【10】 フォロー

 夏休み初日。せっかくの休みなのに、今日は雨が降っていた。しかし、和也自身、雨は嫌いではなかった。連日振り続けるのはさすがに苛立つが、一日や二日程度なら、むしろ雨の雰囲気を満喫する。それに、夏はとにかく気温が高くなるので、たとえ前日に振ったとしても、次の日の昼の頃にはアスファルトは大体乾く。走るに問題ないくらいには路面状態が回復する。

 今日のような雨の日は、無理にバイクに乗るようなことはしない。自身もバイクも、雨に濡らす必要など全くない。大人しくガレージの中で雨の音を聞きながらバイクを磨くのもいいだろう。

 雨の音を聞きながら、専用のワックスでバイクをピカピカに仕上げていった。



 夏休み初日の夕方からの予定は、バイトであった。雨の中、合羽を着て自転車をこいでバイト先のホームセンターにやってきた。

 和也のやっているバイトの仕事内容は日によって変わる。レジ打ちだったり品出しだったり社員の手伝いだったり。最初こそは緊張したり勝手がわからなかったりで他のバイトの人や社員の人に迷惑をかけたこともあるが、今はそれなりにできるようになってきた。

 今日の和也の業務は品出しだった。パートの人が倉庫から持ってきた段ボールから品物を取り出し、それを棚に並べる単純な作業。量は多いが、慣れれば気楽な作業でもある。

 別の商品が混じっているのを見て見ぬふりをしながら鼻歌交じりに適当に品物を並べていると、棚を挟んだ反対側の通路から、少し穏やかでない話し声が聞こえた。聞いていると、男性が一方的に問い詰めているようだ。それに謝るように返答するように女性の声がする。声からするに、後輩の麗奈の声であった。どうやら、商品の置き場を案内した麗奈が間違った場所に案内してしまったようで、その商品の見つけるのに時間がかかってしまっているようだ。

 気になってその通路を覗いてみると、麗奈の後ろ姿と中年男性の正面が見えた。怒鳴るようなことはしない様だが、ネチネチと問い詰めているようだ。

(いるよなぁ・・・こういうの)

 店員側に悪意が無いのは、今の麗奈を見ればわかるだろうに。必死に頭を下げているのが、後ろにいる和也からでも分かる。ここまでネチっこく粘着するタチの悪い客は時たまいる。主観的な意見になるが、なぜこの程度のミスでここまで執着するのか分からなかった。相手が若い女の子だから舐めてかかっているのだろうか、中年男性は麗奈をジロジロと眺めながら彼女を責める。

 流石にこの状況を無視するのは忍びない。周りを見渡しても、自分以外の店員が見当たらないので、しょうがなく自分が近づいて行った。

「どうしました?」

 一応は事情は分かっているが、和也はそう声をかけた。

 中年男性と麗奈は同時に和也に目を向けた。麗奈の表情からは、安堵と恥ずかしさのどちらの感情も見受けられた。中年男性はというと突然の男の登場に面食らった様子だが、その男がこれまた若い少年だと分かるとすぐに意地の悪そうな表情に戻った。

「商品の場所が分からなくて・・・」

 麗奈は小さい声でそう答えた。

「そうなんだよねぇ。結構歩かされてさぁ。この子商品の場所覚えてないんじゃないの?」

 すべての商品の置き場なんて覚えられるわけないだろと思いながら、心の中で舌打ちする。こういう人は、ときどきいる。店員が全ての商品について精通していると勘違いしている人が。社員相手にそう思うのならまだ分からなくもないが、たかがアルバイトにそこまで要求するのは酷であろう。

「あぁ、なるほど・・・」

 和也は麗奈をチラリと見た。そこで気が付いた。

「風野?体調悪いの?」

 風邪の症状に見えなくもなかった。麗奈は顔が赤かった。元の顔色ではない。みっともないところを見られた恥ずかしさからくる赤面でもなさそうだ。呼吸も少し荒い感じがする。

「風邪ひいてんの?」

「いや、大丈夫です」

 まぁ、仕事をしている以上はそう答えるであろうが、見るからに気分が悪そうだ。

「風邪?」

 あれだけネチっこくしていたくせに気が付かなかったのか、中年男性はマヌケな声を上げる。

 このまま麗奈を接客させるのはいただけないし、そもそも商品の置き場がわからないのではどうしようもない。自分がこの中年の相手をすることにした。

「お客様、時間を取らせてしまい申し訳ございません。代わりに自分が案内いたします」

「ああそう。んじゃ早くして」

 麗奈の体調が悪いことを知った中年男性は、流石に病人を相手にするのは分が悪いと思ったのか、ターゲットを和也に変更した様子。 

 本当にタチの悪い男だなと思いながら和也は中年に頭を下げ、その後に麗奈に声をかける。

「こちらのお客様は俺が案内するから。風野はもう休んだ方がいいよ」

「でも・・・」

「とりあえず案内してくるからね」

 和也は中年男性を連れてその場を後にした。

 探していたのは、掃除に使う洗浄ブラシであった。洗浄をするのなら洗浄液と同じところに置いてあると勘違いしたことは、和也も過去に経験済みだ。実際には全く別の通路に置いてあるのだ。しかし、あの麗奈が自分と同じレベルの間違いをするなんて珍しいこともあるもんだなと思った。

「ちゃんと教育してるの?こんなに歩かされたのは初めてだよ?」

 陳列されているブラシを物色しながら、中年は和也に口撃を開始した。しかし、こういった言葉を吐かれるだろうとすでに予想していた和也からすれば、大したダメージはない。

「申し訳ありません。体調が悪かったようで。これからはしっかりと教え込みますので」

 こういう時は、変に口調を荒げたり言い返したりはしてはいけない。相手がこんな人種ならばなおさらだ。表向きは、丁寧に接していればいいのである。過去の数度の過ちや先輩たちの経験談から、和也は学んでいた。

「体調を言い訳にしたら駄目じゃない?仕事なんだからさ」

 この中年は時代遅れの思考をしているようだった。健康に優越するものなどない。体調不良は立派な理由になる。それは決して言い訳ではない。むしろ、体調が悪いにも関わらず仕事を頑張った彼女をいたわるべきであろう。どこまで腐った思考をしているのだろうか。

「はい。肝に銘じておきます」

「そんなんじゃ、この先やっていけないよ」

「はい」

 いい加減、うざかった。

 和也は目を合わせず、最後に頭を下げてその場を後にする。これも経験談だが、こちらから話を切り上げるの一つの手だ。表向きはだが、ここまで真摯に接していればたいていの客はもう諦めることが多い。

 この中年も例に漏れず、和也が背を向けるともう何も言ってこなかった。

 接客業の仕事をしていると、自然と成長し自分の精神を鍛えることができるような気がした。あんな中年の言っていることが正しいなどとは微塵も思はないし、彼の言うことがまかり通る社会などあってたまるかと思う。しかし、人に心無い言葉をかける人間というのは、世の中には意外と多い。あの中年もしかり、そして自分の母親もしかり。接客業というのは、そういった連中に対する耐性と対処を身に着けることができる。

 和也は自分の持ち場に戻った。

 和也がもといた通路では、麗奈が品出しをしていた。どこまでまじめな子なんだと、半分呆れる

「風野。こっちは済んだよ」

 和也が話しかけた。

「ありがとうございました」

「うん。今日はもう帰った方がいいんじゃね?」

「でも、迷惑がかかりそうで・・・」

「体調不良ならちゃんとした理由になるでしょ。品出しももう少しで終わるから、俺が風野の分の仕事もやるから大丈夫だよ」

「・・・はい」

 麗奈は申し訳なさそうに呟く。

「あの、ありがとうございます。私の接客までやらせちゃって・・・」

「まぁ仕方ないよ。あと、ああいう客はたまにいるから、いちいち真剣に接する必要なんかないからね」

 和也はきっぱりと言い放つ。お客様は神様などという考えは、万が一にもない。自分を守るために、心を無にしていればいいのである。

 中年男性との件まで報告するつもりはないが、麗奈の体調が悪いということを和也の口からもチーフに伝えるために、事務所まで同行することにする。

 気分が悪そうな麗奈に一応は気を使いながら歩く。横では麗奈がうつむいて歩いている。いつもと違って活気がない。

「すみません。置き場を覚えていなくて・・・」

「んん?あぁ。まぁ全部の商品の置き場なんて覚えてる人のが少ないでしょ。俺なんか未だに覚えられないやつとか大量にあるし」

 和也はここでバイトを始めて約一年経つが、店内の商品の半分も覚えていない。というか、覚えきれないのだ。商品のジャンルから大体の置き場をある程度予測することはできるのだが、それにも限度がある。分からないものは分からない。

「私、ああいうお客さんが初めてで・・・」

 先ほどの中年のことを思い出しているのだろうか、麗奈が言う。

 それもそうだろう。普段、麗奈はこんなミスはしない。風邪の影響なのか、判断が少し鈍り、結果的に普段と違う対処をしなければならないことに戸惑ってしまったのだろう。

「いい経験じゃないか?最初は面食らうかもしんないけど」

「はい・・・」

「いちいち深く考えない方がいいよ」

 時たま、こういうことを経験した人たちが気を病んでしまう場合がある。きっと、根がまじめな人たちなのだろう。心無い人たちの言葉を真に受けて深く考えて傷ついて、結果的に壊れてしまう人がいる。社会に出ればそういうことが多々あると聞くし、過去のアルバイト仲間でもそれが原因で辞めていった人もいる。

「適当に受け流してやればいいさ」

 そう。自分を守るためだ。仕事のミスなど、今後繰り返さなければいいだけだ。仕事を頑張るのはいいことだが、人の心を傷つける言葉にまで耳を傾ける必要などない。適当にやればいいのだ。

 事務所に着いた二人は、パソコンと睨めっこしているチーフに事情を説明する。見るからに風邪の症状を見せている麗奈に、チーフはねぎらいと体調不良に気づけなかったことへの謝罪の言葉をかける。まともな大人というのは、こういう人の事を言うのだろう。一人納得していると、チーフから声をかけられる。

「和也くん」

 嫌な予感がする。大抵、当たってしまう、予感が。

「暇なら俺の仕事の雑用もついでにできるよね」

 前言撤回である。笑いながら言う悪魔に、絶望した。

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