第20話 そして剣持は転校することになる。


 小早川の腕を見てしまってから二日後の四限の国語は、風間先生の出張で自習となり、模試対策のプリントが配られた。模試と言う自分の現在の実力を測るためのものを、こうやって点数を取らせようとするあたりが、ザ・自称進学校という感じがする。


 自称、とは言え流石に進学校だけあって、今回の自習は皆席について勉強をしている。僕は、この自習時間をサボってしまおうかと寸前まで迷っていた。なぜなら、ここで剣持が凶行に走るのではという予感があったからだ。


 僕は、剣持の方を見ないようにしながら、なんとかプリントに集中しようとしたが、とてもじゃないが無理だった。動悸に襲われ息苦しくなり、そのたび机に伏せて不安に叫びそうになるのをなんとか耐えた。


 しかし、時が経つにつれ、動く気配のない剣持に安心し、症状は治まってきた。やはり剣持にそんな自己犠牲払えるわけがなかったんだ。基本剣持が勇気を出すのは自分本位の場合だけだ......確かに僕を俳優という役職から庇ったが、それとは程度が違いすぎるんだ。


 斜め前から、ドンと重たい音がした。僕は、反射的に剣持の方を見てしまった。剣持の机には、彼のリュックサックが乗っていた。剣持はふぅーと深く息を吐いて、「よし」と小さな声で言った。


 そしてリュックサックの口を開いて、ガタガタと音を立てて大きな機械を取り出した。映研部で使われていたプロジェクターとポータブルスピーカーだった。


 僕はこの時点で剣持が何をやろうとしているのかわかってしまった。口からヒ、と悲鳴が漏れ、今すぐトイレに逃げ込むべきだと立ち上がろうとしたが、体が石になったように動かなくなった。


 僕とは対照的に、剣持は勢いよく立ち上がった。そして、まず、剣持は僕の横まできて、縛られたカーテンをほどき、音を立てて閉めた。僕は剣持に責めたれられている気がして、心臓がばくばくと脈打った。


 全てのカーテンを閉め終えると、剣持は自分の席に戻ってきた。そしてプロジェクターとスピーカーを両手で持つと、僕の視界から消えた。遅れて、「えっ、何?」という坂口の戸惑った声がして、戸惑いのざわめきが教室内に徐々に広まっていった。僕はこの排他的な雰囲気が剣持の意思を挫くことを願った。しかし、ピ、との起動音の後、スクリーンが降りてきているのを感じ、


 そして、教室の電気が消えた。


「......小早川さんは、援交なんてしていません」


 ざわめきが強くなる中、隣の小早川が息を飲むのが聞こえた。僕は耳を塞いでうずくまりたくなったが、小早川に視線を向けられて、ただただ固まるしかなかった。


「まず、この映像を見てください」


 そして、教室のざわめきを塗り替えるように、練習中の野球部の掛け声とカラスの鳴き声が響き渡った。しばらくの間夕焼けの放課後を感じさせる音が流れてから、それが早送りになると、教室のざわめきが混乱を帯び始めた。映像に小早川の後ろ姿が収まり続けていることに対して、で間違いないだろう。


 そして、音がプツンと途切れると、今度はシンと冷たさをまとった音が。これは夜、小早川が家から出て来て散歩をしているところだろうか。乙葉ちゃんが言うには、小早川はよく逃げるように散歩に出かけるそうだ。


 次は、再び教室のざわめきを掻き消すくらいの騒がしい音がした。繁華街で小早川と乙葉ちゃんが歩いているところだろう。繁華街の音が消えると、シンと静寂が訪れた。


「僕は、このように小早川さんを......見守ってきました」


 その静寂を切り裂くように、剣持が言った。教室の空気が凍りついた。


「一ヶ月ほど前から、ほぼ毎日です。その証拠の映像もあります」


 剣持の声が教室に響く。隣で小早川が「......いや」と呟くのが聞こえた。


「そんな僕が保証します。小早川さんは、援交なんてしていません」


「......ははは」


 僕はというと、剣持の声があまりに生き生きとしていたから、思わず笑ってしまった。

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