第17話 剣持はライトノベルの主人公じゃない。


 剣持の脚本に対して、小早川は初めて反応を返さなかった。それも当然だろう。剣持の脚本の内容は、ストーカー展開ほどでないにしても、厳しいものだった。園田は偽友達を続けていくうちに、だんだん悠木に対して純粋な友情のようなものを感じていく。そして最終的に、園田が悠木に「本物の友達になってほしい」と告白して、悠木もまた、園田と友達になりたいという気持ちに気がつき、園田を受け入れる。そして二人は本物の友達になり、映画は終わる。


 小早川を元にしている園田にそのようなことを言わせること自体、はっきり言って気持ちが悪いが、問題なのは、剣持が『映画のラストは、主要人物が世間的にいい方向に動かないといけない』という言い訳を使わなかったことだ。つまり、剣持が自分の意思でこの脚本を書いた、と、小早川思って当然の状況なのだ。そして、このストーリー自体が彼らを原作としていることから、現実でもこうなってほしいと剣持が願っていることに気づいたって、何らおかしくはないと思う。


 僕は、結局映研部を退部していない。こんな状況にしてしまったことに対しての責任を感じた、なんて言うちゃんとした理由ではなく、あの脚本を読んだ時点で、僕が辞めるまでもなく、映研部自体が終わることになるだろうと考えたからだ。


 だから、小早川が途中まで演技に付き合ったのは、本当に意外だった。もしかしたら、小早川は剣持の気持ちに気づいていないのだろうか、また僕の心配性が無駄な心配をさせたんだろうか、と思い始めたところで、小早川が「すみません」と声をあげた。そして、隣に座る剣持の方に、らしくない、顔色を伺うような視線を送った。


「脚本は......こういう流れではないといけないのでしょうか」


 来た。ここで剣持が例の言い訳を言えば、まだどうにかなるかもしれない。しかし、剣持のひどく真剣な表情を見れば、そんな楽観視はできなかった。


「......はい」


 剣持は、独りよがりの満ち満ちた声で頷いた。僕は全身にぶつぶつと鳥肌が立っていくのを感じながら、部室の木製の扉をすがるように見た。職員会議で遅れているらしい風間先生が、このタイミングで入ってくれるようなことはなかった。


「僕は、この展開が、いいと思います」


「......そうですか」


 小早川の声からは、どこか疲労感のようなものが滲んでいる気がした。僕はどうにか剣持を黙らせられないかと考えて、剣持相手ですら強く出れなくなっている自分を発見した。結局僕は、ただただ風間先生が来るのを願うことにした。


「私は、あまり、こういったセリフを上手に言える自信がありません......こういうことを思ったことがないので」


「あっ、だったら、悠木と園田を入れ替えましょう」


 剣持がきっぱりとした口調で言う。ああ、剣持は本当に馬鹿なんだな。小早川は暗に拒絶したんだよ。そんなこと、僕ですらわかることだぞ。だからお前は底辺の中の底辺なんだよ。


「......わかりました。そうしましょう」


 小早川は、平坦な口調でそう言った。剣持がこちらを見るので、僕は抵抗する気さえ起きなくなって、ここさえ乗り越えれば大丈夫だと言い訳してカメラを構えた。


「......偽友達を続けているうちに、思ったんだけど」


 剣持は、非常に自然な口調で話し始めた。僕は今すぐ逃げ出したかったが、結局カメラがブレない程度に震えるくらいのことしかできなかった。


「案外、僕と園田ってうまくやっていけるのかもしれないと思って」


「............」


 それに対して、小早川は何も答えない。確か悠木は黙らなかったはずだが、剣持には関係ないらしい。


「......いや、そんなことじゃないんだ」


 剣持はわざとらしく首を振ってから、続ける。


「僕は、園田と友達になりたい......ううん」


 そこで、剣持の表情がフッと抜け、悠木からいつもの剣持に戻ったような感じがした。それで安心できるほど、剣持を信用することは、当然できなかった。


 画面の中の剣持が、小早川の方を向く。僕は思わず目を逸らしてしまった。


「僕は、小早川さんと、ちゃんと友達になりたいんだ」


 ......ああ、気持ち悪い。僕は、人生で初めて、自分より気持ち悪いやつを発見したのかもしれない。


「僕と、本物の友達になってください」


 もう一度ドアの方を見た。風間先生はやって来ない。強く出れないなんて言ってる場合じゃない。僕がどうにかするしかないんだ。剣持を誘ったのは僕なんだから、僕が責任を取るべきなんだ。


 僕は、恐る恐る二人に視線を戻した。そして、小早川の表情を見て、僕はなんでこう行動が遅いんだろうと嫌になった。


「......嫌」


 その声は、その言葉通り、剣持に対する嫌悪感がめいいっぱい詰め込まれていて、僕はほんの一瞬、剣持に同情してしまった。次に来たのはやはり罪悪感だった。


「嫌です」


 録画停止ボタンを押すと、ピコンと間抜けな音がして、僕は剣持のようなやつに肯定感を与えてしまう話を書いたことを、やっと本気で後悔できた。




   ※




 どうやら剣持は、自分が何を仕出かしたか全く理解できていないようだ。その日、帰ってすぐ、剣持から今日の分の映像が送られて来たときは、本気で苛立ってしまった。

 

 動画は、ラインにそのまま貼り付けて送ることもできるのだが、それだと画質が落ちてしまうらしく、無料で使えるファイル転送サービスなるものを使って送られてくる。僕はどうしようか迷って、一応リンクを押してダウンロード画面へと飛んだ。


 僕はスマホを放り投げて、見知った天井を眺める。これで、映研部はおしまいで間違いないだろう。小早川も、妥協してどこかの部活の幽霊部員になるか、学校の要求を無視し続けて部活に入らないかするだろう。


 ......剣持をあそこまでの強行......いや、”凶行”に走らせたのは、僕の責任でもある。僕が小早川に変に気遣わず、偽友達という案があることを剣持に伝えてさえいれば、こんなことにはならなかったんだろう。


 剣持視点から見れば、今回の剣持の作戦は一切うまく行っていないことになる。どころか、剣持と小早川の間で、まともな会話などなかったから、その中で、小早川が僕と友達になることにまんざらでもなさそうな様子を見せたのが、剣持を焦らせてしまったんだろう。


 ......いや、それ以前に、僕が偽友達という案を受け入れてさえいれば、今頃僕たちは四人......江藤は無理だとしても、三人で案外上手いことやってたかもしれない......いやいやいや、何を言ってる。


 思わず笑ってしまう。一体、それの何がいいって言うんだ。小早川と剣持と偽友達なんかになってしまえば、当然好奇の視線に晒され、特に小早川からの飛び火に苦しめられる毎日だったろう。そして、剣持が大分イかれているとわかった今、偽友達になったとして、そんなものでは満足せず、さらに気色悪いことを小早川にしていたかもしれない。


 つまり、これで良かったのだ。僕は無理やり両手を天井に突き上げて喜んで見せた。そう、何の問題もない.....いや、そうでもないか。偽友達の件だ。両手をそのままベッドに落とす。


 結局偽友達を提案されて以来、僕と小早川の間で意思の疎通らしきものはないので、これから小早川がどうするつもりなのか、いまいち分からない。偽友達は別に同じ部活じゃなくてもできることだから、もしかしたら小早川はまだ検討をしているかもしれない。もし、小早川が僕と個人で偽友達をやろうなんてことを言い出したら、僕は一体どうなってしまうんだろう。


 僕は、本棚の一番上にしまった二冊のアルバムに目を移す。乙葉ちゃんに事情を説明し、いつ頃都合がつくかと聞いたところ、まさかの受取拒否を食らったアルバム二冊だ。どうぞ好きに使ってくださいって、一体何に使えっていうんだ。


 いや、実際は、結構使える。アレは小早川が僕に明確に嘘をついていた証拠でもある。それを見ているうちに怒りが湧いてきて......なんていうのは無理だな。今まで、直接的にも間接的にも僕が小早川にしてきたことを考えたら、ただ嘘をつかれた程度のことで怒れるわけがない。

 

 僕があの卒業アルバムで呼び起こしたいのは、不安だ。僕は不安がる天才なので、その不安が今度こそ妙な感情に打ち勝って、小早川からの逃避を選択してくれるはずだ。


 卒業アルバムに手を伸ばそうとしたところで、僕の顔の横でうつぶせになっていたスマホが振動した。僕は、もしかしたら小早川から連絡があったのかとスマホを持ち上げて、驚いた。曽根田から? 珍しいこともあったもんだ、と思ったのもつかの間、背筋が凍える。


『お前、小早川と仲いいよな笑笑笑』


 曽根田から送られてきたラインには、確かにそう書かれていた。ついに、映研部のことが漏れてしまったのか。ああ、なんで僕はこう、タイミングというのが悪いんだ。


 僕はベッドにうつ伏せになってまくらに顔を突っ込み呻くだけ呻いてから、スマホのロックを開いた。すると、すでに動画のダウンロードは終了していた。僕の指はほぼ無意識にその動画たちを専用のアプリで解凍した。曽根田のラインという現実に対しての逃避だった。即座に返せるものじゃない。ある程度の覚悟を決めてから......なんと返そう。


 仰向けになって、末森から送られてきた、適当な文字の羅列の後に.mp4とついた動画たちを眺める。この中に、あの地獄のような動画が紛れ込んでいるんだろうか。


 もちろん見たいものではないが、だからこそ、アルバムと同様、僕の意思をより強固にしてくれるかもしれない。さらに、アルバムと違って、こちらは僕の罪の確認に使えるのもいい。


 先頭の動画を開くと、想定していたものとは明らかに違う景色が広がった。明らかに、古くてほこり臭い、何より狭い部室の映像ではないことが一眼にわかる。ああ、剣持が間違って送ってきたんだ。必死こいて脚本を仕上げたと思ったら、その脚本のせいであのザマだ。こういうミスがあったって仕方ないというか、動画を送って来てること自体がミスだ......ん、あれ、違うな。映画のやつか。でも、こんなシーン、撮った覚えがないぞ。カメラマンの僕が撮った覚えがないということは、やはり違うはず......え、でも、おかしいな。


 どうやら僕も疲れていたようだ、ぼーっとその映像に見入ってしまう。見て、見て、見て......鈍痛がした。


「ッッッッ......!」


 鼻にスマホが落ちてきたんだ。ジンジンと顔の奥が痛み、涙に視界が歪む。いや、それどころの話じゃない。なんだ、これは。


 僕は、顔の横に転がったスマホを......とりあえず、画面をオフにした。立て続けに大変なことが起こって、当然頭が混乱している。とりあえず一旦休んで落ち着くべきだ。


 僕は布団の中に潜り込んで、目を閉じ、何も考えないよう努めた。逆効果だ。耐えきれなくなって、部屋を飛び出した。階段ですれ違った妹が不審そうな目でこちらを見たが、そんなことはどうでもよかった。


 僕は靴のかかとを踏みつけて、鍵を開け外に出た。日はすでに沈み肌寒かったが、気にならなかった。何処かに行きたいわけではなかったが、とにかく歩きたかった。


 僕は、ただただ歩き続け、ベンチを見つけては座り、そしてまたじっとしてるのが耐えきれなくなって歩いた。そんなことを繰り返しているうちに夕食の時間はすぎ、家族に連絡を取ろうと思ったが、スマホはベッドの上に置いてきたことに気がつき、そこで家に帰ることにした。


 僕の分の夕食は用意されていなかったので、僕は自分の部屋に戻って、ベッドに身を投げ出した。そして、恐る恐るスマホに手を伸ばし、触れた。ホーム画面にラインのメッセージが表示される。


「......は?」


 喉の奥から掠れた声が出た。『なんか小早川、援交してるらしいぞ笑笑笑』......それが、続けて曽根田が送ってきたラインの内容だった。

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