第27話 誘拐


 スーファ王女とのお茶をさっさと切り上げたトゥランは、回廊を歩きながらヨナの顔をうかがった。

 少し後ろを歩くヨナの顔は、いつもより冷ややかだ。


「仕方が無いだろう、真実の言葉とは耳が痛いものなんだ」

「別に……わたしは何も言っておりませんが?」

「嘘だ! その顔は絶対おれに文句がある顔だろう?」


 トゥランが追及しても、ヨナの顔は冷ややかなままだ。


「そんなことより、どこへ向かっているのですか?」

「ああ、王子宮だ。シオンの顔を見に行く」

「またですか? あなたが顔を見たいのは、もうひとりの方ではないのですか?」

「わかっているなら言うな。さっさと面会を申し込んで来い」


 王子宮の門が見えると、トゥランはわざわざ門番から見える位置に立ち止まる。


「いつも思うのですが、トゥランさま本人が面会の申し込みに来ていては、王子宮の方も迷惑だと思いますよ」


 ヨナは気の毒そうな目で門番の方をチラ見する。


「だからだ。おれがここまで来ていれば、まず断られる事はないだろ?」

「ただの嫌がらせかと思いました」

「ヨーナ?」

「行って参ります」


 ヨナは軽く会釈してから、王子宮の門衛に向かって歩いて行った。



 〇     〇



 トゥランの思惑通り、二人はほんの少し待たされただけでシオン王子の部屋に通された。

 ヨナには居間でジィンとナガルの相手をしてもらい、トゥラン一人でシオンの寝室に入ってゆく。

 今日は年配の侍女は姿が見えない。


「シオン、気分はどうだ?」

「トゥラン皇子……相変わらずです。どうぞ、おかけください」


 シオンは少しだけ身を起こして、トゥランを迎えた。


「おまえが早く良くなってくれないと、おれは退屈で死にそうだぞ」

「それなら、ユジン王子やコウン王子と遠乗りでも行かれてはどうですか? ぼくより年が近いから話も合うでしょう」

「おまえ……それ本気で言っているのか?」

「えっ?」


 トゥランに心外そうな目を向けられて、シオンは動揺した。


「さっきスーファ王女のお茶に呼ばれたが、冷たくあしらってしまったよ。あーあ、おまえに妹がいたら良かったのになぁ……」


 トゥランが視線を外してそうぼやいたので、シオンは無理やり笑顔を浮かべた。


「スーファはぼくの妹ですよ」

「おまえと同腹の妹って意味だよ」


 ふわりと笑ってから、トゥランは少しだけ寝台の方に身を乗り出した。


「妹と言えば……このまえナガルの妹に会ったんだが、なぜか驚くほどおまえに似ていたんだ。聞いているか?」

「えっええ、ナガルの妹が襲われた話は聞いています。でも、ぼくに似ているとは知りませんでした。今度ナガルに聞いてみなくちゃ」


 自然な笑みが作れているだろうかとハラハラしていると、トゥランは口端を歪めるようにしてシオンの顔を見つめた。


「そうだ、おまえからもナガルに言ってくれないか? その娘はカナンという名前なんだが、具合が良くなったらおれの侍女に貸してくれと言ってるのに、見舞いもさせてくれないんだ」


「そ……それは、トゥラン皇子の宮では侍女が足りないという事ですか? 申し訳ありません、すぐに手配いたします!」


 シオンはあわてて卓上のベルを手にする。


「いや、そういう意味ではない!」


 トゥランは止めようとしたが、それより早くシオンはベルを鳴らした。

 すぐさま「お呼びですか?」と ジィンが扉を開けて入ってくる。

 トゥランはため息をつきながら髪をかき上げた。


「何でもない。おれは帰るぞ」


 トゥランは挨拶もせず、ジィンと入れ替わるようにシオンの寝室から出て行った。



 バタンと扉が閉まった途端、シオンは力が抜けたようにぐったりと頭を下げた。


「シオンさま、大丈夫ですか?」


 ジィンがシオンの体を支えながら寝かせようとすると、シオンはジィンの腕をつかんで止めた。


「ジィン、ぼくでは無理だよ……ぼくはカナンみたいには話せない。あんな風に親し気に話しかけられても困るよ。ねぇジィン……カナンはどうやってあの人と親しくなったんだろう?」


「別に、普通に話していただけだと思いますが」


「普通に話すなんて無理だよ! あの人はいつも朗らかだけど、本当はとても怖い人だと思うんだ」


 シオンの必死の訴えに、ジィンは頷いた。


「そうですね。わたしもそう思いますが、きっとカナンは怖いもの知らずなのでしょう。無知だから出来ることもあります」


「そうだね……確かにカナンは怖いもの知らずだ。でも、そのせいでトゥラン皇子に気に入られてしまったのなら、ぼくにはこれ以上どうする事も出来ないよ」


 すっかり自信を無くしてしまったシオンに、ジィンは笑顔を向けた。


「大丈夫です。ただの気まぐれですよ」


「そうかな? ぼくは、そうは思わないよ。もしかしたらトゥラン皇子は、カナンがぼくの身代わりをしていたことに気づいてるんじゃないかな? だから頻繁に見舞いに来て、確かめてるんじゃないかな?」


「それはありえません。さぁ、少しお休みください」


 ジィンは優しくシオンを寝かしつけた。



 同じ頃、シオンの部屋を出たトゥランとヨナは、ナガルの案内で王子宮の中を歩いていた。


「なぁナガル、妹の具合はどうだ? 少しは良くなったか?」

「おかげさまで、ようやく普通の食事がとれるようになりました。ですが、動けるようになるまではまだ少しかかりそうです」


 話す間もナガルは足を止めない。少しでも早くトゥランを王子宮の外へ追い出したいようだ。


「では、侍女はまだ無理か。それなら見舞いに立ち寄らせてはくれないか?」

「せっかくのお言葉ですが、お気持ちだけ頂いておきます」


 ナガルの答えを聞いて、トゥランは立ち止まった。それに気づいたナガルも立ち止まる。


「ナガル、おれは見舞いたいと言っているんだぞ。おれはこの国の客で、おまえの妹の命を助けた恩人でもある。そのおれの言葉が聞けないのか?」


 トゥランにしては珍しく、あからさまに不機嫌な顔をしている。


「申し訳ございません」

 ナガルは静かに頭を下げた。

「トゥランさまには本当に感謝しております。しかし、妹は刃を向けられた恐怖から立ち直っておらず、精神的に不安定になっています。どうかご容赦ください」


「そんなに悪いのか?」

「はい。出来るだけ早く南へ帰して療養させようと思っています。そのために、弟をくにから呼び寄せているところです」

「なるほど……それでは仕方がないな。無理を言って済まなかった」


 トゥランは笑みを浮かべると、何事もなかったように歩き出す。


「いえ……」


 ナガルはもう一度頭を下げると、トゥランの後を追って歩き出した。



 〇     〇



 それから数日、トゥラン皇子の突撃訪問がピタリと途絶えた王子宮は、静かな日常を取り戻していた。

 身辺が落ち着いたせいか、シオンも居間で過ごせるほど体調がよくなっていた。


「トゥラン皇子は、毎日のように遠乗りに出かけているようですね」


 ユイナがシオンにお茶を出しながらそう言うと、シオンは驚いたように顔を上げた。


「それは、ユジン王子やコウン王子と一緒に?」

「そのようですね」

「トゥラン皇子もようやく飽きたのでしょう。王都や遠くの村々など、毎日違う場所を見て回っているようですよ」


 カナンへの見舞いをことごとく断り続けていたジィンが、ホッとしたように笑う。


「だといいんだけど……カナンはどうしてるの?」

「カナンさまはすっかり良くなられて……部屋のお掃除を始めてしまわれました」


 ユイナが困ったようにため息をつく。


「ナガルの弟が都に着き次第、南へ帰る予定だと言っていましたね」

「ええ。今度ばかりは引きとめる訳にも……」


 ユイナはもう一度ため息をついた。シオンも続けてため息をつく。

 カナンに帰って欲しくないのは二人とも同じだった。



 〇     〇



 すっかり元気を取り戻したカナンは、使わせてもらっていた部屋の掃除をしていた。

 毒による発熱を何度も繰り返したせいか、以前よりも痩せて体力も落ちてしまってはいたが、体を動かせるようになったことが何よりも嬉しくて、動き出さずにはいられなかった。


「カナン、もういいだろう。少し休め」


 床や窓の拭き掃除をしているカナンのそばを、ナガルがうろうろとついて回っている。

 元気になったとはいえ、まだ寝台から起き上がれるようになったばかりだ。いくらカナンが大丈夫だと言っても、見ていられない。

 ナガルはとうとうカナンの腕をつかんで掃除をやめさせた。


「兄さま、わかったから手を放して。これだけ片づけて来るから」

「そんなのはおれがやる」

「だめよ。王子付きの武官が、雑巾と手桶なんか持ってたら変に思われるでしょ? すぐに戻って来るから待ってて」


 カナンはにっこり笑うと、手桶を持って部屋を出て行った。



 王子宮の裏側には、厨房や洗濯用の井戸や干場など、下働きの者だけが使う場所がある。

 カナンは洗濯場で汚れた水を捨ててきれいな水を汲むと、雑巾と手桶をすすいで元の場所に戻した。

 日のあたる場所に出ると汗ばむほどの陽気に、カナンは空を見上げて伸びをした。


「はぁー、気持ちいい」


「ねぇ、もしかして、あなたがカナン?」


 声をかけられて振り返ると、同じくらいの年頃の少女が立っていた。


「そうですけど」

「よかった。さっき王宮の下働きの子が来て、あなたに伝言を頼まれたの。ハルノって子、知ってる?」

「知ってます! ハルノは何と言っていましたか?」


 カナンは思わず侍女に近寄った。


「元気になったら顔を見せに来て欲しいってさ。急げばまだその辺にいるかも知れないよ」

「そうですか……ありがとう」

「じゃ、確かに伝えたわよ」


 侍女は無表情のままそう言うと、さっさと仕事に戻ってしまった。

 カナンは一度部屋に戻ろうか少し迷ったが、そのまま王子宮の門へ向かった。

 ナガルに言えば絶対に止められる。


「おや、もう体は良くなったのかい?」


 門を通るとき、顔見知りになった年配の門衛に声をかけられた。


「はい、すっかり。ちょっと裏庭まで行ってきます」


 カナンは頭を下げて門をくぐると、小道を走ってゆく。

 襲われた場所を通るのは怖かったけれど、あれから巡回の兵を増やしたと聞いているし、トゥラン皇子はこのところ毎日のように遠乗りに行っているらしいから、出くわす心配もない。


(今ならきっと大丈夫)


 体が元気になると共に、カナンの気持ちも少し上向きになっていた。

 だから、すっかり油断していたのかも知れない。


 もう少しで裏庭の池が見えるという所まで来た時、突然背後から口を塞がれた。

 叫ぼうとしても、大きな手で口を塞がれているので声にならない。カナンは必死に抵抗したが、首の後ろに衝撃が走ると同時に視界がぼやけていった。


 体が持ち上げられ、ゆらゆらとどこかへ運ばれてゆくような感じがしたが、やがてカナンは完全に意識を失った。


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