【6】 初めての二人乗り
ギャルだか不良だかよくわからない子、椎尾七葉は、和也の目の前のベンチに座って泣いていた。声は挙げていないが、目から流れる涙がホットパンツから伸びる白い太ももにポタポタとこぼれ落ちていた。
話しかけられたことで、もう無視することはできなくなった。周りからは知り合いかと思われているに違いない。はたまたは、彼女を泣かせている最低な彼氏。どちらに思われても自分には何の得もない。それに、彼女がなぜ自分に話しかけたのか全く分からなかった。せいぜい、昨日会ったばかりで、昨日話したばかりの関係だ。友達でも何でもないので助けられることなど何もないはずだが、何を思っているのだろうか。
「どうかした・・・?」
和也はたまらず訊ねた。話しかけてきたにも関わらず続きの会話をしようとしない彼女に戸惑いを覚える。
和也は、こういった経験がない。過去に彼女がいたことはあるが、こんな修羅場みたいな場面に遭遇したことがない。泣く女性の扱い方が全く分からない。そもそも、ここでなぜ自分が対処しなければならないのか。
鼻をすすりながら、七葉は和也を上目づかいで見つめた。いや、睨んでいるのだろうか。
「あんた、昨日の人だよね?」
当然、彼女も覚えているようだ。
「ま、まぁ。そうだね」
「見てた・・・?」
「は?」
「あたしがさっきまで言い合ってたの見てたかって聞いてんの!」
いよいよ、何のことかわからなくなってきた。
「言い合い?誰と?」
「彼氏とに決まってんじゃん!」
彼氏?
和也は周りを見渡すが、今この場の彼氏のものらしき影はない。
そこでふと気づく。
「彼氏って・・・、さっきの車のことか・・・?」
先ほどのうるさい車の事を思い出し、それの事を言っているのかと思い聞いてみた。不機嫌そうにうなずいたので、その車の運転手が彼氏ということになる。
「いや、何も見てないよ。俺さっき来たばっかりだし」
正直に言ったつもりであったが、七葉は疑っているようであった。何をそんなに気にしているのかは定かではないが、その言い合いとやらを和也に見られていたかもしれないことを恐れているように見える。
「なにそんなに気にしてんのさ・・・」
「・・・別に」
「ああそう・・・」
七葉はそっぽを向いてしまった。いい加減周りの目が痛いので、そろそろこの場を離れたい。
彼女が何を求めているのかを考えようともしない和也は続きを切り出す。
「そ、それじゃ俺は行くから・・・」
「待ってよ」
「今度は何・・・」
「ジュースおごって」
「はぁ?」
七葉は和也の素っ頓狂な返事に対して睨みをきかす。
しかし、ここでの和也の反応は至極まっとうなモノだろう。友達でもなければ知り合いという仲でもない。昨日会ったばかりの人物に、何故ここまで図々しくなれるのかが分からなかった。やはりこれも、こういった人種の特徴なのだろうか。
「ごめん。なんでかなぁと思ってさ・・・」
「今財布無いの。彼氏の車に置いてきた」
自分の財布を常に身に着けておかないずぼらさに和也は半分呆れ気味でため息をつく。
「何がいいの?」
「おんなじのでいい」
同じとは、和也が飲んでいる物ということだろう。
和也は自販機で紙コップに入れられる炭酸ジュースを買い、七葉に渡した。
「・・・ありがと」
七葉はボソッと礼を言う。
あまり他人のことを詮索しない和也であったが、この時ばかりは彼女に一つ聞いてみたいことがあった。
「なぁ、彼氏って言ったよな」
「・・・それが?」
「彼氏っていくつ?」
交差点付近ですれ違ったときにフロントガラス越しに見た男の容貌は若いように見えた。はっきりと見たわけではないので確証は持てないが、一匹女狼と同世代くらいに見えた。まぁ、一匹女狼の年齢自体は知らないが。
「・・・なんでもいいじゃん。そんなの」
なんだかヤバそうな感じがする。その彼氏とやらの年齢はアウトなのか否か。車に乗っているのでそれなりの年齢な気がするのだが。それに、あれほどの改造を施すには結構な費用が掛かりそうでもある。経済力から見ても、子供という年齢ではないだろう。
あまり関わってはいけない匂いがする。
少々引き気味でいた和也だが、それがモロに顔に出てしまっていたのだろう。七葉は怪訝な顔をした。
「・・・何?」
「・・・いや、なんでもない。」
自分の持っていた紙コップをくしゃっと握りつぶす。
「それじゃ、行くから・・・」
和也はそう言ってその場を去ろうとする。もう用はないはずだ。
「待って」
やっと一息つけると思った直後、呼び止められた。
「あんた、バイクでしょ?」
「・・・」
またもや、嫌な予感がする。
「送ってって。町まで」
「は?」
「後ろ乗せてよ」
和也に二人乗りをしろと言うのだ。
正直な話、和也は今まで二人乗りなどしたことがなかった。免許を取って一年は経っているので法的には問題ないはずだが。
「いや、そうじゃなくて・・・。何で?」
和也は身もふたもないことを聞く。
そう。問題は、法律がどうのこうのとかではないのだ。単純な話、何故見ず知らずの者を、自分の大切なバイクにまたがらせなきゃならないのかということだ。それに何度も言うが、和也と七葉は昨日会ったばかりだ。どうしてここまで図々しく、かつ軽々しく発言できるのか理解できなかった。
「帰る足がないからに決まってんじゃん」
当然な返事をする七葉であった。
「えぇ・・・。そんなん知らんし・・・」
そう言いながら周りを見渡す。こんな時間にも関わらずライダーは多く、車勢も結構いるように見えた。
「なんで俺なんだよ・・・」
和也は一匹女狼に群がるナンパ連中の事を思い出し、つい言葉に出してしまった。容姿はそこまで悪くないであろうギャルが頼めば、とにかく女と関わり合いたい男連中はまっさきに食いつくであろう。彼女を突き放す意図はなかったが、自分よりもまずそういった連中に頼んでほしかった。
しかし、つい言葉に出してしまったとはいえ、さすがの和也も失言であったとすぐに気がつき、彼女のことを恐る恐る見た。
「だっ、てぇ・・・」
みるみるうちに、七葉の目には涙が溜まっていった。
よくよく考えればわかることであった。この場に彼女の知り合いと言えば、和也一人しかいないのだ。知り合いと呼べるかどうかは和也からすれば怪しかったが、少なくとも今頼ることができる最初の相手は和也なのだ。こんな真夜中の森の中に一人で残された彼女からすれば、どれだけ心細かったことか。和也に声をかけたのは当然の選択であったと言える。
「待て待て、わかったから泣くなって・・・」
早くこの場から立ち去りたかった。せっかくの週末の楽しみがこんな形で濁されてしまっては多少の腹も立つ。しかし、こんな状態の女の子を完全スルー出来るほどのメンタルは、和也にはなかった。
「いや、でもなぁ。ヘルメットが必要だし・・・」
「グスッ、それなら彼氏が、置いてったやつがあるし」
鼻をすすりながら、彼女は横を指さした。ベンチのすぐ横にある車避けのポールの上にヘルメットが置いてあった。安全性の「あ」の字もないような半キャップのヘルメットだ。
「これでその辺のバイクにでも乗って帰ってこいって、言われた」
「・・・ずいぶんと気が利くことで」
人の財布は持って行ってしまうくせに変なところで気が利く彼氏に、他人ながら苛立ちを覚えた和也は半キャップを手に取り、七葉を見た。
彼女はバイクに乗るにはあまりにも軽装であった。半袖半ズボンなんて論外であり、しかも足に履いているのはサンダルであった。万が一にでもバイクが転倒したら、間違いなく、その綺麗な肌はズタズタになるであろう。いや、それで済めばまだいい方だ。バイク用つなぎを着て大したスピードが出ていなくても、死ぬときは死ぬ。
「本当に俺でいいのね?車の方が安全だと思うけど?」
駐車場の車を見ながら聞いた。車であれば、バイク程の交通上の危険性はない。一応は車を進める気で聞いてみたが。
「いい。バイクならいつも乗ってるし」
「・・・わかったよ」
前に見た族車の連中のことを言っているのだろう。いつも族車に乗っているから車でなくてもいいと言う彼女の理屈はよくわからなかったが、彼女が和也を頼ることにしたのなら、それでいいのだろう。和也からすればいい迷惑だが。
初めての二人乗りがかなり気を使うことになりそうなので、和也は気が重い。あれだけ軽装なので、絶対に転ばないようにしなくてはというプレッシャーがのしかかる。普段彼女が乗っている連中がどういう運転をするのかは知らないが、和也はとにかく安全運転を心がけようと思った。自分一人で転ぶならまだいいが、後ろに人を載せるというのは、その人の命までも預かるということ。
和也はバイクのもとに戻り、バイクのキーを指した。
責任はとれないくせに重大な責任を負ってしまったという矛盾に嫌気がさし、ため息をつく。そんな和也の気持ちなど知ってか知らずか、七葉は礼も言わずに傍に突っ立って和也のバイクを眺めている。
「これって速いの?」
バイクを知らない人がよく聞いてくることを、彼女も述べた。
「いや、そんなに速くないよ。レプリカと比べたらね」
「れぷりか?何それ」
「そういうカテゴリーのバイクだよ。スポーツ走行を前提にしたようなバイクのこと」
「へぇ、そんなバイクがあるんだ」
言っても分からないだろうから、和也は適当に答える。
ヘルメットを手に取って被る。七葉はすでに半キャプを被っていて、シートを触っていた。
「俺、二人乗り初めてなんだよね・・・」
ボソッと呟いた。せめて少しでも自分に気を使ってほしいと思っての発言であった。
「え?そうなの?」
「うん」
「ふーん。じゃあ、あんたの初めてはあたしがもらうんだね」
のんきにヘラヘラしながら意味の分からないことを言ってくる。自分の発言の真意に気づいてくれない彼女に少し苛立ちながら、和也は聞こえなかったふりをしてバイクにまたがり、後ろ足で後退させた。
「ほら、乗って」
七葉は和也の後ろに乗った。
「家の近くのコンビニまで送ってくれればいいから」
後ろに乗った七葉はそう告げた。和也は頷き、そのコンビニまでの案内をお願いした。
漫画やドラマでは、前に乗る男が後ろの女性の感触や存在にドキドキしてしまう描写がよくあるが、和也はそれどころではない。身に着けている装備のおかげで後ろの女性の感触なんて何も伝わってこない。女性の存在を意識してはいるが、それもまたドキドキとは違った意識である。
ギアチェンジやブレーキにいつも以上に気を使いながら、駐車場を出る。自分でも慎重すぎるかなと思ったが、これでいいのだろう。バイクに乗る以上は、特に二人乗りをするときなんかは、臆病になるぐらいが丁度いい。
いつもの走り慣れている道が、緊張と疲れであまり楽しくなかった。
後ろに座っている七葉がどんな気持ちで乗っているかは分からなかったが、少なくとも和也は楽しくはなった。これが昼であったならば、また変わった感想になるのかなとも思う。夜はやはり危険が多いと思った。後ろから猛スピードで走ってくる車、道端の動物たち、ラインを割って走る下手くそな一般ドライバー。街灯があまりない峠区間に入ると、バイクのライトだけでは心もとない。
ブレーキングの感触もいつもと違う。乗車人数が増えた分、ブレーキをいつもより少し早めにかける。七葉に負担をかけないようにゆっくりやさしくだ。ギアチェンジも、いつもなら気にもならない動作であるが、ぎこちなくならないようにスムーズにやれるように心がける。コーナーリングに関しては、七葉は慣れている感があった。まぁ、さすがにいつも族車の後ろに乗っているだけあった。バイクの動きに反するような行動はせず、流れに身を任せている。しかし、それでもやはり急なカーブは多少なりとも怖いのか、和也の腰をつかむ両腕に力が入っている。
終始、安全運転に徹した和也は山を抜けた。高速道路の下をくぐり、とある私鉄の終点駅のある町を抜け、行きついたのは和也の住む町であった。和也がいつも利用する駅から2.6キロほど先にあるコンビニまで、和也は指さしで案内された。バイトから帰る和也がよく立ち寄るコンビニであった。
(家この辺なのかよ・・・)
てっきり、案内されるコンビニは初めて会った別のコンビニなのかと思っていた。家の近くのコンビニと言っていたので、七葉の家はこのあたりにあるのだろう。生活圏が被っているということであった。
町中にあるコンビニにしては広い駐車場にバイクを滑り込ませ、端っこの方に止めた。エンジンを切るとともに和也はバイクから降りた。
未だにバイクにまたがったままの七葉はヘルメットを脱ぎ、顎ひもを手にぶら下げた。
「・・・ありがと」
七葉は小さい声で礼を言う。一応の礼節はわきまえているらしい。
今度こそもう用はないはずなので早く降りてほしかったが、先ほどの道の駅での失言を思い出し、余計なことは言わないほうがいいと思った。こんな町中で泣かれたらたまったもんじゃない。
「あのさ・・・」
「うん」
「・・・今日のこと、誰にも言わないでよね」
下を向いて、彼女はそう言った。顔は心なしか赤いように見えた。
この子がさっきから気にしていることはこれかと分かった。普段なら特に気にもしない相手だが、さすがに彼氏と喧嘩しているところや泣いているところを見られて恥ずかしかったのだろう。いや、喧嘩は見ていないというのは和也からすれば本当なのだが、七葉は信用してはいなかったらしい。自分の痴態を他の人にばらさないでほしいということであろう。
「言わないよ。そんなことしても俺になんの得もないしな」
「あぁそう・・・」
七葉はまだバイクから降りようとしない。
「あたしさ、よくこういう喧嘩するんだよね。彼氏と」
何も聞いていないのに語り始めた。ヘルメットを指でいじりながら、胸の内を吐き出すようにボソッと言う。
「そうなんだ」
「置いてけぼりにされたのは初めてだったけど・・・」
それはそうだろう。彼女を置いてけぼりにする彼氏などそうそういない。こんなことを普段からやるような男と付き合うなど、正気を疑ってしまうだろう。
「なんでかなぁ。やっぱり合わないのかなぁ、あたしたち」
「・・・」
「付き合って一年経つんだけどね」
よくもまぁ一年ももったなと思った和也だが、口には出さない。
和也は気の利いた返事ができないが、彼女は特に何かを言ってほしそうな雰囲気ではないので、そのまま聞き役に徹していた。
「はぁ・・・」
七葉はため息をつき、ヘルメットを手でポンポンと叩いている。行き場のない悔しさかむなしさか、哀れな姿が街灯に照らされている。
「もう行くね」
しばしの沈黙の後、彼女はそう言ってバイクから降りた。
「じゃあね」
そう言って、駅と逆方面にある交差点に向かって歩いていった。
和也はやっと一息付けた気がした。どっと疲れが押し寄せる。足が重い。
メーターにデジタルで表記される時計を見てみると、もう午前1時を回っていた。いつもならもっと早く着くのだが、今日は時間がかかった。
自分ももうさっさと家に帰りたかった。
和也はバイクにまたがり、その場を後にした。
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