ある少女と誘拐犯の話

モノカキ・アエル

ある少女と誘拐犯の話

 もう何年も前に閉鎖した病院。

 俺が、今いる場所だ。

 その廃病院は、人の寄り付かない静かな場所に建てられていた。

 町からは幅の広い道路と山を挟んだ先にあり、人の目から逃れるのにはうってつけだった。特に誘拐した相手を見張るのには申し分ない。

 元々は病室だったのであろう広い部屋は、寝台がすべて片づけられている。妙にがらんとして寒々しい。寄せられたスクリーンカーテンだけが、何かにすがりつくみたいに天井から吊るされていた。

 電気もない薄暗い部屋の中心、簡素なパイプ椅子に腰かけた少女を眺めながら、俺はため息をついた。

 計画には綻びは少ない方がいい。それなのに既に1ヘマをやらかしている。

「あんまりこっちを見んなよ」

 不満を少女に伝える。

 賢そうな少女の目が、まっすぐにこちらをのぞき込んでいた。

 グレーのダッフルコートの下には、僅かにセーラー服の襟が見える。

「私ばっかり見られるのが、不公平だと思って」

「しょうがねえだろ、お前からは目が離せねえんだ」

 かれこれ数時間、俺はこの女子中学生に釘付けになっているが、別にそういう趣味ではない。

「私に見られると困るなら、目隠しでもすればいいのに」

「もう遅えよ、手遅れだ」

 『ヘマ』とは、この少女に顔を見られていることだ。

 顔を見られないようにしてから誘拐する手筈だったのに、どうやら俺の部下はそのプロセスをすっ飛ばしてしまったらしい。

 結果、監禁場所であるこの部屋で、ばっちりと対面をすることになってしまった。タンクトップと迷彩柄のズボンで、犯罪者スタイルをそれらしく決められているのは救いか。サングラスも用意しとくべきだった。

 とはいえ、姿を見られるくらいは致命的ではない。この少女がいくら俺の特徴を証言したところで、言葉で語るだけなら当てはまる人間はこの世に沢山いる。

「安心しろ、お前に危害を加えるつもりはねえ」

「人をさらって、捕まえておくだけで十分危害だと思うんだけど」

「サプライズでテーマパークに連れて来られたとでも考えてくれ」

「ずっと座ってるだけで、退屈なんだけど」

「待ち時間だと思えよ。レジャーランドだってそうだろ? 今やってることも同じだ。待ってる時間の方が長くて、実際に“こと”を起こすのは一瞬だ」

「それは、すこし違う気がするけど……」

 俺は落ち着いて見えるように屁理屈をこねてみたのだが、この少女の方が平然としている。先ほどからずっと、こちらを観察するかのような視線を向けてきている。しかし、警戒している様子はなかった。

「この病院のこと、知ってる?」

「もう病院じゃねえ、ただの建物だろ」

「まあ、そうだけど。ここ、心霊スポットで有名なんだよ」

「なんだ、知ってる場所なのかよ」

 やはり目隠しをしなかったのは、大きなヘマだった。どこに連れて来たのか、わかっているようだ。

「言っておくが、怖いから帰りたいって言っても無駄だからな」

「そんなつもりで言ったんじゃないんだけど」

 変な奴だなと、思った。まるで緊張感がない。

 ジェネレーションギャップか? 最近のお嬢様は、危機を感じ取る能力に欠けているのかもしれない。

 それならそれで、下手に騒がれるよりは大分やりやすく、助かるのだが。

「まあ、さっきからずっとここで待っているだけだから、180分待ちの行列くらい退屈かもしれない。けどな、ちゃんと計画は進行している。今頃、俺の部下が誘拐を伝えて、身代金を要求しているはずだ」

「私の家、そんなお金持ちじゃないし、すぐに大金を用意できるとは思えないんだけど」

「誰だってそう言うもんだ。俺たちのような奴に狙われるからな」

 住んでいる家、自家用車のグレード、子供が通っている学校などから、どれくらい生活に余裕がある家庭なのかは、すぐに推察できる。

 ある程度目星をつけてからさらに下調べをして、誘拐のターゲットを決定した。経営者であり、会社の業績も悪くない。大金を要求しても、さほど苦労せずに用意できるはずだ。

「そして、金持ちを自慢しないのはそれだけ大人しいってことだ。交渉にも応じるだろう」

「よく考えてるんだね」

「でかい金が動くんだ。よく考えるのは当然だろ。それに誘拐で金を頂くのは、すごく難しいからな」

「強盗とか、詐欺とかよりも難しい?」

 少女が疑問を口にする。まさにその誘拐の当事者で、人質になっているというのに、やけに落ち着いている。相当な変わり者らしい。

「ずば抜けて難しいぞ」

 俺は少女に説明を始める。

 身代金目的の誘拐はリスクが高く、金が欲しかったとしても、普通は選ばない。

 まず第一に、確実に相手に気づかれるタイプの犯罪だからだ。

 巧妙な詐欺は、騙されていると最後まで被害者に気づかせない。バレなければ完全犯罪。完璧にうまくいけば、罪を問われる危険性がなくなるのだ。

 一方で誘拐事件の場合は、お金を引き出すために、「お前の娘はあずかった」などと被害者にわざわざ知らせることになる。警察には言うな、と釘をさしたところで、人質と金との交換が終わった後は絶対に捜査が始まる。その差は明確だ。

 第二に、犯人と被害者の間で接触が多いということがある。

 俺は犯罪をボクシングだと思っている。一撃で決めることが大切だ。たった1回、なにかをするだけで終わらせる。その方が証拠も少なく、尻尾を出すこともない。未解決事件の多くは、通り魔的な、予兆なく行われる犯罪だ。

 誘拐事件は犯行声明をして金を用意させ、さらに金を受け取るときにもやり取りが必要になる。通常、犯人はなるべく犯行現場や被害者から距離をとるものだが、誘拐の場合だけは自分からのこのこと近づいていかなくてはならない。

 そして第三に、複数の犯罪の組み合わせになるということだ。

営利誘拐はどんなにシンプルでも、拉致そのものと人質を使った脅迫の二本立てになるわけで、単純に考えてもリスクが倍になる。ヘマをするポイントが増えてしまうわけで、これはよくない。

 ……と、このように、よく考えて犯罪をするならば、身代金目的の誘拐はまず選ばない。統計からして、成功率は非常に低いのだ。

「本当に難しそう」

「だろ? もっともリターンはそこそこいいから、救いがないわけじゃない」

「だから、そんなにお金はないって」

 長々話を続けているが、俺のスマートフォンにはまだ着信がない。そろそろ部下から連絡が入ってもいい頃だと思うが。

 まさか相手が身代金を値切っているなどという、馬鹿なことは起きていないだろうな。娘の命がかかっているんだぞ? スピーディに話を進めろよ、そこは。

 苛立ちで踵を打ち鳴らす。床面が砂埃でざらついているせいか、音は反響しなかった。

 少女がまた訊いてくる。

「ねえ、どうしてこういう、悪いことをしているの?」

 無頓着な質問だなと思った。何を考えているのか、それとも何も考えていないのか。いまいち読めない。

「お金がなくて、困っているとか?」

「そんな理由なら世の中みんな犯罪者だ。全人類、金はいくらあっても足りなくて、困ってるんだぞ」

 少女は少し、きょとんとした。

「……普通は、仕事をすれば給料がもらえるだろ? 俺はな、不思議と、まっとうな仕事をやると金が減るんだよ」

 そう説明する。

 昔から、仕事に関しては運が全くなかった。

 新卒で入った会社では、事務職で働き始めた矢先に給料の支払いが遅れ、おかしいと思っていたら社長が夜逃げしていた。

 それがすべてのケチのつき始めだ。次に社員として雇われた飲食店は食中毒が発生して閉店し、工場で働けば大型機械が壊れて倒産して働く場を失った。

 他のいくつかの仕事でも似たようなことが起こり、最後には小さな商社に転がり込んだが、海外から輸入した商品に欠陥があり、四方八方からクレームがついた。会社に損害賠償を支払う余力がなく、そればかりか責任者としていつの間にか負債を背負わされるハメになった。

 とにかく、金がなくて、ずっと困っていた。

 そして、借金で凌ぐこともできなくなったある日、もうやけくそとばかりに高級住宅街へと赴き、覚悟を決めて空き巣に入ったのだった。

「働くと金が減る、悪事は不思議と金が増えるんだ」

「捕まらなかったの?」

「あいにく、そっちでは全戦全勝なんだ。向き不向きもあるもんだな」

「じゃあ、それでよかったじゃない」

「絶対無敵の超能力じゃないからな。うまく捕まらないようにやってるだけだ。空き巣の被害が増えると、みんな警戒するだろ? そこでの仕事はいつまでも続かない」

 定年まで安定して空き巣できればよかったんだけどな、と、ぼやく。

「そのあとはまあ、いろいろやったが、うまく行った」

「いろいろって?」

「言わねえよ、お前を家に返した後でぺらぺら喋られたら、全部ばれるだろ」

「捕まらない自信があるのに?」

 少女が不思議そうに聞いてくる。

「知ってるか? 日本で身代金誘拐事件は未だかつて成し遂げたやつがいないんだぞ?」

「そうなの?」

 少女は少し意外そうに、こちらを見る。

「『お前の娘は預かった』って、映画とかでよく聞くのに」

「映画の犯人だって、最後には絶対捕まってるだろ」

「それは、そうだけど……」

 と、少女は納得したようだ。

「そもそも、やろうとするやつがほとんどいないしな。誘拐なんて、やるもんじゃない」

 俺がそう言い切ると、少女の疑問はますます深まったようだ。

「それならどうして?」

 さんざんリスクを言っておいて、わざわざ難しい方法を選択した理由を知りたがるのは、当然のことだろう。

「それはな」

 一旦、間を置いてしまう。

 勿体ぶろうとしたわけではない。アルバイトもしたことがないような私立女子校のお嬢様に、言ったところで伝わるだろうかと考えたからだ。

「大きいことをやって、成功させてみたかったんだ」

 ためらいつつも、結局思ったままを言葉にした。

「あー……」

 なんとなく、伝わった。かもしれない。そういった感じの反応だ。

「俺はな、犯罪で金を得るのは、これで最後にしようと思ってるんだよ」

「それでどうせなら、ってことだったんだ?」

 これまで様々な仕事をしてきたが、失敗も多かった。

 ケチでちっぽけな犯罪ばかり重ねてきた。自分の矮小さに嫌気が差した。

 誰も成し遂げていない、身代金誘拐っていう大きな犯罪なら、何かが変わるんじゃないか。俺は変われるんじゃないか。そう思ったのだ。

「それって、自己満足じゃん」

「まあ、シンプルに言うとそうだな」

 またの名を、ロマンという。

「そういうのはさ、もっと他に……」

 言いかけて、少女は言葉を探している様子だ。他のちゃんとしたことで、とでも言いたいのだろうが、これまでそっちは全部失敗している。

「俺は悪事が得意なだけの、普通の人間だからな」

 普通の人間だから、悪事をして生きていくのに、うんざりしていた。きっとこれからも、後ろ暗さを感じ続けることだろう。けれど、同じ悪事でも何か大きなことをやりきったという実感があれば、これからの人生、少しは気が楽になるかもしれない。

「それに付き合わされる方の身にもなってほしいんだけど」

「すまんな。悪事ってのは一人じゃできないものなんだ」

 つい、そんな言い訳をしてしまう。

 しかし、変わった子だ。こちらを警戒したり、怒ったりという反応なら終始無言で済むのだが、不思議と会話が続く。

 本当に、誘拐されている当事者とは思えないなと感じつつ、俺は手に持ったスマートフォンを確認する。

 さすがにそろそろ、連絡が来てもいい頃だ。

 しかし、ここで焦ってこちらから連絡するのは悪手だろう。たとえば交渉が長引いている場合など、俺からの連絡で台無しになってしまうことも考えられるからだ。

 もう少しだけ待って連絡が無かったら、失敗したものとして、少女をどこかで解放して逃げることも視野に入れるべきか。

「あのさ……そのスマホ、繋がらないと思う」

 少女がいきなりそんなことを切り出した。

「いい加減なこと言うなよ」

「いい加減なことじゃないよ」

 言い切ってくる。俺を動揺させるつもりなのだろうか?

「予定よりも、どれくらい遅れているの?」

「大したことじゃない、まだ少しだけだ」

 そう言ってみたものの、具体的には1時間、いや2時間、いや、もっとだろうか?

 よく分からない。急に、焦りが生じてきた。思考が落ち着かない。

 俺の動揺を察してか、少女がまた口を開いた。

「私がこの部屋に来た時のことを、覚えてる?」

「ああ、部下が後ろ手を縛ったお前を連れてきて……」

 縛った?

 今、少女の手は完全に自由だ。

 いつの間に解いたのだろうか? 逃げる素振りがないからといって、拘束を解くなんてこと、俺はするはずはない。

 暑い季節なのに、汗が浮かんでこない。そこでふと気づく。


 ――なんで、目の前の少女はダッフルコートを着ているんだ?


「おいおい今は夏だろ……? いったいどうなってるんだ……」

 考えてみれば、部下がこの少女を連れてきた時の記憶もおぼろげだ。

「本当は、私は誘拐されてここに来たんじゃなくて、そこから入ってきたんだよ」

 少女が病室の入り口を指差す。

「そんな馬鹿な。じゃあどうしてお前は、俺に見張られているんだ。誘拐されたからだろ」

「話を合わせてたんだよ。『いま』誘拐をしているって、勘違いしてるみたいだったから」

 何が起こったかよく思い出してみてよ、と少女が続ける。

「……」

 黙ったまま、俺は今までの出来事を、ゆっくりと辿っていた。次第に、ぽつぽつとした記憶の断片が浮かび上がってくる。

 なぜ今まで忘れていたのだろうか。

 ずきりと、頭に痛みを感じる。耳の少し上に手を当ててみると、大きめの擦り傷があった。

 そうだ。

「傷が……」

「その傷のことは、思い出せるの?」

 少女が聞いてくる。

 それは、昨日のことだ。じりじりとせわしない蝉の鳴き声が耳に蘇ってくる。

 記憶に新しいはずなのに。どうして忘れていたんだろう。



 誘拐の前の、最後の下見。

 真夏の昼下がり、俺は高級住宅街の近くを歩いていた。誘拐を実行する場所の情報を、ぎりぎりまで新しくしておきたかったのだ。

 万に一つ、大掛かりな工事でも始まっていたら、犯行当日の車の通行に支障を来すかもしれない。そんなことになれば、間抜けもいいところだ。

 かと言って下見の回数を多くすると、「怪しい男がうろついていた」など、警察に与える目撃情報を増やしてしまう。下見に行く時間帯や頻度も、慎重に計画して決めていたのだ。

 実行予定地点は、目立たず人通りも少ない道路。幅が広い割には塀などの死角になって、見通しが悪い場所だ。

 いつもと変わったところはない。

 空き巣をやっていたころの癖で、盗みに入るにはもってこいの家を物色しそうになるが、早々に立ち去ることにする。

 ひっきりなしに浮かんでくる汗を拭いつつ、しばらく歩くと、人懐っこそうな犬を連れた、幼稚園の年長か小学生かといった女の子が見えた。

 高そうな犬を見て、人ではなく犬を誘拐するのは狙い目なのではないか、と考える。警察も人がさらわれたとなれば大規模な捜査網を作るが、犬であれば対応も緩くなるだろう。

 思い付きを発展させ、具体的な方法を考え始めたところで、背後から車の走行音が聞こえてきた。

 速いなと感じた。

 幅が広めとはいえ道はぎりぎり車がすれ違える程度だというのに、歩行者があまりいないせいで、油断しているのだろう。

 交通事故にも気をつけろと部下に念押しをしておかないとな、なんて考えた矢先だった。

 突然、前からやってきていた犬が道路を横切るように駆け出した。

 握ったリードに引っ張られる形で女の子が犬を追いかけ、転んだ。

 女の子が顔を上げ、その表情が恐怖に固まる。まっすぐに迫ってくる車が見えていたのかもしれない。

「あぶなッ!」

 俺は背後を確認もせず、反射的に地面を蹴っていた。

 女の子を抱え上げ、道路の反対側へもう一度跳ぼうとした時に、腰に衝撃を感じた。

 斜め前へ吹っ飛ばされた俺は、女の子をなるべく抱え込むように、体を丸める。

 かなりの速度で地面に激突し、全身に強い衝撃を感じた。

 歯を食いしばって膝立ちになり、女の子を立たせてやる。

「大丈夫か!?」

 声をかけながら、怪我をしていないか確認する。

 眩暈がする中で、女の子を安心させようと笑みを作った。

「大丈夫だよな?」

「……うん」

 小さな声で、女の子が頷く。反応が薄いのは、びっくりしたせいだろう。とりあえず怪我はしていないようだったので、ふうと息を吐いて頭を撫でてやった。

 車の方はというと、衝突の直前にブレーキを踏んだものの、こちらの様子を確認すると、そのまま速度を上げて走り去ったようだ。

「逃げるのかよ……」

 と呆れつつ立ち上がり、ふらつきながら俺もこの場を後にしようとする。

「あの、おじちゃん、血が……」

 女の子が声をかけてくる。その傍らには『僕も心配していますよ』という顔で、しれっと犬が戻っていた。

 痛む場所に触れる。側頭部から確かに血が出ていた。

「あー、これか、俺は明日病院に行くし、全然大丈夫だ」

 間違ったことは言っちゃいない。

 俺は女の子に手を振り、早足でその場から立ち去った。

 照りつける日差しが強くて、くらくらとした。

 ちょっと怪我をしたくらいで、誘拐を中止にはできない。

 これまで綿密に計画を立ててきた。ターゲットのことを調べ上げ、準備にも金をかけ、その日しかない、というタイミングだったのだ。


 俺は大きなことをするんだ。

 そうしなきゃ、成功させなきゃ――変われないんだ。


 翌日、計画通りに誘拐を実行した。俺は廃病院で待機し、部下がターゲットを誘拐してきた。その少女を見張り……連絡を待っている最中に頭痛が始まった。それは次第に強くなっていった。

 立っていられなくなり、かがんで床に手をついたところで、俺の記憶は途切れていた。



 山奥の、鬱蒼とした緑に囲まれた廃病院。煩わしくうるさかった蝉の声が遠ざかっていき、ずきずきという傷の痛みが、強くなってきた。

 少女が俺に、静かに告げる。

「この病院に出る幽霊は、何かを待っているようだって――そんな噂があったんだよ」

 すごく嫌な感じが、背筋を駆けた。首の後ろがざわざわとして、毛が逆立つかのようだった。

「あのな、俺は幽霊なんか信じねえぞ。俺が幽霊だなんて、なおさらだよ」

「噂を聞いて、来てみたんだけど……気づかせてあげないと、ずっとこのままかなって思ったんだ」

「嘘だろ……」

 窓の外を見る。遠くに見える景色は、鮮やかな紅葉に染まっていた。

 おいおい、緑色じゃなきゃおかしいだろ……。

「……どれくらい、俺はこうしてたんだ?」

「誘拐が失敗したのは、もう何年も前。当時はニュースで話題になったよ。警察がここに来た時には、犯人が死んでいたって」

 少女の話によると、誘拐の被害者は傷一つなく保護され、事件は解決していた。

 犯人は事件前に頭部に強い衝撃を受けていたことが分かったが、その経緯までは不明のまま、捜査が終了した。部下は捕まったらしい。あいつには悪いことをしたなと思う。

「やれやれ……」

 結局俺は、大きなことは何も成し遂げられないまま終わってしまうのか。

 自分の指先が、次第に透けていっていることに気づいた。

 俺にはもう何の希望も、未練もない。だから、消えていくのだろう。

 少女を見つめながら、まあそれもいいか、と考える。

 心霊スポットで虚しく何かを待ち続ける幽霊であり続けるより、よっぽどマシだろう。

 俺を哀れに思って話しかけてきた少女に、礼でも言っておくか。

 そう思った矢先。


「ありがとう」


 そんな風に礼を言ってきたのは、少女の方だった。

 それを聞いて、またひとつ記憶が蘇った。

 ああ。

「お前、でかくなったんだな」

 車に撥ねられかけた小さい女の子の面影が、目の前の学生服を着た少女の優しい笑顔に重なる。

 どうやら俺は、大きなことを成し遂げていたらしい。

「やっと、あのときのお礼が言えた」

「それは……どういたしまして」

 最後の一言を言い終えるかどうかのところで、俺の意識は完全に消えた。

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