第15話 ”偽友達”なんて我ながら馬鹿げている。


 そして、ゴールデンウィーク明け、江藤は早速映研部の活動に参加することとなった。脚本上、これからの撮影は基本部室で行われる予定なのだが、肝心のその内容がまだ出来上がっていないので、江藤合流後最初の活動は、映画鑑賞となった。


 まず、江藤が小早川と一緒に部活に行こうとするのを止め、なるべく目立たないよう振る舞わないといけないルールがあることを江藤に伝えた。しかし、なかなか無茶のある話だ。江藤は小早川と違って友達が多い。羽ヶ崎や立川、他クラスの同級生や上級生の誘いを「あ、ちょっとマジあれで」とかいう意味の分からない断り文句でいなし続けるのには、限界があるだろう。映研部の存在が知れ渡る時は、もうすぐそこまで来ていた。反応はどうだろう。江藤が関わった分、リスクは大分減ったように思うけど。


 部室はというと、江藤がいることによってソファに男子の居場所はなくなり、僕と剣持は立ち見がデフォルトとなった。一時間ほど立ちっぱなしなのは普通に辛くて、これなら部員の増員に本気で抵抗ができそうだった。


 映画鑑賞中、江藤が小早川に話しかけることはなかった。まあこれは人として最低限のマナーなので、守って当然だ。問題は二日目の感想を語り合う時間だが、江藤は映画のラストを引きずり涙ぐみながらも、しっかりと感想を述べ、それ以上のことはしなかった。どうやら江藤は、本気で剣持の案を頼りにしているようだ。


『すみま千が、ワタシ、友達ツクルツモリないnode』


「あっはっはっはっ!!」


 そして部活動終了後、僕と剣持と江藤の三人は、部室に残って脚本の話し合いをすることになった。『フラーズ・オンソン』は定休日らしく、江藤は何時間でも大丈夫らしい。先日のブチ切れ案件を引きずっているのか、何やら疲れた様子の剣持と二人きりは避けたかったのでありがたい。


「いやー、こんな弱点が可憐ちゃんにあったとはねー」


 といっても、江藤はすぐさま脚本会議に取り掛かるつもりはないようで、昨日の小早川の演技を見ては大笑いしている。これらの動画は江藤の要求によって剣持が脚本会議のグループラインにはっつけ、僕たちの中で共有されることとなってしまった。小早川には同情を禁じ得ない。まあ、家で何度もこの動画を観ている僕に同情する権利はないかと思うが。


「これクラスのグループラインに貼ったら、可憐ちゃん明日からクラスの人気者だよ」


「......ははは」


 中世ヨーロッパにラインが存在したとしたら、重罪人の処刑方法として使われそうなことを江藤が言い出す。僕が苦笑いで返すと、江藤は「うそうそ、そんなことしないって」とかぶりを振った。そして、やっと満足したのか「よし、それじゃあ始めよっか!」と小早川の痴態動画を閉じた。


「で、こっからどうやって悠木くんと園田ちゃんを仲良くさせるかってことだよね」


 そう言うと、一転、江藤は眉を八の字にして唸り始めた。よくもまあ、そんなに頑張って考えられたもんだ。少なくとも僕がもう完全に諦めてるし、なんなら最初から諦めている。


「なんか、こう、映研部で活動していくうちに、仲良くなっていく、みたいな......」


 江藤が言う。これからなるべく部室で撮って欲しいので、僕としても大賛成だ。しかし、二人は納得できないようだ。


「......まぁ、可憐ちゃんがそんなことで仲良くしてくれんなら苦労しないよねぇ」


 ため息交じりに江藤が言う。そう、現実に僕たちは小早川と映研部で活動しているが、小早川が僕たちと仲良くしたがってる気配など、微塵も感じない。


「悠木くんが作った脚本に感動して、みたいなのはどう?」


「......あはは」


 続けての江藤の提案に、僕は苦笑する。そんな内容のものが考えられる頭がないから僕たちは苦労しているわけだ。


 結局、小早川が思わず友達を作りたくなってしまうようなストーリーなど、僕たちには考えられないのだ。ここは無難にマイクロビキニにバランスボールを検討してみたらどうだろうか。いやマジで。


「啓介は、何かいい案ない?」


 なんて考えてる時に話を振られたもんだから、思わず江藤のマイクロビキニ姿を想像してしまった。すぐにその妄想を打ち消して、どう答えるべきか頭を働かせる。


 剣持には悪いが、僕はまず江藤が部活に残ることを最優先に考えないといけないので、江藤を満足させることから考えないといけない。江藤としては、教室で宇宙人に連れ去られる途中なのかってくらい浮いてる小早川が心配で、小早川と友達になりたいと思っているわけだ。だけど、小早川がそれを受け入れてくれるわけがない。だったら、もう少し穿ったやり方でいけばいいのではなかろうか。


「......偽友達、みたいなのはどうだろう」


「偽友達? どういう意味?」


 江藤が不思議そうに小首を傾げるので、続ける。


「そのままというか、小早川さんと本物の友達になるのは難しいだろうから、それなら偽の友達からスタートしようって感じかな」


「......ごめん、よくわかんないんだけど、可憐ちゃん、普通の友達でも嫌なのに、偽の友達なんてやりたがるかな」


「うーん......小早川にも、メリットはあるというか、クラスで一人だと好奇の目で見られるというか、目立っちゃうからさ。気を使われて逆に話しかけられたりもするだろうし、自分がいることによって変な空気になったり、イベントごとで居場所がなかったり......家族からも、心配されたりするし。それって結局、積極的に人と関わることによって生まれるのと、また別種の人間関係における悩みだと思うんだ」


 僕は側から見ていて、どうも小早川が人間関係における悩みから解放されているとは思えなかった。小早川の場合、その強メンタルによって救われている部分が大きいんだと思う。


「結局、ある程度友達がいてくれた方が人間関係で一番苦労しない。でも、友達は作りたくない。なら、本当は全く友達じゃないんだけど、クラスの人間には友達に見えるような関係、友達を演じ合う関係になればいいんじゃないか......みたいなことを悠木か園田が提案する、みたいなのはどうだろう」


 風間先生と共謀関係にない悠木と園田なら、より学校という集団生活の場で一人で生きる大変さを感じているのではなかろうか。しかし、逆にいえば、小早川からしたら知ったことかと言われてしまうかもしれない。ていうかそれ以前に、小早川は偽友達なんて馬鹿げた案に一切心は揺れ動かないと思うけど、僕としては江藤さえ納得してくれたらいいのだ。


「それを続けていくうちに、自然と友達を演じられるようになって、いつしか演技してることも忘れてしまって、いつの間にか本当の友達になってしまった、みたいな......」


 でも、そんな受動的なオチでは、小早川が僕たちと友達になりたいとは思わないか、もっと小早川の意思を動かすような......僕はそこで、やっとこの場が妙な雰囲気になっていることに気がついた。剣持はともかく、江藤まで「なんだこいつ」という顔で僕を見ている。


 僕は何か変なことを言っていないかもう一度自分の言葉を顧み、全てが変なことに気がつき血の気が引いた。僕はこんな話で江藤が納得してくれると思ったのか? 特に”気を使われて逆に話しかけられたり”することを”人間関係に”の中に入れてしまっているのは問題だ。それはつまり、小早川に対する江藤の今までの奉仕を否定してるのと一緒だ。ああ、久々にやってしまった。


「緒方君」


 これだから僕は糞なんだ。この前の脚本会議で自分の意見が通っちゃったり、江藤があまりに誰に対しても寛大だから、ついつい調子に乗ってしまったんだ。馬鹿が、江藤相手には細心の注意を払うってあれほど思っていたじゃないか。


「それ、いいと思います」


「えっ?」


 僕は剣持の方を見やって、そのあまりに真剣な瞳に、思わず露骨に視線を逸らしてしまった。


「そのアイデア、前みたいにしますか?」


「......えっ、前みたい?」


「はい、あの言い訳みたいに、僕が考えたことにしますか?」


「......えっ、あっ、うん」


 つまり、剣持の中では、僕の案が採用らしい。いや、今は江藤だ。江藤は僕の発言をどう受け取ったろうか。謝るべきか否か、どうなんだ。


「え、江藤さんは、どう?」


 勝手に話を進めていることに気がついたのか、


「あっ、うん! いいんじゃないかな!......」


 いつもの調子で答えたかと思うと、すぐに遠い目をして物思いにふけり始めた。江藤にはあまりに似合わないアンニュイな表情に、僕はただただ固まってしまった。


「それじゃあ、その方向で、考えてみます」


「......あっ、うん」


 一人だけ生き生きする剣持に戸惑いながらも頷くと、沈黙が流れた。すると剣持が「あっ、それじゃあ僕は帰ります」と、リュックを背負って足取り軽く出て行った。


「......その、江藤、ごめん」


「......へ?」


「江藤の善意を、否定するようなこと言っちゃって」


「......えっ、そんなこと言ってた?」


「......あ」


 僕は本当に、口を開けば墓穴を掘る。江藤は全然そんなこと気づいてなくって、僕の案自体に引っかかってたんだ。僕はただただ謝って、「......それじゃあ、帰ろっか」と言うと、江藤は「あっ、うん」と心ここに在らずの様子で頷いた。


 帰り、江藤とは帰る方向が違うので、自転車置き場ですぐに別れることになった。普段はそれがありがたいのだが、今日ばかりは自転車置き場へと伸びる階段が長くなってくれることを願った。結局自分のミスを一切取り返せず、僕は江藤の背中を見送って、深々とため息をついた。




     ※




 次の日の江藤は、一見いつもの江藤だったが、時々昨日と同じように物思いにふけることがあった。まず間違いなく僕の偽友達と言うしょうもない案のせいだろう。常に仲良くしたい人間と仲良くしているだろう江藤には、偽友達なんて案はあまりに不健全に聞こえたんだろう。なんでそんなことにも気づけなかったのか、自分で自分が本当に怖い。


 隣の席の剣持は、そんな江藤の様子も気にせず、偽友達案を進めているようだった。斜め後ろから伺う限り、ほぼ毎授業、脚本のために頭を悩ませているようで、見た目こそさらにやつれたように思ったが、瞳は生き生きと輝いていて、今頃になって偽友達なんてのはやめてしまおう、とは言い出せなかった。


 剣持の努力の甲斐あってか、その週の金曜日の夜、僕になんの確認もなく、剣持は映研部のグループラインに、悠木が園田に偽友達なるものを提案し、園田がそれを受け入れ、二人して部室で友達の演技を練習する、といった内容の脚本をはっつけた。小早川まで否定的な反応だったらどうしようかと、勉強を中断しベッドに倒れこんでいると、ラインの通知音がした。


 まず、スマホを目の高さに水平に置いて画面を見えないようにする。そして、ゆっくりと傾けると、そのメッセージが小早川からのものではないことがわかった。


『乙葉:日曜日、空いてますか?♡』


 とにかくこの子は♡の絵文字を多用する。もちろん僕にはこのハートマークになんら特別な意味がないことくらいわかるが、同級生の男の子たちはどうなんだろうな。


 誘われたのは、今回が初めてではない。僕はいつものように、『ごめん、ちょっとその日は用事があって』と返すと、『用事ってなんですか?』とすぐに返ってくる。参った。今までは本当に用事があったからそれをそのまま伝えていたが、日曜日は今のところ予定はない。どうしたものかと頭を悩ませてから『テスト勉強しないといけないんだ』と返しておく。嘘ではないので特に罪悪感も湧かないはずだ、と思っていたが、するとすぐに『じゃあそれ、うちでやりましょう♡ お姉ちゃん、頭いいんですよ!』と返ってくる。ああ、参った。小早川と勉強会? マジで黙々と勉強するだけになるぞ。それでいいじゃん。


 どうやって断ったものかと頭を悩ませていると、ブーっとバイブ音がなった。その送り主を見て、僕は仰天した。


『小早川可憐:乙葉が日曜日に緒方さんが家に来ると言っているのですが、事実でしょうか?』


 僕は、『いえ、僕はお断りしました』と即座に打ち込む。すると、既読がつき、それから時間にして約十分間、小早川からの返事はなかった。この時以上に心臓に悪い時間を僕は知らない。


『小早川可憐:もし緒方さんがよろしければ、乙葉と遊んでいただけないでしょうか』


 ......え。

 

 僕は自分の目を本気で疑った。


『小早川可憐:脚本のことについてご相談したいこともありますので』


「..................」

 

 そして、続けてきたメッセージに、その余裕すらなくなった。やはりだ。今回送られて来た分か、それとも脚本まるまるか、どちらにせよ文句があるに違いない。


 しかし、なんで僕なんだ。脚本を考えたのは剣持で、僕はただの手伝いということになっているはずだぞ。いや、だからこそ、まず剣持にではなく僕に話をしておきたいのかもしれない。


 ともかく、あの小早川がわざわざ休日、自分の家に僕を呼び出すというんだから、事態は深刻と捉えるべきだろう。僕に拒否権などない。


『わかりました。伺います』


 そう送ると、青色の文字が返ってくる。そのURLを押すと、Googleマップが開いて、ある住所をピンで指し示している。


『それでは、よろしくお願いします。時間はいつでも大丈夫ですので、着く時間を事前に連絡していただければと思います』


 僕は『了解です』と返してから、スマホをベッドに放り投げた。




    ※




 小早川の家は、柏葉高校から徒歩で十五分ほどの立地にある一軒家だった。特筆して何か述べるところもない普通の一軒家だった。この家に小早川が住んでいるというのが、どうにも想像がつかなかった。


 チャイムを押すと、少ししてガチャっとマイクが入る音がして、僕が名乗る前に『は〜い』と天真爛漫を煮詰めたような声がして、これまた僕が名乗る前にプツンとマイクが切れる音がした。そして、ダダダダッと小気味のいい足音が迫ってくる。これで小早川が出てきたら卒倒してしまうな。


 そして、鍵を開ける音とほぼ同時に扉が開け放たれ、僕は危うく卒倒しかけた。


「いらっしゃいませ、緒方様」


 メイドだ。襟だけ白い黒のワンピースにフリフリのエプロンをつけ、頭にもご丁寧にレース付きのカチューシャが乗っかっている。


「どうぞお入りください」


 ......何が何だかわからないが、こんなわけのわからない状況を近隣住民に見られようもんなら小早川家の評判が落ちかねない。さっさと入ってしまおう。


 乙葉ちゃんに導かれて玄関をくぐると、出迎えてくれていたのは乙葉ちゃんだけではなかったことを知る。


「すみません、乙葉が緒方さんを歓迎したいと聞かなくて」


 前レンタルビデオ店で見たような飾りっ気のない私服の小早川が言う。小早川がいる。それはまだよかったのだが、もう一人、小早川の隣に立っている女性を発見し、僕は慌てて頭を下げた。


「すみません、お邪魔します」

 

 小早川のことで頭がいっぱいで、小早川の親と対面する可能性があることをすっかり失念していた。時間にして十秒ほど頭を下げているはずだが、特に小早川母からの返答はない。恐る恐る頭をあげると、小早川母は無機質な瞳で僕を見ていた。小早川姉妹の母親だけあって、やはり美人だ。ただ、随分と疲れた美人だな、と思った。


「......名前は?」


 思ったより低めの声にびくりとしながらも、僕は答える。


「あっ、緒方啓介と言います」


「......緒方君」


 そして、小早川母は僕を頭のてっぺんから爪先までをジロジロと値踏みするように見てから、「あなた、可憐の何ですか?」と言った。


「友達だよ」


 僕がどう答えるか迷う間も無く、乙葉ちゃんがぶっきらぼうに答える。小早川母は乙葉ちゃんを一瞥してから、僕に視線を戻した。


「ゆっくりして行ってください」


 淡々とした口調で言うと、小早川母は踵を返してリビングの方へと戻っていった。いやぁ、怖かった。どうやら小早川の氷の女王っぷりは、母親から影響を受けているようだ。


「ねーねー、勉強会の前に緒方さんと遊んでいい?」

 

 小早川母が去ると、乙葉ちゃんが僕の腕にまとわりついてきた。小早川は「......緒方さんがよろしいのなら」と言うので、僕は「うん、いいよ」と乙葉ちゃんに答える。正直助かる。覚悟は決めたつもりだったが、やはり猶予ができるとホッとする。


 すると、乙葉ちゃんが手招きをするので、靴を脱ぐのを中断して屈むと、乙葉ちゃんが小さな手を僕の耳元に当てて囁いた。


「緒方さん、お姉ちゃんを遊びに誘ってください」


「え?......乙葉ちゃんが、誘えばいいんじゃない?」


 僕が小声で返すと、乙葉ちゃんはキッと目を吊り上げる。


「嫌です! そんなのシスコンみたいじゃないですか!」


 小さくビックリマークをつける器用な真似をする乙葉ちゃん。僕が困っているうちに、小早川は「それでは、乙葉をよろしくお願いします」と言い残し、僕と入れ替わるように靴を履いて外を出て行った。乙葉ちゃんが「お姉ちゃん、いっつもああやってどっか行くんです。私たちのこと避けてるんですよ」と、頬を不満げに膨らませた。そうだったんだ。ビデオ店の一件があったから、家族とはそれなりにうまくやってるもんだと思ってたんだけど。


 二階に上がり廊下を進んで突き当たりにある部屋は、ピンクを基調としたなんとも女の子らしい内観だった。乙葉ちゃんはその部屋の中でも目立つショッキングピンクの携帯ゲームを手に持つので、僕もリュックから同じ機種のものを取り出す。買ったはいいものの結局付き合いくらいでしかやらないゲーム機が、まさかメイド小学生と遊ぶために役に立つとは思わなかった。


 僕たちがやるのはたくさんのゲームキャラで戦える人気の格闘ゲームだ。僕もそこまで上手な方ではないが、小学生の乙葉ちゃん相手にはそれなりにやれるようだったので、最後は手加減して負けた。すると、乙葉ちゃんは「もぉ、おにーさん手加減しないでくださいよぉ......でも、ありがとうございます」と上目遣いで僕を見てくる。なんで僕、こんなことしてるんだろうとドッと疲れに襲われたが、それは流石に乙葉ちゃんに失礼なので笑顔を作る。


 そして、いい加減殴り合いにも飽きてきた頃、まだまだ元気な乙葉ちゃんが、「あっ、いいもの見せてあげます!」と、キャスター付きの椅子を引きずりながら本棚へと向かった。そして、椅子の上に乗り手を伸ばすので、慌てて椅子を押さえると、乙葉ちゃんは一番上段にある二冊の厚い本を引き抜き、重ねて僕に渡してきた。


 上の方の重厚な白表紙に、金文字で『〇〇年 泉小学校』と書かれていることを発見する。この〇〇年とは、僕が暗黒の小学生時代を終えた年でもあり、つまり僕と同い年の人間の卒業アルバムであることを指し示す。


「これ、お姉ちゃんの卒業アルバムです。お姉ちゃんの部屋からこっそり持ち出しといたんです。一緒に見ましょう!」


「あはは、いいのかな......」


「いいんですいいんです!」


 そう言うと、乙葉ちゃんは座布団の上に僕を座らせ、そして僕の胡座の中にスッポリと収まった。もしかしたら人生で一番


 しかし、小学生の頃の小早川......この時は大路だけど、まぁ、小早川でいいだろう。小学生の頃の小早川の写真は、早いうちからラインで出回ったので、正直見飽きている。どれも笑顔の写真じゃなかったので、江藤の話が本当か疑ったものだ。それに、確か小早川が転校したのが小学四年生の頃だから、卒業アルバムに彼女の姿はほとんど見られないのではなかろうか。


 僕は乙葉ちゃんに導かれるまま、卒業アルバムを開いた。どこぞのハゲ散らかした校長をすぐさまページをめくって視界から消すと、まずはこの卒業アルバムの主役たちが泉小学校に入学したときの集合写真から始まる。当然小早川の姿はない。こう見ると、卒業アルバムというのは転校生にはなかなか厳しいものと言えるかもしれない。


 続いては”いちねんせいのころの思いで”とのタイトルとともに写真が見開きで並んでいる。どうやら一年生から六年生までの思い出を丁寧に振り返っていくつもりらしい。卒業時のクラスのメンツを並べたページはこの後だろうか。ロクに卒業アルバムなんて開いていない身なので分からないが、小学校の行事なんて毎年同じようなものなんだから、どうしてもネタかぶりしちゃいそうだけど。


 まぁ、ここにも小早川の姿はない。ペラペラとめくって四年生のページまで行く。やはり被り気味の遠足や運動会の他に、着衣水泳や社会見学の様子を納めた写真が載っている。二分の一成人式なるものもある。確か僕の学校ではそんなことやらなかったな。


 しかし、隅々まで見渡したが、小早川の姿はないようだ。ページをめくり五年生への思い出へと目を移すが、いない。小早川のことだ、カメラマンのおじさんさえ避けていたのかもしれない。そう考えると、自主制作映画の主演として頑張っているのは、なかなか奇跡的なことなのかもしれないな。


 結局六年生になっても小早川の姿は見当たらなかったので、僕がクラス名簿のページに行こうとすると、僕の手の二分の一ほどの乙葉ちゃんの手が、僕の手に重なってきた。


「あ、待ってください。通り過ぎてますよ、おにーさん」


「えっ?」


 おかしいな。僕の目には見当たらなかったが。


「ほら、これ」


「......ん?」


 乙葉ちゃんが指差したのは、小学六年生の思い出の一コマだった。運動会のリレーだろう。ずんぐりとした背の低い長髪の男の子と、すらっと背の高い短髪の男の子が二人、この背の高い美男子が長髪男子を追い抜いているところなんだろう、コース外で応援する女の子たちの黄色い声が聞こえてきそうだった。背の低い男の子からしたら、こんなところアルバムにして欲しくなかっただろうな。


 僕はコース外の赤白帽の下を確認して行くが、小早川らしき子は見当たらない。


「違います違います。ほら、こっち!」


「......んん?」


 乙葉ちゃんが人差し指で指したのは、その背の高い男の子だった......いや、男の子にしてはちょっとすらっとしすぎているというか、小学生相手にこんな表現を使っていいか分からないが、女性的なフォルムをしてるのは確かだ。


 しかし、これが小早川......? 僕はもう一度彼女の顔をまじまじと見た。彼女は余裕の笑みを口元に浮かべ、流し目で観客席の方を見ている。あまりに小早川らしくない表情だったから気づかなかった。確かに小早川だ。


「ね、かっこよくないですか? うちの男子なんかより絶対かっこいいです」


「......あ、うん」


 僕は乙葉ちゃんの言葉に生返事をして、そこで一つ思い当たることがあって、卒業アルバムを閉じ、裏表紙から開いた。小学生の僕の卒業アルバムの一番後ろの見開きは、クリーニング屋が卒業アルバムのシミ抜きを始めたのかというくらい、少しの黒を残してあとは真っ白だったが、小早川の卒業アルバムは、親子三代で技術を相伝するクリーニング屋でもお断りしするくらい、びっちりと文字で埋まっていた。


「あ、次は中学の頃見ます? 私はあんまなんですけどねー」


 乙葉ちゃんは僕の手から卒業アルバムを取り上げ、今度は表面が起毛している真紅のハードカバーのアルバムを押し付けてくる。これまた金文字で『聖ヶ丘女子中学・高等学校 中等部』と書いてある。ああ、中高一貫校でも卒業アルバムってあるんだな、と馬鹿みたいに呑気に考えてしまった。いや、無理に考えた、と言う方が正しいか。


 僕は、乙葉ちゃんに命じられるがままにアルバムを開くと、乙葉ちゃんがいきなり、「あ、これです!」と、文化祭の一幕であろう写真を指差した。お姫様のような格好をした女子と、テーラードジャケットにスラックスというキザな格好をした女子が、真ん中に”ベストカップル”と書かれたハートマークの模型を持って写っている。どちらが小早川かは簡単にわかった。


 小学生の頃と比べると、髪は肩にかかるかかからないかくらいまで伸びていた。が、長髪は長髪でも先ほどの運動会の写真で苦と楽をともにしていた彼のような長髪ではなく、なんというか、演技よりも顔で売れてる若手俳優がするような、顔が良くないととてもじゃないができそうにない髪型だ。


 そしてその表情は、能面とは程遠く、爽やかな笑みを浮かべているわけでもなく、それこそこのまま俳優の宣材写真に使っていいくらい蠱惑的で、隣のお姫様のような女子から熱い視線を受けるのも納得だった。


「なんか気取ってるでしょ。ただ、やっぱ女子校じゃないですかー。この顔で身長も高いから、まぁモテモテでしたよー」


 鼻高々といった様子の乙葉ちゃんが再び僕からアルバムを奪い取り、ページをペラペラとめくって僕に次々と小早川の写真を見せていく。しかし、中三のエリアに突入すると、途端に顔を曇らせた。


「でも、中三の頃の写真は、あんまいいのないんですよね。お姉ちゃん、なんかショックなことあったみたいで、ここら辺でおかしくなったんですよ。変なイメチェンしたかと思ったら、そのうち学校にもいかなくなっちゃって......」


「............」


「で、お姉ちゃんはそれが原因でうちの親が離婚したって思ってるみたいですけど、絶対そんなことないんですよ。うちの親、普通にずっと仲良くなかったし、お姉ちゃんを理由にしてるだけなんです。でもお姉ちゃんすごい罪悪感持ってて、私のわがままとか全部聞いてくれるから、ついつい意地悪しちゃうんです。あ、いっておきますけど私、そんな性格悪くないですからね! でもなんか、そうしなきゃって感じがして......」


 僕は明るく喋る乙葉ちゃんの頭を撫でた。すると乙葉ちゃんの身体の力がくたっと抜けて、「えへへ、本当にお兄ちゃんになってほしいくらいです」と言った。それはあまりに過大評価だ。乙葉ちゃんを元気付けるためではなく、これ以上喋らないでほしいから、僕はこんなことをしたんだ。


 コンコンとノックの音がした。体が勝手に動く。二冊のアルバムをバックの中に放り込んでバックルを閉めた。と同時にドアが開いた。


「...............」


 小早川が目を尖らせて僕たちを見る。アルバムより先に乙葉ちゃんを膝の上からどけるべきだったかもしれない。


「あ、お姉ちゃん。どうしたの?」

 

「......お友達が遊びに来てるわ」


「えっ?」


 乙葉ちゃんはエプロンのポケットに入っていたスマホを取り出すと、「あ、ほんとだ」といって、「じゃ、おにいさん、頑張ってくださいね!」と部屋から飛び出ていった。乙葉ちゃんから解放された僕は立ち上がって、自分のリュックサックの前に出た。


「すみません。乙葉の相手をしてもらって」


「あ、いやいや、全然」


「......あの子、私について何か言っていましたか?」


「えっ? いや、特に何も」


 流れるように言葉が出て、自分でもびっくりした。僕史上、一番上手く嘘がつけたかもしれない。


「......そうですか」


 小早川は伏し目がちになる。僕はリュックを見られているのではないかと心臓を掴まれる思いだった。


 その時、小早川の顔が上がり、視線がぶつかる。


「緒方さんは、末森さんの脚本についてどう思いましたか」


「......どう、思った」


「はい。偽友達というアイデアについてです」


「......あ、偽友達。うん、まあ、そうだね。なんと言うか、びっくりしたよ」


 小早川は頷き、そして、迷うようにその双眸を揺らした。僕はとてつもなく嫌な予感がした。


 小早川が口を開いた。


「私は、現実に取り入れることを検討しても良いのでは、と考えています」

 

「............」 


 僕は、正直言って、剣持のアイデアを心底馬鹿にしていた。剣持に謝らないといけない。演じるまでもなく、小早川は脚本に影響を受けてしまったのだ。


「私自身、一人でいようとするがあまり、ここ数週間で多くのトラブルに巻き込まれました。それも人間関係における悩みの一種だと言うのは、確かにその通りだと思いますし、偽友達というものを作ってしまえば、軽減できるものでもあると思います......緒方さんのように友人の方に悩まされ、しかし孤独になるのに抵抗があると言う方にも、偽友達というものは、メリットがあるのではないでしょうか」


 偽友達。僕は、自分で考えておきながら、このアイデアは馬鹿げていると思っている。お互いの利害が一致するから、お互いを友達のように扱い一緒に過ごす。そういうと聞こえが悪いが、言い換えれば、単純に人として相性があっているということもできると思う。相性が合うなんて、友達の中でも高級な方じゃないかと、ここ一年人間関係ばかり気にしていた僕は思う。


 僕から言わせれば、偽友達なんていうのはただの言葉遊びで、そんなものは友達となんら変わらないものだと思っている。小早川はそこらへん、どう思っているんだろう。


 いや、小早川がどう思ってるか、なんてことは、今はどうだっていいんだ。ふくらはぎあたりに刺さる卒業アルバムが僕を我に返らせる。とにかく今日は早く帰って、状況を整理したい。


「......その、ごめん、考えたこともなかったから、もうちょっと、考えたい、かも」


「......そうですよね」


 小早川は僕に理解を示すように大きく頷いた。そして、数分間にも及ぶ沈黙......いや、実際には数秒だったかもしれないが、僕は「じゃあ、そろそろ帰るよ」と言って、リュックを肩にかけ立ち上がった。ズシリと重みを感じて、僕はやっと現状を理解できた気がした。小早川に気づかれないよう返せないかと伺っていたが、しかし、小早川が玄関まで見送るので、結局その機会は訪れなかった。


 自転車を漕ぐ気力もなくなっていた。僕は自転車を押しながら、これからどうしようと考えた。専らの悩みは、背中に背負う二冊のアルバムだ。今からでも乙葉ちゃんを呼んで、返すべきだろうか......それもそうだが、アルバムの内容だ。とんでもないものを見てしまった。小学生の頃の小早川は、人気の男子に告白されたのが原因で嫉妬を買い、友達から無視されるようになった。それ以来、友達なんてものは作っていない......そういう話だったはずだ。しかし、アルバムの中の小早川はあの様子で、一番後ろのメッセージは、どれも親密さを感じさせた。つまり小早川は僕に嘘をついていたということで


「......緒方君」


 その時、背後から声をかけられた。振り向くと、小早川の母が立っていた。


「あ、はい。なんでしょう」


 正直、今の状態で小早川母の相手をするのは避けたかった。自転車を止めることもなく、おざなりに返事をしてしまう。


 しかし、小早川母が深々と頭を下げるので、僕は慌ててスタンドを立てて小早川母に向き合った。


「可憐を、よろしくお願いします」


「......あっはい」


 僕が呆然としている間に、小早川母は踵を返し早歩きで去っていった。ああ、きっとこうやって僕に頭を下げているところを小早川に見られたくなくって、外で声をかけてきたんだろうなと、小早川に似ている後ろ姿を見て思った。


 僕は自転車のスタンドを蹴り上げ、これ以上何も考えないよう、今度は全力で自転車を漕いだ。

 

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