【11】 嫌味

 夏休みが始まって最初の日曜日。和也はいつも行く山道からそれる、本格的な峠道に来ていた。その峠道の頂上付近では日曜日や祝日ともなると、一部のバイク乗りたちが集まってくる。一部の区間を往復して走る連中が大半を占め、ギャラリーも集まってくる。

 昨日、雨が降ったにも関わらず、路面の状態は良好だった。それとも、こっち方面はそもそも振っていなかったのか。

 目の前のコーナーを複数のバイクたちが走り抜けていくのを見ながら、和也は一匹女狼と話していた。自分が来た時には一匹女狼はすでに来ていて、他のバイクと一緒に走り込んでいたのだった。話の内容は、最近遭遇した煽り運転の車についてだ。

「あらぁ、そりゃ災難だったね」

「全くですよ。マジもんの煽りでしたからね」

 その時の恐怖と怒りを思い出しながら話す。今でもその時の光景が目に浮かぶ。

「でもどうせ逃げ切れたんでしょ?」

「はい。直線番長でしたよ。俺でも撒けましたからね」

 ぎこちなくフラフラしたコーナーリング。かなり手前でのブレーキング。まるで初めてこの道を走るかのようなビビり具合に、拍子抜けしたものだ。

「へぇ。でも変なのに目ぇ付けられたね。今後も現れないなんて保障はないしねぇ」

 確かにそれが気がかりでもあった。あの日に撒くことができたって、もしまたこの付近で出会ったら今度は絡まれないなんて保障はない。今度は逃げきれないかもしれない。そもそも、なんであそこまで変な絡み方をされたのかも分からない。

「まぁ、夜の道の駅では気を付けますよ」

「道中もね」

「はい」

 こんなことのために走ることを控えるなんて選択肢は、正直ない。危機感がないと言えばそれまでだが、今後も何とかなるだろうという気持ちの方が強かった。一匹女狼も心配するそぶりはするが、それ以上は何も言ってこなかった。

「んじゃ、俺はもうひとっ走りしたら、道の駅行きますわ」

「そう?それじゃ私もそうしようかな」

 目の前を走るバイクを見ていたら、やっぱり走りたくなってくる。二人はバイクのもとに戻り、ヘルメットを被ってから走り出した。

 すでに走っていた人たちに混ざり、時には前を譲ったり譲られたりしながら、峠を楽しむ。大げさに膝を出し、時には肘までもアスファルトをこする猛者を追走して、ちょうどいい頃合い見て集団から離脱する。一匹女狼も着いてくる。去り際に他のライダーたちに頭を下げる程度の挨拶を済ませ、峠を下って行った。



 休日だけあって、道の駅は混んでいた。夜の時とは全く違う表情を見せる。夜は車やバイクが好きな連中ばかりが集まるが、昼は家族連れやカップルが大半を占める。大方、山梨側の観光地にでも行くのであろう。大型遊園地やら湖やら富士山やら、いかにもそういう連中が好きそうなものが山梨側にある。この道の駅自体も、休む場所というよりもこれそのものが観光地化している感が否めない。和也も一度だけ、この先の湖まで行ってみたことはあるが、富士山が大きく見えるだけで、特に和也の気を引くものはなかった。

「んまぁ~」

 隣でソフトクリームを頬張る一匹女狼もそうだろう。観光などには興味がなさそうな顔をしている。こんな観光日和に暑苦しいバイクなどに乗っていないで、彼氏と遊園地にでも行けばいいのに。いや、彼氏がいるかどうかは知らないが。

「あっヤバッ、シャツについちゃった」

 一匹女狼は、シャツについたアイスを人目もはばからずに舐め取っている。

「ちょっとトイレ行ってきます」

 和也は手に持っていた飲み物をすべて飲み干した後、トイレに向かう。一匹女狼は手をひらひらと振った後、バイクを置いている方面に歩き出した。

 数分後、用が済んだ和也も、バイクへと向かう。

 車の台数が非常に多いため、駐車場の空きを待つ車の列ができている。 その間を縫って、バイク専用と化した広場へと入る。色とりどりのバイクが並んでいる。青や緑や白や、時には金色のバイクも。美しいと言えば美しいが、目がチカチカして来なくもない。排気音やエンジン音もそれぞれ個性があり、飽きることはない。

 ふと、自分のバイクと一匹女狼のバイクの方を見ると、彼女が一人の男性と話していた。自分よりも年上に見える。

「こんにちは」

 自分のバイクの横に立ち、和也はその男性に挨拶をする。

 その男性は返事をしたが、一匹女狼と話していた時と比べると少しそっけなく感じた。

 和也はそれを見ただけで、なんとなく感じ取ったものがある。一匹女狼の方をチラリと見ると、彼女は苦笑い気味に表情で返事をする。

「へぇ、それじゃこの辺には結構来るんだね」

「はい。楽しい道なんで・・・」

「俺もこの辺はしょっちゅう来るよ。別の方面とかは行く?ほら、あのダム湖がすぐ傍にあるところ。あっちも結構バイクが集まってくるんだよ」

 男性は一匹女狼の方だけを見て話す。まるで和也のことなど眼中にないような態度だ。いや、和也からすれば相手にしないで済むのでそれで大いに構わないのだが。

 和也が帰りの支度のために、ウエストバッグの中身をごそごそしているとー

「君は行ったことある?」

 一匹女狼から声がかかった。

 恐る恐る顔を上げてみると、彼女はこっちをニヤニヤしながら見ていた。逃げられない。

「あぁ、あっちはあんまり・・・」

 愛想笑いしながら、申し訳程度に応える。見ると、男性は訝し気な表情をしていた。なぜここまで露骨な態度ができるのか分からなかった。

「何?君たち知り合いか何かだったの?彼氏彼女?」

 そんなの、少し見ればわかるだろうに。部外者がいきなり挨拶してきたとでも思っていたのだろうか。

「いえ、ただの知り合い程度の関係ですよ」

「君、高校生か何か?若く見えるけど」

「えぇ、まぁ」

「いいねぇ、高校生でバイク乗れるなんて。親に金出してもらったの?」

 完全な敵意として、和也は受け取る。

「いえ、自分で頑張って出してますよ」

「へぇ、つなぎなんか着て、危ない運転なんかしてんじゃないの?公道でそんなの必要ないよ」

 つなぎを着ている人間は、自分だけではない。目の前にもう一人いるのに、自分にだけそんな言葉をかけてくる。あまりにも露骨すぎた。

「まぁ、そうですねぇ」

 カチンと来るには来るが、適当に受け流すことに徹する。人の悪意など、その辺のドブにでも捨てればいいのだ。価値はない。

 一匹女狼も、適当に相槌を打っている。和也を相手に話す時とは打って違って上機嫌にかつ自慢げに話していた男性は、一旦、トイレに向かうためにその場を離れる。

「さ、行こうか」

 一匹女狼は笑いながら出発を促してくる。手にはすでに、ヘルメットが準備されていた。男性からすればまだ会話を続けるつもりのようにも見えたが、彼女の方はその気はないらしい。

「なんで巻き込むんスか・・・」

「いや、そりゃ助けてほしいからに決まってるじゃない」

「ホントにしょっちゅう声かけられますね」

 和也は過去に、彼女がナンパされているところを見捨てた前科がある。彼女はそのことを多少は根に持っていたということだろう。

「あそこで彼氏ですって言ってくれたら、満点あげちゃうところだったのになぁ」

「? 何でですか?」

「彼氏っていえば、すぐに離れていったかもしれないじゃん」

「あぁ・・・なるほど。でもああいう連中がすぐに諦めますかね」

「少なくともガツガツ来ることは無くなるんじゃない?分からないけど。でも君も男なら、その辺の気の使い方を覚えたら?」

 彼氏がいると分かった男はすぐに身を引く。どこかで聞いた話だが、彼女もそれは知っていたようだ。だが、見た目の若さで接する態度を変えるような奴は、そんなこと気にせずに自分勝手にふるまうのではないだろうか。

「いや、でもおかげで俺だけ目の敵にされましたよ」

「アハハ!災難だったねぇ。今度何か奢るから許してね」

 男性が帰ってくる前に退散しようと、いそいそとキーをセットし、またがる。

「この後どうするの?また上に行く?」

 一匹女狼は、まだ走り足りない様だ。先ほどいた峠の頂上付近を指さす。

「いや、俺は帰ります。今日もバイトがあるんで」

 ヘルメットを被りながら、応える。

 え~、と横で一匹女狼が失意の声を上げる。

「まーたそんなこと言って。私またナンパされちゃうかもしれないよ?」

「いや、上の連中は一匹女狼さんの怖さ知ってるからそれはないですよ」

 肩を小突かれながら、和也はバイクを後退させ、駐車場の出口へと発進させる。一匹女狼も和也に続く。

 道の駅を出て少し先の交差点で、互いに頭を下げて別れる。ミドルクラスのバイク特有の甲高い音を立てて、彼女は上り坂を駆けていった。ミラー越しに見える彼女の後姿はまさに勇ましく、先ほどのナンパ目的の男性には到底追いつけないような姿だった。

 和也は、テンションの高い対向車線のバイクと手を振り合いながら、のんびりと帰路に着いた。

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