水龍国の捨てられ姫
滝野れお
水龍国編・替玉王子
☆王命は王子の代役
序章
カツーン カツーン
薄暗い石の廊下に、長く響く靴音。
手燭を持って自分の前を歩く武官の背中を見ながら、カナンはゾクリと身を震わせた。
(深夜の王宮って、なんて不気味なんだろう……)
冷たい石の廊下は、いくら松明の灯りがあっても薄暗くて陰気だ。大きな柱の影から伸びる暗闇の中からは、いつ幽霊が現れてもおかしくない気がする。
(こんな所で育たなくて良かった……)
カナンは心の底からそう思った。
自分が今ここにいるのは、何の前触れもなく起こった災難のようなものだ。
「王命」という名の災難。そんなもののせいで、カナンが十四年間信じていたものは全て崩れ去ってしまった。
王都に連れて来られ、言われるまま高貴な衣をまとい、髪を首の後ろで束ねて男装する。大人しく従っているのは、これから会う人たちに一矢報いてやろうと思ったからだ。
(あたしをここに連れてきた事を、絶対に後悔させてやる)
前を行く武官が、大きな扉の前で立ち止まる。
武官が重い木の扉に手をかけると、ギィーと音を立てて、彫刻を施された木の扉がゆっくりと開く。
カナンは、部屋の明るさに目がくらんだ。
「おお、これは……本当に王子によく似ておる。少し日に焼けとるが、これはなかなか」
息を呑むような老人の声が聞こえてきた。
目が慣れてくると、正面の玉座に座る黒ひげの王と、その隣に立つ白髪に白ひげの老人が見えた。さっきの声はたぶんこの老人だろう。二人のほかには、カナンの着替えを手伝ってくれた、王子の乳母だという人しかこの部屋にはいない。
武官に促されて、カナンは部屋の中に足を進めた。跪こうとした時、王の声が聞こえた。
「そのままでよい。カナンと言ったか、話は全部聞いておるな?」
感情の欠如した声と、酷薄そうな鋭い目に圧倒される。
(この人が……)
自分を前にしても表情を変えぬ王に、カナンの心は急速に冷えていった。
「……はい」
カナンは自ら視線をそらした。
うつむいたまま、顔を上げることが出来ない。
「そなたのことは、この部屋にいる四人だけしか知らぬ秘密だ。くれぐれも他の者に知られぬよう行動しろ」
「はい……陛下」
「そなたの仕事は、王子の病を他国に知られぬことだ。どうだ、出来るか?」
黒い瞳がカナンを見据える。
(今さら……そんな質問するんだ)
怒りが湧いてきた。
カナンはようやく顔を上げると、真っすぐ王の目を見つめた。
「近々、隣国の王子が訪問すると聞きました。あたしは王子として、どのように振舞えばよいのでしょうか?」
「どのように……か。ただ堂々としていればよい」
王はそう言って、微かに笑みをにじませた。
「何か望みはあるか? 何でも叶えてやるという訳ではないが、この王宮にいる間、そなたが過ごしやすいように手配しよう」
「えっ……」
思いがけない王の言葉に、カナンは目を見張った。
「本当ですか? では……では、兄をどうか──」
「よかろう。見知らぬ者ばかりでは心細かろう。ジィン、すぐにカナンの兄を呼び戻せ」
「はっ!」
武官が一礼して部屋を出てゆく。
「そなたの兄を、臨時で王子付きの従者にしよう。あとはこのユイナに聞け。王子のことは何でも知っている乳母だからな」
王はそう言って玉座から立ち上がると、白ひげの老人と共に奥の扉に姿を消した。
へなへなと足から力が抜けてゆく。
気がつくと、カナンは床に座り込んでいた。
あれだけ勇気を奮い起こして臨んだ王との謁見だったのに、完全に気圧されていた自分が情けない。
「カナンさま」
優しく両手を握られて顔を上げると、母と同じくらいの年の乳母が、目に涙をためてカナンを見下ろしていた。
「辛いお役目なのに、よくぞいらして下さいました。このユイナ、必ずカナンさまのお力になります」
「ありがとう、ユイナさん」
カナンは少しだけ笑みを浮かべて、ユイナの手を握り返した。
悪いことばかりでもない。兄がここに留まってくれるなら、なおさらだ。
カナンは前向きに考える事にした。
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