味噌汁の隠し味
ぐぅーっとお腹が鳴り、時計を見ると十時を過ぎていた。
そう言えば昨日の晩も食欲がなくてほとんど食べてない上に、朝も抜いてしまったのだ。
腹の虫が鳴くのは当たり前か。
「お腹減った?」
「そりゃね。カップ麺でも作るよ。一織も食べる?」
すでに格ゲーからファンタジー系のRPGに変えていたゲームのコントローラーを置き、立ち上がる。
すると、扉の前に立ちはだかった一織がこう言った。
「うーん。それよりも幼馴染みの手作りご飯が食べたくないかね?」
一織の手料理か。昔はともかく、今の一織の料理スキルなんて全然知らない。
いや、待てよ? そう言えばバレンタインの義理チョコは手作りだった。
一織曰く、おばさん……一織のお母さんと一緒に作っているそうだけど、下手ではないはずだ。
「じゃあ……お願いします」
「おっけー、キッチン借りるね!」
部屋を出て階段を駆け下りていく一織の姿を見送り、今更ながらに自分がまだパジャマだったことを思い出して、着替える。
その時に制服に着替えるか、私服に着替えるかで悩んでしまい、結局、私服にした。
着替え終えてからリビングに向かう。キッチンにはエプロンを着けた一織が鼻歌交じりに包丁を扱っていた。
「それ……」
「あ、気づいた? 昔、よく千利君のお家にお泊まりしてた時、ママさんが私に用意してくれてたエプロン。場所変わってなくて良かったよ」
子ども用のエプロンはサイズがもう合っていないから体が窮屈そうだ。特に主張の激しい部分が……。
「母さんの借りれば良かったのに、キツいだろ」
「まぁね。さらし巻いてるみたい」
さらし……やはり胸が一番キツいらしい。
その間も一織はテキパキと料理を続けていて、家でも手伝ったりしているのか、慣れた様子だ。
「その……手伝うことあるか?」
「ふえ?」
「自分の家なのに作ってもらうだけってのはなんだか気まずいというか……」
料理はからっきしだけど、食器を出したりするくらいはできる。
そう思っての発言だったのだけど、一織はクスクスと笑い始めた。
「なんで笑ってんの……」
「だって千利君が手伝うとか、ふっ、ふふ」
「俺が手伝いは変か?」
「うん。キャラじゃないよね。それに、昔はよくママさんにお手伝い頼まれても嫌がってたから」
「その度、お前に引っ張られて手伝いさせられた記憶があるんだけど?」
それも母さんが一織に甘い理由である。いい子ちゃんぶってるとかじゃなくて、一織はマジでいい子ちゃんなのである。それでいてイタズラ好きな面もあり、そこが愛される部分でもあるというか……とにかくバランスが良い。
中学の頃の友人が一織のことを理想の友達と称していたのだけど、まさにそんな感じ。俺からすれば理想の幼馴染みってことになるかな。
「じゃあ、味見して欲しいな」
「それは手伝いじゃないだろ」
「だって千利君のために作るんだから、千利君の口に合わなきゃダメでしょ?」
さらっと俺のためなんて言われたら断れない。
一織の隣に並ぶと、小皿に味噌汁を注いで渡してくれる。お腹が減っているからか、余計に美味そうな匂いがしてきて、ゴクリと生唾を飲み込んだ。
「どうぞ」
くいっと一気に飲み干すと、その美味さが口いっぱいに広がって、思わず一織の顔を見た。
「どうかな?」
「すっげー美味い。もう一杯」
「あはは、飲み物じゃないんだから。後でね」
味噌汁なんてどの家庭も味噌や具の違いくらいでどれでもそこそこ美味いくらいだろうと思っていたのだけど、間違っていたみたいだ。
「本当にうちにあった材料だよな?」
「そうだよ? ちゃんとママさんには許可もらってるからね」
「そんなのは別にいいけど、同じ味噌でこうも母さんのと変わるものなのか……」
「あー、ちょっと隠し味もあるからね」
隠し味……どんな隠し味なんだ……気になる。
「なんて、そんなものないない。お味噌汁を美味しく作るコツは、丁寧にすること、ちょっとしたひと手間を面倒がらないことの二つだけなのだよ」
ドヤーっと不敵に笑う顔を目を丸くして見つめてしまう。
「まぁ、お母さんの受け売りだけど」
「じゃあ神原家ではこんな美味い味噌汁が飲めるのか……。俺、神原家の子どもになるわ」
「って、おいおい。ママさんのご飯も美味しいでしょ?」
「そうかぁ? 確かに不味くはないけど……」
こんなにも美味しいかと聞かれると微妙だ。
「きっと味に慣れちゃってるからだね。たとえば千利君が結婚して、この家を出て行ったらママさんのご飯がきっと恋しくなるよ」
「なんだそれ……」
来るかどうかさえ分からない未来のことを言われてもピンと来ない。
恋人さえいないのに……。
告白失敗したし……。
あ、変なスイッチを押してしまった気がする。
胸の内から段々とモヤモヤした暗い感情が湧き上がって来て思考がマイナスに向かう。我ながら未練がましいとは思うけど、昨日の今日なので許してもらいたい。
「そんなに暗い顔して、しょうがないなぁ。はい、どうぞ」
目の前にさっきの小皿が差し出される。
「なにこれ?」
「だから、もう一杯」
「……あぁ」
さっき、味噌汁をもう一杯って言ったからか。暗い顔してしまったのは俺が悪いけど、まさかおかわりをもらえなかったから暗い顔していると思われてしまったのなら心外である。
……もらうけどさ。
「ふふ、やっぱり隠し味あったかも」
俺が飲み干す姿を見ていた一織が口に手を当てて笑う。
「やっぱりあるのかよ」
「うん。誰かを思って作る気持ち。この場合は、私が千利君のためだけを思って作ったから、愛情独り占めだよ」
もし今、味噌汁を飲んでる最中だったら吹き出していたに違いない。
いつもの冗談や悪戯の類いなのだろうけど、悪ふざけが過ぎると思う。
「お前なぁ、外でそんなことばっか言ってるといつか痛い目見るぞ」
「大丈夫。千利君にしかしないからね」
「それはそれで問題ありだ」
以前、うちの母さんが悪戯が成功した時の一織ちゃんは輝いていて可愛いなんて言っていた。俺はいつも悪戯をされていた側だから、たまったものではなかったが……にししと歯を見せて上目遣いでこちらを見る姿はなるほど確かに可愛いなと思ってしまう。
「おっと、こんなことしてたら千利君のお腹の虫がぐーぐー鳴いちゃうぜ。さぁさぁ、キッチンは私の戦場だよ。出てった出てった」
背中を押されてキッチンから追い出されてしまう。
モヤモヤした感情はいつの間にか薄れていた。
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