっ、ナガル!」

「えっ、うそ、ナガル兄?」


 出かける所だったのだろうか。玄関前に立っていた父と弟が驚いたように声を上げた。


「おまえ、王都へ向かう街道でカナンを見かけなかったか?」

「落ち着いてください父上! ナガル兄が見つけたら連れて帰ってますよ!」

「あ、ああ。そうだな」


 普段はあまり感情を表に出さない父が狼狽えて、それをサウォルがなだめている。


「カナンが……家出でもしたのか?」

「そうなんだ。トールも一緒だよ」


 肩をすくめるサウォルに向かって、ナガルは父に気づかれないように慎重に目配せした。

 カナンとトールが隠れ場所に使うなら、秘密基地以外には考えられない。サウォルもそう思っていたのか、瞬きで返して来る。


「父上、あの二人なら領地のどこかにいます。大丈夫です。今日はもう遅いが、明日の朝から俺とサウォルで探します。心配いりません」


 父は居ても立っても居られないようだったが、息子ふたりに止められてしぶしぶ居間へ引き返した。




「────それで、カナンが家出した理由は? アロンのことが原因か?」


 夕食の後、ナガルとサウォルは三階にあるトールの部屋を調べながら話をしていた。

 食堂からパンや干し肉や腸詰めが無くなっていたことはわかったが、トールの部屋に変わった様子はない。


「まぁそうなんだけどさ。今日、領主様から使いの人が来たんだ。カナンと話をしたいから領主館に来て欲しいって。その時カナンは町へ出かけてて居なかったんだけど、おそらくトールが待ち伏せして、家に帰らない方が良いって言ったんだ。馬が二頭いなくなってる」


「ああ……」


 ナガルはため息をついた。おそらくサウォルの言う通りだろう。


「トールを庇うつもりじゃないけど、カナンを連れ出したのは悪くなかったと思うよ。今日のお使いはごり押しの奴でさ、もし家に戻って来てたら、問答無用で連れて行かれてたと思う。たぶん領主様は、俺たちを盾に取って、カナンから婚約の承諾を取り付けるつもりなんだ」


「なるほどな。だが、今夜領主館にはシオン様が滞在している。連れて行かれたとしても防げたが、まぁ、そんなこと、カナンやトールが知る訳ないからな」


「そっか。シオン王子、本当に来てくれたんだね。それじゃあ領主様は、今頃シオン様に文句を言われてるかな?」


 サウォルは緊張が解けたようにクスクス笑いだし、トールの寝台に座り込んだ。


「いやぁ、兄貴が帰って来てくれてホント助かったよ」

「苦労を掛けるな、サウォル。取りあえず、カナンのことは俺に任せろ」


 ナガルもサウォルの隣に腰かけた。


「うん。ああでも、もちろん俺も協力するよ。例の場所には二人で行く? 誰にも見つからない方が良いよね?」


 子供の頃に戻ったようなサウォルの笑顔につられて、ナガルも目を細めたが、すぐに表情を引き締めた。


「現時点で、あの場所を知っている者は何人いる? トールの奴、あの悪ガキたちに秘密の通路を教えてないだろうな?」


「まさか。いくらトールでも、通路のことは教えてないはずだ。ただ、あの場所自体はけっこう知られてるかも」


「カナンが居なくなったことは、領主様やアロンに知られているのか?」


「使いの人は、散々文句言いながら日暮れ前には帰った。アロンに伝わってないといいけど」


「そうだな、たぶん大丈夫だろう。領主館は今それどころじゃない」


 ナガルは、シオンが巻き起こしているであろう事態を想像して、ニヤリと笑った。

 シオンが気づいているかどうかは知らないが、健康を取り戻すにつれて、彼は気弱な王子から脱しかけている。以前の彼ならば発言せずに黙っていたような場面でも、今では自分の意見を自然と発言する場面が増えているのだ。このまま行けば、王位継承権を取り戻す機会も巡ってくるだろう。


「それで、シオンさまは、もちろんカナンを助けてくれるんだよね?」


 心配そうに確認してくるサウォルに、ナガルは力強く頷いた。


「大丈夫だ。俺たちはその為に来たんだ。ああ、ただ……明日はシオン様を我が家にお招きするつもりだったんだが、カナンが不在となると、シオン様にはしばらく領主館に滞在して頂いた方が良いかも知れないな」


「うん。そうだね。カナンが見つかるまでは、父上も気が気じゃないだろうしね」


「ああ。すぐにジィン様宛の手紙を書いて、領主館まで届けさせよう」

 寝台から立ち上がって部屋を出て行こうとするナガルを、サウォルが呼び止めた。


「ナガル兄……本当に、帰って来てくれてありがとう!」


 戸口で振り返ったナガルにサウォルが駆け寄り、がしっと再会の抱擁を交わす。


「正直、どうしたらいいか不安でしょうがなかったんだ」


 弱音を吐きはじめた弟の背中を、ナガルは優しく叩いた。

 久しぶりの我が家は相変わらず騒々しいが、今回の騒動は今までのものとは違う。他者から与えられた騒ぎだ。助け手が来た事を知らずに、カナンもトールも不安な夜を過ごしているだろう。


(心配するな。おまえに我慢を強いる結婚なんかさせない。必ず助けてやる)


 窓の向こうに細く光る三日月を、ナガルは静かに見つめた。

  

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