第16話 剣持の脚本はあまりに馬鹿げている。


「ね、あの脚本、どうなった?」


 そして、週明けの放課後、こちらを振り返った江藤が僕に話しかけてきた。小早川はすでに、一部の女子から妙な視線を注がれながら教室を出て行った。もしや映研部のことがバレたのかもと思ったが、にしても妙な視線だった。


 いや、そんなこと考えている場合じゃない。今は江藤の相手に集中しないといけない。


「あ、うん。金曜日に剣持君が途中まで送ってて」


 江藤の斜め前にいる久遠あたりに一応聞こえないよう僕が声のトーンを落とすと、江藤も合わせて小声になる。


「うん。それで、可憐ちゃんの反応は?」


「...............」


 僕は、どうしたものかと悩んだ。最近江藤を物憂げにしているのは、偽友達の件で間違いない。ならば、小早川が、偽友達に肯定的、どころか、実際にやろうとしているなんて聞いたら、江藤はさらに気分を害するかもしれない。


 しかし、もともと江藤は剣持のアイデアを支持していたわけで、そのアイデアが、”偽”という形ではあるが実を結んだことを喜ぶかもしれない。もし江藤が偽友達を受け入れ、また小早川も江藤と偽友達になることを受け入れてくれたら、それは良い展開だ。

 

 ただ、小早川が受け入れるという可能性は低いだろうな。なにせ、江藤の周りには人が集まりすぎる。江藤の求心力だったら、小早川の人避けオーラさえ叶わないだろう。よって、小早川は江藤と偽友達になることを望んではいないのでは......いや、正直、小早川に関しては、分からないとしか言いようがない。


「......その、と、特にない、みたい」


 集中が長考という悪い形で出ていた時、細々と、だが、僕たちには十分聞こえる声が横からした。剣持が、僕たちの会話に割り込んで来たのだ。部室ではそれなりに喋るものの、教室では、相変わらず一切喋らなかったのだが、また僕が困っていると思って助けてくれたのだろうか。


 僕は剣持にアイコンタクトでお礼を言おうとしたが、剣持はこちらを一切見ようとしない。あれ?


「否定も、肯定も、今のところ、は......でも、風間先生はOKを出したから」


 小早川は、偽友達導入を検討していることをまだ剣持に伝えていないようだ。つまり、僕が江藤や剣持に偽友達の件を伝えるのは、あまりよろしくないということになるだろうか。昨日、とっとと帰らず、しっかり話し合いをしておくべきだったかもしれない。


「......ふーん、てことは、可憐ちゃんも文句ないんだよ。可憐ちゃん、文句あったら絶対言ってるよ......案外うまくいくんじゃないかなー」


 口ではそう言いながらも、江藤はどこか憂鬱げだ。やはり偽友達なんてものがうまくいくのが気に食わないんだろう。一昨日までだったらうまくいくわけがないと言い切れたのだが、今はそんな言葉どうやったって吐けない。


 そんな江藤にどういう言葉をかけるべきか迷っているうちに、いつものように江藤の周りに人が集まり始めた。僕と剣持は席を立って、ほぼ同時に教室を出た。


 僕はゆっくり歩いて、剣持との距離を取ろうとする。しかし、剣持は僕の横にピッタリとついて離れない。なんだなんだ。目立たないためなるべく集団行動は避けるという話だったと思うが。


「......その、緒方君」


「えっ、うん」


 剣持が話しかけてきた。珍しいこともあるもんだと思いながら、剣持の言葉を待つ。


 剣持は、それこそ小早川のような乏しい表情で、視線を地面に落としながら、続けた。


「緒方君は、今小早川さんとどういう感じなんですか?」


「ど、どういう感じ?」


「はい」


 どういう感じって、どういうことだろう......あ、小早川が偽友達のこと話したのか? いや、それだったら、偽友達の件なんだけど、と来るはずだけど。


「......なんか小早川から言われた?」


「......いいえ、特に」


「あ、そう......まあ、別に、いつもの感じだけど」


 ここでこの嘘は仕方がないだろうと、多少の罪悪感を持ちながら言うと、剣持は、「......そうですか」と、らしくないやけにはっきりとした声で言った。なんだなんだ、なんか皆変だぞ。


 僕はいろんな意味で剣持と一緒に歩きたくなくなって、歩調を少しゆっくりにして剣持が先行しやすいようにした。剣持の猫背を見ながら部室棟までたどり着き、周りを気にしながら部室に入ると、すぐに小早川と目が合って、思わず逸らしてしまう。やはり、話し合うならラインがベストだけど、文章を考えるのに三日はかかっちゃいそうだ。


 少し遅れて江藤が、最後に風間先生がやってきたところで、まずは途中まで見ていた映画の続きを見ることになった。小早川や江藤がソファを譲ってくれようとしたが、丁重に断った。今や僕にとって立ち見は大した苦じゃなく、継続は力なりという言葉を人生で初めて体験できていたところだったからだ。あとまあ、単純に立たせられないだろう。


 映画は国民的アニメの大長編で、僕は子供の頃一度だけ見たことがあったのだが、この歳になって見ると、こんなに深い話だったんだなと感心してしまう。皆もそうだったらよかったんだけど、僕以外の部員は全員心ここに在らずと言った感じだ。どうしたもんか。普通だったら我関せずだが、三分の二は僕が原因で、もしかしたら剣持も僕のせいなのかもしれないと考えると、そうも言っていられないのかもしれない。はぁ、胃が痛い。


「......ねぇ、可憐ちゃん」


「......あっ」


 すると、まるでそれが当たり前かのように江藤が小早川に話しかけたので、僕は十秒ほど遅れて、思わず声をあげてしまった。いや、ただ話しかけるだけ、例えば、見にくいからちょっと横にズレてほしい、とか、そんなことなら大丈夫だけど、どうも様子が違う。


「あたし、可憐ちゃんと友達になりたいんだよね」


 続けて江藤が言うので、唖然としてしまった。何を言い出してるんだ。この時点で”無駄な関わり合い”として小早川から退部を命じられたって文句は言えないぞ。


「......そうですか」


 いきなり拒絶ということはなかったが、やはり小早川の反応は芳しくない。しかし、江藤は口を閉じようとはしなかった。


「可憐ちゃんは、私と友達になりたいって思う?」


「......何度も申し上げていますが、思いません」


「そっかそっか」


 江藤は相変わらずの強メンタルで小早川の言葉を受け流し、そして、ちらりと意味ありげな視線を僕に送って来た。僕は今すぐ江藤の口を塞いでしまいたかったが、当然そんなことはできない。


「じゃあ、啓介とは?」


「...............」


 小早川は、僕と偽友達なるものを提案したがゆえ、黙ってしまったんだろう。そんなこと気にしないでノーと言って欲しい。これ以上剣持から異常な視線を浴び続けるのは、僕にはどうにも耐え難い。


「......だよね」


 江藤は深々と頷いた。そして、よっと声をあげてソファから腰を浮かせた。そして、ごめんと僕たちに頭を下げた。


「あたし、映研部辞めとく。ごめんね、今まで迷惑かけて。これからは、なるべく話しかけないようにするから」


「江藤」


 僕はなんとか江藤を呼び止めようとしたが、適切な言葉が思いつかなかった。その間に江藤はリュックサックを背負い、「じゃあね」とだけ言って出て行った。ちょうど主人公と主人公が育てた恐竜がお別れするシーンで、僕はなんだか泣きたくなった。




     ※




「やはり、トモダチなのに、ひとこともカイわしないのはおかしいんdeath」


 小早川の演技は、ある程度マシにはなっていた。練習でもしたんだろうか。


「......といっても、話すことなんて何もないだろう」


 対して、剣持の演技はだいぶ堂に入っていた。演技というより没入しているというのがふさわしい感じがする。案外、俳優の才能があるのかもしれない。


「ハイ。deathから、持ってキマシタワー」


 ところどころセリフが脚本と違っていたりするが、このカツカツのスケジュールでそれを責めるのは酷なことだろう。小早川がぎこちない動作でカバンから取り出したのは、土曜日、僕が剣持に返しに行ったまきノンのブルーレイディスクだ。


「このあにめが、今流行っている見たいです」


「......へぇ、見たことないな」


「ワタシもdeath。きょうはこれを見て、明日完走を言い合いましょ」


 そう言って、小早川が立ち上がり、遮光カーテンを閉め、照明から伸びる紐を引っ張った。するとスマホの中の映像も暗くなってしまうが、スクリーンに映し出される毒々しいまきノンの光に照らされ二人の顔がかろうじて映し出される。しかしこれって、著作権云々は大丈夫なんだろうか。一応優勝したら賞金が出るような大会に申し込むわけだし......まぁ、まきノンに著作権なんてあってないようなものか。


「......あい、カットー」


 カメラに映りこまないよう僕の腕にぴったりとくっついていた風間先生が、気だるそうに言った。僕はカメラを止めると、思わず大きなため息をついてしまった。


「......とりあえず、今日は解散とするか」


 風間先生も、江藤がいなくなったことはそれなりにショックらしい。メリハリのない声で言うと、小早川が「お疲れ様でした」と言って、スクールバックを片手に部室から出て行った。小早川は江藤がいなくなったことに何にも感じていないんだろうか。


「......ちょっと、脚本についてなんですけど、いいですか」


 すると、剣持がこんなことを言ってきた。少なくとも剣持にとっては、江藤の離脱より、脚本の方が重要らしい。正直今はそんな気分にはなれなかったが、今や剣持相手にすらちょっとした恐怖を抱いていた僕は「あ、うん」と頷いてしまった。


 風間先生が僕に鍵を手渡し、「ちゃんとテスト勉強もしろよー」とひらひら手を振って去って行くと、部室には嫌な沈黙が訪れた。今の剣持と二人きりというのはなかなかきついし、だいたい、江藤がいなくなった今、これ以上頼られるのは避けたいところだ。

 

「その......緒方くん」


「あ、うん」


「......緒方くんは、俳優とか、無理ですか?」


「えっ?」


 何を言い出すんだと剣持を見たが、剣持があまりに迷いなくまっすぐ僕を見てくるものだから、僕は思わず視線をそらしてしまった。


「その、このまま、流れで友達にっていうよりは、ちゃんと園田の意思で友達になったほうがいいと思うんだ」


「えっ、あ、うん」


「だから、例えばだけど......『僕は最下層で笑う』みたいに、ヒロインをストーカーしてる人が現れる、みたいな。それで、主人公がヒロインを守るみたいな」


「ああ......」


 確かに、『僕は最下層で笑う』にはそのようなシーンがある。ストーカー被害にあっていたヒロインを主人公が陰で助けるという展開だが、今思えば、主人公の方がよっぽどストーカーじゃないかと思うし、今のご都合主義を見たら吐き気のする僕だったら、実際に主人公にストーカーの嫌疑がかかるような展開にしただろうな。


 ともかく、剣持には申し訳ないが、却下だ。なにせ、小早川は偽友達の導入を検討しているのだ。小早川からその提案が来るまでおとなしく待った方が、剣持にとってはいいだろう。そんな変な脚本やる必要ないんだ。ていうか剣持、本気でストーカー云々みたいなストーリーで、小早川に影響を与えられると思っているのか?


「ごめん、その、ちょっと......」


「......そ、っか」


 そこで、会話が途切れる。僕は、なんなら小早川が偽友達云々と言い出した時や、江藤が去ってしまった時よりもショックを受けていて、そうやってショックを受けている自分を発見して驚いた。確かに剣持は、僕が俳優をやりたがっていないのを知っていて、そんな僕のために俳優役を買って出てくれた......はずだ。そして今の発言は、その善意を翻すものだ。しかし、だからと言って、そこまで傷つくことだろうか。


 剣持が「......ごめん、それだけです」と言うので、僕は頷いて、先に剣持に出るように行った。


 帰りの支度をし、部室の鍵を閉めたところで、なんだか家に帰りたくなくなった。僕は風間先生に鍵を返すと、途中の公園によって、缶コーヒーを一つかって、昨日の夜降った雨でまだ湿っている木製のベンチに腰掛けると、小早川に誘われたあの日のことを思い出した。


 僕は早速、これからどうするべきか考えることにした。選択肢としては二つ。すぐに辞めるか、なんとか江藤に戻ってきてもらうか。


 いや、ここはどう考えても前者だろう。ただでさえ江藤の気分を害してしまった上、これ以上江藤に過干渉してまた失敗し、さらに評価を下げるなんてことは絶対に避けたい。それに、僕にもう、映研部に残りたいという気持ちは一切ないんだ。小早川に対して嘘をついてしまったという罪悪感は、あの卒業アルバムで消え失せたし、剣持に対する感謝は......ついさっきの出来事で、薄れてはいる。そう、残る理由なんてもうない......はずだ。


 そうやって何度も自己問答を繰り返しているうちに、すっかり日が暮れてしまった。何とも馬鹿らしい時間だった、テスト勉強でもしておけばよかったと思いポケットからスマホを取り出すと、剣持からラインがきていることに気がつく。画像の後に、『一応これで終わりです。何かご意見などあったら言ってください』と続いている。ついさっきストーカー役をお断りしたばかりだと思っていたのだが、ストーカーが出るのと別の内容の脚本を、すでに用意していたということだろうか。

 

 来週の月曜日からテスト期間に入り、部活は活動を停止しなくてはいけなくなる。それは模試が終わるまで続くので、実質あと一週間ちょっとで、映画をラストまで取らないといけない。なので、この時点で脚本が出来上がったということは喜ぶべきなんだろうが、先ほどの剣持のことを考えると、このやる気は確実に空回りするようにも思えた。


 僕はこの脚本を読んでから帰ろうと、剣持のメッセージに既読をつけた。そして、やっぱり下の人間は下の人間であるだけの理由があるんだな、と深々と納得し、僕は本気で剣持を誘ったことを後悔した。

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