第2話 里帰り

 大いに盛り上がった卒業式のうたげの翌朝、穏やかな朝日を受けて目を覚ましたレオニスが、旅支度を整えて寮の脇にある馬めに行くと、ジュリエットとチャベスは既に準備を終えて馬に餌を与えたり毛並みを整えてやったりしている所だった。


「おはよう!」

「おはよう!」

「ねぇ、十日後でいいの?」


 ジュリエットが馬の頭を撫でながら聞いてくる。

 三人がこれから入隊する【ウォール・ナイツ】のアメザス本部は、レオニスの父が治めるヤメス地方の更に北側に位置するため、ジュリエットとチャベスは一旦自分の故郷に戻って家族や友人と短い時間を過ごした後、レオニスの居城きょじょうで合流してから三人一緒に入隊の門を叩く算段をしている。


 ヤメス城までは馬に乗れば四日で着くが、二人の故郷は東と西へそれぞれここから丸一日掛かる。

 そうすると親兄弟や故郷の友人たちと別れを惜しんで居られるのはせいぜい四~五日といった所だろうが、あまりのんびりもしていられない。


「うん、そうしよう、ご馳走を用意して二人が来るのを待ってるよ!」

「ほんと!?七面鳥の丸焼き用意しといてね!」 


 チャベスのリクエストに親指を立てて応えるレオニスを見て、ジュリエットが呆れたように呟いた。


「あなた達、きっと長生きするわね」



**********


四日後

-アメザス王国北部・ヤメス地方-


 レオニスは故郷・ヤメス地方の深い森の中で、ひんやりとした夕方の空気をたっぷりと肺に取り込んで、懐かしさに浸っていた。

 馬の頭を撫でながら話しかける。


「どうだ? 俺の故郷は良いところだろ?」


 レオニスの呼びかけに、馬は軽く頭を振って返答の代わりにした。


(変わってないな、この森を抜ければすぐ城か…。)


 空を見上げると、西の空に日が沈もうとしている所だ。

 赤い夕焼けが森の木々に反射して森の空気を朱色に染めていき、赤に包まれた幻想的な空間を作り出している。

 この分だとなんとか日のあるうちに城に入る事ができそうだ。

 レオニスが、沈む太陽の眩しさに目を細めながら、四日間自分と荷物を背負って歩き続けてくれた馬への感謝の印に、首筋をそっと撫でようとした時だった。


 一陣の風が吹き、木々が恐れをなしたように葉を揺らす。

 周りの気温が下がったようにさえ思える鋭く強大な剣気が、西側から吹き付けてきた。


 怯えた馬が前足を高く上げさお立ちになるのを、必死で手綱たづなを引いて治めたレオニスは、素早く馬の背中を蹴って近くの枝に飛び移る。

 蹴られた馬は、そのまま北の方へと走っていった。


(何者だ?)


 レオニスは木から降りると、生存本能のままに剣と杖を抜いて二刀流の構えを取るが、剣気が吹き付けてくる方角は西だ。

 木々の隙間から漏れる西日が目を打ち、戦いには不利な位置取りになってしまっている。

 しかも、その剣気はかつて目の当たりにした【アメザスの双刀】ショーン・アマンドを思わせるほど強大なものだ。

 だが、今、目の前から吹き付けてくる剣気からは、ショーンから感じたような【成熟】は感じられない、むしろ…。


 レオニスが身を隠していた木を蹴ると同時にその剣気の塊が飛び込んできた。

 揺れ落ちる木の葉が、剣気に触れ鋭く飛び散る。


「そこっ!」

「遅いっ!」


 鋭い突きを薙ぎ払おうとしたレオニスの剣を、すり抜ける様に突き出された剣は、レオニスの手前で半透明の防御幕に遮られ火花を上げた。

 空中で体を回転させながら後ろに飛びずさったその剣気の塊は、ふくれっ面でレオニスに文句を言ってくる。


「兄さま、魔法はズルいよ!」

「何言ってんだロザリー、三年ぶりの再会なのにいきなり襲ってくるヤツがあるか!」


 レオニスの叱責しっせきもどこ吹く風で、今年十三歳になったばかりのロザリー・ラフリスは、満面の笑顔を浮かべる。


「どう?私上達したでしょ?」


 上達どころではない。

 三年前、まだ十歳のロザリーにさえ、三本に一本は勝利を譲っていたというのに、今となっては剣だけではとてもロザリーには敵いそうになかった。

 レオニスが剣と魔法の二刀流を工夫する事を考えたのも、そもそもはこの幼い妹の有り余る才能を体感したからである。


「あぁ、強くなった、剣だけならもう勝負にならないな」

「へっへぇん!」


 得意げな妹に釘を刺す。


「でも、いきなりは無しだ、馬が逃げちゃっただろ! 俺の荷物どうするんだよ!」

「大丈夫だよ、逃げてったのお城の方だもん、それにあの子賢そうだったからきっと先で待っててくれるよ!」


 ロザリーは全くこたえてなさそうな素振りで城の方へ歩き始めた。


「ほら、急がないと暗くなっちゃうよ」

「誰のせいだよ!」


 レオニスも文句を言いながら後に続く。

 しばらく歩くと、ロザリーの言う通り、森を抜けた所でレオニスの馬が待ってくれていた。


「ほらね、待っててくれたでしょ」


 鼻先を突き合わせて再会の喜びを交し合うレオニスとその愛馬に、ロザリーが改めて笑顔を向ける。


「お帰りなさい、兄さま」


 笑顔のロザリーの背後には、住み慣れたヤメス城が三年前と同じ姿で出迎えてくれていた。

 ヤメス城は、アメザス王国の北部で随一の規模の城塞都市だ。

 周囲を広大な森に覆われ、一年の半分を白い雪と共に過ごすこの城の内部の街並みは豪華さには欠けるが、それはこの地方の領主でありレオニスの父であるアンドリュー・ラフリスの人柄同様に、機能主義の質実剛健さが伺われる。


 レオニスは馬にまたがると、ロザリーを担ぎ上げて後ろに乗せ、城門の跳ね上げ橋を渡った。


「レオニス様、お帰りなさいませ!」


 開け放たれた城門に差し掛かると、門番の太った男がレオニスの姿を認めてぎこちない敬礼で迎える。


「この跳ねっ帰りが、いつも迷惑をかけてるんだろう?」


 敬礼を返したレオニスは、後ろのロザリーの頭を掴んで門番に問いかけた。


「い、いえ、その様な事は…」

「今度、無断で外に出た時は締め出して構わないよ!」


 口ごもる門番に笑顔で告げて、レオニスは馬を先に進める。


「三年ぶりだけど、変わってないなぁ」


 感慨深そうに周囲を見回すレオニスに、ロザリーはぶっきらぼうに答えた。


「そうでもないよ」


 ロザリーがムスッとした表情を浮かべて視線を向けた先には、木の箱の上に立った辻立ちが観衆を集めて何やら演説をしている。


「今、偉大なる【死】が訪れようとしています、予言の時は今来る!

 世界は一度死に絶えてまた蘇るのです!

 それは龍神様のみが与える事のできる奇跡!

 さぁ、龍神様に祈るのです!」


 辻立ちはゆったりとした灰色のローブを羽織り、首元からは龍を模った黄土色のストールを掛けている。

 数十人の観衆は熱心に演説に聞き入り、辻立ちに合わせて祈りを捧げる仕草をしていた。


「龍神教の奴ら、こんな所にまで来てるのか?」

「ここ半年くらいかなぁ、薄気味悪いったらありゃしない」


 ロザリーは怒った様に唇を尖らせる。


 【龍神教】はここ1~2年で急速に勢力を拡大している新興宗教だ。

 【アルス・ノトリアの予言】を終末思想と組み合わせて、七大陸中の伝統の神や宗教を駆逐する勢いで広がりを見せている。

 アメザス王国でも王都では既に最大の信者数を誇り、最近になって組織し始めた独自の軍隊は、既に各大陸の名家の軍勢を凌駕りょうがするとの噂であった。


「父上がよくお許しになるものだ」


 レオニスのなげきにロザリーが答える。


「父上は最近、王都とこっちを行ったり来たりだからなぁ…」


 ロザリーの声には寂しさが伺えた。

 馬留めに馬を回すと、ロザリーは馬から飛び降りて、塔に登る階段へと駆け出して行く。


「母上に伝えてくる! 今日はご馳走だよ!」

「もう暗くなってきたから走るなよ!危ないぞ!」


 子どもを叱る様な言葉に、ロザリーは舌を出した後、振り向いて駆け出していった。

 その後ろ姿を苦笑いしながら見送ったレオニスが、馬を繋いで労わる様に頭を撫でていると、柔らかい声が降りかかる。


「あら、お兄様!」


 振り返ると、深いあい色のローブをまとった妹のサラ・ラフリスが、少しカールした長いブロンドを揺らして、小脇に重そうな本を抱えて微笑んでいた。


「サラか、大きくなった!」


 レオニスが最後に会った三年前にはまだ十二歳だったサラも、もう十五歳に美しく成長していた。


「それに、綺麗になった」

「もうっ、からかわないで下さいよ、お兄様!」


 サラは照れた様にはにかむと、改めて歓迎の言葉を口にする。


「お帰りなさい、お兄様」

「あぁ、ただいま」

「母上がアップルパイを焼いて、首を長~くしてお待ちよ」

「オレンジジャムも用意してあるのか?」

「もちろんよ!」


 楽しそうに先を歩くサラの後に続いて、レオニスも石造りの階段を登り、食堂に向かう。


「暗くなってきましたね、灯りよラキティア!」


 サラが指を鳴らすと、すっかりと日が暮れて暗くなった廊下の燭台に次々と火が灯っていく。


(相変わらず大したもんだな)


 レオニスは改めて妹の才能に感心しながら尋ねた。


「そういえば、アリア先生が惜しがってたよ、本当にフリエールに行くのか?」


 サラは振り向くと、手に持っていた分厚い魔術書をレオニスに押し付ける。


「ルシャール先生ったら、入学する前にこれ全部覚えて来いですって」


 ずっしりとした重みが手に伝わり、この本全部に目を通すだけでも気が思いやられそうだ。


「さすが、白魔導士・ルシャールは厳しそうだな」


 レオニスは妹に同情の言葉を投げた。


 【ドイル・マズル・ルシャール】は七大陸に五人しかいないと云われる魔法族の一人で、白魔導士・ルシャールと呼ばれている。

 魔法族は七大陸の営みには関わりを持たずに居る事が多い、というよりはあまり興味を持っていない事が多いが、このルシャールは人間の世界に興味を持ち、フリエール王国の魔法学院で魔法力に覚醒した人間に魔術を教えている。

 年齢は定かではないが、魔法族きっての変人として有名だ。

 そのルシャールが、杖を使わずに魔法を使える子供がアメザスに居ると聞いて、わざわざスカウトに来たのが二ヵ月程前の事らしい。

 学校の寮で暮らしていたレオニスはその場にいなかったが、ロザリーからの手紙では、家族全員相当に面喰ったようだった。


「でも、魔法の腕は確かよ、なんたって魔法族ですもの!」


 サラは不安よりも期待の方が大きそうだ。

 二人は食堂に着くと、サラが扉を開ける。


「母上、お兄様がお戻りになりました!」


 中に入ると、壁に掛けられた牡鹿のくん製などの懐かしい装飾と、美味しそうに湯気を立てる料理がレオニスを出迎える。

 食卓の奥に父・アンドリュー、左側に母・テレサと兄・ライオット、右側にロザリーが座っている。


「父上、母上、レオニス・ラフリス、ただ今戻りました」

 両親のもとに近寄り挨拶をするレオニスを、椅子から立ち上がったアンドリューとテレサが順に抱擁ほうようする。


「卒業おめでとう、レオニス。」

「良く無事に戻りましたね、レオニス。」

「はい、父上も母上もお元気そうで。」


 再会を喜び合う三人に、兄のライオットも加わる。


「レオ、三年会わないうちに、ずいぶん背が伸びたな」

「兄さん、戻ってたのか! でも王都守備隊の作戦参謀がこんな所で遊んでていいの?」

「いいんだよ、今日は特別だ、それに王都は平和だよ」


 軽口をたたくレオニスを抱擁したライオットに、ロザリーが声を掛ける。


「レオ兄さまは腹ペコだよ、早く食事にしようよ!」

「まぁ、この子ったら」


 テレサは形だけ叱る素振りをして、歓迎の宴を始めた。

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