初めてのズル休み

「死にたい……」


 朝、目を覚ましてからの一言目がそれだった。自分でも驚くくらいに沈んだ声で、多分、目は虚ろ。

 ベッドから出てくるのさえ億劫で、その動きも緩慢なものとなる。


 思い起こされるのは昨日の告白で、一晩経った今もその傷は癒えない。癒えるはずがない。

 そんな簡単な気持ちではなかったから。あるいは、そんな軽いものではなかったと思いたいだけかもしれないけれど。


「今日、休もうかな……」


 布団の中に潜り、それだけで外界からシャットアウトした気分になれるのだから不思議なものだ。


 すると、部屋の扉が開く音がした。きっと母さんが起こしに来たのだろう。

 仮病を使おう。今日は絶対に学校に行かない。


 布団の上から揺すられる。母さんにしては珍しく優しい起こし方だ。

 いつもなら思いっきり引っ剥がすくらいのことはしてくるだろうに。


「今日は体調が悪いから休む」


 言ってから、今まで一度もズル休みをしたことがなかった俺に罪悪感が小さな棘のようにチクリと胸へと刺さる。

 心配されるか、怒られるかのどっちかの反応を予測していたが、その予想がまったくの見当違いであることに気がついたのは声が聞こえてからのことだ。


「え? 千利君休むの? ズル休み? んー、じゃあ一緒に休もうかなぁ」


 それは明らかに母さんの声ではなかった。

 ガバッと布団をどかしてその声の主を見る。


「一織……」

「おはよう千利君」


 にぃっと口角を上げて笑う姿はイタズラに成功した子どものようで、部屋に入ってから声をかけなかったのはわざとであったのだと気がつく。


 彼女の名前は神原かんばら一織いおり。近所に住んでいて、俺が幼稚園で一織におままごとを強要されていた頃から親同士が仲が良く、なにかと一緒に行動していた……いわゆる幼馴染みというやつだ。


 中学からは一織がテニス部に入部したことで一緒にいる時間が減ったが、仲が悪くなるとか、距離が遠くなるとかではなく、むしろ休みの日などに家に遊びに来る頻度が増えたくらいである。


 高校生になってからはクラスが別れたこと、そして何より俺が意識的に蔵内さんの目を気にして距離を置いていた。というのは建前で、実際はこの一年間、なにかと俺の恋路を応援してくれていたことを知っている。

 さりげなくファッション誌を俺に渡してきたり、蔵内との接点を作ってくれたりと、本当に世話になった。

 それだけに今会いたくない人の一人でもある。


「どうして一織がここに……」

「そりゃもう幼馴染みの役割をしに来たのですよ」


 と大変よく育った胸を突き出して揺らす。彼女を異性として意識したことはほとんどなかったけど、その二つの凶器は危険だと思う。


 にしても、幼馴染みの役割というものにまったくこれっぽっちも心当たりがない。


「なんだよ、幼馴染みの役割って」

「そうだねぇ。色々あるけれど、まとめてみると、傍にいることかな?」


 どうして言った本人が疑問符をつける。しかも、やっぱり理解できなかった。

 もし同情してくれているのなら、傷口に塩、泣きっ面に蜂というやつだ。


「傍にいるって……」


 昨日のことが思い返される。蔵内は手紙でこっそり呼び出したはずなのに、あの場にいた一織。恥ずかしい姿を見せてしまった。

 それだけじゃない。一織の言葉は優しく胸に響き、また甘えてしまった。


「あぁ、死にたい」

「うわっ、ゾンビみたいな顔になってる。ほら、横になって横になって、ママさんには私から説明しておくから、ね?」


 恥ずかしさで死にたくなっていると、それに驚いた一織が俺をベッドの上に優しく倒す。


「いや、でも学校に行かなきゃ……」

「さっき仮病で休もうとしてたのに?」

「それは……一種の気の迷いみたいなもので……」


 本音を言えばこれ以上、一織に情けない姿を見せるのが嫌なのだ。


「あのね、仮病ってさ、病気なんだと思うよ」

「はい?」

「物事には理由があると思うの。問い詰めていけば原因があって、その原因が仮病って結果に行き着く。病気も同じ」


 一織の言葉はよく分からなかった。だって、理由なんてなくても仮病するやつはすると思うから。


「ほら、重病人は寝た寝た」


 いつの間にか重病人にされてしまい、一織は部屋を出て行く。

 このまま言われるがまま仮病するべきか、それとも逆らって学校に行くべきか、正しいのはどちらかなど分かっているくせに、思考がふらふらと行く行かないを行き来する。


 そんなことを考えている間にコンコンと扉がノックされてから一織が戻って来た。


「ドアノックするなら最初に入って来た時もしろよ」

「それはそれ、これはこれなのだよ」


 フフンとドヤ顔するのがやたら似合っていて、怒る気にもならない。


「母さんは……なんて?」

「ママさんはお仕事に行くってさ。あと、私も一緒に休むって言ったら、よろしくされたよ」


 よろしくって……母さんって昔から一織に甘いんだよなぁ。


「そんなわけに行くかよ。俺のせいでこれ以上お前に迷惑かけられるか。ほら、学校行くぞ」


 今からじゃ少し遅刻してしまうかもしれないけど、仕方がない。


「いいえ、行きません」

「はぁ!? 馬鹿言うな。すぐに着替えるから外で待ってろ」

「んー、あ、ゲームしよう。さーて、ゲームはどこかなぁ? 千利君のお部屋は久々だから勝手が分からないや。間違ってお宝本を見つけちゃうかも。にっしっし」


 慌てる俺を放って棚やベッドの下を覗き込む一織。本気で学校に行かないつもりらしい。

 ここまで来たら逆に一織が学校に行きたくないだけじゃないかと疑ってしまうが、一織はそんなやつじゃないことを知っている。


「うーん、こっちの本棚の裏とかかなぁ?」


 それもうゲームじゃなくてエロ本探してんだろ。


「……クローゼットにあるダンボールの中」

「お? そこにお宝本が?」

「違ぇよ、ゲームだよ!」

「あぁ!」

「一瞬で目的忘れんなよ」


 一織はそんな会話も楽しむように笑って、クローゼットを開けた。




「おー、千利君上手!」

「CPU相手に上手いも下手もないよ」


 もう一時間は経ってしまっただろうか。今から学校に行っても一限目は終わっているだろうし、流石にこんなに遅れてから登校する気にはなれない。


「ってか、一織も一緒にやればいいだろ」

「私は下手くそなのですぐに死にます」

「なんでそんな自信満々なんだ……」


 俺の部屋にあるゲームで二人で遊べるのなんて格ゲーくらいだが、一織は自分でせずに俺にさせていた。

 ゲームをしようと誘ってきたのはそっちの癖に、どうして俺だけ……一織がなにをしたいのか不思議だ。


「それに、昔はそうやって千利君がゲームをしていたの、横から見てたから……なんだか懐かしいなぁって」


 ふと、隣を見ると、三角座りをしていた一織は自分の立てた膝に頭を乗せて、俺のことをじっと見ていた。

 手で抑えていても、スカートが少しだけズレていて白い太ももに目が行ってしまう。慌てて画面に視線を戻したけどバレてないよな?


 一織の視線は画面に向いており、多分大丈夫……のはず……。

 とにかく動揺が悟られないように、無言でゲームを進めるのであった。

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