第4話 逃亡の王女

-サビエフ王国北部・嘆きの森、アメザス王国北部ヤメス領-


 春になってもなお雪深いサビエフ大陸北部に広がる原始林の森は、真っ白い雪に覆われ色を失っている。

 北東の端をアメザス王国のヤメス地方と接しているその森を抜け、ヤメス領内を東に向かって進む五人の集団があった。

 見事な毛並みの白い馬に乗った女性は、シルバーに輝く長くうねった髪を後ろにまとめ、白いローブの上から毛皮の外套を羽織っているが、急ごしらえの旅支度は寒さをしのぐには物足りない。


「ヒョードル、王都はどうなったでしょうか?」


 馬に乗ったその女性は、寒さの事はおくびにも出さずに、傍らで手綱を引いて歩く従者のヒョードル・アレンスキーに問いかける。


「分かりません、メアリー様。ヤメス城に潜り込めればなんとか情報も得られましょうから、どうかそこまでご辛抱を」

「潜り込めるでしょうか?」

「分かりません、メアリー様」


 そっけない返事を返したヒョードルは、眉間にしわを寄せ険しい表情で周囲に気を配っている。


「分かりました、急ぎましょう」


 メアリーは気丈に答えると、懐をそっと抑えた。


(このリングだけは守り抜かねば…)


 サビエフ王国第五十八代、北風の王ことダミアン・シルバートンの一人娘であるメアリー・シルバートンが、王都クリュスタロスに迫る反乱軍に追われる様に城を脱出してから早五日。

 反乱軍の首領イゴール・セルゲイ・ニコラフが幾度となく差し向ける追手から、なんとか逃げ延びているのは、ひとえに【サビエフの荒鷲】の異名を取るヒョードル・アレンスキーの剣と弓の腕によるところであるが、その追手もアメザスに潜入してからは見かけなくなっていた。


 彼女たち一行は、各大陸の北部に連なる【壁】づたいに、アメザス王国を抜けてチャロス帝国へと逃げ延びるつもりでいた。

 チャロス帝国第二十七代ロバート・モーリス王は、メアリーの母の兄にあたる。

 信義に厚いロバート王ならきっと力になってくれるに違いないと、ダミアン王は陥落寸前の王都から自らの一人娘を脱出させたのだ。


 無言で雪深い森を進む一行の目の前が開けて、廃墟のように古びた石造りの砦が姿を現す。

 開け放たれた門扉は、分厚く堅牢な作りを伺わせ、砦の歴史の深さを物語っていた。

 砦で一息つこうと馬の手綱を引いて歩みを早めるメアリーを、ヒョードルが制する。


「お待ちください、メアリー様」


 ヒョードルは三人の従者をメアリーの周囲に張り付かせると、腰の大剣を抜いて両手に構え慎重に歩を進める。

 周囲を警戒したまま門扉に近づいたヒョードルの頭上から、あざけるような声が飛んだ。


「これはヒョードル、お早いお着きで。」

「しまった!」


 焦ってメアリーの方を振り向いたヒョードルの目に、反乱軍の旗印である北斗七星の旗を掲げた十数人の騎馬隊が、メアリー達の退路を断つように取り囲んでいるのが映る。


「セルゲイの手の者か!」


 ヒョードルが、門扉の上で春の陽光を浴びながら見下ろしている男に向かって問いかけると、男はヒラリと身をひるがえして地上に飛び降りた。

 まるで猫科の生き物のように軽やかな身のこなしだが、かなりの長身で百九十cmは優に超えている。

 その男は腰から大きめのナイフを2本取り出して両手に構えると、まるで曲芸のように器用にナイフを回転させ、時折耳障りな金属音を響かせた。

 その姿は、男の素性をヒョードルに理解させるには充分だった。


「貴様、ジェームズ・アマンドか?」

「いかにも、ヒョードル


 ジェームズは、からかう様に丁寧な敬称を付ける。


「アメザスのウォール・ナイツ戦闘指揮官の息子が、なぜセルゲイなどに付き従う?」

「付き従ってなどはいない」


 鋭い眼光でヒョードルを睨みつけたジェームズが、言葉を続ける。


「俺は単なる殺し屋だ、報酬次第で誰でも殺す。あなたもですよ、ヒョードル閣下」

「不肖の息子か…」


 ヒョードルのさげすみの言葉を聞いた、ジェームズの目に怒りの炎が宿る。


「俺は落とし子だ、親父殿からアマンドの名は貰ったがそれ以外は何も! 財産も地位も何もくれなかった!」

「それで殺し屋に成り果てたか」


 ジェームズは、あわれみのこもったヒョードルの視線を受け流すと、冷めた口調で呟く。


「いや、失敬。何もではなかったな、剣の才能だけは確かに貰った」


 言いながらナイフを持った両手を広げ、ヒョードルを挟み込むように構えて、冷たい笑みを浮かべた。


「さて、ヒョードル、ひとつ手合わせ願えますかな?」


 バカにしたような口調で氷のような笑みを浮かべるジェームズの前で、ヒョードルは手にした大剣を一振りして、両手で体の前に構える。

 ゴウッという音とともに届いた剣風を気にする素振りもせずに、ジェームズは薄ら笑いのまま弧を描くように右側に移動した。


 ヒョードルはジリジリと距離を詰めながら、体の向きをジェームズに合わせて変える。

 もう半歩でヒョードルの間合いという所で、ジェームズが足元の雪を蹴り上げた。

 その瞬間、ヒョードルは猛烈に踏み出すと、蹴り上げられた雪ごと切り倒すように剣を一閃する。

 鼻先でその剣を躱したジェームズは、宙返りして後ろに跳躍した。

 その表情には相変わらず薄ら笑いが張り付いたままだ。


「これは聞きしに勝る剛剣、当たれば熊ですら倒せそうですな」

「自分には当てられんとでもいいたげだな」

「えぇ、当たりません。私は熊ほど愚かな獣ではありませんから」


 言うやいなや、ジェームズは低い体勢で懐に飛び込み、払う様に切り上げたヒョードルの剛剣を軟体動物のような身のこなしで体をねじじってかわすと、手にしたナイフを撫でるように振るう。


「痛うっ!」


 うめきをあげたヒョードルの左手から血が弾ける様に飛び散った。

 丸太のように太い腕の表面にはざっくりと深い傷がらせんを描くように彫り付けられている。


「どうやら、【サビエフの荒鷲】の異名は大げさだったようだ。まぁ、異名というのは得てしてそういうものではあるが…」


 勝ち誇ったように笑うジェームズを、左手をダラリと下げたままヒョードルが睨みつける。

 ヒョードルは今の一瞬の攻防で、彼我ひがの相性を痛いほど感じていた。

 そして、それは相手も同じことだろう。

 この様な場面での一対一の戦いにおいて、ジェームズはヒョードルにとっては最悪の相手と言える。

 ヒョードルは左側に目をやり、メアリーの無事を確かめる。


「あの娘が気になりますかな? ヒョードル


 無言の一瞥を返すヒョードルをあざ笑うように、ジェームズは言葉を続けた。


「ご心配なく、命は取りませんよ。ただ、王都に戻るまでの間にを覚えていただく事にはなるでしょうがね」


「メアリー様、お逃げください!」

「捕らえろ!」


 ヒョードルの憤怒の叫びを遮るようにジェームズが号令をあげ、北斗七星の旗を掲げた騎兵隊がメアリーの周りに張り付いた三人の従者に一斉に襲い掛かる。

 従者の奮戦も多勢に無勢、あっという間に三人とも串刺しにされてしまう。

 血のしたたる刀を下げ、好色な目を輝かせて迫りくる騎兵たちを見据えて、メアリーは観念したように目を閉じた。


「メアリー様!」


 振り向いて駆け寄ろうとしたヒョードルの目の前に、いつの間にかジェームズが回り込んでいる。

 依然として張り付いたままの薄ら笑いを更に醜悪しゅうあくな笑みに変えて、残酷な言葉を投げつけた。


「ヒョードル!あなたに敬意を表して、そこの娘の痴態をたっぷりとご覧いただいてからあの世に送って差しあげましょう!」

「貴様っ!」


 ヒョードルの憤怒の一撃は虚しく空を切り、舞い散る鮮血と共に大剣が地に落ちた。



**********


-アメザス王国北部ヤメス領-


 レオニスとチャベス、ジュリエットが、レオニスの居城・ヤメス城で合流してから三日、未だ召喚状は届かぬまま三人は王都・トライバルに出立するアンドリューとライオットの見送りの後、領内を散策していた。


「こんなに待つなら、もっと故郷でゆっくりしてくれば良かったよ」

「そうよね……ねぇ、レオ、閣下が仰ってた王都と【ウォール・ナイツ】のゴタゴタって何か聞いてる?」

「俺も詳しくは聞いてないんだけど、どうやら人員と予算を減らされようとしてるらしいんだ」

「そんな! むしろ増やさないとスカーデッドから守りきれないよ!」


 憤慨するチャベスにレオも同調する。


「だろ? しかも王都では各地方領主の軍をまとめて統一軍を作るらしくて、それで父上も兄上も忙しいらしいんだ」

「そんな事になってるのね……、でも、王都じゃ龍神教も力を増してるらしいし、隣のサビエフもチャロスも隙あらばって感じみたいじゃない? 国王陛下の考えも分からないではないわ」

「国同士でいがみ合ってる場合じゃないだろ、ジュリエットはすぐに逃げちゃったからスカーデッドの怖さを分かってないんだよ!」

「なんですって! チャベスこそどうせ戦いもせずに震えてたんでしょ!」

「なにをっ!」

「なによっ!」


 売り言葉に買い言葉でエスカレートする二人をレオニスが仲裁に入る。


「やめろよ、俺達がいがみ合ってちゃ国同士が仲良くするなんて夢のまた夢だぞ」


 二人はしばらく黙っていたが、チャベスの腹の音が沈黙を破る。


「ったく、チャベスったら」


 三人は目を見合わせて笑いあった。


「私もお腹空いたわ、そろそろお昼だし、レオのお母さまから頂いたパンを食べましょう! どこか落ち着ける場所ないかしら?」

「それなら、この先に無人の砦があるから、ちょっと休んで行こうか?」

「賛成だよ、レオ、もうお腹ペコペコだ」

「よし、じゃあ行こう!」


 三人は馬を回して脇道を進み始める。

 チャベスが進行方向の空を見てレオニスに尋ねた。


「こっちの方ってサビエフとの国境近くになるの?」

「そうだよ、何か気になる事でもあるのか?」

「う、うん、特に気になるって程でもないんだけど……」

「チャベスったら、あれの事気にしてるんでしょ?」

「あれってなんだよ、ジュリエット?」

「最近噂になってるのよ、サビエフとの国境近くで人さらいが出るって」

「人さらい?」


 レオニスには初耳だ、少なくともヤメス城に戻って以降、ヤメスの領内ではそういう噂を耳にした事はなかった。


「でも、噂だろ?」

「ヤメスではそうでもないかもしれないけど、テキス地方では実際に子どもをさらわれたって人は沢山いるんだよ、それなのにエリック・バートンは何もしないから……」

「しっ! 静かにして!」


 ジュリエットが緊迫の響きを乗せた声で二人を黙らせる。


「どうした?」

「あっち、何か聞こえるわ」


 ジュリエットの目線の先は無人のはずの砦の方だ。

 確かに争う様な声がかすかに聞こえてくる。

 三人は無言のまま目で合図を交わし、馬を近くの木に繋いで茂みの中を音を立てないように慎重に声の方に進むと、木々の隙間から古びた砦が見えて来た。

 砦の前の少し開けた広場では、中央にしゃがみ込む銀髪の女性を、鎧を身に纏った男たちが馬に乗ったまま十数人で囲んでいる。

 その騎馬は見慣れぬ北斗七星の旗を掲げていた。

 そして少し離れた場所に血だらけでうずくまる熊の様な大男と、背は高いが華奢な優男が小柄な女性の身の丈ほどの大剣を物珍しそうに抱えあげて眺めている。


 三人は小声で情報を整理する。


「人さらいかな?それにしては防具がちゃんとしてるわ」

「いや、人さらいじゃないだろう、チャベスはあの旗印見た事あるか?」

「う~ん、旗印は分かんないけど、あの馬具は見た事あるような……」

「早く思い出しなさいよ!」


 ジュリエットに急かされたからではないだろうが、目をつぶって考えていたチャベスに閃いたようだ。


「あ、思い出した! あれサビエフで使ってる馬具だよ」

「サビエフ? なんだってアメザスに居るんだ?」

「分かんないけど、ちょっとマズそうじゃない?」


 ジュリエットが心配そうに見つめる視線の先では、銀髪の女性が騎馬を降りた大男に腕を掴まれ無理やり起こされようとしている。


「あっ」


 レオニスが短く声を上げた時、その銀髪の女性が気丈にも大男の手を振りほどいて平手を見舞おうとしたが、逆に大男の平手で地面に叩きつけられてしまった。

 逆上したジュリエットが、茂みから躍り出る。


「バカ、落ち着け!」

「あなたたち! やめなさい! 護れヴェルテイド!」


 レオニスの制止を振り切り、ジュリエットは杖を振りながら飛び出して行った。

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