第25話 見舞い


 翌朝、カナンが医療室の寝台の上でお粥を食べていると、ハルノがやって来た。


「カナン、良かったぁ。気がついたんだね!」


 ハルノの顔を見た途端、カナンの心が大きく揺らいだ。

 あの時、もしもハルノが近くに来ていたらと思うとゾッとする。何の関係もない人間を、こちらの事情に巻き込んでしまうところだった。


「ハルノ……ごめんね」

「いいよ。カナンこそ災難だったね。あの男が誰なのかわかったの?」

「ううん」

「だろうね」


 ハルノはうなずくと、カナンの耳元に顔を寄せた。


「カナン……あんたにどんな秘密があるのか知らないけど、あたしはあんたの味方だからね。余計な気を遣うんじゃないよ」

「ありがとう、ハルノ」


 鼻の奥がツンとして、じわりと目頭が熱くなった。


「いいって。あたしら友達じゃん」

「うん」

「じゃ、また来るね。あっ……もしかして、もう王子宮に帰るの?」

「たぶん。熱もだいぶ下がったし。元気になったら、また会いに行くよ」

「じゃあ待ってるね」


 ハルノは小さく手を振って出て行った。



 カタンと音がして、また扉が開いた。


「ハルノ?」


 扉の方へ振り返ったカナンは、現れた人物を見て息を呑んだ。


「やあ、気がついたって聞いたから、様子を見に来たよ」


 部屋に入って来たのはトゥラン皇子だった。

 いつも一緒にいる従者の青年はいない。


「……皇子さま、先日は危ない所を助けていただき、ありがとうございました」

 カナンはとっさに頭を下げた。


「声が擦れているな。まだ顔色は良くないが、元気になって良かった」


 トゥランはカナンの寝台に腰かけると、うつむいたままのカナンの肩に手をかけた。


「そんなに畏まらなくていい。おれは堅苦しいのは嫌いな方でね。おまえも知っているだろう?」


 トゥランの言葉にヒヤリとする。


「あたしは、何も……」

「そうか……おれの勘違いだったかな? おまえは、おれの知り合いによく似ているのだが」

「お、恐れ多いことでございます」

「もう少し、顔を見せてくれないか?」


 トゥランはカナンのあごに手をかけると、強引に上を向かせた。

 カナンが驚いて目を見開くと、面白そうな笑みを浮かべたトゥランと目が合った。


(まさか……気づかれてる?)


 カナンの背を冷たい汗が伝ってゆく。


「おまえ、名前は?」

「……カナンと申します」

「ナガルの妹だと聞いたが、似てないな」


 カナンは大きく目を見開いた。


「似てない……ですか?」


 チクリと胸が痛んだ。長兄と似てないと言われる事が、こんなにも辛いことだとは思ってもいなかった。


(あたり前だ。似ている訳がない。あたしは、あの人たちとは血がつながってないんだから)


 たぶん、トゥランは別の意味を込めて言ったのだろう。

 それでも『おまえは本当の家族ではないだろう?』と言われたような気がした。

 じわりと込み上げてきたものが、止める暇もなく溢れた。


 トゥランは驚いて、カナンのあごから手を放した。


「すまん」

「……失礼しました」


 カナンは着物の袖で涙をぬぐった。

 その時扉が開き、ヨナを振り切るようにしてナガルが部屋に入って来た。


「トゥラン皇子さま、ここで何をしておられるのですか?」

「ナガル……おまえの妹を見舞っていたのだが、どうやら気分を害してしまったようだ。すまん」


 トゥランは寝台から立ち上がると、ナガルと入れ替わるように扉へ向かった。


「お見舞いいただき、ありがとうございました」


 ナガルは深々と頭を下げると、すぐにカナンの寝台の横に片膝をつく。


「カナン、王子宮へ戻るが、大丈夫か?」

「兄さま……」


 カナンが倒れ込むようにナガルの首に抱きつくと、ナガルが優しくカナンの背中を抱きしめた。

 トゥランは扉のところで部屋の中を振り返り、そんな二人の姿をじっと見ていた。



 〇     〇



 ナガルに運ばれて王子宮に戻ったカナンは、今までと同じ部屋で休むことになった。

 カナンは侍女部屋に移ることを希望したが、ユイナに反対された。


「大丈夫ですカナンさま。トゥラン皇子が来ても絶対に通したりはしませんから」

「でも……」


 カナンは戸惑った。

 シオンとしてトゥラン皇子と対峙していた時とは違う。今のカナンはただの侍女で、相手は大国の皇子だ。何よりも命を助けてもらった事が、きっと弱味になっているだろう。

 みんなに迷惑をかけている事が、カナンはとても気がかりだった。


「兄さま、北の街道はまだ通れないの?」


 寝室でナガルと二人だけになってから、カナンはそう聞いてみた。トゥラン皇子には早く国に帰って欲しいが、街道が塞がっている限りそれは無理な話だ。


「大丈夫だカナン。おまえは体を治すことだけ考えろ」

「うん。兄さまは……トゥラン皇子がいる間は、シオンさまの従者としてお側にいなくてはいけないでしょう? 動けるようになったらあたしだけ先に帰ろうか?」

「帰りたいのか?」


 ナガルの眉間には、深いしわが刻まれている。


「ここにいても役に立たないし、身代わりの件がバレた時、あたしがここにいない方がいいと思うの」


 カナンは無理に笑顔を作った。


「王さまが言っていたの。あたしを狙った犯人は、二度とシオンさまの身代わりが出来ないように殺そうとしたんだって。犯人の目星もついているって。それ、本当なの?」

「詳しいことは知らないが、そうなのだろう」

「そう。犯人は、きっと偉い人よね?」

「カナン、その事はおれに任せて、もう休め。また熱が上がるぞ」

「うん」


 カナンは目を閉じた。

 毒のせいか高熱のせいかはわからないが、まだ体に力が入らない。

 早く体力を取り戻して、南へ帰ろう。


 都は、思っていたよりもずっと恐ろしい所だった。王子の身代わりなどという大それた仕事を引き受けた時に、気付くべきだったのだ。


 瞼を閉じると、ふいに、短剣を振り下ろそうとしている男の姿が浮かんだ。

 覆面で顔を隠した男の、目元のホクロを思い出す。


「兄さま、あたしを殺そうとした男は見つかったの?」

「いや、まだだ」

「覆面をした、目元にホクロのある男だったわ」


 ナガルの顔に、ハッとしたような表情が浮かぶ。


「よく見ていたな。カナン、お手柄だ」


 ナガルはカナンの頭に優しく触れると、そのまま部屋を出て行った。


「お手柄か……」


 閉じた瞼に、じわりと涙がにじんだ。

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