私は何を見せられているのですか?
どうやら俺は川に落ちなかったらしい。それどころか、今、俺は一織に覆い被さるような体勢で……頬を撫でられている。
何から言おうか。それが問題だ。
まず最初に浮かんだのはどうしてここにいるのかという質問である。
しかしそれは俺が一番言いたいことではないような気がした。
「ありがとう、一織」
結果、口にしたのは感謝の言葉。今、川に落ちて服をびしゃびしゃに濡らさずに済んでいるのは一織のおかげだ。
それに一織はふふんと得意げに笑う。
「どういたしましてなのだよ。しっかり恩を感じてね?」
「はいはい、分かってるよ」
顔が近いこともあって少しドキドキしていたが、普段通りの一織の受け答えに俺も気持ちが落ち着いて来た。
だが冷静になったことで状況を把握し始める。いや、把握してしまった……。
……俺は現在一織に覆いかぶさり、それを後輩に見せている。
「あの……私は何を見せられているのですか……?」
「見せたくて見せているわけじゃない。すまん、すぐに退く」
先に立ち上がり、一織に手を伸ばす。それを掴んだ手を引っ張って立ち上がらせる。
とりあえず、怪我はしていなさそうだ。
「えっと……その……助けて頂いてありがとうございます塚本先輩」
「ほんと、気をつけろよ」
「うぅ、面目ありません」
怒られて縮こまる友垣はどこか小動物みたいに見えてくる。つまり、それ以上怒りにくいということだ。
さっきまでグチグチと怒られていた腹いせにこってり絞ってやろうかと思っていたのだけど諦めるか……。
「まぁ、お互いなにもなくて良かったし、俺とお前の話はこれで終わり」
「ですが!」
「ですがもいらない」
「うぅ……」
これ以上責めないと決めた以上、友垣と問答するつもりはない。
「それで、改めてありがとう」
「いえいえ、私は千利君の幼馴染みですから」
「幼馴染みは関係ないだろ」
「おっと、それはどうかな?」
自信満々にチッチッチッと人差し指を振るもんだから一度、幼馴染みと俺を助けたことについて考えてみる……が、やはり。
「いや、やっぱり関係ないな」
「えー、本当にあるのになぁ」
「ないない」
「じゃあどうして私がここにいるのか分かる?」
一織がここにいる理由?
そういや、なんでコイツここにいるんだ?
最初に浮かんだ疑問が返ってきた。
「萩井とラ……じゃなくて、掃除してたんじゃ……」
危ない危ない。危うくラブコメしてたんじゃないかと言いそうだった。
「うん、してたよ」
「で、その萩井は?」
辺りを見渡しても萩井がいる様子はない。
「置いてきた」
「あぁ、置いてきたのか……置いてきたの!?」
「うん、あとで謝らないと」
謝らないとと言う割には全然反省も後悔もしているようには見えない。むしろてへぺろとか死語を言い出しそうな軽さだ。
何が理由だ?
途中で掃除が嫌になった……はない。一織の性格上、生徒会長とかほどではないにしろ、責任感はある方だ。
じゃあ萩井に何かされた……?
「おい、一織!」
「ひゃっ、な、何かな!?」
「まさか、萩井に何かされたのか?」
「うーん、されてはないかなぁ」
なんだその微妙な答えは。されてないなら……まさか……。
「なにか……したのか……?」
本来ならば、一織が何かしたのならばそれは一織の意思であり、俺が介することではないはずだ。
しかし、ラブコメはヒロインを動かす。
主人公が何もしなくても、ストーリーが進むように、面白くなるように、ヒロインに何らかの事象を起こすのである。
それをハプニングと呼ぶ。
そして、その多くは……身体的接触を伴う!
「いやぁ、そんな大事でもないとは思うんだけどね。猫ちゃんが顔にわーってして来て、私がわーってなって、萩井君にどーんって」
「うわ、擬音語ばっかり」
友垣、気にするところはそこじゃない。
「どーんって……?」
「まぁ、それでちょっと抱きとめられちゃいまして……」
気まずそうに頬を搔く一織。
絵に書いたようなラブコメ展開。この接触の意味合いは大きい。
まず、これで相手にどんな印象を与えたとしても、少なからず異性として見始めるきっかけになる。そこからは物量か質かのどちらかでイベントを起こしてくるのだ。
分かりやすく言うならば、小さい出会いを何度も繰り返すことで関係を少しずつ近づける物量攻撃……もとい物量攻略。例を挙げるならば教室での会話や登下校を一緒にするなんかが該当する。
そして質の高いイベントというのが、二人に濃い一時を過ごさせ一気に親密度を上げるというものだ。こちらは極端に言うと遭難して山小屋に二人で避難したり、体育倉庫に閉じ込められたりである。
これについては吊り橋効果系のイベントが多いというのが通例だ。
この二つを合わせてラブコメはヒロインと主人公の間に絆を作る。
別のチームになった時点で覚悟はしていたが、一織の気持ちはどうなのだろう?
少なくとも一織は萩井を嫌ってはないと思う。
って、抱きとめられてんだもんな。
助けようとして逆に助けられてる俺なんかとは違う。
「それで、反射的にドンって押しちゃって。悪いことしなぁって……」
「え……?」
「そのあと、なんの説明もなしに飛び出してちゃってさ」
「ちょっと待て……」
「でも、仕方ないよ。急に千利君に会いたくなっちゃったんだもん」
……どういう……ことだ……?
「いやぁ、不思議だよね。自分でもよく分かんないけど……会いたい時に会う。これは幼馴染みだからできることだと私は思うんだ」
一織が分からない。行動も、言葉も。
「なぜならば、幼馴染みは一番近いからなのだよ」
俺は彼女のことをよく知っているが……実はよく知らないのかもしれない。
「え? 本当に私は何を見せられているのですか……? キレそうなんですが」
ごめんて、友垣。
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