第8話 美少女との密会は糞野郎には荷が重い

  

 教室に入ると、曽根田がただでさえナイフのように尖った目を日本刀のようにして僕を見てきた。説明を求め江藤の方を見たら、江藤は両手を合わせ済まなそうな顔をする。ああ、頭痛が痛い、なんて間違った表現を使っちゃいそうなくらいには、頭痛が痛い。


 僕は席に戻ると、他クラスの友人と昼を共にすることになったと言い訳した。もちろん僕に他クラスの友人などいないので危険な言い訳だったが、江藤と曽根田以外は興味なしの塩対応だったので難を逃れた。


 僕は弁当と『お〜い粗茶』を持って、曽根田に突っかかられる前にそそくさと教室を後にする。僕の予想では、まず曽根田が僕が江藤に何を耳打ちしたか聞き、江藤は僕の約束を守って拒否。しかし、それにフラストレーションを溜めた曽根田が僕を悪く言うので、江藤が怒って「啓介は拓海に気を使ってたんだよ!」みたいな展開だと思う。悪意を向けた相手から善意を向けられていたという事実を皆の前で明かされたことによって、曽根田のプライドは深く傷ついただろう。はぁ、辛い。


 落ちるように階段を降り、下駄箱で外履に履き替え外を出ると、すでに弁当を食べ終えたのか、グラウンドでサッカーに興じている生徒たちが目に入った。ならば、体育館でバスケをやってる生徒だっていたっておかしくない。昼休憩、小早川と二人っきりでお弁当を食べているところを誰かに見られるのは、かなり困る。小早川といえば今この学校で、同級生はおろか上級生からも注目を集める存在だ。密会が目撃されたが最後、僕のあだ名は「小早川」になってしまうだろう。小早川ですら与えられそうにないあだ名をつけられるとは、僕の存在感ってどんだけ薄いんだろう。

 

 小早川の待つ体育館裏へと急ぐ。急ぐ、と言っておきながら、人目につかないよう遠回りなルートで体育館裏へとたどり着くと、一気に空気が冷たく澄んだように感じた。まあ、体育館が影になっていたり、山の木々がすぐ横にあることが原因に違いない。しかし、それを彼女のせいにしたくなるような雰囲気を、彼女は確かに持っていた。

 

 近接されている......というよりは体育館の近くに放り投げられている、と言った方が正しいだろう......ところどころ青色の塗装が剥がれた古臭いベンチに、小早川可憐は腰掛けていた。田舎の寂れた高校の体育館裏の一風景を、青春小説の表紙に変えてしまう小早川可憐。僕みたいな糞野郎とは一線を画す美少女と二人きりでおしゃべりしないといけないという現実を、やっとちゃんと理解したらしい。緊張に顔がこわばる。何が意外といける、だ。

 

 そのまま固まっていると、視線に気がついた小早川が、こちらを向いて軽く会釈をする。きっと塩対応続きの江藤だったら、この時点で感涙してしまうんじゃなかろうか。僕も妙に感動してしまって、そのおかげか少し体がほぐれた。会釈を返して、小早川の方に歩み寄る。


 ベンチのところまでくると、もしや彼女はシルバニアファミリーの一員なのではと疑いたくなるくらい小さな弁当が彼女の太ももの上にあり、横には僕も手に持つ『お〜い粗茶』。文庫本片手に紅茶が似合いそうな小早川が、こんなジョークグッズみたいなものを飲むとは意外だ。

 

 すると、小早川が、隣を手でさっさと払い、僕の方をみる。


「お座りください」


「......は、はい」


 入学前に行われた高校の面接を思い起こしながら、恐る恐る小早川の横に座る。目の前に広がるのは砂利道、そして所々に苔がくっついたコンクリート塀とその上に鬱蒼と茂る木々。小早川が視界からいなくなると、やはり随分侘しい風景だ。小早川は、いつもここで昼食をとっているのだろうか。


 しかし、小早川に誘導されたとはいえ、もう少し離れて座るべきだった。隣の席にいるだけでも十分緊張するのに、付き合いたての初々しい高校生カップルに適切なこの距離は、彼女いない歴(略)の僕にはあまりにも危険だ。なんかいい匂いするし。その上周りには誰もいないし。


 じっとりと汗ばんだ手のひらを、スラックスで拭う。しかしすぐに手汗が湧くので、このままでは高校生にもなっておもらししてると誤解を生みそうなくらいビチョビチョになりそうだ。見られたくもないし、なる早で話を終わらせてほしい。


「........................」


 しかし、小早川は黙り込む。小学生に相対性理論を教えたいならこういう状況に追い込めばいいと思いながら、恐る恐る小早川の方を伺う。まずその完璧な横顔が思ったより近いことに動揺してから、小早川の唇が固く結ばれていることを確認する。唇だけじゃない。表情だって、どこか引きつっているようにも見える。


 まるで、緊張してるみたいだ。


 ......イヤイヤイヤ、ないないない。あの天下の江藤様に、アイドルだったら干されすぎて逆に話題になるレベルの塩対応を繰り出す小早川が、僕程度に緊張するはずがない。してたとして、隣の僕の体臭が気になることを告げるのは流石に緊張するってだけの話だ。いつも父さんを臭い臭いと罵倒している妹が僕に対しては臭いの指摘をしないので、それはないと信じたい。でも僕、そんな父さんの遺伝子継いでるんだよな。ひえっ。


 被害妄想でさらに自分を追い詰めているうちに、小早川は唇を緩め、ふぅと大きく息を吐いた。そして、僕の方に顔を向けるので、僕は条件反射的に視線を少し下げた。桜色の唇が、言葉を紡ぎ出す。


「先ほど緒方さんは、ご友人方にパシリにされていたんですよね?」


「......え?」


 思わず、小早川の瞳を直視してしまい、その瞳に飲み込まれる前に眉間のあたりに避難する。危ない危ない。しかし、小早川の口から、パシリなんて俗っぽい言葉が出て来たのは驚いたし、そんなことを聞くために僕を呼び出したことにはさらに驚いた。


 もしや、隣の気に食わない男に恥辱を与えるのが目的だろうか。それなら大成功だ。事実めっちゃ恥ずかしい。美人の同級生に、自分がパシリにされていたことを言及されるのは、確かに屈辱的だ。


 いや、人と関わるのを極端に避ける小早川が、わざわざそんなことのために僕を呼び出すとは思えなかった。他に何かあるに違いない。


 だとして、同級生の美少女相手に自分がパシられてたことを認めるのは、僕の小さいが非常に厄介な自尊心が疼いてしまう。ここは言い訳でお茶を濁す感じで行きたい。


「いや、ちょっとした賭けに負けた罰ゲームだったんだけど」


 事実は全く違うけど、ぼっちの小早川には確かめようがないだろう。我ながらいい言い訳だと思ったが、しかし、小早川は納得した様子などない。、


「その罰ゲーム、なんてものがそもそも品性下劣です。罰も何も、緒方さんは何も悪い事はしていないんですよね?」


「うん、それはそうだね」


「でしたら、それはもうパシリと一緒だと思います」


「確かに」


 持ち前の金魚の糞体質で、スムーズに相槌を打つ。どうやら僕がパシリに使われていないと不都合らしい。きっとこれから続く話に関わってくるんだろうか。ならば、僕のチンケなプライドなんて優先せずに、いつものように相槌マシーンと化すべきだろう。


「......緒方さんは、今のご友人方に不満を持ち、人間関係に疲れているのではないですか?」


 すると、強い口調でこんなことを聞かれてしまう。一度スイッチを入れた自動相槌マシーンをオフにせざるを得ない。


 考える。小早川が望む答えはイエスなんだろうが、そう簡単に頷いていいものだろうか。万が一小早川からこの話が漏れたりしたら非常にまずい。


 ......まぁ、ただ、小早川がそんなことする理由が見つからないな。将来を不安がるより、今現在のことを考えろって自己啓発本にも書いてあったし。その自己啓発本の作者捕まっちゃったけど。もう少し不安がった方が良かったんじゃなかろうか。


「いや、うん、どうだろう、そういうところもあると思うけど」


「......そうですよね」


 小早川が大きく頷く。正解を選べたようで、とりあえずは一安心だ。しかし、それにしても、よく喋る。いや、よく喋る小早川には授業で慣れてはいるが、あれはあくまで学校側に強制されてのことだ。こうやって自主的に喋る小早川というのは、なんというか、よくない動揺を誘われる。僕は下手なことがないよう、再び自分の中の自動相槌マシーンのスイッチに手をかけた。


 しかし、小早川はまた黙り込んでしまう。いや、なんだなんだ。また告白説がぶり返してきたぞ。まさか小早川、パシリにされて友人に不満を持っているタイプの男が好みなんだろうか。こわっ。どんな癖だよ。そんな女からの告白......うん、嬉しい。小早川くらいの美少女からの告白は結局嬉しい。やっぱ世の中顔だな。


 すると、小早川が『お〜い粗茶』を手に取って飲み始めた。普段から協調行動ばかり取っている僕も、『お〜い粗茶』にストローを突き刺し、すする。緊張のせいか、それとも商品名に偽りがないのか、あまり味がしない。お茶を飲んだあとのコップに水を注いで飲んだみたいだ。粗茶どころか粗水として出されてもNOを突きつけるレベルの味で、気分が悪くなる。


 しかし、小早川の『お〜い粗茶』のパックは、ぺこりと凹み降伏の姿勢を見せていた。紅茶を嗜むどころかバカ舌説が出てきたな。恋人になった小早川が僕に弁当作ってきたりしたら、もちろん不味いなんていえないから苦労しそうだ。でもそれも青春の一ページだったりして。いい加減キモいんだよクソがぶっ○すぞ。


「緒方さん」


 どうやら覚悟が決まったようだ。小早川が口を開いた。僕は自動相槌マシーンのスイッチを入れた。


「話というのは、部活のことなんです」


「......部活?」


 僕が聞き返すと、小早川が頷いた。


「ご存知のことかと思いますが、一年生はなんらかの部活に所属しなくてはいけない、という規則が、この学校にはあります」


「あ、うん」


 規則、というほど硬くないとは思うけど、なんてことはもちろん言わずに頷く。


「私は人との関わり合いをできるだけ避けたいというような人間なので、部活という、人との関わり合いを強要するようなものには、本来絶対に入りたくありません」


「うんうん」


 何だろう、まさか僕に愚痴の相手になって欲しいとかなんだろうか。それなら僕でもできそうだけど、まあ、ありえないな。


「幽霊部員、ということも考えました。しかし、所属しておきながら部活動に出ない、というのは、私には受け入れ難いんです」


「あっ、そうなんだ」


 えっ、そうなんだ。それなら江藤はチャンスかもな。当然、小早川がどの部活に入部するかという話題は江藤たちの中で上がったが、幽霊部員になるだろうという結論がすぐさま出たのだ。僕も全くそれを疑わなかったが......僕でもちょっと抵抗のある幽霊部員という立場、真面目な小早川が嫌がったって不思議じゃない。


「しかし、皆が部活動を楽しんでいる中、私のような人間がいることによって、空気が悪くなってしまうのも、望むところではありません」


「......なるほど」


 意外、だ。小早川、空気云々とか気にするのか。それなら今現在の一年一組の空気をどう感じているんだろう。


「そこで私は、担任の風間先生に、部活に所属したくないとの旨を伝えました。すると風間先生は、それは難しいが、一つ代替案を出せる、と言ってきました」


「へぇー」


「それが、風間先生が顧問をする、映画研究部への所属です」


「......うん」


 ついさっきまで話題にあげていた映研部の登場に、驚いて相槌が疎かになる。あと、それのどこが代替案なんだろうか......ああ、例えば、映研部自体が全く活動しない、言ったら”幽霊部活”になるとか、そんなことなんだろうか。


「現在、映画研究部は廃部の危機にあります。同好会として認定される部員......この場合は会員が正しいでしょうか......ともかく、三人すら集まっていないのが現状です」


「うんうん」


 それは知ってる、けど、同好会なんてシステムがあるのは知らなかった。同好会に所属したら、部活には所属しなくてもいいんだろうか。


「このままでは、六月十五日にある生徒総会で、映研部は廃部になってしまいます。そうなれば風間先生は映研部の顧問をやめることになり、代わりにOBである女子バスケ部の顧問を任されるそうです」


「えー」


 僕は驚きの表情を作る。あのちびっ子が元バスケ部とは驚きだ。


「しかし風間先生は、どうしてもバスケ部の顧問をやりたくないようです。よって、六月十五日までに最低でも三人部員を集めないといけません......この学校は、同好会も顧問が必要になるので、三人で大丈夫だそうです。しかし現状、部員はゼロ人。そこで風間先生が、もし映研部に私が入部し、最低でもあと二人の部員を集めたら......なるべく私の希望を叶えると言ってくださいました」


「ええ、それはすごいなぁ」


 どうやら、僕が思った方向で間違ってなさそうだ。


「はい......まず、私は、部活動自体を行わない方向にしていただけないかと頼みました」


「うんうん」


 ようは、僕にその幽霊部活の人数合わせをしてほしいと、こういう話なわけだ......どうしよう、まあ、それくらいなら別にいいのかな。ちょうど僕も、幽霊部員になりやすそうな部活を探していたところだ。


「しかし、それは残念ながら却下されてしまいました」


「......あ、そうなんだ」


 恥ずかしい。予想が当たったと思ってちょっと得意げになっちゃってたぞ。しかし、そうじゃないとしたらなんなんだ?


「前三年生が所属していた時の映研部が、まともな活動をほとんどせず周りの部活に迷惑をかけたりしたので、映研部自体が目をつけられてしまっているそうです。なので、次まともな活動しなかったり、幽霊部員を使って部員数をかさまししていると判断された場合、廃部にされてしまうそうです」


「へぇー」


 そんなことがあったのか、知らなかった......だから今、部員ゼロ人なのかな。そんな部活、下級生は入りにくかったろうし。


「そして同時に、その顧問の風間先生も目をつけられていて、兼部でバスケ部の顧問をやらせようとの動きもあるそうです。なので、最低でも平日の放課後は部員全員で映画鑑賞およびその感想を部誌にしたり、文化祭では製作した映画を上映と、映研部が更生し真面目に活動していること、よって風間先生が忙しいことをアピールしたいそうです」


「えぇー」


 だったら、小早川には一つのメリットのない話だ。活動に参加するとして、映研部より条件の緩い部活なんていくらでもあるだろうし。


「メリットのない話だと感じお断りしようと思った時に、風間先生は前部長の話をしてくださいました」


「前部長?」


「はい。文化部は部室での活動が主になるため、部室にこれ以上人が入らないとなった場合、入部を断ることができるそうです。前部長はその制度を利用し、自分と仲のいい人間だけを部員にして、映研部を私物化していたそうです」


「......はぇー」


 一応感心したフリをしておく。なんていうか、すごいタイムリーな話してたんだな。この神がかり的な偶然が僕のような人間に降りかかっていることが、不幸の予兆でないことを願う。


「風間先生は、私に同じことをしてもいいと言ってくださいました。確かに、私と同じように、人との関わり合いを避けたがる性質の方をあと二人部員にし、それ以外の入部希望者を部室を理由に断り、極力関わらないという方針の元で活動すれば、映画製作をしたとしても、人間関係における問題というのは起こらないように思います」


「......なる、ほど」


 ......早速不幸来たかも、というか、まあ、そうなってくるよな展開的に。どうしよう。


「そして......ここからの話は内密にしてもらえればと思います」


「あ、うん」


 話が続くようなので、僕はとりあえずその予感を頭の隅に追いやった。


「風間先生は、部活外でも、教師としての権限を使い、私がなるべく人間関係に悩まされないよう支援してくれると約束してくれました」


「......ん?」

 

 教師としての権限? 風間先生がそんなものを持ってるとは驚きだし、なんなら教員免許を持ってること自体が意外だが、その権限とやらを使って、一体何をするつもりなんだろう?


「私は、席替えをある程度、私にとって都合のいいようにしてもらえないかと提案してみました......風間先生は、了承しました」


「えっ」


 それって、バレたらちょっとまずいくらいの特別扱いじゃないか? そんな危険を冒すなんて、風間先生、相当バスケ部顧問したくないんだな。まあ確かに、運動部の顧問なんて僕だったら死んでもやりたくない。


 しかし、席替え、か。まぁ、普通に考えたら、授業中でも平気で話しかけてく江藤と確実に離れるためだよな。もしくはゴッサムシティの路地裏臭がする僕から離れるためか。バットマンとっとと殺しにきてくれ僕を。


 バットシグナルがどうにか出せないか苦悩していると、小早川は大きく頷いた。


「確かに、些細なことに聞こえるでしょう。しかし、私は学校生活を送る上で、席というのは非常に重要なものだと考えています」


 どうやら、僕のリアクションを「なんだ、それだけのことか」と読み取ったらしい。席の重要性はわかっているつもりだが、「あ、そうなんだ」と相槌を打つ。


「はい。まず、学校で過ごす時間のほとんどが授業に使われ、その授業はほとんどの場合自分の席で受けることになります。自分の席の周りの生徒がどういう人間かで、人間関係に於けるストレスに大分違いが出ると思います」


「うん、確かに」


「また、この間のような一年生オリエンテーションのような行事や、掃除なども、席によって決められる班で行動します。やはりその時も、班のメンバーがとても重要になります」


「......なるほどなぁ」


 確かに、江藤が小早川に話しかけるタイミングは、授業中、掃除、イベント事の時がほとんどだ。その三つをある程度コントロールできるとなったら、小早川にとってはメリットのある話なんだろうが......まぁ、煩わしいのは江藤だけじゃないかもしれないけど、江藤の顔がパッと浮かんでしまった。ごめん、江藤。そしてそんな江藤と一応の協力関係にあって本当に申し訳ありません。


「このように、風間先生の協力を得られるのは、煩わしい人間関係を避ける上でメリットがあると、私は感じました。そして、風間先生は、私以外の二人の部員にも、私と同じ待遇をしてくださるそうです......つまり、緒方さんのように、今現在人間関係で苦しんでいる方にも、所属する上でメリットがあると思います」


 そこで、今まで正面を見、とうとうと話していた小早川が、僕の方に視線をやった。僕も小早川の方を見ないと失礼にあたるので、力を振り絞って首を捻る。もちろん視線は眉間だ。


「......こうやって緒方さんにお話を聞いていただいたのは、緒方さんに、私と一緒に映研部に入っていただけないかと、お願いするためです」


「......なる、ほど」


 僕は、うめき声をあげそうになるのをなんとか我慢して返事をした。とりあえず、帰ったらあの自己啓発本を燃やすことにしよう。


 つまり、僕が今の友人に対して不満を持っているのではとの質問に対しイエスと答えてしまった結果、小早川は僕が映研部にふさわしく、また、僕自身も、映研部に所属するメリットがあるという風に考えたわけだ。

 

 ......本来だったら、自己啓発本に感謝すべき場面かもしれない。なにせ小早川可憐という超絶美少女から、こうやって一緒の部活に所属することをお願いされるという、ラノベ主人公顔負けの体験をさせてもらってるんだ。いや、パシリにされていたからというなんとも情けないきっかけは、ラノベ主人公というよりは少年漫画の主人公に近いか。


 しかしどちらにせよ、主人公なんかとは程遠い僕には、あまりに荷が重い話だ。


 そりゃ、『小早川と隣の席じゃなくても関わるくらいの関係になる』としては、成功かもしれない。僕と小早川が映研部に所属し一緒に活動していると知れたら、江藤はまず間違いなく興味を抱くだろう。


 それに、僕にも席替えをある程度好きにする権利がもらえるというのなら、例えば江藤や広瀬を隣の席にしたりできるわけだ......いやいや、それはバレた時が怖いから僕のメンタルでは無理か。世の中が僕みたいな度胸のない奴ばかりになったら、犯罪なんて一切なくなると思うんだけどな。


 ともかく、メリットはある。しかし、デメリットも大きい。小早川が僕に声をかけた理由は、パシリにされていて友達関係に不満を持ってそうだから、だ。そう言う選考基準なら、残りの部員は一体誰になるだろう。まず、風間先生との協力関係から考えるに、一年一組から選ぼうとするだろう......久遠......いや、ひとまず女子は、羽ヶ崎と立川のことを考えてこんな話絶対に受けないし......まぁ、少なくとも江藤や広瀬では絶対にないだろうし、いわゆる”陰キャ”で間違いないだろう。


 そして、小早川の存在を考えるに、本格的に部活動が始まれば、映研部は非常に目立ってしまうに違いない。あの誰とも関わりたがらない氷の女王、小早川可憐がまともに部活動に参加しているぞと、からかい半分を装ってガチガチの下心で入部届けを出す男は絶対にいる。すると、部室が狭いと断られる。部室を狭くしているやつはどこのどいつだ。緒方啓介?......え、マジで誰? となり、僕ともう一人の名前は学校中に広まってしまうだろう。


 さすれば、僕、緒方啓介は、良くも良くも悪くも悪くも悪くも悪くも注目されている小早川となにやら仲良くやってるそうだと、悪くも学校中に注目されてしまうに違いない。”良くも”が二つ減ったと同時に、”悪くも”も三つ減ってるところがポイントだ。僕ぐらいの価値のない人間になってくると、悪目立ちすら難しいものなのだ。


 だいたい、小早川のことを考えても、ここは断るべきだろう。なにせ僕は、妄想の中でとはいえ小早川と仲良くしようとした男なんだ。彼女の理想からあまりに遠い人間で、赤ずきんで言ったら人間どころか狼だ。別にとって食うつもりなんてないが、その牙まみれの口を見たら信用できるはずもなく、招き入れるべき存在じゃないのは間違いない。


「......もちろん、友人の方と離れることを強要するつもりはありません。やはり、不安でしょうから。ただ、離れたいと思った時に、それに協力してくれる人がいると言うだけで、大分楽になると思います」


 僕の沈黙が、小早川には迷いに見えたんだろう。どうやら江藤の言う通り、小早川は優しいらしい。そうやって気遣ってくれるのはもちろんありがたいんだけど、その分断りにくくなってしまったと考えてしまう僕はやっぱり性根が腐ってるんだろうな。


 しかし、不安、か......小早川にも、そういう感性は、やっぱりあったんだよな。江藤の言う通り、小学生の頃友人が離れていったことがトラウマが、小早川をこういう人間にしたんだろうか。それとも両親の離婚が原因か、東京で何かあったのか......正直、知りたい。


 僕が小早川の方をちらりと伺うと、その視線を読まれ「何か気になることがあれば言ってください」と小早川が答えた。どうやら小早川は、コミュ障とは程遠い人間らしい。引っ込み思案の子供扱いを受けて顔が熱くなる。そして、小早川を待たせているという状況に焦って、つい口を開いてしまった。


「......小早川さんも、友達がいた時とか、あったと思うんだけど」


 僕がそう聞くと、小早川は少し黙ってから、「はい、そういう時はありました」と頷いた。どうやらそこまで不快そうでもないので、僕は思い切って一歩踏み込んでみた。


「その、どうして今みたいに、友達を作らなくなったのかなって......何かあったと思うんだけど」


 すると、小早川の瞳が大きく揺らいだ。


「何か、知っているんですか?」


 やってしまった、と背筋が寒くなる。話の内容はさておき、僕にしてはしっかりと会話になっていた(当社比)ので調子に乗ってたのかもしれない。冷静に考えたら、普通にデリカシーなさすぎるだろ。どうであろうと小早川にとっては辛いであろう過去を、なんなら僕は知っていると匂わせたわけだ。

 

 こういうのが本物のコミュ障なんだよなと自分を誹りながら、僕は頭を下げた。


「ごめん、その、小早川さんの......小学校の頃の同級生に聞いたんだ。小早川さんが男子に告白されて、それがきっかけで友達から」


「はい。無視されるようになりました」


 小早川がはっきりと言い切る。表情を伺うと、先ほどの揺らぎはもうどこかへと消え去っていた。


「確かにあの経験が私の生き方を変えたことは、間違いありません。しかし、それは私にとって決して悪いことではありませんでした」


「悪いことでは、なかった」


 信じられない言葉だ。思わずおうむ返しすると、小早川は首を縦にふる。


「はい。それまでの私は、友達を作るべきだという学校の常識に囚われ、特に友情も感じていない人たちに無理に合わせて生きてきました。そんな彼女たちに無視されるようになって、少しホッとした気持ちさえあったんです。もちろん友人を作らないといけないという常識から外れてしまったという不安もありましたが、すぐに孤独が快適になりました。私には孤独が合っていたんです。それに気づく、いいきっかけになったと言えます」


「......そう、だったんだ」


 小早川はいつもの淡白な口調で語ってみせた。僕は思わず感嘆のため息をついてしまう。どうやら現役高校生の僕よりも、女子小学生の小早川可憐......その時は大滝可憐か。大滝可憐のメンタルの方がよっぽど強かったということになる。何とも情けない話だ。


 ま、でも、それが真実だったりすると思う。強いやつはハナっから強くて、弱いやつはいつまでたっても弱い、漫画やラノベのような急成長なんていうのは、そう簡単に起こったりはしない、というのが僕の持論だ。そう決めつけてしまえば大分楽になるという、理屈もへったくれもない持論なんだけど。


「緒方さんも、そうなると思います」


「............」


 そんなことを考えている最中に、小早川がそんな馬鹿げたことをいうものだから、僕は思わず笑ってしまいそうになった。そして、その後、ほんのちょっと、ほんのちょっとだけ、そんなわけあるかとムカッとしてしまった。こんなのは逆ギレも甚だしく、自分の糞っぷりが恥ずかしくて仕方ない限りだけど、ここはこの感情を利用してしまうのがいいだろう。素面だったら、産まれて初めて喋った言葉が「はい」だったはずの生粋のイエスマンの僕が、小早川相手にノーを突きつけられるとは思えない。


 これはチャンスだ。僕は気持ちが揺るがないうちに、勢いのまま口を開いた。


「その、小早川さん、ごめん」


 失礼とわかっていても、この状況で小早川の方など見れない。地面に落っこちている変わった形の石に視線を集中しながら、そいつに言ってるつもりで続ける。


「誘ってくれるのは嬉しいんだけど、特進クラスにいかないといけないから、勉強したいんだ。だから、活動が週五もある部活には、ちょっと......」


 益子が言っていたのとまんま同じ言い訳をしてしまった。が、それでも僕みたいな失敗続きの人間からしたら大きな成功体験、というと、小早川に失礼か。しかし、良かった。緊張に強張っていた


 いや。まだ終わりじゃないぞ。せめて、最後は視線を合わせるべきだ。勇気を持って小早川の方を向く。そして、驚いた。


「......そうですか。わかりました」


 その声には、明らかな失望が滲んでいた。いつもは不快感ばかり示す形のいいまゆは八の字を描き、桜色の唇は固く結ばれている。そしてその双眸は、先ほどのような大きな揺れではなく、さざ波のようにふるふると揺れていた。


 あの能面女と呼ばれて久しい小早川が、百人が百人とも意見が一致するレベルの悲しい顔をしている。


 弁当を巾着袋にしまい、その上に空になった『お〜い粗茶』を置いた小早川が、僕に「この話は、なかったことにしてください」と言ってから、立ち上がった。そして、早歩きでその場を立ち去っていく。と、思ったら、ピタリと立ち止まって、こちらを振り向いた。


「一つ、いいですか」


「......あっ、うん」


 衝撃にぼーっとする頭をなんとか動かし頷く。小早川は僕に強い眼差しを向けて、言った。


「今のご友人方とは、やはり、距離を取るべきだと思います。おとといなんて、本当に苦しかったんでしょう」


「......え」


 おととい......僕がおとといのことで記憶にあることと言えば、剣持が曽根田にからまれ、そしてその剣持を、小早川が救ったことくらいだ。


「あれだけ無理して笑っていたら、そのうち壊れてしまいます......隣の席の私としても、見るに堪えませんから」


 そういって、彼女は左手の痣を、そっと右手で撫でた。確かにあの時の僕の笑顔は、僕史上最悪の、醜悪な笑顔だったに違いない。


 全身がかぁっと熱くなった。そんな顔を見られて恥ずかしいというものもちろんあるけど、きっとこれはそれだけじゃない。小早川は、僕の笑顔が見るに耐えなかったと言った。


 思ってはいた。小早川の席からは、剣持の表情は伺えない。もちろんあの状況が剣持にとって辛いものだということを、剣持の表情を見ずとも理解はできるだろう。だが、もしやその理解を、周りに合わせようと必死で、でも無理で、いびつな笑みを浮かべる僕が助けていたとしたら。いや、彼女の言い方じゃ、もはや動機そのものの中に入って来ていたのか......そう考えると、ベンチが消え失せてしまったような浮遊感に襲われた。


「......それでは」


 小早川が踵を返し、大股で離れていく。その後ろ姿は、この侘しい景色を変えるほどの力はないように見えて、ああ、これは非常にまずいぞと思った。


「あっ、ちょっと待って!」


 その声は、聞くに堪えないくらい生き生きとしていて、自分がその声を発したと気づくのに、ちょっとした時間がいるくらいだった。


「その、映研部、入るよ」


 ああ、最悪。

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