第24話 疑惑


「シオン、怪我の具合はどうだ?」


 王子の寝室に入ったトゥランは図々しく寝台の端に腰かけて、寝ているシオンの顔をのぞき込んだ。


「しばらく休めば、大丈夫です。トゥラン皇子」

 硬い表情をしたシオンがトゥランを仰ぎ見た。


「おれが無理に誘ったせいだな。済まなかった」


 トゥランは手を伸ばしてシオンの髪をかき上げた。こうして見ると、さっき見た娘と顔の造りはそっくりだが、シオンの方がかなり色が白い。


「すこし痩せたか?」

「ええ……食事が喉を通らなくて」

「そんな事じゃ良くならないぞ。まだ街道は通れそうもないから、おれもまだここに滞在させてもらうことになる。早く良くなってくれないと、つまらないぞ」

「申し訳ありません。どうか、ユジン王子やコウン王子と過ごして下さい」

「ああ、そうさせてもらう」


 トゥランは、部屋の隅に立つ年配の女官をチラリと見た。

 ジィンとナガルには、ヨナと共に控えの間で待機してもらったが、もともとこの部屋にいた女官を追い出すことは出来なかった。


(せっかく問い詰めてやろうと思ったのに……)


 さすがのトゥランも、母親ほど年上の女官が居る前で、他国の王子を脅すような真似は出来なかった。


「また来るよ」


 今日の所は退散だとばかりに控えの間に戻ると、ジィンが待ち構えていたように近づいて来る。


「トゥラン皇子、もしお暇なら、ユジン王子やコウン王子とお手合わせしていただけませんか?」


 にこにこしているが、はやくトゥランを追い払いたいのが見え見えだ。


「なんだ、おれに取り入っても何の役にも立たんぞ。おれは月紫ユンシィ国の皇太子ではないからな」


 トゥランは呆れたようにジィンを見てから、後ろに控えるナガルに目をやった。

 ふっと口元に笑みが浮かぶ。


「そうだ、さっきナガルの妹を見舞ってきたぞ」

「……それは、恐れ多い事でございます」


 いつも無表情なナガルの顔が、わずかに変化する。

 普段ほとんど顔色を変えないこの武官がわずかとは言え動揺を見せるとは、よほどの秘密でもあるのだろう。

 そう思うと、トゥランは心が沸き立つほどの興奮を覚えた。


「おまえの妹は、あまりおまえに似てないな」

「はい。母親が違いますので」


 ナガルは一瞬の躊躇もなく答える。


「なるほど。なぜ狙われたのか分かったのか?」

「いえ、それはまだ」

「そうか、早く良くなって欲しいな。王子宮の侍女をしているのだろう? 元気になったら、滞在中おれの所へ貸してはくれぬか?」

「えっ……それは」


 明らかに動揺しているナガルの前に、ジィンが立ちはだかる。


「トゥラン皇子、それはご容赦ください。ナガルの妹は、ナガルの出仕について来ただけで、本当は侍女ではございません。都見物をしたら南へ帰る予定でした」


「ほう、それは残念だな。だが、あの様子ではしばらくは帰れぬだろう? それに、おれはあの娘の命の恩人ではないのか?」


「はい……もちろんです」

「ではいいな。約束だ」


 トゥランが上機嫌で出て行くと、ジィンとナガルは深刻な顔を見合わせた。


「こうなったら、陛下に指示を仰ぐほかないな」


 ジィンはそう言って、王子の寝室に入って行った。



 〇     〇



 カナンが目を覚ましたのは、その日の夜遅くになってからだった。

 灯りひとつの薄暗い部屋の中に、ユイナの姿がぼんやりと見えた。


「カナンさま、ああ良かった。目を覚まされたのですね」

「ユイナさん……あの、ここは?」


 カナンは声を絞り出した。別人のようにかすれた不快な声だった。

 体が熱くて、じっとりと汗がまとわりついている。体中が痛くて、横になっているのも辛かった。


「ここは医務局の病室です。カナンさまは毒による発熱で、ずっと眠ったままだったのですよ」

「そう……でしたか」


 覆面をした男に襲われたことを、ぼんやりと思い出した。その後、助けてくれたトゥラン皇子の姿を思い出して、カナンは全身が冷たくなってゆくような気がした。


「あたし……トゥラン皇子に見られてしまいました」


 咄嗟に起き上がろうとしたが、体に力が入らなかった。


「無理をなさらないでください。大丈夫です……このまま、陛下とお話しください」

「陛……下?」


 ユイナが退くと、髭をたくわえた壮年の男が、カナンの寝台に歩み寄った。


「大丈夫か?」

「……はい」

「危険な目に合わせて、済まなかったな」


 王の声と表情は、まるで他人事のように平坦だった。けれど、王が見舞いに来た事がそもそも意外すぎて、カナンは不思議な気分で王の顔を見返した。


「……もしかして、あたしが王子の身代わりをしていた事が、バレたのですか?」

「そうなのだろうな」

「なぜ、あたしが狙われるんですか?」

「二度と身代わりが出来ないように、であろうな」


 淡々と答える王の言葉に、背筋が冷えた。


「誰が、あたしを狙ったのですか?」

「まだ調査中だ。目星はついておるがな」

「えっ?」


 王の答えにカナンは目を見張った。


「ジィンから、シオンの身代わりは無理だと言われたが、そなたはどう思う?」

「……無理です。これ以上続けても、シオン王子の偽物がいるという噂が流れるだけだと思います。それに、あたしはもう南へ帰りたい」

「そうであったな」

「はい。お役に立てることはありません」

「では、ゆっくり養生いたせ」


 王はそう言うと、薄明かりの届かない所へ行ってしまった。



 医療室から出たところで、王はユイナを留めた。


「そなたは、カナンのところに居てやれ」

「はい、そういたします」


 ユイナが首を垂れると、王の声が聞こえてきた。


「血は争えぬな。あの娘、亡くなった妃によく似ている」


 ユイナが顔を上げると、王と従者は暗い廊下の向こうに消えて行くところだった。

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