第13話 インスタ映え(古)喫茶でこの脚本はキツすぎる。

 

 剣持から脚本がキリのいいところまでできたので見てほしいと言われたのは、GW三日目のことだった。てっきり苦戦するものだと思っていたから驚いたし、更に驚いたのは、続いて剣持から『ご都合の良い日はありますか? また、場所はどこが良いでしょうか?』とのメッセージがきたことだ。確かにライン上だけでやりとりするより、直接会って話した方がいいに決まってるが、まさか剣持の方から、そんな提案があるとは思ってもみなかった。


 あいにく江藤グループの金魚リア充たちから連絡が入るようなこともなかったので、日時はいつでもよかったが、場所はそうもいかない。まだロクに喋ったことのない間柄だ、自宅というパーソナルスペースに招くのも招かれるのも避けたい。


 学校は選択肢としてはありだけど、GW中にも関わらず部活に勤しむ生徒で案外賑わっていたりするので、剣持としてはあまり近づきたい場所でもないだろうから......と言えば聞こえがいいが、僕が剣持と一緒にいるところを曽根田に見られたら最悪だ、という、糞みたいな理由が本当のところだ。


 場所はファミレスがいいのではと伝えると、剣持も了解して、GW四日目の午後一時ごろに、駅前にあるファミレスに現地集合することになった。


 そして今日、待ち合わせ十分前にそのファミレスに到着すると、休日にも関わらず制服姿の剣持の姿がファミレスの駐輪場にあった。僕は、ロンTにスラックス、キャップと言う別段おしゃれな格好をしてきたわけではなかったが、相対的になんか頑張ってる感じがして、ちょっと恥ずかしい。


 しかし、どうせなら入って待っといてくれればよかったのに、と思って近づくと、その理由がわかった。駐輪場に並んだ自転車の中に三つほど、その後輪を覆う泥除けに柏葉高校を示すステッカーが貼り付けられていたのだ。


 つまり今、このファミレスには、少なくとも三人、柏葉生がいると言うことだ。どうせテスト勉強だとか言って、大して勉強もせずに人数分のアイスコーヒーで粘っているに違いない。そんな連中の体内に取り込まれるカフェインが可哀想と言うものだ。


 ま、僕と小早川ならともかく、僕と剣持なら、見られたところで一切の話題にはならないだろう。しかし、バスケ部をサボった曽根田がいないとも限らない。


「......別のファミレスに行こっか」


 僕がそう言うと、剣持はなぜか申し訳なさそうに頷いた。僕が剣持を気遣ったとでも思ったのだろうか。罪悪感が湧くので堂々としておいてほしい。


 そうして別のファミレスに向かったわけだが、そのファミレスにも柏葉高校のチャリが止まっていた。どうやら自称進学校柏葉高校への進学は、家族との不仲を引き起こすらしい。GWくらい家族で過ごしないさい、というとあまりにブーメランだからやめておこう。


 こういう状況を見るに、自分で言いだしておいてなんだが、ファミレスは避けたほうが無難かもしれない。ファミレスなんて、僕同様暇で金もない半端田舎高校生にとってベターな居場所だ。たとえ柏葉高校の自転車がないファミレスを見つけて安心して入ったって、その後柏葉高校生が来る可能性だって十分ある。


 別に腰を落ち着けてそれなりの時間いられるような場所だったらどこでもいいんだ。そう考えると、駅前に来たこと自体間違いだ。集まるといえば駅前だからと、完全に思考停止していた。


「あ、あの......レビューのいい喫茶店が、あるみたい。チェーン店でも、ないし」


「あ、そうなんだ。じゃあ、そこにしようか」


 僕が悩んでいる間に、剣持が次なる候補場所をスマホで調べくれていたようだ。案外気がきく。しかし、喫茶店か......何か引っかかるが、出てこない。ま、曽根田が喫茶店なんてところにいるイメージないし、いいかもな。それより、この予定になかった移動時間に対する気まずさの方が気になるなぁ。


 僕たちはとりあえず駅前の駐輪場に自転車を置いて、剣持の先導で歩き出した。当然会話はない。脚本の話題を振ってもいいが、それはその喫茶店とやらについてからの時間に取っといたほうがいいだろう。喫茶店で向かい合って沈黙とか最悪だもんな。


 となると、僕たちの間で共通の話題といえば、映研部のことか、まきノンだろう。僕は少し迷ってから、後者を選んだ。


「ああ、そういえば剣持、あの魔法少女まきノンっていうの」


 剣持の肩がキュッと縮こまった。僕がまきノンの酷評をするもんだと思ったのだろうか。慌てて付け加える。


「びっくりしたよ、すごい内容で......わけわかんなかったけど、それが面白かった」


 すると、剣持はネッシー、ビッグフット、チュパカブラが並んで仲良く歩いているのを目撃したかのように僕を見てきた。思わず笑ってしまう。そんなにまきノンが褒められるのが信じられないのか。一応筆箱にキーホルダーつけるくらいにはファンなんだろ。


「......そっ、そうですよね」


 遅れて、剣持がぎこちなく笑った。そして、視線を彷徨わせてから、地面に落とす。


「そ、その、よかったら、貸します。その、僕持ってるんで、ブルーレイ」


「......あ、うん」


 へぇ、これまた意外だな。それとも、僕が貸してくれと要求しているように聞こえたか。ちょっとした話題提供のつもりだったんだけど。再三言うが、僕はスクールカーストの下の人間と仲良くするつもりはない......まぁでも、妙な気を使ったせいで、僕はまきノンを見れていない。おかげで疲れも取れていないんだ。


「そうだな、貸してくれたらありがたいよ」


「う、うん」


 そこで、会話は一段落した。思えば、こうやって物の貸し借りをすること自体久々だなぁ......なんて考えているうちに目的地についたようだ。僕はその来た事が無いはずのヨーロッパ風のレトロな喫茶店に強烈な既視感を覚え、その喫茶店の名前が『フラーズ・オンソン』であることに気づいた時、ろくすっぽ開いていないインスタのタイムラインで、ハッシュタグ付きでその店名を見た事があることを思い出した。


「剣持、ここはやめておこうか」


「え」


「ここ、なんなら一番、柏葉生と遭遇しちゃう場所かも」


 その時、チリンと音を立てて目の前のドアが開き、ウェイトレスが一人、箒とちりとりを手に出てきた。ブラウンの瞳がぱちくりと瞬く。 


「あれっ、啓介?」


 僕はなんとか表情筋のみで整形をして別人になることを試みようかと思ったが、基本笑うくらいにしか使ってない筋肉は自動で頬を釣り上げた。


「来てくれたんだー......剣持くん? なんか意外な組み合わせ......あ、その前に」


 そのオレンジ頭のウェイトレス、江藤が、HPを広範囲で回復させそうなくらいに素敵な笑顔を振りまいた。


「いらっしゃいませ。二名様、ご案内で〜す」


 礼儀正しく礼をしたかと思うと、元気に僕たちを招き入れる。ここで踵を返して帰る勇気は、残念ながら僕にはない。完全に手遅れだ。ああ、おとなしく学校でやっときゃよかったんだ。やっぱ僕が主体的に行動するとろくなことがないな。


 僕はキャップを目深にかぶって門をくぐった。すると、キャッキャウフフとはしゃぐ女子の声がして、僕にはそれが「あ、変な奴らが来た」と笑っているように聞こえ、ぶわっと鳥肌がたった。


 僕たちは窓際の丸テーブルへと導かれる。剣持の顔色は、色を無くしてもはや小早川以上の透明度を誇っていた。本当に申し訳ない。僕がしっかりしていたら避けられたことだ。


「やっときてくれたと思ったら、男連れとは隅に置けないねぇ」


 江藤がわけのわからないことを言い残して、掃除道具を持って奥へと消えていった。きっと掃除を中止してまで、僕たちの接客をしてくれるのだろう。剣持の心配よりも、まず先に僕の心配だ、と頭が痛くなる。


 江藤のお母さんが洒落たカフェを経営していることはもちろん知っていたし、その喫茶店の名前が『フラーズ・オンソン』......日本語にすると『文・香』だということも、聞いていたんだ。ただ、なるべく避けていたので、場所までは知らなかった。


 なぜ避けていたかというと、インスタなんてものでここの外観を知っていたことからもわかるように、ここは柏葉一軍女子の溜まり場と化しているからだ。つまり、陰キャ男子にとっちゃ、いるだけでHPをぐんぐん消費していく沼地のようなものなのだ。


 僕はキャップのつば越しに店内を伺う。席はほとんど埋まっていて、六割方若い女性だったが、僕の知る顔は、一応のところなかった。


「はい、こちらメニューになります」


 しかし、客に柏葉生がいなくたって、店員がガチガチの一軍柏葉女子だ。これからの展開を考えると頭が痛い。


「あ、啓介、剣持くん、お昼まだ?」


「あ、うん。まだだよ」


 剣持も、なんとか僕に同意を示す。


「それじゃあ、男性人気一番のチキンバーガーがお勧めですよ」


 本当はコーヒー一杯でも飲んでさっさと帰りたかったが、オススメされたらじゃあそれでといってしまうのが糞野郎たる僕の性だ。剣持もめいいっぱいの様子で僕と同じようにする。写真で見る限り、かなりのボリュームがありそうだった。


 それにコーヒーを二杯頼むと、江藤は再びキッチンの方まで行き、チキンバーガーとコーヒーをそれぞれ三つづつ、江藤を大学生にしたような女性に注文し、そして、昼休憩入りまーすと言ってから、エプロンを脱ぎながら僕たちのところまで来た。


「よし、店員終わり! 珍しい組みわせだね!」


 今の今まで一切の会話をしてこなかった僕と剣持という組み合わせが、江藤の興味をそそってしまったようだ。きっとGW明けの学校で、僕たちが『フラーズ・オンソン』に来たことを言いふらすことだろう。いや、流石の江藤でも僕と剣持じゃ話を広げられないか。被害妄想被害妄想。


「......えっ、もしかして本当にデートだった? えっ、すごいっ」


 江藤が頬を染めて僕たちを交互に見る。ああ、このままじゃ学校を席巻しえる話題を提供してしまう。


 僕はどこまで話していいものか考えた。普通に僕と剣持が映研部に入部し、その活動の一環として脚本会議をしにきたといってしまえばいいのだろうか。しかし、映研部のメンバーは当初目標にしていた三人に達し、部室の狭さを理由に断ることが可能になった、と思いきや、三人じゃやばいんじゃ疑惑も出てきたところだ。もちろん小早川のことを伏せればいいんだけど、江藤は小早川なしの映研部に一度入りたがったことがあったから、もしかしたら入部を希望するかもしれない。そしてそれを断ることができず江藤が映研部に入部することとなったら、小早川のブチギレ退部は免れないだろう。


「あっ脚本会議です」


 すると、僕が答える前に剣持がか細い声をあげた。僕がおとといのように困っていると思って、話に入ってきてくれたんだろうか。

 

 それなら本当にありがたい話だが、同時にとても恥ずかしくなった。風間先生や小早川相手ならともかく、普段それなりに接している江藤相手でも、剣持を頼ってるようじゃちょっと糞すぎる。


「えっ、脚本会議って何の?」


「いや、僕と剣持、映研部に入ることになってさ。で、今度映画を作ることになったから、その脚本についての話し合いをと思って」


 僕が言うと、江藤は驚いたように大きい瞳をまん丸にした。


「えっ、そうだったんだ、言ってよ! ていうか脚本て、啓介そんなの書けんの!? 凄いじゃん!」


「ああ、いや、書くのは剣持で、僕はただの手伝い」


「へぇ〜! 確かに剣持くんそういうの得意そ〜」


 侮蔑ともとれる発言だったが、剣持は悪い気がしていないようで、表情が少し緩んだ......なんか、ふっと気が楽になった。こうやってウジウジウジウジ心配事をするのは僕の特性だけど、あまりいいように働いたことはない。今回だって江藤は映研部に入りたがるそぶりすら見せないし、無駄な心配だったようだ。


 それに、そういう心配事に頭が囚われているうちに、足元の問題に気づかず躓くなんてことは、本当によくあることなのだ。今回の駅前集合だってそれだ。心配することを辞める努力をしたほうがいいのかもしれない。


「で、その脚本は? 読みたい読みたい」


 と、油断していたのもつかの間、江藤がなかなかの豪速球を放って来た。剣持の透明度が、もはや透明人間かってくらい上がる。


「ああ、いや、まだ大して出来上がってないみたいだけど」


「それでもいいよ。あ、最近あたし映画結構見てるから、案外いいアドバイスできるかもよ!」


 僕の助け舟は泥舟として秒で沈んだ。江藤は相変わらずの強引さで剣持に迫り、剣持はもう点線すら見えなくなっていた。小早川たちに自分が作った脚本を見られるのが不安だから先に僕に見せようって話だったのに、多分剣持にとって一番不安だろう江藤相手に脚本を見られることになるとは、剣持にとっては災難な話だ。


 まあでも、実はそんなまずい展開でもないだろう。江藤は基本全肯定主義の人なので、剣持の脚本を否定するってことはまずない。僕に見せるよりは、よっぽど自信をもらえるんじゃなかろうか。


 剣持は、まるでヤクザにカツアゲでもされた小学生かのように、カバンから原稿用紙の束を取り出した。思ったより厚い。


 江藤はその束を「ありがとう」と受け取る......前に僕が、「あ、ちょっとごめん」と剣持から原稿用紙を奪い取った。江藤が不思議そうな視線を僕に送ってくる。


 こんな無茶をしてまで僕が確認したいのは、この脚本に小早川の名前があるかどうかだ。剣持にラインで送った脚本例には、役者の名前を記載するようには書いていない。しかし、わかりやすいよう剣持が気を使った可能性だってある。


 僕はペラペラとロクに内容も読まずページをめくり、登場人物表や脚本中に出るの役名の下なんかを確認し、小早川の名前がないことを確認すると、「あ、ごめんごめん」と謝って江藤に返す。


 しかし、こんなことしたって意味はない、どころか、むしろ僕にとってマイナスに働くかもしれない。どうせ小早川が映研部に所属していることはいつか広まるんだ。その時に、なんで隠したんだと江藤に責められてしまうかもしれない......ついさっき、心配しないよう頑張ろうって思ったばっかなんだけど、うまくいかないもんだな。


「はい、コーヒー、お待ちどうさま」


 すると、大学生版江藤がコーヒーを三つ、器用に運んできた。


「しかし、映画を作るなんて凄いねぇ」


 どうやら聞かれていたようだ。僕は笑顔を作る。


「はは、ありがとうございます......すみません、食事がすんだらすぐに出ますので」


「ああ、気にしないで気にしないで! 娘の友達なんてずっといるんだから!」


 そう言って、大学生版江藤......江藤のお母さんが、江藤の頭をポンポンと撫で付ける。原稿用紙を持った江藤はと言うと、「もう」と嫌そうに頭を振るってから、少し恥ずかしそうに僕の方を見た。意外な一面、金魚も人の子というわけか。いや字面酷。


「で、いんすたっていうのみんなやってくのよ。文香がうちの料理で”いんすた映え”って言うやつをやってて、それの真似したいからって。この歳でお店の集客に貢献してるのよ、凄くない?」


 初対面で早々、親バカをかまされ、「それは凄いですね」と笑うしかなかった。しかし、そうか。ぶっちゃけインスタやってるやつ全員バカにしてたけど、そうやって実家の仕事に貢献したりもできるんだな。何一つ貢献してない僕も何か投稿してみようか......どうしよう、道に落ちてた軍手くらいしか投稿できそうな写真ないぞ。


「......あたしの真似でもなんでもないから。恥ずかしいから辞めてよ。ていうかお母さん、インスタ映えって言葉古いよ。だから店も古臭いんだって」


 江藤が反論すると、江藤母は「まぁ、これはあえて古臭くしてるの! ねえ、啓介君、いんすたばえよね?」と聞いてくる。僕は「はい。素敵だと思います」とちょっと言葉を変えて返す。すると江藤母は勝ち誇った顔で「ほれみなさい!......文香の友達は、桃姫ちゃんといい良い子が多いわね〜」と言った。羽ヶ崎、教師からの評判は良かったりするから、江藤母相手にもそうなんだろう。え、て言うか、ついにインスタ映えって言葉すら古くなっちゃったの? こわっマジぴえんなんだけど。


 江藤母は、時の流れの速さに恐れることもなく、ニヤリと笑った。


「にしても、男の子の友達が来るなんて珍しいわね。もしかしてどっちか彼氏だったりする? それとも両方?」


「ちょっと!」


 江藤がぐわっと威嚇するが、江藤母は全く気にしない様子で「この娘、せっかく可愛らしく生んであげたのに彼氏のかの字も出ないから心配なのよ。ねぇ、どうなの?」と聞いてくる。僕は苦笑いで「どちらもただの友達です」と言うと、「あら、そうなの? お似合いだと思ったんだけど。でも、付き合いたいとは思うでしょ?」といたずらっぽく言ったところで、江藤が江藤母の脇腹をつねり、江藤母は悲鳴をあげ去って行った。


 自然と、江藤のお母さんを視線で追ってしまう。彼女はダイニングキッチンに戻ると、そこからこちらを伺っていた、年齢は四十になろう生真面目そうな男性に、親しげに話しかけた。彼氏じゃないみたいよ。男性の顔が安堵に緩む。どうやらあの男性は江藤のお父さんのようだ。江藤のお父さんは確かサラリーマンのはずだから、ゴールデンウィークにしっかり休日を取り、その休日を愛しの家族と一緒にいることに使っているようだ。


 どうやら江藤家の家族仲は良好のようだ。まぁ、娘の名前をカフェの名前にするくらいだから、ご両親は江藤を愛しているんだろう。江藤もちょっと反抗しつつも、しっかりとその愛を受け止めているに違いない。江藤が家の手伝い云々を言う時、負の感情を見せたことは一度もなかった。やらされている、じゃなくって、進んで手伝ってるのがうかがえる。


 江藤みたいな人間が出来上がるわけだよな。ご両親も鼻が高いだろう。


 いや、もちろん、逆説的に、僕がこんな糞野郎に育った原因を周囲に押し付けるつもりはない。なぜなら僕は生まれながらの糞野郎で、よって全責任は僕にあるからだ。僕が生まれた時、母さんは、え、この子もしかして前の穴からじゃなくて後ろの穴から出てきました? と僕を取り上げた看護婦に質問したに違いない。何考えてんの気持ちわる。頼むから親で変なこと考えないでくれ。


 落ち着くため、コーヒーに口をつける。見た目から苦いのだろうと思っていたが、なんというか、フルーティーというやつだった。コーヒーをエナジードリンクよりは健康的な眠け覚しの薬に使っている僕のような人間には、本来縁遠いものなんだろうな。


「......んん」


 すると、唸り声がした。江藤の方をみると、江藤の眉が可愛らしく八の字を描いていた。口の中に広がっていたフルーティーたちが裸足で逃げて行く。なんだなんだ。


「ねぇ、剣持くん、この女の子さ......」


 江藤が躊躇しているところなんて、初めて見たかもしれない。僕は身構える。あの江藤が、脚本に苦言を呈すなんてことはないと思うが、ないと言い切れるほど僕は江藤のことを知らない。


「可憐ちゃんのこと元にしてる?」


「えっ?」


 意外な言葉に、僕は剣持の方を見やった。剣持は、いろいろな感情を混ぜ込んだような表情をしている。少なくとも、明確な否定はなかった。


「なんか、この東条って子、可憐ちゃんに似てて......ほら」


 江藤がそういって僕に原稿用紙の束を差し出して来た。僕は受け取って、とりあえずその東条の発言を追った。


 結論から言うと、江藤の言う通りだった。登場人物の一人、園田という女子高生は、似ているなんてもんじゃなく、小早川そのものだったのだ。


 まず口調。これが小早川にそっくりだ。あの人を寄せ付けない冷淡な丁寧語が、見事に再現されている。なんなら読んだだけで小早川の声で再生されてしまうくらいだ。


 そして、その中身。これがまた小早川にそっくりで、つまり園田は、人との関わり合いを良しとせず、特に友達なんていうものは絶対に作らないという思想の持ち主だった。そんな彼女は学校ですぐに『氷の女王』と呼ばれるようになり、主人公と関わることもなかった......しかしある日、主人公は東条に部室に呼び出され、そして部活に入らないかと提案される......そこからの説明は、昨日僕が部室で耳にしたものと、ほぼほぼ一緒だった。


 間違いない。小早川どころか、いま剣持の身に降りかかったこと自体を、剣持は脚本にして来たのだ。そりゃあ筆が速いはずだ。


 いや、なんだこれ。剣持、どういうつもりだ?


「......ねぇ、ていうか、部員って啓介と剣持くんだよね。え、つまり、啓介女装して映画出るの!? やっぱりデート!?」


 江藤が素っ頓狂なことを言い出すが、残念ながら僕にはそれに笑ってる余裕がない。僕は剣持の方に視線を向けた。剣持は黒目の比率の高い瞳を右往左往させた。


「いっ、いえっ、そのっ、これはっ、小早川さんが演じる予定でっ」


 違う。マジで僕が演じるのかって心配するわけないだろう。というか、それ言っちゃうのか。


「あー、なるほどなるほど、可憐ちゃんが演じるんなら、ぴったりぴったり......うぇぇ!?」


 江藤がお手本のようなリアクションをしながら立ち上がって、その豊満な胸が彼女の目の前にあったコーヒーカップを押し倒した。流れ出した黒い液体が僕と原稿用紙の方に向かってきて、僕は反射的に原稿用紙とコーヒーの間に腕で堤防を作ってしまった。暑くなって途中腕まくりをしていたおかげで服は無事だったが、その分腕にはそれなりのダメージがいくことになった。


 そこからはてんやわんやで、江藤が大慌てで僕をキッチンの方に引っ張って、冷水に僕の腕を突っ込むわけだが、その間ずっと背中に柔らかい感触がするくらい密着してるから、僕は江藤のお父さんの目を気にしてヒヤヒヤさせられた。しかし江藤のお父さんもお母さんもそんなことより僕の心配をしてくれて、なんならカウンター席に座る大学生くらいの女性にも「大丈夫?」と心配されてしまった。すごく恥ずかしい。なんでだろう、こうやって公然の前で被害者扱いをされると、恥ずかしくなってしまう。僕のような糞野郎に、被害者という立場は贅沢だからだろうか。


 江藤のお父さんが持ってきた救急箱から色々取り出してなんやかんやされ、江藤とそのご両親にひとしきり謝られている時なんか、もう羞恥心に胃がやられそうだったので、僕は「全然大丈夫です」と「気にしないでください」と「手を出しちゃった俺が悪いです」を連呼して、なんとかその場を乗り切った。


「......で、なんで、可憐ちゃんが、映研部の映画に出ることになったわけ?」


 しっかりご両親に怒られしゅんとしていた江藤としても、やはり放っておける話ではないようだ。席に戻ると、話題は小早川の件に戻った。ここからの説明は面倒なことになりそうだ。手前で被害者になれたのは良かったかもしれない。


「映研部に入ることになったんだ、小早川さん」


「あ、そうなんだ!......でも、あの可憐ちゃんが、なんで女優さんに......」


 そこでハッとした表情になった江藤が、無事生還した原稿用紙を手にとって最後の二ページ、つまりなぜ映研部に園田が入ったか、悠木を誘ったかの独白を東条がしているシーンに釘付けになった。


「ま、まさか、これ、本当の話なの!?」


「...............」


 どうするべきか考えようとしたが、もうここまでバレてしまってはどうしようもないし、その質問をそのまま小早川にされたら困ってしまう。僕は「......うん」と頷いた。


 江藤は唖然とした様子で原稿用紙を眺め、ハッとした表情で僕を見た。


「ていうか啓介、なんであたしにこのこと隠してたの!?」


 すると、キッチンから顔を出した江藤のお母さんが、ギロリと鋭い眼光で江藤を睨んだ。江藤は首をすぼめて反省の意を示す。


「啓介さんは、なんでこのことを私に隠してたんでしょうか?」


「......口止めされてたんだ。あまり、人にいうような話じゃないから」


 風間先生との裏取引なんかは、ちょっとした問題になるんじゃなかろうか。江藤も同意見のようで、ウンウンと頷いた。


「うん、まあそっか、そうだよね......で、でもあたし絶対そんなこと言わないよ! 口だって堅い......堅い......堅、い?」


 流石の檄軽の口でも、自分の口を堅いと言い切ることはできなかったようだ。


「なるほどなるほど。わかりました」


 江藤が原稿用紙を置き、コーヒーを一口含んだ。そして、らしくない真剣な表情で僕を見据えた。


「で、これは重要なんだけど、啓介は今、どういう立場なの?」


 来た。ここで返答をミスれば、僕の高校生活は暗雲立ち込めることになるだろう。


「......さっきも言った通り、映研部の部員の一人だよ」


「......それじゃあ、可憐ちゃんの考え方に、賛成ってこと?」


 江藤の真剣な瞳が僕を射抜く。一応仲良くしている人間が、先生と裏取引してまで一人になろうとしているなんてことになったら、そりゃあ不快に違いない。ここはできる限り正直に話さないと、明日からの僕の学校での立場はまずいものになるだろう。


 僕は、剣持の方をちらりと見た。きっと剣持は僕を軽蔑するかもしれないし、このことを小早川に言うかもしれない。それは仕方のないことだし、なんならそうされるのが筋というものだ。


「いいや」


 僕が首を振ると、剣持が虚をつかれたように瞬きをした。僕は剣持から視線をそらし、江藤の髪と同じ色をした眉を見た。


「小早川からそう言う話を聞いた時、単純に協力したいって思って、ついオッケーしちゃったんだ。でも、俺は小早川が求めるような、人間関係を避けたがるような人間じゃないから、そんな俺が小早川を騙して部活に入っちゃったこと、今は後悔してる」


「......そかそか」


 江藤は、納得してくれたようだ。よかった、が、剣持の方は見れないな。僕にとっても相当な厄日になってしまったようだ。


 いや、逆だ。今日江藤と会えてよかったのかもしれない。今だからはっきり認めるが、僕の心は、このまま部活に所属する方に傾きつつあった。もしあのまま順調にことが進んでいたら、僕はそのまま映研部に所属することを選んでいたかもしれない。そう考えると恐ろしい。


 僕は剣持の方を見据えた。剣持は、目を泳がせながらも、最終的に僕の方を見た。


「俺の代わりに入ってくれる部員が見つかったら、その時はすぐに辞めるから。あ、もちろん辞めた後も編集は」


「え、待って! 辞めるのは良くないよ!」


「ははっ」


 僕は、思わず笑い声をあげてしまった。江藤が不思議そうな顔で見るので、僕はごめんと謝る。


「だってさ、事情はどうあれ、可憐ちゃんの方から部活に誘われたんでしょ? それってすごいじゃん。やっぱ啓介、可憐ちゃんに信頼されてるんだって」


「......うーん」


 金魚の糞たる僕が、トップカーストの江藤の意見に逆らうわけにはいかない。これで映研部に残るのが確定してしまった。確定したらしたでやっぱり恐ろしい......いや、まだ剣持が告げ口する可能性があるか。


 剣持の方を伺う前に、続けて江藤が、深刻そうな表情で続ける。


「それに、正直可憐ちゃん、ずっとあのままの態度を続けちゃったら、結構まずいし......だから、啓介が辞めて、可憐ちゃんに賛成の人が入っちゃって、さらにそっちの道に進んじゃったら大変だよ。啓介は絶対に残った方がいい」


「......なるほど」


 どうやら江藤は、小早川の案に真っ向から反対らしい。当然だろう。それが一般的な意見だ。


 しかし、小早川に賛成の剣持の前で堂々とそれを表明するとは、と思っていると、江藤がちらりと剣持に視線をやった。


「剣持くんだって、可憐ちゃんと仲良くなりたいみたいだし......」


 そう言って、ムニョムニョとした表情で原稿用紙に視線を落とす。反論のできそうのない剣持の代わりに、僕は口を開く。


「いや、剣持は、小早川さんの考えに賛成してるから」


「いやいや、どう考えても剣持くん、可憐ちゃんのこと好きでしょ」


 僕は先ほどの江藤のリアクションがまるでお手本のようだと思ったが、それは間違いだった。剣持のリアクションこそ、本当にお手本にすべきものだったのだ。


「%$#’$#”%%&&%%%%%%%」


 何を言っているか全くわからないが最後の方はほぼ”%”ぽい奇声をあげると、剣持は陰キャ丸出しの両手バタバタをして、自分の目の前にあるカップを僕の方に倒した。そしてバランスを失うと、自らも後ろにぶっ倒れた。


 僕は先ほどの反省を生かし、急いで立ち上がって緊急回避した。しかし、正面に座る剣持のカップから流れ出たコーヒーは、まだ机の三分の一も進んでないうちに、ピタリと止まって先っぽを膨らませた。くすくすくすと笑い声がして、僕はもう本気で死んでしまいたくなった。まぁ、これだけ騒がしくしてるんだから、笑ってくれる分ありがたいという話だが。


 その後、机を拭いてくれた江藤のお母さんが「私のコーヒー、美味しくないのかな」なんて悲しそうな顔でつぶやくものだから、僕はいえいえそんなことないです、すごく美味しいです、なんて言って、ついには流れでコーヒーのおかわりまで頼んでしまった。一杯二百円のコーヒーは迷惑をかけた代償としては安いかもしれないが、ただの高校生にはそれなりの出費だ。


「そのっ......」


 正気を取り戻した剣持が、顔を真っ赤にして口を開いた。


「好きっ、とかでは、ない、です」


「ええ〜?」


 江藤が疑惑の声を上げる。すると剣持は、大海を知ってテンション爆上がりのカエルのように目を泳がせてから、ぎゅっと握りこぶしを膝の上に乗せた。まるで何かを決意したかのようだ。ああ、気をつけた方がいい、相手は天下の金魚リア充様だぞ。


「ただっ」


 踏み潰されたカエルのような声をあげてから、続けた。


「......仲良く、なりたいとは......思ってます」


「............」


 僕は、とりあえず残りのコーヒーを一気に飲み干した。おかげで、少し落ち着いた。


 ......彼が、小早川にそういう感情を抱いている可能性は、考慮はしていた。しかし、まさか、江藤もいるこの場で、その感情を口にできる人間だとは、一切思ってなかった。江藤が小早川と仲良くしたがってるのは周知の事実だが、それでも、相当勇気はいるはず......いや、そういえば、こと勇気に関しては、僕なんかよりよっぽどあるんだったな。


 ともかく、小早川には申し訳が立たない。小早川以外の部員二人が、小早川と仲良くしたいと思ったことがある同類だなんて、小早川からしたらあまりに酷い裏切りだ。


「そ、その脚本も、そのために、書いたんです」


 ......いや、同類というのは勘違いだ。その脚本のどこに小早川と仲良くなれる要素があると言うんだ。どう考えても気味悪がられるだけだと思うんだけど。


「え、え、どういうこと?」


 大抵のことは受け入れてしまう江藤も流石に引っかかったようだ。目を丸くして身を乗り出す。剣持は一瞬視線を下にずらし、顔を赤くしてから、すぐに視線をそらし、途切れ途切れ喋り始めた。


「その......現実では、部活のルール......があるので、必要以上、に、関わっちゃ駄目、というか......」


「うんうん」


「その......それで、この脚本のラストは、決まってて」


 あ、まただ。江藤の胸がそうさせたのか、剣持の瞳に妙な輝きが灯った。


「園田と悠木が、友達になるんです」


「え、恋人じゃないんだ」


 江藤が意外そうな顔で言う。いや、そこか?......ああ、確かに、ボーイ・ミーツ・ガールものって、結局のところそうなる場合が多いよな。それなら、そのヒロインに小早川を据えると言うのは、剣持の好意を示していると言えるかもしれない、とやっと気づいた。


「......はっ、はい......そこまでで、小早川さんの心を動かすような話が書けたら、小早川さんも......僕たちと、仲良くする気になるかもって」


「............」


 ちょうどその時、江藤のお母さんが注文したコーヒーを運んできてくれたので、僕はお礼を言って、そのコーヒーを飲み干そうとしたが、にしては熱かったので諦めた。おかげで落ち着かない、いや、カフェインじゃこの目眩は治らないか。


「......剣持くん」


 江藤が真剣な表情で剣持を見る。そうだ江藤、頼むからビシッと言ってやってくれ。


「それ、案外ありかも」


「えぇ......」


 思わず、ドン引き声が口から漏れてしまった。それを聞き逃さなかった江藤が僕の方を見る。


「だってさ、恋人役を演じるうちにほんとに好きになってほんとに恋人になった、みたいな話、よくあるじゃん! それとおんなじことが起こるかもよ!」


「............なるほど、確かに」


 強張る口でなんとか同意を紡ぎ出す。正直言って、一緒にするなと言える理由が即座に三つは言えるんだけどな。


 第一に、小早川はプロの女優でもなんでもない。この映画作りは映研部を存続させるためだけのもので、小早川にとってはあまりにビジネスライクだ。園田がいくら自分に似ているからって、役に没入し、自分の感情まで引っ張られちゃいました、みたいなありがちエピソードにたどり着くとは思えない。


 第二に、恋人役というのは、ストーリー上強制されてやるもんだ。俳優も、内心喜びながら、やれやれ仕事だから仕方ないんだぜみたいな態度でやってるんだろう。しかし、この脚本は何を隠そう剣持が作っているのだ。俳優自ら脚本を担当し、ねっとりキスシーンなんかを積極的に盛り込もうものなら、そりゃ女優は引き倒し、こんな男とは絶対付き合いたくないと思うことだろう。


 第三に、小早川は、友達を一切募集していない。その女優はもともと恋人募集中だったんだろう。全くもって話が違う。


 しかし、江藤は剣持の意見を気に入ってしまったようだ。早速どんなストーリーにしたらいいか、勝手に頭を悩ませ始めた。剣持は美少女から部活に誘われるというラノベ的展開に正常な思考が麻痺していて、江藤はただ単に面白がっているのかもしれない。が、しかし、それ抜きにしたって、この二人の意見が合うのは、実はそこまで意外ではない。


 案外学校教育というのはよくできていると思っていて、社会的常識なんてものは、小、中、高と学校という社会で様々な経験をすることによって、ある程度身についているものだと思う。しかし、スクールカーストの頂点と底辺。この二つにその身を置く人間に於いては、そうとは言えない場合が多いように思う。


 まず、スクールカーストの頂点。筋金入りのお嬢様がカップラーメンを食べたことがないように、頂点たる彼らは、常識を知らない。学校という社会は、いつも彼らの都合のいいように回りすぎてしまうからだ。


 そして、カーストの底辺。ガチガチの貧乏人がカップヌードルなど買わないように、彼らもまた、常識というものを知らない。学校という社会に参加さえしていないからだ。流れるプールの中央で気ままに浮かぶ江藤と、プールサイドで三角座りしてる剣持、どちらも泳ぐということの本質をロクに知らないとも言える。


 この二タイプの常識知らずが、大学に行って自由を得た途端、若者の未来を憂うさせるような事件を起こし、連日ニュースになったりするんだ。しかし、この二タイプその性質上本来交わらないはずなのだが、それがまさかの奇跡のユニゾンを起こしてしまっているのが現状だ。もう恐ろしくってたまらない。


 このまま事態を静観してやろうと思ったが、一応、この脚本は剣持と僕の共著という扱いになることを考えたら、そうも言ってられなかった。


「うん、その、剣持くん、わかるんだけど、この脚本を、小早川に見せるっていうのは、ちょっと......」


 僕は思わず江藤に同意を求めてしまう。しかし、流石の江藤も、この脚本をこのまま小早川に提出することがヤバイとは思ってくれてたようだ。「うん、まあ、そうだよね」と歯切れの悪い様子だ。


 小早川が、この脚本から江藤と同じく剣持の好意を読み解くかはわからないが、どのみちいいようには絶対思わない。いいように思えるところが一つもないからだ。


「だから、なんとかしなきゃだよね。どうやったらうまいこと可憐ちゃんに受け入れてもらえるのか」


「......確かに」


 しかし、江藤はこのまま行くつもりらしい。はいはい了解。江藤に反抗するつもりなんて毛頭ございません。部外者であったとして、権力者の一声にはどうやったって逆らえないのが底辺人間の定めなのだ。


 江藤はというと、唸るのもそこそこに、「......啓介さんは、何かありますか?」と僕に聞いてきた。


 あるわけないと言ってしまおうかとも思ったのだが、剣持と共犯関係になって辞めることが非常に難しくなった今、僕が取れる償いとして、小早川をとにかく不快にさせないということが挙げられる。幸い剣持はルールを破るつもりはないようだから、あとはこの脚本さえなんとかなれば、なんとかなるかもしれないし、少なくとも僕は努力すべきだ。


「......まず、GW中にオリジナルの脚本を仕上げるのは無理だった、ていうことは言っておいたほうがいいかもしれない」


 これは嘘でもなんでもなく、本当に無理な話なのだ。これを納得してもらえないなら、ほならね理論で風間先生に書いてもらえばいい。まきノンをバカにできないような矛盾まみれの脚本ができるに違いない。ちなみにまきノンの脚本家はあの脚本に構想一年かけたらしい。やっぱりバカにしてもいいかもしれない。


「それなら、なんらかの作品を原作にして脚本を書くしかないんだけど、今回申し込む映画コンテストはオリジナル脚本じゃないといけないらしいから、それも無理。だから、自分たちの体験をそのまま原作にした、みたいな風に言えば、まだマシ......なのかな」


「おお、なるほど!」


 江藤が感心したように手を打つ。本当か? この場にいる全員が正常じゃないから、何一つ信用することができない。

 

「そういうアイデアを、剣持が出したことにすればいいんじゃないかな」


 矢継ぎ早に僕は言う。もちろん僕はこんな突拍子もないアイデアの原作者にはなりたくないので、悪いが、責任の大部分は剣持に押し付けさせてもらう。それでもこの脚本をやりたいなら、もう勝手にすればいいが......。


「......うん」


 どうやら、剣持は僕の言い訳を気に入ったようだ。真摯な顔で僕を見てくる。参ったなぁ、マジでこれで行くのかよ。


「で、やっぱりここまで園田が小早川に似てるとちょっとアレだから......キャラを完全に変えて、やるとか」


 すると、剣持の表情が一気に曇った。僕は仕方なくもう一つの候補を口にする。


「もしくは、演技初心者の小早川さんが演じやすいように、園田は小早川さんに寄せたとか」


「おお! なるほどなるほど、筋が通ってる」


 江藤の相槌に思わず首をひねりたくなる。本当にそうだろうか......でも、剣持はこっちの言い訳の方がお好みのようだった。


 そして、最後。これが何より重要だ。


「それとなんだけど、園田と悠木が仲良くなるのは、映画だから仕方ない、ということも言ったほうがいいと思う」


「え? どういう意味?」


「うん......これは、聞いた話だけど、映画っていうのは最後、主人公が世間的にプラスの方向に変わってないといけないらしいんだ。園田と悠木という、友達を作ることに抵抗感がある二人が主人公だったら、最終的に園田と悠木は友達にならないといけない、みたいな感じ......かな」


「ほぇ〜......あ! そういえば最近見た映画もそうだった! 主人公が悪いやつだったんだけど、最後いい人になってた!」


 江藤が目をまん丸にして感嘆を示す。いや、正直、正しいかどうかはわからない。確かに誰かに......聞いた話ではあるし、僕も聞いたときはなるほどなぁと思ったけど、よく考えればそうじゃない映画だってたくさんあるだろう。ああ、売れる映画にとって必要な条件、だったかな。どのみち羽ヶ崎のような映画好きが聞いたらブチギレるかもしれないが、僕や江藤のような特に映画好きでもない人間からしたら聞こえのいい理屈なので、小早川にも通用するかもしれない。


 少なくとも江藤は気に入ってくれたようで、上機嫌に頬を緩めて言う。 


「啓介、全部いい言い訳だよ。よっ、言い訳王!」


「......ははは」


 とりあえず笑っておく。


「...............」


 剣持はというと、三つ目の


「......ねえねえ啓介〜」 


 江藤は悩ましげに身体をくねらせて、僕を媚びた上目遣いで見る。冗談でやってるんだろうが、はっきり言って普通にエロい。


「あたしもなんとか映研部に入れないかなぁ」


「......ああ、どうなんだろう。もう三人いるから難しいかもしれないけど」


 そこで、江藤母がチキンバーガーを三つ運んできた。素晴らしいタイミングだ。かなりのエネルギーを消費してお腹がペコペコだった僕たちは、逆写真詐欺くらいボリュームがあったそれをペロリと平らげた。そこからは、脚本自体の修正を始めることになった。どれだけ剣持の思いが強いと言っても、流石にこのまま脚本を通すわけにはいかない。


 まず、風間先生との共謀関係を示唆するような内容は、この映画を観る予定の武藤先生が江藤のように気づく可能性があるので、カットだ。


 そして、『氷の女王』なんてよろしくないニックネームなど、小早川に対する悪印象を示す言葉もカットし、最後に江藤が厄介ながらも僕にとってはありがたいお願いをしてきたところで、かなり長居してしまっていることに気づく。ランチタイムからディナータイムに切り替わったようで、僕たちは客足が伸びる前に帰ることにした。


 江藤の提案で僕たちはグループラインを作り、そのグループラインの名前は『可憐ちゃん攻略会議』で、乾いた笑みを抑えきれなかった。江藤との関係強化をしたい僕としてはもちろんありがたい話ではあるが、同時に小早川に対する罪悪感は、このグループがあり続ける限り消えはしないだろう。


 お会計をしようとしたら、娘が迷惑をかけたお詫びということでタダにされた挙句、次も来てねと割引券まで渡されてしまった。その時の江藤母の様子があまりに熱心だったものだから、僕はもちろんですと答えるしかなかった。僕のような、ただただ従順なだけの若者は、案外大人から気に入られたりするのだ。その会話を聞いていた江藤が次の脚本会議の場所をここに指定したところで、僕と剣持はカフェを出た。


 


     ※




 陽の落ちた五月初旬は、ロンT一枚では肌寒く、やけどに染みた。並んで二人で歩く。本来だったら気まずいはずの沈黙だったが、今の疲れ切った僕には心地よい。


「......そ、その、すみません」


 しかし、剣持はそうは思ってはいなかったようで、か細い声で喋り始めた。


「か、勝手にあんな脚本にしちゃって」


「あ、いやいや、大丈夫だけど」


 もしかして、不機嫌オーラとか出しちゃってたんだろうか。金魚の糞が一番出しちゃいけないものなんだけど、江藤にも勘付かれてたらどうしよう。


 ま、出していようが出していなかろうがどちらにせよ、剣持にそう受け取られた可能性があるなら、疲労を押しのけてでもピロートークに勤しむべきだろう。どんな話題で行こうか。なんで小早川と仲良くしたいのか、とか? いや、そんなのあの日助けられたからに決まってるし......もし万が一、男同士ということで、それ以上の感情を打ち明けられようもんなら、もう僕はどうしたらいいか分からないし。


「あの脚本がやりたくて、脚本に立候補した感じ?」


 結局他の話題を選んだのだが、なんか毒が混じってしまった。自分の性格の悪さに嫌気がさしたが、どうやら剣持は僕の嫌な部分を感じ取らなかったようだ。


「あっ、いや、最初は、そうじゃなくって......できそうなの、脚本かカメラマン、くらいで。でも、カメラマンは、人気ありそうだし」


「あ、うん」


 そうか、なるほど。しかし、やはり剣持にとって、俳優はやりたい役割ではなかったようだ。毒づいてしまった自分が恥ずかしい。


「だけど、その、全然思いつかなくって......」


 そこで、剣持がちらりと僕の方に視線をやった。そして、うつむいて黙り込む。随分と意味ありげな仕草だ。そういうのは美少女しかやっちゃダメなんだけどな。


 もちろんそんなことは口にせず、剣持が喋り出すのを待つ。すると、分厚いレンズ越しに剣持と目があった。


「それで、あの、読み返したんだ......『僕は最下層で笑う』」


「.........ぁぇ」


 足が止まった。全身の毛という毛が逆立ち、視界がぐらりと揺れる。全身の感覚があやふやになって、やけどのズキズキという痛みだけがリアルに感じ取れた。


 え、どうして剣持がそれを......いや、同じ中学出身なんだから、それ自体を知っていることに疑問はない。しかし、なんでそれを僕が書いたって......いや、別に剣持は僕が書いたなんて言ってない......いや、状況を考えたら言ってるも同然だ。


 剣持が立ち止まる僕の方を不安そうに見るので、僕はなんとか歩き出した。


「......なんで、それ、知ってるの?」


「あっ、そっ、その、東堂くんに聞いて」


「......東、堂」


 僕は、久々にその名字を口にした。自分がちゃんと歩けているか不安になった。


「その、緒方くんが、『僕は最下層で笑う』を書いたって」


「............」


 あの時、僕はペンネームを使っていた。それを知っているのは、ごく一部の人間だけだ。

 

「僕、あれで、人生、変わったんだ」


「......人生が変わった」


 僕が呆然と繰り返すと、剣持は大きく頷いて、ずれ落ちたメガネをクイッと戻した。その瞳は興奮の色を帯びていた。


「その、僕、全然本とか読まなかったんだけど、文化祭のとき、文芸部でそれが配ってて」


「......うん」


「その、僕、学校で全然立場低くて、それが......コンプレックス、だったんだけど」


「......うん」


「『僕は最下層で笑う』を読んで、主人公が僕に似てて、でも全然、コンプレックスとかなくて、むしろ自分が最下層なのを誇りに思ってて、それで、僕もこうなりたいって......」


「こう、なりたい」


「うん、それで、自分が立場下なの、受け入れられるようになったんだ......だから、物語ってすごい力があるから、小早川さんだって、変えられるんじゃない買って思って......」


 ......つまり、あの馬鹿げた計画は、僕が書いた小説からのインスピレーションによって作り上げられたのか。


「あ、その、東堂くんから緒方くんは書くのやめたって聞いたから、だから立候補したんだけど、本来は緒方君がやったほうがいいとは思うけど」


「......いや、そんなことはないよ」


「......ほ、本当はもっと早く話したかったんだけど、緒方くん......上位というか、話しかけるの、難しそうだったから」


「......あ、うん」


 そこで、駐輪場にたどり着き、ホッとした。今はとにかく一人になりたかった。


 僕は自転車に鍵を差し込もうとしたが、なかなか鍵穴に刺さらない。手惑いながらなんとか解錠して自転車に跨ったところで、剣持が言った。


「あの、よかったら、まきノン貸します」


「......ああ」


 僕はどうやって断ろうか迷って、ある考えが閃いて、その迷い自体を打ち消した。


「ついでに、その......『僕は最下層で笑う』も貸してもらっていい? 久々に読みたいから」


「あっ、うん」


 そして、僕たちは剣持の家に向かった。剣持の家は、ごく普通の一軒家といった感じだった。僕は家の外で待って、剣持にまきノンのブルーレイと、『僕は最下層で笑う』を持ってきてもらい、礼を言って別れた。


 帰った僕は、早速ハサミで『僕は最下層で笑う』を切り刻んでやろうと思った。しかし、表紙で笑顔を振る舞うヒロインを見て、その気はなくなり、とりあえず鍵付きの机の引き出しに入れておいた。そしてベットに飛び込み、そのまま寝た。夢を見た。随分と、自分に都合のいい夢だったように思う。

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