第5話 氷の女王>>>>アロワナ


 小早川可憐に「氷の女王」なんてニックネームが定着するのには、そう時間はかからなかった。他に、彼女の馬鹿丁寧な敬語から「敬語姫」、また、デフォルトの無表情をほぼほぼ崩さないので、「能面女」などが候補としてあったが、氷の女王に軍杯が上がった。ちなみに僕が小早川に最初に抱いたイメージ「アロワナ」は、僕すら提案しなかったので、当然採用はされなかった。残念。


 小早川可憐の周りには、最初の頃こそ人が集まった。しかしその度に小早川は、入学式の日、江藤相手にやって見せた、あの死海よりもしょっぱい塩対応をするので、すぐに彼女に話しかける生徒はいなくなってしまった。いたたまれない空気を真横で味わいたくない僕にとっては、ありがたい話ではある。


 そう、僕はというと、結局席移動はしなかった。入学式から数日経った頃には、この隅っこの席がそこまで悪いものじゃないと気づいたからだ......といっても、三週間経った今は、その判断に間違いがあったかも、と疑念を抱いているわけだが。


「ね、知ってた?亀って生まれたときの温度で性別が決まるんだよ」


「......えぇ! それはやばいな、亀」


「でしょー。やばいよね」


 江藤の豆知識に、僕は相槌を打つ。なかなかすごい豆知識だが、数Aの授業中にいうことではないと思う。ただ、そんな無粋なツッコミを入れて「うわ、そのツッコミうざ。何、関西人気取りなの? あーもういいや、仲良くするのやめよ」なんてことになったら困るので言わない。


 ......そうなのだ。僕はこの席のおかげで、なんとあの江藤文香と、それなりに仲良くなることができたのだ。


 ちょっと女の子に優しくされたら、好きになってしまうのが思春期の男子というもの。今回もその例に漏れず、僕が勝手に江藤を友達扱いしているかというと、それは違うとはっきりと言い切ることができる。


 なんていったって、ほかならぬ江藤本人が、僕に向かって「仲良くしようよ」と言ってきたんだから。


 いやぁ、あれには本当にびっくりした。その驚きの理由が「え!? なんで僕!?」なのは我ながら悲しかったし、その後幻聴を疑い出した時には悲しみを超えて笑いが出たが、今は受け入れている。すぐに理由もわかったことだし。


 そして、この三週間で、江藤は順当にこのクラスの中心になった。毎休憩時間江藤の周りには男女の垣根を越え人が集まり、江藤とそれなり仲が良く、後ろの席の僕も、比較的簡単にその輪の中に入ることができたのだった。


 ということで、不安に満ちて始まった僕の新学期は、江藤のおかげで順調なスタートを切ったのだった。ちなみに辻は一組に一度も訪れず、僕の方からカースト上位の男子に話しかけることはできなかったので、完全に江藤のおかげである。


 ......っと、いけないいけない。また命の恩人との会話の最中にぼーっとしてしまった。僕の悪い癖だ。どうか小指で許してほしい。僕の小指なんてヤ○ザでもお断りか。


 しかし、どうやら話に集中していなかったのは僕だけではなかったようだ。江藤はこちらに体を向けてはいるが、視線をチラチラ送っているのは、小早川の方なのだ。


 僕はというと、その僕に対して気の無い態度に喜んでいた。江藤がまだ小早川と仲良くするつもりがあるということがわかったからだ。三時間目まで小早川に話しかける様子がなかったから、てっきりもう仲良くするつもりはないんじゃないかと心配していたのだ。

 

「ね、可憐ちゃんは知ってた? すごいよねー亀って」


「.............」


 そして、いつものように江藤は小早川に話しかける。それに対して小早川はいつものようにノーリアクションだったが、江藤はいつものようにくじけない。


「いやーほんとビビるよね。ちなみに28度以上がメス、以下がオスなんだってさ」


「.............」


「......もしかして、まだ一昨日のこと怒ってる? ごめんごめん、うるさくしちゃって!」


「......江藤、その言葉は小早川じゃなくて先生に言ってくれないか」


 今まさに授業をしている数A担当の香川先生がそういうと、ドッと笑い声が起こった。江藤は「あはは、ごめんごめん」と教師に対する態度とは思えない様子だが、香川先生は悪い気をしていないみたいだ。やっぱり可愛いJKは人生楽だな。朝起きたら江藤と身体入れ替わったりしてたらいいのに。いや、中身江藤見た目僕を客観的に見るのはキツすぎるのでやっぱ良くない。


 しかし、江藤の強靭なメンタルには本当に感嘆してしまう。今の今まで一貫してろくに相手にされてない上に、一昨日のことだってあるというのに。


 小早川は、授業の終了と、同時に昼休みの始まりを告げるチャイムがなると、すぐに席を立って教室を出て行ってしまった。これもいつものことで、最近は昼休みどころか授業間のちょっとした休憩でもどこかに行くので、江藤としても仕方なく授業中に話しかけているんだろう。


 江藤は小早川の背中を見つめて深くため息をついた後、ジト目で僕の方を見やった。


「ちょっと啓介ー。やばい空気だったんだからフォローしてよー」


「......ははは、ごめんごめん」


 僕はジト目がこの瞬間性癖の一つになってしまったことに動揺しながら、なんとか笑顔を作って答える。江藤は、もーと口を尖らせたのもつかの間、華やかな笑みを浮かべる。


「今日お弁当だよね。一緒に食べるでしょ?」


「あ、うん」


 相変わらずの切り替えの早さを見せ、僕を昼食に誘ってくれる江藤。こういうところが小早川にとっては厄介なんだろうが、僕にとっては非常にありがたい。


「......文香、あんた、私との約束は?あの根暗女王様とはもう関わんないってことになったでしょ?」


 と、お弁当片手にこちらにやってきた羽ヶ崎桃姫が、名前通りの桃色の髪をかきあげながらそう言った。


「モモ何それ。別にそんな約束してないし、だいたい可憐ちゃんは根暗じゃないって。今日は喋ってくれたし」


「”今日は”の時点でおかしいでしょ。喋りかけたら喋んのが普通なの」


 まあ、正論だ。ちなみに羽ヶ崎は自分の”桃姫”という名前が嫌いらしく、女子からは”モモ”もしくは”ヒメ”と呼ばれている。まあ羽ヶ崎を呼ぶ機会自体ほとんどない僕には、全くもって関係のない話だ。


 羽ヶ崎はデフォルトの不機嫌面をさらに歪ませながら、剣持の席についた。ちなみに江藤の隣の席の本来の使用者である剣持も、小早川同様昼休憩になると教室を飛び出していくので、昼の間剣持の席は羽ヶ崎専用となっている。剣持には本気で同情する。

 

 すると、羽ヶ崎の前の席に座る久遠が、タイミングを見計らったようにくるりと振り返った。金に近いベージュの髪をセンターにわけにして、さらにツインテールにしている。髪型だけ見ればツンデレみたいだが、実際の彼女の性格はツンデレからは程遠いものだ。


「でっ、でもフミフミすごいよねー! 小早川さん相手にあんなに喋りかけれるなんて、勇気あるよっ」


 少しうわずった声からは緊張が読み取れる。彼女とは同中だが、その時は、放課後の図書館、窓から吹き込む風におさげを揺らしながら本を読むのは似合いそうな娘だったように思う。今や見た目は全くの別人だが、中身はあまり変わっていないらしい。


「でしょ。我ながらメンタル強くってさー」


「勇気って言っても蛮勇だから。褒められたものじゃないわよ」


 羽ヶ崎が冷たくそう言い放つと、久遠がウッっと首を縮める。江藤はと言うと、一瞬ポカンとした顔で羽ヶ崎を見たが、すぐにポンと手を打った。


「はいはい、ヴァン○んね! 面白いよねー」


「わかった。教養のかけらもないあんたに合わせて話したげるから安心しなさい」


 そこからは何度も見た二人のイチャイチャ口喧嘩が始まる。仲がよろしくて非常によろしいと思うのだが、しかし会話に入れずそわそわしてる久遠のことも気にかけてあげてほしい。僕が会話に参加しないのは普通なので気にかけないでほしい。


「......ていうかそんなんどうでもよくって、あんた、昨日私に論破されて納得したんじゃなかったの? 本当にトリ頭ね」


 イチャイチャを切り上げて、羽ヶ崎は話を戻す。馬鹿にされた江藤はムッとした表情になるが、それはそれでやはり愛嬌がある。彼女はこうやってマイナスの感情を表す時ですら人を魅了する。まあ僕くらいの雑魚メンタルになってくると、それでも負の感情は負の感情じゃんと怖くなってしまうんだけど。


 対して、羽ヶ崎のイライラは周りをとにかく威圧する。特に、江藤の口から小早川の話題が出る時なんかは露骨に不機嫌になって、周りに気を使わせ話題を返させていた。


 しかし、”一昨日”を経ての昨日、羽ヶ崎は小早川さんについて自ら言及し、江藤とちょっとした言い合いになったのだ。


「鳥頭じゃないし、ロンパもされてないから! はっきり言っとくけど、あたし可憐ちゃんと仲良くする気マンマンだから、モモは邪魔しないでよね!」


 江藤がそう言い放つと、羽ヶ崎の細い眉がピクッと跳ね上がった。イチャ喧とは違うガチのイラつきに、久遠が顔を青くする。しかし、江藤は素知らぬ顔で、その久遠に「あ、雫ちゃんはいなかったよね」と話しかける。久遠は(えっ、私がいない時っていつのことだろう)という不安を滲ませながらも、頷いた。


「まずね、可憐ちゃんが小学生までこっちで暮らしてて、そっから東京に行ったって話は聞いてるよね」


「あっ、うん、知ってる」


 久遠が頷く。この事実は、江藤が吹聴する必要もなくクラスに広まっていた。この学校限定でSNSでもやったら、毎時小早川がトレンドに入るだろうというくらいには、小早川は注目を集める存在になっているので、当然といえば当然だ。


「で、小学生の時の可憐ちゃんって、友達もちゃんといたし、笑顔の似合う明るくて可愛い子だったんだよ」


「......それ、ちょっとびっくりだよね。いまの小早川さんからしたら想像できない......あっ」


 途中で、自分の発言があまりにブーメランだということに気がついたんだろう、久遠が顔を赤らめる。見た目だけなら小早川のこと言ってらんないくらい変わってるもんな。


 でも、久遠の言う通りだ。あの小早川が笑顔......やめよう、想像しただけで好きになりそうだ。ちょろいを通り越してキモいわ。


「......でね、あたしも正直詳しい事情は知らないんだけど、カレンちゃん、その時人気のあった男子に告白されたらしいんだよね。それがクラスの女子の嫉妬を買ったみたいなんだ、カレンちゃん」


「どうかしら。その前に何か嫌われるようなことしてて、それはただのきっかけだったんじゃない?」


 羽ヶ崎が口を挟むも、江藤はそれを華麗に無視して続ける。


「それでカレンちゃんに対する無視が始まって、カレンちゃん一人ぼっちになっちゃったんだって。で、カレンちゃんそのまま転校しちゃったんだよ。あ、それは、ご両親の都合でそうなったらしいんだけど」


 と、ここで江藤が久遠から僕に視線を移した。うわ、面倒だな。


「で、JKになった今、友達一人もいらないって言ってるんだよ。どう思う、啓介?」


 同時に、羽ヶ崎のヤクザ顔負けの冷たい視線が僕に向けられる。僕はなんだかんだ思い入れのある小指を隠しながら答えた。


「小学生の頃の出来事がトラウマになってるのかもね」

 

 一度体験した流れなので詰まらず答えることができた。江藤が「うん、そうだと思う」と深刻そうに頷いた。どうやら小早川が何も言っていないうちから、江藤はそうだと決め込んでしまっているようだ。


 他にも、東京にいる時に何かあったとか、江藤が入学式の時に小早川に気づかなった理由でもある、小早川の苗字が小学生の頃は”大路”だったことなどが可能性としてあげられるのだが、江藤はどうもこの理由に固執しているように思う。自分が小学生の時、小早川を救ってあげられなかったという後悔がそうさせているのかもしれない。


「......そんな理不尽な目にあって友達を失ったんだから、もう友達なんて作りたくないと思ったって仕方ないよ」


 まるで自分が体験したことかのように、江藤のテンションが急激に下がる。すると、その場の空気も冷たくなったように感じた。金魚リア充っていうのはその場の空気を一人で変えてしまえるのだが、江藤の場合はちょっとすごいな。もはや一種の能力者だ。かっこいい。僕の『眠らなくちゃいけない時に全然眠れなくて、眠っちゃいけない時に限って眠くなる』能力と交換してくんないかな。無理か。


「......だとして、それが何って話じゃない」


 その場の空気がさらに冷める。もう一人の能力者、羽ヶ崎だ。


「それが原因だろうが両親が離婚したのが原因だろうが東京で何かあったのが原因だろうが、小早川が過去の経験から友達を作るのをやめたってだけの話でしょ? 小学生の頃友達がたくさんいたら高校生になっても友達作んなきゃいけないわけ? 暴論にもほどがあるわよ......それとも、嫌な経験を経ての変化は不健全だとでも言いたいわけ?」


「いや別に、そうとは思ってないけどさぁ」


 羽ヶ崎の厳しい言葉に、江藤は眉根を寄せる。今のところ完全に昨日の再現になってしまっている。ここから江藤は羽ヶ崎の論破パターンから抜け出せるのだろうか。


「それじゃあ友達いないのが不健全? それ、一人で弁当食べてるやつに言ってくれば?」


「......そんなことは、思ってないから言わないし」


「あっそ。私は思ってるけどね。でもそんなこと言ったら怪文書とか家に届きそうだから言わないけど」


「モモ!」


 本気で嫌がる江藤に、羽ヶ崎は「冗談よ。友達がいなくたって別にいいわよね」と肩を竦める。一見二人の関係は羽ヶ崎が優位に見えるが、それはあくまで江藤が羽ヶ崎の攻撃的な言動を懐の深さで受け入れている場合だけであって、江藤が拒否さえすれば、羽ヶ崎は普通に引き下がる。取り入るとしたら、やっぱ江藤だな。まあそれ以前に、羽ヶ崎に取り入るなんて不可能なんだけど。


「つまりあんたは、小早川が嫌な経験を経て人間嫌いになって、友達を作りたがってないことになんの文句も言えないにも関わらず、友達は多いほうがいいという自分勝手な価値観を押し付けてるわけ。どう考えてもやめたほうがいいでしょ、ね、雫?」


 羽ヶ崎に話を振られ、久遠は迷ったように目を泳がす。しかし、わりかし早く、小さく頷いた。単純に羽ヶ崎が怖いのもあるのだろうが、久遠の中で羽ヶ崎の言っていることが正しく聞こえたのだろう。


 実際昨日この話を披露したときも、江藤以外は納得した様子だった。そして江藤はぐぬぬ顔とコッポラ顔を晒し、小早川の話題は終わりを告げたのだった。


 しかし、今日の江藤は決してコッポラ顔などしていなかった。むしろ苺ましまろではお目にかかれそうにないキリッとした表情で羽ヶ崎を見つめる。羽ヶ崎が嫌そうに表情を歪めるの視界の端で見えた。


「モモの言うことも確かにって思ったよ。でもね、じゃあカレンちゃんをこのままにしといていいかっていうと、違うと思うんだよね」


 そこで一息つくと、江藤は教室をキョロキョロと見渡した。そして口に手をあて、僕がギリギリ聞こえるくらいの声で言った。


「聞いた話だけどね、あたしの見間違いじゃなくって、剣持くん、やっぱり泣きそうになってたみたいなんだよね」


 心臓がキュッとなって、危うく箸を落としかけた。そして江藤の方をみて、妙に目に力が入ってしまっていることに気づき、すぐに目をそらす。


「は?なんで?」


 羽ヶ崎が食い気味に聞く。江藤は困ったように眉を潜めた。


「それは、拓海の絡みがウザかったからとか?」


「は?そんだけで泣くとか、やばすぎでしょ」


 羽ヶ崎はたっぷりの侮蔑を込めてそう言う。対して江藤も、ちょっと困ったような顔をした。弱者とは程遠い彼女たちには、当然理解の届かないところだろう。なんなら僕が過剰に理解しちゃっているのかもしれない。


「まあそれは置いといて、で、あたし思ったわけ。あたしたちがうるさいのはいつものことじゃん。で、カレンちゃんはいつもそれをスルーしてたのに、あの日は怒った......それって、剣持くんのこと守るためなんじゃないかって」


「......はぁ? なんで助けるためにキレんのよ。意味わかんない。何よそのDV男みたいな理屈」


「いやいや、だってさ、可憐ちゃんが怒ったから拓海、剣持くんに絡むのやめたんじゃん。実際あの後の拓海めっちゃ落ち込んでたし。剣持くんを守ったんだって、カレンちゃん」


「.....いや、絶対ないでしょ。”氷の女王”様がそんな」


「それだよそれ!」


 江藤のトーンはぐんと上がり、クラスの視線が彼女に集まる。江藤は照れ笑いをクラスに振りまいてから、少し声を押さえて話を再開する。


「カレンちゃんが本当に冷たい人間になっちゃったんなら、あたしだって仕方ないと思うよ! でも剣持くんを助けたんだったら、カレンちゃん全然冷たい人間じゃないって!」


 江藤の熱のこもった言葉に、羽ヶ崎は口一杯の苦虫を噛み潰したような表情をする。


「心は優しいのに冷たいふりするなんて、それは絶対フケンゼンだって! ほら、あったかい部屋から寒いところに行ったら体調おかしくなるじゃん! それと一緒!」


 本人は自分が伝えたいことを伝えきれていないと考えているのか、非常にもどかしそうな様子だ。そのままの表情で久遠の方を向く。


「ね、よくないよね、雫?」


 久遠も随分嫌な役を任されてしまったな。本人も顔を赤くしたり青くしたり上半分を赤くしたり下半分を青くしたりしている。え、なにそれ凄い。どうやってんのか教えて欲しい。


「......そ、そだねー! あ、でも、もしかしたら普通に怒っただけかも」


「それな」


 久遠としては、普段は気だるげな垂れ目を釣り上げている羽ヶ崎のほうが怖かったようだ。


「だったらだったらだけど、そうじゃない可能性だってあるわけじゃん。ていうかあたしの中ではもうほぼ確定してるわけ!」


 しかし、その程度では江藤の勢いは止まりそうにない。


「とにかく、あたしはまだ可憐ちゃんと仲良くすること諦めないから! ていうかモモ、あたしのお母さんでもなんでもないんだから、あたしが誰と仲良くしようが勝手じゃん! はい、この話終わり!」


 江藤が高らかに言うと、羽ヶ崎はツノ八本は生えてなきゃおかしいくらいの険しい表情をした。怖い。現に久遠なんてこの数分間で確実にデコ広がってるし、僕のつむじだって、きっとUFO研究家が写真を取り出すレベルのミステリーサークルを描いているに違いない。


 しかし、流石の江藤も気を使ったのか、羽ヶ崎から借りた映画を見たという話を切り出すと、羽ヶ崎のツノは一気に本ほど引っ込んだ。羽ヶ崎は映画好きらしい。しばらくの間は江藤と羽ヶ崎で映画の感想を言い合う時間が続き、終わる頃には残り四本もなくなっているはずだ。その映画を見てないらしい久遠には本当に同情するが、僕からしたらありがたい。


 しかし、江藤が羽ヶ崎に口で勝つとはな。羽ヶ崎の見落としがあるとはいえ、意外だ。ただまあ、別に


 あくまでたった三週間の付き合いで、しかもひねくれた見方がデフォの男の推測な訳だけど、江藤は小早川に冷たくあしらわれること自体、大して嫌がっていない、というか楽しんでいるようにすら見えるのだ。


 これまたここ三週間の付き合いでわかったような話だけど、江藤は人に囲まれている時、ほんの一瞬、猛烈に退屈そうな表情をするときがあるように思う。人を退屈させてばかりの僕の被害妄想かとも思ったが、羽ヶ崎もそれに気づいているっぽくって、江藤がその表情をした後は随分気合を入れて喋っているように思う。江藤の高校生活はあからさまな好スタートを切っており、不満を感じるところなんてなさそうだが、それが退屈、なんて、戦闘民族みたいな理由なのかもしれない。


 江藤が退屈していて、刺激を求めていると仮定しよう。そんな中、人との関わり合いを猛烈に拒絶する、変わりはてた小早川可憐は、江藤にとって絶好の刺激をくれる相手だから、羽ヶ崎にどれだけ正論言われたって諦めないんじゃないかと.....いや、さすがに邪推が過ぎるか。三週間程度で江藤について確信できたことは二つだけ。メンタルが鬼のように強く、そして他の金魚リア充たちと比べてよっぽど性格がいい。是非は置いといて、小早川に対するしつこい態度は、彼女なりの善意でやってるんだろう。


 しかし、小早川もすごいよな、と、冷凍食品特有の綺麗な卵焼きをつっつきながら思う。未だ友達一人もいないのに、このクラスのもっぱらの話題になり続けている。クラスの中心人物と言っても過言じゃない活躍っぷりだ。僕なんていっつも周りに人いるのに一回も中心になったことないぞ。へへへ。


 と、教室の引き戸がガラガラと開かれ、女首絞め男こと広瀬海、王侯貴族の三男坊こと益子琥太郎、百式ヤンキーこと曽根田拓海、そして紅一点の立川紗枝が入ってきた。なんでも野球部は野球部で集まって弁当を食べる慣習があるらしく、津村達郎の姿はない。


 彼らは、食堂で買ったであろうパンを腕に抱えて僕たち...だと正確じゃないな...江藤たちの方に向かってくる。広瀬は江藤の前の太田の席に、曽根田はその太田の前の上野の席に座る。太田や上野にも同情したいところだが、彼らは彼らで友達と一緒にご飯を食べているので、剣持とは事情がちょっと違うだろう。


 と、僕の隣、小早川の席に益子が座った。ここ最近、昼休憩になると空く小早川の席は益子が座ることが多くなってきている。広瀬と曽根田の二人から離れてわざわざ僕の隣に座るなんて、さては益子、僕と友達になりたがってるな。そんなに僕が壺好きな男に見えるんだろうか。自慢じゃないが壺も絵も数珠も人生で一回も買ったことないから、友達になってくれたって買わないぞ。


 ま、馬鹿げた冗談は置いておいて、普通に空いてる席だからだろうな。しかし、チャンスはチャンスと捉えよう。益子は類い稀なるルックスという、単純かつ非常に強力で、失いにくい武器を持っている。そして、性格的に淡白で、無駄に喋らないところも高評価。是非とも彼の糞になりたいところだが、やはりそれは難しいだろうな......だからこれ聞こえ悪すぎんだよな。絶対に人前では口にしないようにしよう。


 立川が椅子を引きづって小早川の席の横につけた時には、は完全に消え失せた。「彼氏居ない歴=一ヶ月ってやばくな〜い」の立川は、明らかに益子に。当然その邪魔をすれば、僕に未来はない。


「ていうk聞いてくれよ。益子、サッカー部入らないんだって」


 席に着くなり、広瀬が早速喋り出した。隣の益子が、嫌そうに顔を歪めるのがわかる。


「あ、結局そうしたんだ?」


 江藤が聞くと、益子は渋々と言った様子で口を開いた。


「......まあね。高校ではもういいかなって。レギュラーも取れなさそうだし」


「いやいや、一年でレギュラー取れるのなんて辻くらいだろ? 勿体無いって、せっかく三年間やってきたのにさ」


「......まあ、考えとくって。ああ、江藤と羽ヶ崎は、映研部どうだった?」


 益子がすぐさま話題を変えた。羽ヶ崎が眉間に皺を寄せる


「あー、全然駄目ね。酷かったわ」


「え、あたしは結構良かったけどなぁ。顧問風間先生だし」


 対して江藤は好反応だ。よくもまあここまで対照的な性格で友人を続けられたもんだ。


「あの部室見といてよく言えるわね。ほぼ物置じゃない。その上部員もゼロ人で廃部寸前なんだから、入る理由なんて一つもないわ」


「え、でも、そういうのなんか燃えない? 廃部寸前の部活を建て直すってさ」


「あ、それわかるわー。俺も入ろっかな映研部」


 そういった後、広瀬が急に急に真面目な顔をした。


「てゆーか、そんなに迷うんだったらサッカー部のマネージャーやってよ。紗枝もやるんだしさ」


「へ? 私やらないよー?」


「......えっ!?!?」


 広瀬が驚きの声をあげる。おかげでレンチンの唐揚げを落としかけた。にしても最近の冷凍食品ってうまいなぁ。冷凍食品部とかあったら入るんだけど。

 

「ちょ、待てって、俺先輩にマネージャー入るって言っちゃったぞ!?」


「へぇー」


「へぇー、て、紗枝、お前......」


 流石の広瀬も立川の奔放っぷりには困惑の様子だ。益子がサッカー部に入部しないと決めた今、立川がサッカー部のマネージャーをやる理由もなくなったと言うところだろう。もうこんだけあからさまなら益子も立川の好意に気づいているはずだが、今の所二人に進展のようなものは感じられない。


「あたしも無理かな。家の手伝いあるから、あんま厳しくない部活の方がいいんだよね」


「私もパス」


 そして、江藤と羽ヶ崎に連続で断られると、広瀬はガクリと肩を落とし「どうすんだよ、先輩に約束しちゃったよー」と嘆いた。が、すぐさま、計算され尽くしたような爽やかな笑みを浮かべて、今度は久遠の方を見た。


「なあ、久遠さんはどう? 久遠さんみたいな可愛い女子がマネージャーしてくれたら、サッカー部強くなるし、めちゃくちゃ助かるんだけどな」


「......え、えっと」


 久遠は華奢な肩をさらに縮こませ、怯えたように目を泳がせる。すると、羽ヶ崎が半眼で広瀬を見た。


「雫は私たちと一緒の部活に入るの。ていうかドサクサに紛れて口説くな」


「いや、口説いてないって。スカウトスカウト。じゃあ原宿とかでスカウトやってるやつもナンパなのかって話になってくるだろ?」


「大抵はね......もう料理部でいいでしょ。猫屋敷先輩にも誘われてるし、ね、文香」


 羽ヶ崎がそう言うと、久遠がなんなら広瀬に口説かれた時よりもビクつく。気持ちはわかる。元陰キャが料理部に入るなんて、抵抗があるに決まってる。


「......うーん、ま、そうだよねぇ」


 江藤もそこまで乗り気じゃないようだ。というか、羽ヶ崎は早々にサッカー部のマネージャーを志望していた立川を除いた女子三人で料理部に入ることを計画していたが、そこに江藤がストップをかけている状態なのだ。


 すると、江藤が再びこちらに視線をやった。勘弁してくれ。さっきよりよっぽど悪い状況なんだぞ。


「ねぇ、啓介はもう決めた、部活?」


 ああ、だからなんで僕に振るんだ。僕に振るくらいなら曽根田に......いや、曽根田はバスケ部にすでに入部してるから、僕に話が振られるのは自然な流れか。


 視線が集まる。こうやって見られると、こいつら今僕のこと心の中で悪く言ってるんだろうなと思ってしまうし、若干二名は間違いなく言ってるから落ち着かない。


 噛んだ途端水を得た魚のようにいじってくる津村がいない分まだマシだが、それでも下手な喋りはできない。僕は緊張をほぐす効果のある足首の体操を机の下でしながら、一人称を俺にして答えた。


「俺は今の所、適当な文化部に入って幽霊部員やる予定だよ」


「えー! なにそれ、もったいない」


 江藤が非難の声をあげる。そう、確かに勿体無い。益子がサッカー部に入らないとなった今、益子の入る部活に合わせて入るという手もあるのだ。


「......うん、正直、僕もそうするかな」


 しかし、杞憂だったようだ。益子が僕に同意の声をあげる。僕の時は不満の声は江藤だけだったが、これには江藤、広瀬、そして立川から声が上がる。まあ益子と僕の存在価値は間違いなく三倍以上あるので、上出来の結果だろう。

 

「勉強もしたいしね。あんまり部活に時間取られたくないよ」


「えっ!?」


 続けて益子がそういうと、今度は江藤が驚きの声をあげた。


「それね。ほんとイカれてるわ、部活強制って」


 羽ヶ崎が嘆息する。江藤は晴天の霹靂と言った様子だ。


「いやいやいやいや......勉強って、あたしたち高一だよ? どう考えても早いって」


「いや、二年からは特進クラスとかあるから、そこには入っとけって言われててさ」


「あ、私も言われてるー。でも私全然勉強できなくてー」


 おお、立川、切り替えが早い。間延びした声で言うと、大げさに眉を八の字にし、何か塗ってんだろうツヤツヤした唇を尖らせながら、益子の方をチラチラ見る。しかし、羽ヶ崎が「いや、あんた入試でそこそこいい点とったんでしょ?」と言うと、ガチで困ったような顔で羽ヶ崎を見た。羽ヶ崎はニヤッと笑って、「でも、英語がひどいのよね」と付け加えると、立川は赤べこのようにウンウン頷いた。益子は確か英語が得意だ。なんだこの流れ、なんか怖いぞ。


「あ、ヤバ、めっちゃいいこと思いついた!」


 と、江藤がパァっとその場が華やぐ笑顔を見せた。


「啓介も琥太郎もそんな感じならさ、みんなで映研部入ろうよ!」」


「......あんた、なに言ってんのよ。廃部になんのよ映研部は」


 羽ヶ崎が嫌そうな顔をする。が、江藤は気にしない。


「いやいや、確か五人でしょ、部活として必要な人数って。足りるじゃん、六人」


 そういって、


「先輩いない部活だったらサボりやすいし、何よりやりたい放題できるじゃん! 風間先生緩いし、勉強したいなら部活中にすればいいし」


「......ふむ」


 どうやら、益子にはこの提案は響いたようだ。これは、僕にとってもいい流れかもしれない......けど、羽ヶ崎や立川と一緒に部活動とは、なかなかに度し難いな。


「ま、私は別にいいけど、文香は本当にいいの?」


「え、なにが?」


「風間が言ってたじゃない、文化部は部室に入るだけしか部員にできない、映研部なら五人が限界だって。ま、運動部と違って部室での活動が主だから仕方ないわね」


「......む」


 どうやら実際にそんなことを言われていたようだ、江藤の顔が曇る。つまり羽ヶ崎が言いたいのは、この中のまだ部活が決まっていない六人の中から一人、映研部を諦めなければならないというわけだ。


「そうなってくると、当然その一人は決まってるわね」


 空気が張り詰めていく。羽ヶ崎は僕の名前を言うだろうか。いや、言わないだろうな。ここで僕の名前を言ったら江藤は本気で怒る。それはもちろん優しさでもあるが、同時にそれが冗談にならないと、江藤が思っているに他ならない。


「文香、あんたね」


「......へっ?」


「そりゃそうでしょ。『ショーシャンクの空に』を途中で投げ出すような娘が映研部に入っちゃ駄目じゃない」


「......ちょっと! あたし言い出しっぺだよ!」


 江藤は口では怒りながらも、表情はどこか安堵しているようにも見えた。そして、僕の顔をちらりと伺った。それを羽ヶ崎は見逃さなかった。


「なに、緒方かと思った?」


「......え、そんなことないよ?」


 途端に江藤はトーンダウンして、気まずそうに目を伏せる。羽ヶ崎は「ふーん」と、どこか嬉しそうだ。


 こういうのを見てると、羽ヶ崎は江藤のことどう思ってるんだろうと考えてしまう。僕が見るに、羽ヶ崎は度々江藤にこういうちょっとした嫌がらせを仕掛ける。江藤のことが実は嫌いなのだろうかとも思ったが、羽ヶ崎が楽しそうにしてるのも、江藤と一緒にいる時なんだよな。好きだけどついついいじめちゃうみたいな、そんな小学生男子的理由なんだろうか。


 ま、そんなことより助かった。僕が原因で集団の空気が悪くなるなんて、金魚の糞としての矜持が傷つくもんな。


「緒方は、むしろ主力になるんじゃない? なにせ演技がすごく上手なんだから、ね? 緒方」


 と油断したのもつかの間、羽ヶ崎が似合わない爽やかな笑みを浮かべながら僕にそう言った。全身が粟立つ。


「えっ、そうなの? 初聞なんだけど」


「......ははは、いや、そんなことないと思うけど」


 僕が乾いた口を開くと、羽ヶ崎は「なに謙遜してるのよ、凄いじゃない。文香、なんかシチュエーション言ってあげなさいよ」とすかさず追い討ちをかけてきた。


「え、じゃあ告白のシーンとか見てみたいかも!」


「なにそれ、あんたほんとに好きね、そう言うの」


 羽ヶ崎は口ではそう言いながらも、さっきよりよっぽど嬉しそうだ。先ほどの理論で行くなら羽ヶ崎は僕のことが好きだということになる。参ったな、僕は


 言ってる場合じゃない......これはちょっとエグいな。広瀬が指笛を吹く。立川が「フミフミだいた〜ん」なんて言って、江藤が「そんなんじゃないって」と返す。やらなきゃいけない空気だ。しかし、もう少しまともなシチュエーションなら、適当にやって誤魔化すっていう手があったけど、告白の演技なんて絶対に無理だ。冷や汗が、つぅーと脇腹を伝った。


 しかし、羽ヶ崎は上手いな。これなら、江藤を怒らせずに僕に確実にダメージを負わせられる。彼女からしたら、無茶振りなんてのは一種のコミュニケーションツールでしかないのだ。江藤が無茶振りを食らうときもあるし、なんなら羽ヶ崎が餌食になることだってある。僕だけやめてくださいなんてことは言えない。


 だが、恋人とキスすることと赤の他人とキスすることを、一緒くたにはできない。同じ行為でも、関係性によってその意味合いは大きく変わるのだ。特に江藤は、そこらへんを理解してないんじゃないかと思う。どうせならここで江藤にキスでもかませば理解してもらえるかもしれない。


「っつぅあ〜っ、しくったー!!!」


 と、芝居掛かった声に、僕の犯罪者まがいの思考は遮られた。声をあげたのは、ここまでロクに喋ろうともしなかった曽根田だった。


「飲みもん買うの忘れてたわ〜。なぁ総一郎?」


「......ん? そういやそうだな」


 広瀬が肯定すると、曽根田は。そして口元を歪ませて僕の方を見た。どうやら僕に助けの手を差し伸べた、ということではないらしい。


 と、きらりと光る物体が三つ、山なりに僕の方に飛んできたので、俺はそれをなんとかキャッチした。手のひらに百円玉三枚が転がる。


「てことで緒方、頼むわ〜」


「............」


 やはりだ。話を遮ってくれたことへの感謝は吹き飛んだ......いや、まだ全然あるわ。告白の演技を強要されること以上に悪いことなんてこの世にないからな。

 

 まあつまり、曽根田は僕をパシリに使おうと言うのだ。これからの展開を考えると頭が痛い。


「総一郎と圭太は何にする? 俺が奢るわ」


「......ちょい待ち、何それ、啓介パシリにするつもり?」


 広瀬が返事をする前に、江藤が非難の声をあげ、曽根田を睨みつけた。


 僕のために声をあげてくれるのはありがたい。しかし、僕が今からパシリされそうなことを宣言するのはやめてほしい。現に今ので何人かこちらを見ているし。穴があったら無視して死にたいくらいには、嫌な視線だ。


 曽根田はというと、江藤の非難に怯んだ様子を見せたものの、一昨日の件もあってか、珍しく粘ってみせる。


「......別にいいだろ。ちょっと飲みもん頼むくらい」


「いや、普通に自分で買いに行けばいいじゃん! 啓介をパシリに使うことないでしょ!」


 さらに上がるトーンに比例して注目度も上がる。これ以上、パシリを押し付けられそうになっているところを同級生の女子に守られている構図を保たれようものなら、僕は乾いた唇を舐めてから、江藤に言った。


「江藤。大丈夫大丈夫。俺もちょうど買いたいやつあったから」


「へっ?でも」


「いや、本当に大丈夫。ほら、あれだよ......」


 そこで言葉を止めて、僕は口臭が気になるので口周りをしっかり手で覆いながら、江藤の形のいい耳に少しだけ顔を寄せた。少し近づいただけなのにふわっといい匂いがしてドキドキしたが、羽ヶ崎の突き刺すような視線のおかげで急速に冷静になれたので、比較的冷静に言葉を紡ぐことができた。曽根田に聞こえないよう細心の注意を払って言う。


「曽根田、小早川とのこと気にして荒れてるんだよ。今はそっとしといた方がいい」


 僕はパシらされるんじゃなくて、曽根田を気遣ってあえてパシリになってあげてると主張する、我ながら見事な言い訳だ。これで僕のなけなしのプライドが傷つかなくて済む上に、江藤もきっと快く。


「......啓介って、本当に優しいよね」


 現に江藤は僕の言い訳をいい感じに受け取ってくれたようだ。この至近距離でバッチリ目を合わせると、キラキラとした視線を送ってくる。いや目綺麗だな。僕が大怪盗だったら盗んでるわ。は? 殺すぞ。


 僕は脳内で自分を包丁で三回ほど刺してから、万が一にもつばが飛ばないよう細心の注意を払いながら口を開いた。


「それとなんだけど、俺がこういうこと言ってたのは曽根田には言わないでくれると助かるんだけど」


「あ? 俺がなんだって?」


 自分を殺して冷静になったつもりが、やはり人生で初めてに近い美少女との接近、平静を保てるはずがなかった。思わず大きくなってしまった声を曽根田に聞き取られる。


「いや、曽根田は飲み物何にするのかなって。どうする?」


 聞かれた曽根田は、「あ?......午後ティー」と、不機嫌そうに答える。俺は間髪を容れずに広瀬に同じ質問をすると、広瀬は「お、悪いな。じゃあ、オレも午後ティーで」と、悪びれもなく言う。


「オッケー。益子は?」


「......いや、僕は大丈夫」


 益子は何やら意味ありげに俺を見た後、ふるふると首を振る。僕の言葉が聞こえたのかもしれない。江藤のように好意的にとってくれたらいいが、もしかしたら偉そうに思われたら嫌だな。


 僕は百円玉二枚をポケットに入れて、残り一枚を「はい、曽根田」と言ってぽいっと曽根田の方に放った。曽根田は宙を飛ぶ百円玉をあたふたと見守り、なんとか両手を使ってキャッチした。うわ、ちょっとダサいな。


 本人もその自覚があるのか、みるみる顔を赤くしていく。このままじゃまた八つ当たりされかねなない。これ以上攻撃されたら、ラッキーパンチで纏えた優しさというメッキが全ハゲしてしまう。僕は急いで席を立った。


 と、僕の方に向かって鈍い輝きを放つ物体が、俺の顔面一直線に飛んできた。俺は何とか反応してそれをキャッチした。手のひらに先ほどより強い痛みが走る。


「あたしのもついでにお願い。桃のやつね」


「ちょ、モモマジで危ない!!」


 江藤が声を荒げると、再び教室内の視線が俺たちに集まった。僕は慌てて口を開く。


「ああ、江藤、大丈夫大丈夫。わかった、桃のやつね。あ、江藤もなんか飲む?」


「へ?......うーん、じゃあ私は野菜ジュースで」


 いや江藤も結局パシるんかい。てっきりあたしもついていくとか言い出すかと思ったわ。まあそっちの方が数千倍困るから別にいいんだけどさ。


 僕は立川と久遠にも何か飲むか聞き、江藤から百円玉を受け取ったところで、羽ヶ崎が俺めがけて投げた硬貨が十円玉だったことに気がつく。しかし俺は全く気づいていないふりをして、そそくさと教室を出た。そして、曽根田はいつまで拗ねてるんだと遅れて怒りが湧いてくる。いけないいけない。あくまで僕は友達想いの男なんだ。


 僕は溜飲を下げるため、一昨日の曽根田の醜態を思い出すことにした。

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