第22話 皇后の女官


 ────明日には動きがあるだろう。


 そうトゥランが言っていたように、翌日の昼前に後宮から使いがやってきた。


「皇后陛下より、本日の茶席に水龍国スールンのカナン王女を招くよう云いつかって参りました。今すぐ準備をお願いいたします。カナン王女はこのまま私の馬車でお連れしますので、侍女の同行は不要です。迎えの必要もありません」


 使いの女官は、皇后付きの高位の女官なのだろう。高慢な態度が鼻につく。

 対応するため玄関先に出ていたユイナとアルマは、額にピキッと青筋を立てた。


「そんな! 侍女の一人も同行出来ぬような場所に、王女様を送り出すわけには参りません!」

 ユイナが断固とした態度でそう抗議したが、使いの女官は「皇后陛下の言いつけである」の一点張りで、折れる様子はない。


「さぁ、何をグズグズしているのです? 早くカナン王女を呼んできてください!」

「あら、わたくし、そんなにお待たせしたかしら?」


 ユイナの背後からぴょこっと顔を出したのは、顔半分を薄絹で隠したカナンだ。

若葉色の爽やかな衣を着て、首元には修復を終えた紅珊瑚の首飾りをつけている。


「カ、カナンさま!」

「お一人で着替えをなさったのですか?」


 ユイナとアルマが驚愕の声を上げるなか、皇后の女官は訝しげな視線をカナンに向けた。王女の肌の色が、昨日よりも健康的な小麦色になっていることに気づいたのだろうか。だとしたらかなり良くない展開なのだが、当のカナンはどこ吹く風だ。


「アルマがいなかったから、お化粧が上手くできなかったのだけどぉ……でも薄絹を被れば大丈夫よね。ほら、お迎えの方もお急ぎのようだし。ねぇ?」

「えっ、ええ。その通りです」

 ぶんぶんと首肯する女官。

「冗談ではありません! 最低でも侍女二人の付き添いが無ければ、例え皇后陛下のお茶会でも、王女様を行かせる訳には参りません!」


 ユイナがずいっと女官の前に立ちはだかる。

 その隙を突いてアルマがカナンを取り押さえ、耳元で囁いた。


「カナンさま、どうなっているのですか? あの方は……どうなさったのですか?」

「んああ、彼女なら、寝台にグルグル巻きにしといたから。後で助けてあげてね」


 えへっ、と誤魔化すような笑みを浮かべるカナンを見て、アルマは思わず天を仰いだ。

 朝食を終えたあと、シオンは、一緒に皇宮へ行くと言い張るカナンを説得していた筈だった。しかし、どうやら彼は説得に失敗しただけでなく、カナンの強硬手段によって入れ替わられてしまったらしい。もっともこの場合、入れ替わりが元に戻った訳なのだが────。


「しかし王女様、侍女のひとりも付き添えないという状態はマズいです。行かせる訳にはいきません」


 アルマが断固とした口調でそう言った時だった。


「何を騒いでいる?」


 凛とした声が降ってきた。

 騒ぎを聞きつけたのか、皇太子宮から出て来たばかりのユーランが、藤色の長衣をなびかせながら近づいて来る。今日の彼は、緩やかな巻き毛をしっかりと首の後ろで括っている。

 いつもはどこか気だるげに衣を着崩し、頽廃的な色香を漂わせている彼が、今日は青く晴れた早朝の空のようなすっきりとした空気を纏っている。


「こ、皇太子殿下……?」

 迎えの女官は、目をぱちくりさせてユーランを二度見した。

「母上の宮の女官か?」

「は、はい。水龍国の王女様を迎えに参りました」

「皇后陛下からお茶に招かれたのですが、侍女の付き添いは要らぬと言われて……」


 女官の言葉に被せ気味にユイナが答えると、ユーランはクスリと笑った。


「それなら、王女の侍女は私と一緒に来るといい。ちょうど私も、母上の宮を訪ねようと思っていたのだ」

「ほ、本当でございますか?」

「この通り、私は侍女を一人しか連れていない。あと二、三人増えても支障はないよ」


 ユーランの後ろに控えていたサラーナが、ユイナたちに会釈をする。

 わぁっとアルマたちは笑顔を浮かべた。

 女官は必死に抗議の声を上げたが、皇太子を前にして、彼女に出来ることは何もなかった。


「せっかくだから、私もカナン王女と一緒に迎えの馬車に乗せてもらおうか」


 ユーランににっこりと微笑まれ、たじたじになった女官は、諦めたように一同を馬車へと案内した。



 カタカタカタカタ


 心地よい馬車の振動に揺られながら、カナンは立派な馬車の内装を見回した。

 昨日は、ユーランとシオンが乗った馬車の後ろを歩いて正殿へ向かったから、皇宮の馬車に乗るのは初めてだ。艶やかな紫色の絹が張られた内装と皮張りの座席はなかなか重厚だ。


「きみが来るとは思わなかったよ。もしかして、きみが本物のカナン王女なの?」

 向かいに座ったユーランが興味深げな視線を向けてくる。

「まさか! あたしはただの影武者ですよぉ」

「影武者?」


 ヒラヒラと片手を振るカナンを見て、ユーランはプッと吹き出してから軽やかに笑った。


「そなたは、武者ではあるまい」

 クツクツと笑うユーランに指摘され、カナンはやっと言い間違いに気づいた。

「あっ、そうでした! 影武者じゃなくて、えっと、何だろう? まぁ、そんなのどうでもいいですね。皇太子殿下が一緒に行って下さるから、とても心強いです」


 カナンが拳を握ってそう言うと、ユーランは一瞬目を瞠り、それから柔らかく微笑んだ。


「そうだな。私もきみが一緒で心強いよ。すべてトゥランの読み通りだしね。上手くゆく気がする。大丈夫だ」

 まるで自分に言い聞かせるように、ユーランはつぶやく。


(なんか、今日の皇太子殿下は雰囲気が違う)


 玄関先で会った時は、彼の服装の違いに驚いた。けれど、時おり見せる晴れ渡った空のような笑顔を見て、変わったのは見た目だけではないとわかった。

 きっと、彼の中で何かが吹っ切れたのだろう。

 何だか嬉しくなって、カナンはにっこりと笑った。

  

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