第2話 怪獣
今この女が口にした、タマユラ・スオウってのは私の名前。
何で知ってるんだ?
自己紹介をした覚えはないし、身分証明ができるようなモノなんか持ち歩いてもない。
「ずいぶんと前から観察させてもらってたよぉ。ひどい生活をしてるよねぇ」
「それって……犯罪」
「……たとえヤクザからでも、金を盗んだら犯罪なんだよぉ。スオウちゃん」
マジか、初めて知った。でも相手は無法者だし、誰も責めないだろう。
「そんなことより大事な話があるんだよぉ……」
引きずりそうなほど大きな白衣の胸ポケットからスマートフォンを取りだし、私に画面を向けてくる。
「これのことなんだけどねぇ」
画面には、あの大トカゲが写っていた。印象的だったので見間違えるはずはない。
画面の中のヤツは、赤い血の池に倒れ伏していた。
「スオウちゃんを襲ったコイツはちゃーんと駆除しておいたからぁ、安心してねぇ。まぁ、コイツを駆除するついでに君を助けたんだけどぉ」
「私がついでだと!?」
人が恐怖に呑まれそうになっていたのに、それを優先しないだなんて、ひどい。血も涙もない。
「あぁついでだよぉ。ついでの割りには上玉だからぁ眠らせてここに連れてきたのさぁ」
「眠らせたのもアンタか!」
刺さった注射器っぽいアレ、とっても痛かった。
「正確には隣にいた狙撃役の人さぁ……何をそんなに怒ることがあるんだぁ? 顔が赤いねぇ、血が昇ってるのがよくわかるよぉ」
むしろ怒る理由しかないだろうに。
怒る理由がわからない方が不思議だ。
「まずここはどこ!? そして私に何の用事があるって言うの!?」
「あぁ聞きたいよねぇ、じゃあちゃんと説明してあげるよぉ。なんとここはねぇ……」
女が説明しようとした瞬間、けたたましい警報が鳴り響く。
「あーあぁ、タイミングに恵まれないねぇ。仕方ないかぁ……一緒に来てもらうよぉ?」
面倒くさそうに女はうっすらと笑いながら、こっちを見てきた。
「いやいや待ってよ! まずは質問に答えてよ!」
「来ればわかる」
説明を放棄すんな。
女は一気に近寄ってきて、私の腕を掴んでくる。
振りほどこうとしてもまったく無駄だった。やたらとパワーがあったせいだ。
きっとコイツは、人の女の皮を被ったゴリラだ。間違いない。
「そういえば自己紹介がまだだったねぇ。ルリミゾ・リアだよぉ、よろしくね」
「よろしくできるかァ!?」
なんで今なんだよ。
廊下をカツカツと早足で歩きながら、自己紹介なんてするもんじゃないだろう。
まったく腹が立つったらありゃしない。
「せめてどこに連れてくのかは教えてよ!」
強引に引っ張られているせいで、幾度となく足がもつれかかる。何度か転びそうになった。
その怒りもプラスされて、自分でも驚くほどの声量で質問した。
「強いて言うなら、戦場かなぁ」
「ここニホンじゃねぇの!?」
返答があまりに予想外だった。本当に戦場に連れてかれるなら、それは理不尽というやつだ。
「あっはっは、ニホン領海内の孤島だよぉ」
リアと名乗る女は笑うが、私はまったく笑えやしない。冗談を言い合えるような仲になった覚えはない。
「じゃあ戦場ってなんのこと?」
至極真っ当な質問。
リアはにこやかに、こう答えた。
「そこの出入り口から外へ飛び出せばわかるよぉ」
腕がもげそうなほど引っ張られ、無理矢理に私は外へと出された。
そこは周囲が見渡せる広いバルコニーだった。
清水寺の舞台ほど立派ではないが、それをリスペクトしているような近未来的デザインだった。
結構オシャレかも。
「……えっと?」
外の景色は曇り空と森と土。それだけだ。
ハゲになりかけの貧相な山。私はその頂上にある建物にいたらしい。
「どこ見てるぅ? もうちょい上だよぉ、空を見てごらんなさぁい」
私の後ろ手を掴んでいるリアがそう指示してくる。
大人しく従っておく。機嫌を損ねて手をへし折られたらたまらない。
「ありゃ……嘘でしょ?」
空に、生き物がいた。
この世には、存在しないはずの生き物だ。
あまりの衝撃と恐怖で、身がすくむ。
「本当さぁ、実在してるんだよぉ。あれに比べたらスオウちゃんが出会ったのなんて、ただのトカゲみたいなもんさぁ。一応は同種だけどねぇ」
ごもっともだ、返す言葉もない。
あの大トカゲに追われていた時、命の危機を感じていた。甘かった。
だが空にいるあの怪物を見てしまったせいで、大トカゲへの恐怖など矮小なものだとわかった。
でも、まだ信じられない。
非現実が確かにそこにいる、受け入れざるを得ないのに。
「ホント、嘘でしょ……だってあれは」
「ドラゴンだよ」
「あっさり言ってくれるな」
一匹の翼竜がこっちに向かって飛んできている。全長40メートルはある巨体が、巨大な翼を羽ばたかせて直進してきている。
ファンタジー映画や絵本やライトノベルとかに登場するような、強面のドラゴン。
ああいうのは、実在の生き物じゃないはずだ。
マジにいるなんて思いもしなかった。夢なら悪夢だ、今すぐ覚めてほしい。
「ドラゴンは敵さぁ。時空を越えてやってくる異世界から敵ぃ。ヤツらは人類を一人残らず綺麗サッパリ皆殺しに……滅ぼすつもりでいるんだぁ」
何を語りだしてるんだ。
時と場合を考えないのか?
「ここはそんなドラゴンを駆逐するためにぃ、極秘な研究と兵器開発を行う国の暗部……『ルリミゾ研究所』さぁ!」
いや、悠長に喋っている場合ではないと思う。
あのドラゴンがここを攻撃しようとしてるなら、一目散に逃げるべきだ。
「逃げ道はどこ!?」
我ながら情けない声で、リアに問いかける。
「逃げなくていいよぉ」
何を言ってるんだ?
自分でドラゴンが敵だと言ったくせに、何を余裕ぶっこいて突っ立っているんだろうか、このリアという女は。
というか、さっきからずーっと掴んでいる私の右腕を離してほしい。
「そんなビビらなくていいよぉ。心配なんかしなくても、ちゃんと倒せるから大丈夫ぅ」
「どうやってだよ!」
周囲に防衛設備らしきものは見当たらない。銃など武器を持った警備員の姿もない。
どう安心しろっていうんだ。
リアの眼は、あのドラゴンの大きさがちっとも測れないらしい。大きいとはそれだけで驚異だ。
「あのデカブツドラゴンがこっちにぶつかってきたら、こんなところはぶっ壊れて、その後に崩れるんだよ! つまりグチャッて死ぬ! 私は肉片!」
「平気だってばぁ」
早口で捲し立てるも、リアは変わらず落ち着いていた。どうかその落ち着きを分け与えてほしいものだ。
「深呼吸しなよぉ。もうすぐ来るからさぁ、我らのドラゴンに対抗するための兵器がさぁ」
もうそこまでドラゴンは来ている。
黒い鱗を纏った巨体は、私の心をさらに怯えさせる。まるで悪魔のようだ。
「キャアアアアアアア! 邪魔だオイ、この手ェ離せ馬鹿ァァァァ!」
力強く腕を掴んでいるリアが、私にはもう本当に意味わからない。
「DORAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!」
ドラゴンの咆哮が近くで聞こえてきた。もう目前まで接近している。
「逃げさせろォォォォアホがァァァァ!」
「DORAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAN!」
怒鳴っても無駄だった。ドラゴンの咆哮があまりにもうるさく、私の声は掻き消された。
リアはまったく離してくれない。
こんなヤツと心中なんてしたくない。
「死にたくないけどもうダメだァ!?」
「あ、来たみたいだよぉ」
「何がどっから来る!?」
私の問いかけに、リアはハゲ山の地面を指差す。
「地下からさぁ」
リアがそう言った瞬間に、激しい地震が起きた。
立っていられないほどの激しい揺れだ。
「来たぁ、ドラゴンを殺す彼が来たぁ」
リアの呟きの直後、近くで地面が隆起する。
まるで卵のようになった土の塊は一瞬でバックリと割れ、中から巨大な獣が出現した。
その獣は、熊に似ていた。
「BEARRRRRRRRRRR!」
全長五十メートルはある、水晶を背中と頭部に無数に生やした赤毛の熊。
その怪物の咆哮だ。
「彼の名はベアドン、よろしくしてやってねぇ」
「無理、嫌だ」
私にとって久しぶりの、嘘偽りのない本心からの言葉だった。
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