第14話 ゴールデンウィーク最終日は案外笑えた


 結局、剣持は『脚本が間に合わないため、現実のことを元にしました』『小早川さんが演じやすいよう、園田は小早川さんに似せています』との言い訳とともに、例の脚本を風間先生が作った映研部のグループラインにはっつけてしまった。


 僕はもう気が気じゃなくなって、スマホの電源を落としてベッドに潜り込んだ。そして江藤の胸の感触を思い出してもぞもぞしているうちに勇気が湧いてきたので、スマホの電源をつけラインを開くと、風間先生の『いいアイデアだ。じゃあGW最終日に撮影しよう。どうせみんな暇だろ』とのメッセージと、小早川の『了解しました』とのメッセージが入っていた。


 剣持の脚本だが、少なくとも風間先生は肯定的のようだ。一瞬僕がおかしいのかと思ったが、風間先生のことだ、どんな脚本がきても適当に褒めて、さっさと映画を撮ってしまうつもりだったに違いない。もしくは待ちに待ったGWが案外退屈だったから、最終日くらい外で遊びたいと思ったのか。ああいうヤンキータイプは怠い怠い言いながら、案外学校が好きだったりするんだよな。


 気になるのは小早川だ。小早川らしい簡素なメッセージで、彼女がこの脚本に対して何を思っているのかは分からない。分からないが、少なくとも今の段階で拒否はしていない。江藤をあれだけはっきり拒絶する小早川だから、もし剣持からの好意を読み取ったのなら、すぐさまこのライングループから退会、もしくは剣持を強制退会させているはずだ。


 ......まあ、どれだけ考えたって、僕が小早川の思考を読めるとは思えない。僕も『了解です』とラインを返してから、江藤の胸の感触を五感に刻み付けるのが重要だ。感触を五感にってどんな高度な変態だよ。


 そして、GW最終日、僕たちにサプライズプレゼントが二つあった。例年だったらとっくに散っているはずの桜が、なんとか生き残ったのだ。末森の脚本では、主人公の悠木と園田は始業式に出会うことになっている。まぁ四月の頃に比べたら見栄えは悪いが、始業式のシーンに桜があるのは、映画にとって一応のプラスだろう。


 そしてもう一つ。どちらかといえば僕たちへのプレゼントというよりは僕たち以外の部活生へのプレゼントなのだが、ほとんどの部活がGW最終日を休みにした。よって学校はガラガラで、おかげで人目を気にせず撮影をすることができるのだ。風間先生がこの日を選んだのは、小早川が目立つのは嫌だと主張してくれたおかげだろう。


 とはいっても万が一のことがあるので、今日の僕のファッションはキャップに伊達眼鏡にマスクの不審者ルックだ。風間先生には変な顔をされたが、花粉症になりまして、と言い訳しておいた。おかげで明日から花粉症でもないのにマスクをつけなくてはいけなくなった。まぁ、誰も僕に興味ないから、結局自意識過剰で終わるんだろうけど。


「おし、じゃあ始めるとするか」


 風間先生が言うと「......あ、あの、緒方くん......これ」と末森がスラックスからスマートフォンを取り出し、ロックを解除してから、僕に手渡してきた。


 そう、脚本について話し合っているうちに意気投合した僕たちは、晴れて付き合うことになり、束縛するタイプの僕は末森にスマホを提出を義務付けているのだった......というのはもちろん嘘で、なんでも剣持のスマホは4Kという高画質で動画を撮ることができるらしく、僕の二世代前のヒビありスマホとは性能に雲泥の差があるので、撮影は自分のスマホでやったほうがいいと、剣持から提案があったのだ。ちなみに風間先生のは四世代前で、小早川のスマホはまだお目にかかったことがない。


 剣持のスマホを受け取り、所定の位置につき、カメラを構える。初めての演技、剣持は氷点下の中で振り回された濡れタオルのようにガチガチに緊張している。相当ひどいことにでもならないと風間監督はNGを出さないだろうが、この調子だといくつかは覚悟しておいたほうがいいだろう。しかし、口からでまかせだったんだけど、自分と似たようなキャラを演じると言うのは、初心者には有効な手段かもな。


 剣持演じる主人公の悠木は、剣持に似ているとは言えないキャラだ。いわゆるやれやれ系というやつで、特に人間関係には本気で”やれやれ”しているらしく、自ら一人になることを選んでいる、小早川の男性バージョンのようなキャラクターだ。そして同時に、『僕は最下層で笑う』の主人公にも似ていて、僕はなんとも言えない羞恥心に襲われてしまう。


 そんな主人公を心配している同級生として、加納というキャラクターを脚本に追加したのが一昨日のことだ。悠木と園田がどちらも人との関わり合いを避けているがゆえにストーリーが展開しにくいからどうしても必要だという名目での追加だったが、本来の僕たちの狙い......というより、江藤の狙いは別にあった。しかし、風間先生の意外な献身と江藤の寝坊によって、その狙いは今やグダグダだ。


「しかし、演技なんて初めてだから緊張するなぁ」


 風間先生が対して緊張もしていない様子で言う。演技以前に成人女性がその学校の制服を着て敷地内に侵入という僕以上の不審者っぷりを発揮しているんだから、もう少し緊張した方がいいと思う。


 そう、少なくとも二十二歳以上のはずの風間先生は、女子高生の加納役をなんの抵抗もなしに受け入れてしまったのだった。なんなら集合場所にJK姿で来た。どんなメンタルしてるんだろうか、この人。バスケ部顧問になってそのメンタルを部員に植え付けてあげてほしい。


 そんな二人が出演する、今から撮るシーンは、一人で登校中の剣持......悠木に、加納が声をかけるところから始まる。桜並木を使うほどのシーンではないので、山の上にある校舎へと向かう坂道を使う。登校シーンで二人以外の人影がないのはおかしな話だが、まあそこは素人の自主制作映画なんだから、大目に見てもらうのがいい。


「じゃ、行くぞー。3、2、1......アクション」


 僕は3あたりで画角に末森を入れて、スマホの録画ボタンを押しておく。そこにとっとことっとこ走ってきた風間先生が、剣持の肩をポンと叩く。


「よっ、悠木。元気してたか?」


「......別に」


 剣持の声も表情も緊張でカッチカチなのだが、意外とそれが、スマホ越しには拒絶感を見せているようにも見える。おお、凄いぞ、行けそう。


「相変わらず暗いやつだな。そんなんじゃ今年も友達できないぞ〜」


「......べっ、べ別にいらないっていってるだろっっ」


 しかし、今度は緊張が悪いように出てしまい、金髪テール八本分くらいのツンデレ口調になってしまった。


 そのまま二人が歩き出すので、僕も彼らの横でカニ歩きをする。このカメラワークがいいのか悪いのかもわからないが、ま、別にそんなことはどうでもいいだろう。


「はぁ、そうやって捻くれてるうちに卒業しちゃうぞ〜。高校生活は一生に一度しか訪れないんだから、青春しないと後悔するって」


「......僕の青春は友達を必要としてはいない」


 今度はツイッターの備考欄に”毒舌注意”とでも書いていそうな早口で言う。このままじゃ悠木に多重人格という設定を追加しなくてはいけなくなりそうだ。しかし剣持、なかなかに刺さるセリフ書いてくれる。確かに高校生活は一生に一度しか訪れない。僕はこんなリスクを背負っていて大丈夫だろうか。


「もぉ〜、そういうの、ちゃんと友達作ってからいいなよ〜......仕方ないなぁ」


 そう言って、風間先生は立ち止まると、ペチンとちっこい手を合わせてぐむむとしかめっ面で唸った。そして、パァッと華やかな笑みを浮かべる。


「ほら、悠木に友達ができるようにお願いしといてあげたから、ちゃんと友だち作りなよ?」


「......はああああああ」


 剣持がクソでかため息をつくと、「......はい、カットー」と風間先生が一転気怠そうに言う。録画停止の赤四角のマークを押すと、スマホはピコンと間抜けな音を立てた......しかし、なかなか良かったんじゃなかろうか。剣持に対しては内心なんだかんだ言ったが、しっかりとセリフを言えているだけすごい。僕がやったらもっと大惨事になる自信がある。具体的に言うと失禁する。


 しかし、驚いたのは風間先生だ。いつぞや、風間先生は演技の才能がない、なんて思ったが、全然そんなことはなかった。演技中の先生は、いつもの気怠げな雰囲気は吹っ飛び、そのプリン色の頭を加味してさえ、天真爛漫な少女にしか見えなかった。本当に別人だ......とまでいうと流石に大げさだけど、普通に才能あるんじゃなかろうか。大学生の時の風間先生をスカウトした人は見る目があったのかもしれなく。見事なJS姿だ。JKじゃなきゃ駄目だろ。才能ないじゃん。


 しかし、問題がここからだ。階段を登って桜道にきたところで、二人は桜を眺めている園田を目撃する。つまりここから、小早川の出演シーンが始まるのだ。


 その小早川はというと、カメラ内に入らないよう僕の後ろで撮影を見守っていた。その表情は、どこか固いように見える。やはり、あの程度の言い訳じゃ、どうにもならなかったんだろうか......いや、どうにもならないほうがいいんだ。これ以上小早川を騙すような真似はすべきじゃないんだから。


「あっ、あっれ〜? みんなっどうしたの?」


 すると、息も絶え絶えの声が後方からした。振り返ると、江藤が額の汗をぬぐいながらも爽やかな笑みを浮かべて立っていた。どうやら全速力で来たようだ。


「おお、江藤か。お前こそどうしたんだ?」


「あたし?......あの、忘れ物してさ、宿題の」


「おいおい、もう最終日だぞ。間に合うのか?」


「だいじょぶだいじょぶ......ていうか響子ちゃん、何その格好」


「何って、制服だよ、似合うだろ?」


「うん、めっちゃ似合うね。待って、写真撮ってクラスラインに貼っつけるから」


「それはやめてくれ! 社会的に死ぬ!」

 

 なんて冗談をきゃっきゃきゃっきゃと交わす二人。随分と楽しそうだ。風間先生みたい変わった先生でも、やっぱり陰キャよりも江藤のような人気者を相手にする方が楽しいんだろうな。悲しくなってきた。あと江藤、僕の格好には全然触れてくれないな。まぁ風間先生と比べたら確かにインパクトはないが、通報しがいだったら僕にだってあるぞ。どんなところで張り合ってるんだよ。


 しかし、おかげでこの不審者ルックもそこまで必要なものではなくなった。江藤がいる今なら、曽根田に目撃されようが心配はない。なにせあの江藤がいるんだから、それだけでこの集団の見え方が全然違ってくる。僕なんか誰の記憶にも残らないに違いない。


「それで、みんなは何してるわけ?」


 さすが運動部からの勧誘が絶えないだけあって、大分息が整ってきた江藤が聞く。風間先生はちらりと小早川の方を伺ってから、言う。


「ああ、映画撮影をしてる」


「へぇ! 映画撮影なんてしてるんだ!」


 江藤のわざとらしいリアクションに、風間先生の顔に不審の色が宿る。僕だったらこの時点で怯んでグダグダになるところだが、江藤は果敢に挑みかかる。


「もしよかったらあたしもなんか手伝おっか。あたし、演技とか結構自信あるよ。暇だしさ」


 これが江藤のたてた「めんどくさがってる風間先生の前に颯爽と現れ加納役押し付けられよう」作戦だ。しかし、当の風間先生は救世主の登場に喜んでいる様子もなく、可愛らしく小首を傾げている。


「いや、宿題まだやってないんだろ? 全然暇じゃないじゃん」


「......大丈夫だって! 啓介に全部見せてもらうから! ね? 啓介」


「ははは、まあ、間に合わないようだったら」


 風間先生はこういうので怒る先生ではないだろうと、僕は苦笑い交じりに返す。すると、風間先生はもう一度小早川の方に視線をやった。


「てことだが、どうする、小早川」


 どうやら小早川に判断を任せるらしい。断られるに決まってる。けど、江藤はいつものようにしつこく行くだろうな。いつも繰り広げられる塩対応の嵐が始まると思うと、鉛でも詰め込まれかのように胃がぐっと重くなった。


「......私は、構いません」


「............」


 静寂。


 僕はまず江藤、そして風間先生、最後に剣持の顔を見た。皆等しく目と口をまん丸にしている。どうやら僕が東堂ではなく小早川の声で幻聴を聞いた、というわけではないらしい。


 それなら、小早川が江藤を受け入れたと、そういうことなのか? 僕は説明を求め小早川の方を見た。そして、無表情がデフォルトの彼女らしからぬ複雑な表情が浮かんでいるのを見て、さらに驚いた。なに、もしかして全員に高次元的な存在が小早川の声を借りて語りかけてきてるとかそんなんなのか? このまま異世界転移とかしちゃんじゃなかろうな。どうせなら転生がいいな、僕。


 しかし、残念ながら転移も転生もできなさそうだ。小早川はそのままの表情で、桜色の唇を開いた。


「私の代わりに主演をやっていただけるなら、私としてもメリットがあります。私は裏方の仕事をやらせていただければと思います」


「......か、代わりかぁ」


 遅れて喜びのガッツポーズをした江藤が、そのままの姿勢で固まる。そして、僕の方に助けを求めるような視線を送ってくる。それなら僕は僕で助けを求める視線を剣持にでも送らないといけないか。いや、一番助けが欲しいのは剣持だろう。少なくとも小早川は、江藤に園田役を託すくらい園田役が嫌なのだ。

 

 場は妙な沈黙に包まれた。一人、風間先生は戸惑ったように僕たちを見回した。そして、沈黙に耐えきれなくなったのか、口を開いた。


「......ま、あたしは映画が完成するならいいぞ。そうするか、えと」


「それは駄目だ!!!!!」


 それがどれくらいの絶叫だったかというと、高校が建つ山に住み着いているせいか、人間に対する警戒心が緩めな鳥たちが一斉に羽ばたいて行くくらいのものだった。


 視線が一斉にその叫びの主、剣持へと向いた。真っ赤になった剣持の顔から徐々に血の気が引いていく。僕は剣持がなんで中高と学校で馴染めなかったのか、いい加減理解してきた。


 重苦しい泥のような沈黙に場が支配される。ここはこの状況を生み出した要因の江藤に全て投げ出したいところだが、流石の江藤も、剣持の絶叫には怯んでいるようだった。曽根田みたいな常時生理のような男が切れるのとはワケが違う。女児向けアニメぷにキュアで伝説の戦士たちが敵に惨殺されてしまうようなものだ。ギャップがありすぎる。


 すると、目の端で小早川が動くのが見て取れた。小早川は剣持の目の前までくると、すっと頭を下げた。


「私が勝手に決めていいことではありませんでした。すみません」


「......ぁ、ぃゃ」


 剣持の声は、春のそよ風に運ばれなんとか耳に届いた。江藤が遅れて「......へっ!?」っと調子外れの声をあげる。過去に小早川に謝られたことがある僕は声をあげずに済んだが、初見の人間からしたら驚愕の光景だろう。


 そして、小早川は頭を上げ、二、三歩後ろに下がって、そのまま直立不動だ......なんだこれ。矢継ぎ早におかしな事が起こりすぎて、場が荒れきってぐちゃぐちゃだ。どうするんだよこれ、誰がまとめるんだ。


 僕は迷って、ここはやはり教育者が責任をとるべきだろうとの結論に至った。僕は風間先生の方を凝視すると、数秒後風間先生は僕の視線に気づき、えっ、あたし!? みたいな顔をした。僕はすっと視線を逸らす。


 風間先生は生唾をごくりと飲み込んでから、小さな手をバチンと強く合わせた。


「ま、まあ、じゃああれだ、通行人役! 江藤は通行人役ならいいんじゃないか! なぁ、緒方!」


 対して僕は「そうですね。そちらの方がリアリティが出ると思います」と無難に答えた。


「おお、それはいいな! 江藤、協力してくれるか!」


「あ、もちろんもちろん! もちろんすぎるよそれ!」


「よ、よおし! それじゃあさっそく撮影するか! 緒方、準備準備!」


 あまりの空気の悪さに耐えかねたのか、風間先生は逃げるように階段を降りて行った。これならバスケ部の顧問をやっといた方がよっぽどマシだったと今頃思っていることだろう。


 ということで、空気の悪いまま撮影は始まった。まずは風間先生と剣持が階段を登ってきて小早川を発見するシーン。剣持の茫然自失という表情が、図らずも小早川に見惚れているようにも見えた。加納にもそう見えたので、加納は早速自分の願いを神様が叶え悠木の友達候補を顕現させたのだと、いきなり園田に話しかける。風間先生が「ねえ、ちょっと君!」と駆け出すシーンまで撮って、一旦撮影を終える。


 そして、次は小早川が桜を眺めているシーン。順番的には小早川を発見→小早川が桜を見ている→風間先生が小早川に話しかける、だが、そこは編集でどうとでもなる。それもスマホでできるというんだから、便利な世の中になったものだ。今日の出来事も編集してなかったことにしてもらえないだろうか。

 

 僕はただただ突っ立って、小早川の全身像を取り続ける。そよ風に髪をなびかせる小早川の表情は、先ほどよりよっぽど硬くなっている気がした。今、小早川は何を考えているんだろう。やっぱり嫌なんだよな、こんな脚本。だから、あの江藤に任せるなんて判断をしてしまったわけだし、しかしそれなら脚本が送られてきた段階で拒否したらよかったんじゃないか、いや、真面目な小早川のことだ、自分が嫌だという理由だけで脚本を却下することができなかったのかもしれない。


 どのみち、脚本にマイナスの印象を抱いているのは間違いない。そんな状態でいくらいいストーリーを書いたって、小早川の心に響くことはないだろうな。まあ、そんなの当たり前の話なんだけど。


 僕は、小早川から距離をとって、人二人分が入りそうなスペースを画面に作った。そこにまず江藤が歩いてフレームインしてくる。よく考えたら手ぶらの彼女は何しにきたんだって話だし、通行人Aとしてはオーラがありすぎるように思う。お次は風間先生が飛び込んできて、何気ない会話を「ねぇ、よかったらあいつの友達になってあげてよ」と言う。すると、小早川は冷たい視線で風間先生を見、


「すみま千が、ワタシ、友達ツクルツモリないnode」


「ぶふぅっ」


 パキン、という擬音がはっきり聞こえるくらいに空気が凍りついた。そして、四者四様の視線が僕に突き刺さる。


 それも仕方がない。なにせ今僕は、小早川の演技に吹き出してしまったのだ。

 

 この張り詰めた空気の中で、あまりに見事な緊張と緩和だったから、ついつい笑ってしまったわけだが、小早川が皆を笑わせるためボケたわけがない。つまり今の壊れかけのレディオがちょうど壊れてしまったような演技は、小早川のマジ演技なんだろう。


 僕はそんなマジ演技で、ドキュ○ンタルだったら一発レッドくらいに笑ってしまったのだ。失礼極まりない。そんな屈辱を受けた小早川はというと、いつもの無表情を装ってはいるが、目を凝らせばピクピクと口元が動いているのが分かる。ああ、間違いなく怒ってる。


 沈黙が続く。誰も僕に助けの手を差し伸べようとしない。今の僕は先ほどの剣持くらい救いがたいのだ。ああ、なんとか言い訳しないと。しかし、こんな状況で言い訳できるか? 下手に言い訳するくらいなら素直に謝った方が


「あ、すみません。花粉症が酷くって、堪えようとしたんですけどくしゃみ出ちゃいました」


 そう思いきる前に、自然と口から言い訳が飛び出していた。僕にとって言い訳は、それこそ笑うことと同じくらい、我慢するのが難しいものなのだ。笑っちゃうくらい糞だな、僕。




    ※




「文ゲイブは、korekara一斎の、ムダな閣下わりあいを金字ます」


「......くふふ」


 僕はめいいっぱい体を壁にひっつけていたのを辞め、カメラを止めた。横で江藤が「ごめんごめん」と手を合わせて謝る。僕としては、自分が笑う前に笑ってもらえて助かったが、笑われる小早川からしたらたまったもんじゃないだろう。鋭い眼光で江藤を射抜いた。


「江藤さん、帰ってください」


「えっ、ダメダメ。手伝うって約束したもん」


「......もしかしたら勘違いさせてしまったかもしれないので、はっきりと言わせていただきます」


 小早川が雪女八人分くらいの冷めた声色で言う。


「あなたを受け入れたのは、どうせ拒否したってしつこく付きまとってくると思ったからです。それなら演技だけさせて、満足したところで帰っていただいた方がいいと思ったんです」


「えー? 本当にそれだけ?」


 しかし、江藤にはノーダメージ。ニヤニヤと笑いながら小早川の顔を覗き込む。


「演技するの、恥ずかしかったんじゃないの?」


「............」


 図星、だろうか。まぁ、正直、あの演技力だったら恥ずかしいよな。きっと演技なんてまともにしたことなくって、まあできるだろうと舐めてたら全然できなかったパターンだろう。


「そんなことは関係ありません。私たちはただ映画が撮れたらそれでいいので」


「へぇー、そうなんだー」


 江藤はニヤニヤと笑いながら小早川を見、今時女子にはあまりに古臭い、手のひらを拳で叩く動作でひらめきを示した。


「だったら、部員足りないよね。あたし入ろっかなー」


「駄目です」


「え、なんで?」


「......部室が狭いので、部員を制限しているんです。江藤さんが入るだけの余裕はありません」


「え? 入れてるじゃん」


 江藤が即座に反論する。確かに、思春期男子にはなかなか厳しい距離感ながら、五人、部室に収まってはいる。


「......入れてはいますが、活動はしづらいでしょう」


「うーん、そうかな? だって映画見るだけでしょ? だったらスペースなんて必要ないじゃん」


「............」


 小早川は再び口を閉ざす。小早川がこれだけ押されている展開は初めてみる。


「なんか変な人が入ってくるよりは、あたしの方が良くない?」


「......良くありません」 


「あはっ、辛辣だなぁ」


 小早川のはっきりとした拒絶にも、江藤は余裕の笑みを浮かべる。江藤の髪色から僕は彼女のことを金魚の代表格みたいに扱っていたが、いい加減金魚からのランクアップを考慮しないといけないかもしれない。オレンジ色の大き目の淡水魚って何がいるかな。あとで調べておこう。


「でもあたし、この部活のルールちゃんと守るよ」


「......どういうことでしょう」


 小早川の表情に不審の色が走る。まずい、僕たちが江藤に部活のことを漏らしたことがバレてしまう、と覚悟していたくせに心臓がキュッとなった。

 

 しかし、江藤は焦る様子すら見せない。


「やや、この映画の内容と、可憐ちゃんの性格考えたら、そのくらいの推理できるよ。無駄に関わっちゃダメって感じでしょ? ダイジョブダイジョブ、守るから」


「......本気で言ってますか」


 よく考えれば、会話の内容こそ決していいものとは言えないものの、これだけの会話が江藤と小早川の間で繰り広げられるのも、初めてのことかもしれない。


「普段あれだけ、私に話しかけてくるのに」


「それはクラスメイトに話しかけちゃいけないルールないからじゃん。映研部がそーいうルールなら、あたしはちゃんと守るよ? それにそもそもあたし、家の手伝いで毎日は参加できないし」


「......映研部は生徒会に目をつけられているので、部活動に参加できない方を入部させるわけにはいきません」


「いやいや、サボりならともかく家の都合だよ? それで文句言って来たら、あたし戦うから」


 そう言って、シュッシュとシャドーボクシングをし始める江藤。運動神経がいいだけあって様になってはいるが、狭い部室ゆえ隣の僕にちょいちょい当たってることも考慮して欲しい。


「......江藤さんは」


 そんなコミカルな動きにも、当然小早川の表情は緩まない。


「なぜそこまでして私に執着するのですか?......私の態度は、決して気分のいいものではないはずです」


「......んー、その、いや、もちろんさ、可憐ちゃんがいるからって理由もあるよ」


 江藤は腕を組んで眉間に皺を寄せる。


「でも、もともとあたしちょっと入ってみたかったんだよね、映研部。響子ちゃんは知ってると思うけど」


「......ああ、うん、そうだったな」


 風間先生が、なぜかちょっと気まずそうな表情で頷く。不良の両親と何かあったんだろうか。しかし、申し訳ないが、今は相談に乗る状況じゃない。


「でも部員ゼロ人だしどうしよっかなーって悩んでたら、こうやって部員が三人も集まってるんだもん、入りたくなるよ。一人は友達の啓介だし」


 江藤が僕に笑いかけながら言う。よくもまあいけしゃあしゃあと言ったもんだ。僕と剣持が映研部に入ったって聞いた時は大したリアクションしなかったくせに。だから別に嬉しくない、嬉しくないんだからっ。


「.........っ」


 見事なカウンターを食らった小早川はというと、江藤から視線を逸らし伏し目がちになっている。いや、そりゃ小早川でも効くよ。暗に自分が自意識過剰だって言われてるようなもんだもの。江藤、これを狙ってやってんなら、案外腹黒なのかもしれない。実際は自意識過剰でもなんでもないんだけど。


「......そうだな、それじゃあこれでどうだ」


 ここで、風間先生が口を開く。


「江藤には正式な部員ではなく仮入部員として映研部に来てもらう。そこでお前たちが江藤を映研部に入れてもいいか判断すればいい。もちろん、江藤がいいならって話だがな」


「あ、全然いい!」


 江藤が即答する。視線は、自然と小早川に集まった。断るだろう、とついさっきまでは言い切れたのだが、今は何が起こったっておかしくない。


「......緒方さんと剣持さんは、どうですか?」


 その質問はほぼほぼ意味のないものだろう。僕と剣持が江藤を拒否できるわけがない。「あ、俺はいいと思う」「......はっ、はい......僕も」と答えると、小早川は「......もし、少しでも余計な関わり合いをするようなことがあれば、辞めていただきますが、それでもよろしいですか?」と、江藤に言う。


「オッケーオッケー! モウタンマだよ!」


 多分、無問題モウマンタイと言いたかったんだろう。それだとむしろ困ってる感満載に聞こえる。


 いや、それどころじゃない。とんでもないことが起こりそうだ。


「......それならば、私は構わないです」


「やったーーーー!!!」


 江藤が渾身のガッツポーズから、隣の僕にハイタッチを求めてきた。僕はそれに苦笑いで答えて、この苦笑いが本物だということに気がついた。


 いや、本当になんなんだろうな、この展開。小早川としては、江藤を避けたくってこの部活に入ってるようなものじゃなかったのか? いや、江藤は江藤でも、自分に話しかけない江藤なら、問題はないということだろうか。こういう活動を通して、教室でも江藤が話しかけなくなることを期待しているとか。まぁ、どのみち異常事態なのは間違いない。


 いや、ここは喜ぶべき場面だろう。喜ぶべき場面というか喜んでるよ。これでなんの心配もなくなった......というと嘘になるが、今の所教室どころか柏葉高校のトップカーストに入っている江藤がいてくれるなら、随分と心強い。


「......それでは、私の代わりに演じていただいてもいいでしょうか」


 小早川としては、剣持が怒ったのは、自分が了承してもいないのに江藤を受け入れてしまったことが原因と思っているんだろう。この一人事情を知らない感じ、すごく心苦しい。言える立場じゃないが。


「あ、ダメダメ。せっかくおもしろ......いい感じなのに」


 ほぼ言ってるというか、繋げたら言っちゃってる江藤に、小早川は冷淡な視線を注ぐ。早速怪しくなってきた。


「それと、可憐ちゃんの代役はちょっとあたしには無理だって。ルックスレベル違いすぎるし。ね、響子ちゃん?」


「いや、そうでもないんじゃないか。江藤、乳でかいし。途中でマイクロビキニになってバランスボール乗るシーンとか入れたら絶対賞金手に入るぞ」


「......風間先生」


 流石に受け入れられないレベルのセクハラだったのか、江藤は冷めた目で風間先生を見た。しかし、風間先生が実際にスマホでマイクロビキニを探し出すと、爆笑して風間先生とじゃれあい始めた。ていうか風間先生、江藤のことほんと好きだなぁ。好きの意味変わってきてる可能性出てきたけど。


 しかし、そうか。こんな感じだと、江藤、すぐに追い出されちゃいそうだな。現段階で風間先生とムッチャ無駄な絡みしてるし。


 僕は小早川の方を伺った。小早川は我関せずと言った様子で窓の外を見ている。自分に関わってこない限りは黙認するつもりだろうか。僕はホッとして、ホッとしたことにホッとした。



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