【5】 嫌な予感の的中

 なぜこうも、嫌な予感というのは当たってしまうのか、和也は分からなかった。昔からこうだ。母親に免許の事がバレた時も、学校のテストで自分的にはよくできたつもりでも何故か胸騒ぎがした時も、バイトでレジでの操作に不手際があった時も、みんなそうだった。嫌な予感というのはなぜか当たる。まぁ、自業自得と言えなくもない場面もあるにはあるが、それでも、この嫌な予感というのが外れた記憶がない。

 目の前には、あのギャルなのか不良なのか分からない少女の椎尾七葉がいた。目にはいっぱいの涙をため、目は充血し、鼻をすすり、見るも無残な姿だった。正直、笑ってしまいそうになったが、そんなことをしたら後で怖い目を見そうなのでこらえる。

 今この場に一匹女狼さんがいなくて助かった。彼女がどんな感想を抱くかは分からないが、少なくともいい顔をしないだろう。いろんな意味で。

 周りの目を気にしながら、和也はうんざりするように空を見上げた。今日はやっぱり、江の島にでも行けばよかったと後悔する。



 バイト終わりの麗奈との夕飯を終え、家に帰ってやっぱり母親に嫌味を言われながら、和也はバイクで走りに出た。いつも以上に眠かったので、峠に入る前のコンビニで20分程度の仮眠をとった。午前0時を過ぎると、その日の営業を終わりにして駐車場も閉鎖してしまうが、この時間帯はまだ開いていた。

 土曜の夜というだけあって、この時間でも車やバイクの通りは意外と多く、目が覚めた後でもまだ車どおりは多かった。和也は群れて走ることは滅多にしないが、それでもやはり自分以外の人たちがいて、その人たちがその場の空気を盛り上げてくれるのは嫌な感じはしなかった。やはり、完全に孤独で走るというのは少し寂しいものがある。

 まだ眠い目をこすりながらバイクにキーを指し、走る準備に入る。伸びをした時、声がかかった。聞き馴染みのある声であった。

「今日も走りに来たんだ」

一匹女狼であった。すでに走ってきた後なのか、額にはほんのり汗がにじんでいた。

「おお、女狼さん。お疲れ様ッス」

「うん。先週も来て今日も来るとか、物好きだね」

「自分でそれ言いますか」

 女狼の手には肉まんが二つ収まっていた。割と大食らいらしい。その割にスレンダーな見た目なので、陰では努力しているのかもしれない。

「君は今から?」

「はい。女狼さんはもう帰る感じですか?」

「うん。今日はタイミングが合わなかったみたいね。いやぁ残念だなぁ」

言葉で煽るように、ニヤニヤしながら言ってくる。

「またそうやって煽る気で・・・」

「あはは!違うって!本当に一緒に走りたかったんだよ!」

 実際のところ、和也は女狼の本気の走りというモノを見たことがなかった。いや、公道でそんなことをする必要は全くないのだが、普段、一緒に走っていると彼女はやはり手を抜いて走っているようにしか見えなかった。走る峠にもよるのだろうが、少なくともこの峠の夜のペースは和也と同じだと言う。

「これ半分あげるから怒らないで」

 笑いながらそう言って、手に持っていた肉まんを半分に割って和也によこす。食い意地は張らないらしい。

 正直、腹は全く減っていなかったが、せっかくくれるのでもらうことにする。

「ありがとうございます」

「うぅむ」

まだ熱が残る肉まんの半分にかぶりつきながら、女狼は変な声で返事をする。見た目はきれいな人なのに、こういうところは豪快な人なんだと思う。人は見た目に寄らないものだ。

「そういえば・・・」

 口の中の肉まんを飲み込んでから、女狼は切り出した。

「今日、変な車がいたから気を付けてね」

「変な車?」

「うん。まぁ一言でいえばヤン車?とでも言うのかな?車高が異様に低くてね。音も下品でさ。蛇行運転とかして前の一般車を煽ってんのよ、このご時世にさ」

 今の時代、車にドライブレコーダーをつける車が非常に多くなっている。煽り運転などすれば、怯えた一般車が警察に通報して、煽り運転をした者はすぐにでもお縄になるだろう。一般車を煽るなど言語道断だが、その辺の危機管理能力がないあたりが車高の低さに比例しているのかなと思った。

「ふぅん。この辺にそんなのがまだいたんスね」

「ホントにね。前にも一度見たきりだったんだけど、今日はなんか現れたみたい。私は絡まれることはなかったけど、君も気を付けてね。あんな連中相手にすることないから」

「はい。気を付けます」

 肉まんの残りを飲み込んで、ヘルメットを手に取る。

「女狼さんも、もう一往復しますよね?」

 さっきの仕返しとばかりに、彼女に挑むような、からかうような声で言う。

「んにゃ、私はもういいよ」

 残りの肉まんの紙包みを取りながら、和也の挑発を受け流すように女狼は手を振った。

 ヘルメットをかぶった和也は後ろ足でバイクを後退させ、エンジンを始動させる。ギアを入れる直前、女狼に近づいてくる男の影が見えた。それだけで分かった。またナンパだ。前に彼女にナンパしていた連中とはまた違った連中だ。

 その男たちの影に気が付いた女狼は、肉まんにかぶりつきながら助けを求めるように和也を見た。

 和也はヘルメットのシールドを挙げ、笑顔で彼女に向かってグッと親指を立てた。

 女狼の変なうめき声のような訴えを聞きながら、和也はコンビニを出た。



 いつもの道の駅の交差点を曲がるとき、信号無視の車が大きくラインを割って曲がってきた。雰囲気でなんとなく察知できた和也はとっさに端っこを走っていたのでぶつかることはなかった。運転手はというと、自分が悪い癖にクラクションを鳴らしながら和也を睨みつけて走り去って行った。こんな夜中にクラクションとか迷惑極まりないと思いながら道の駅に入っていった。先ほどの車、見たところ女狼の言ってたヤン車だと分かった。異様に低い車高で、マフラーの音も大きかった。いかにもなセダンの車でライトの光は青く、こんな車がよく警察に捕まらないで走っていられるなと思った。

 駐車場にバイクを止めた時、その場の空気が少し違うことに気が付いた。いつもの週末のようにちらほら人はいるが、何かを気にしているような、そんな空気が漂っていた。

 今この場にいたばかりなので何のことか分からない和也は、頭に?マークを浮かべながら、ひとまずトイレに駆け込んだ。

 トイレから出た和也は自販機に向かい、お気に入りの炭酸ジュースを買ってその場で一口飲んだ。暑さで火照った体に染みていく。

 人が多くいるにも関わらず、何故か空いていたベンチに腰掛けた。

 空を見上げる。空模様は良好。帰りも問題なく帰れそうだ。

 スマホを出してSNSを見ていると、女子トイレから一つの影が出てきた。和也はチラッとその人を見た。下を向いているので顔は見えない。髪は長い茶髪。白いホットパンツに肩を出したシャツを着ていた。

 その人は、和也と離れたベンチに座った。未だに下を向いているのが、横目で分かった。

(こわ・・・)

 髪が長いだけあって、幽霊に見えなくもない。下を向いているので怖さに拍車をかける。

 怖さを紛らわせるためにスマホで犬の動画を見ていると、女の人のすすり泣く声が聞こえてきた。びくっとして横を見てみると、やはり泣いていたのは彼女であった。時折、肩を震わせている。

(こわ・・・)

 さっきと同じことを思う。彼女の足を見てみると透けてはいないので幽霊ではなさそうだが、それでも女の人が一人で闇夜で泣いているのを見るのは生きた心地がしない。

 いつも一匹女狼にナンパしているような連中が、今日は大人しくしている。役に立たない連中だと、心の中で悪態をつく。こういう時こそ、男たちの出番だろと思いながら駐車場の方を見ると、他の連中は彼女と目を合わせないようにしているようにも見えた。

 自販機の音がブーンと響いている。その音が異様に響いているようにも聞こえた。共鳴するように、女の人の声が小さく聞こえる。

 居心地が悪いと思った和也は、川の方へ行ってみようと思い、立ち上がる。

 なるべく存在を消して彼女の前を歩いた。のだが―

「ねぇ」

 和也はまたびくっとした。

 無視すればいいものを、和也は足を止めてしまった。それをごまかすかのように、和也はわざとらしく咳をして、同時にストレッチをしてみる。

「ねぇって。何してんの」

 話しかけている相手を確認するために、和也は彼女の方を向いた。

 その人は、さっきと違って少し顔を挙げていた。垂れる髪の隙間から、彼女の顔が見えた。

 見覚えのある顔だ。というより、つい昨日見たばかり。今日の麗奈との夕飯で話題に出した子。怖いので、和也がもう会いたくないと思った子。

 椎尾七葉が目の前にいた。

 

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