第4話 小早川可憐というアロワナ
「おい、お前ら。そろそろチャイムなるから、席確認してとっとと座れよー」
呆然としていると、気だるげな声がして、ガタガタと椅子を引く音が鳴り響いた。顔をあげるとふわっといい匂いがして、それが前の席に座った江藤のものだと気がつくと、僕はすぐさま体育の時間に目撃した大木の汚ったない尻を思い出して平静を取り戻すことにした。大木の尻......いい匂い......大木の尻......いい匂い......やっぱやめとこう。最悪の化学反応を引き起こす可能性がある。
「あい、ということでこれから一年お前らの担任をする風間だ。よろしく」
声のする方に視線をやって、驚いた。立っていたのは、年にして十二、三くらいの少女だった。違和感として、染めの甘いプリン頭と学校指定のジャージ姿、そして担任という言葉が挙げられる。きっと髪は不良の両親に遊び半分で染められて、その不良の両親が働かないもんだから十二歳にして教師になったんだろう。不良の両親、恥を知れよ。
「......はぁ、プリント忘れた。取ってくる」
やはり日々の生活が辛いんだろう、不良少女は深々とため息をついて教室を出て行った。すると、再び教室が興奮にさざめき始めた。そりゃあんな教師が担任となったら、格好の話題になるだろう。僕もぜひさざめきたいところだが、あいにく虫ポケモンでもないので一人でさざめくわけにもいかない。
もちろん、前の席の江藤に話しかけるなんて真似はできない。江藤のような危険人物と一対一で話す気なんてさらさらないんだ。だいたい、江藤は今、斜め前の久遠と話している。金魚の糞にはなっても、百合の間に挟まる男にはなりたくない。そのくらいの美学は、僕にだってあるのだ。
隣の席の美少女......小早川可憐も、絶対に無理だ。
先ほども思った通り、女子高生の地位なんて
というか、単純に美少女すぎる。ただでさえ女子と話す時、ついつい「あっ」って言っちゃうのに、こんな美少女と話したら「あっ、あっ、あっ、あっ」って言っちゃうよ。そんなの、脳みそをクチュクチュされてない限り許されるものじゃない。
よって、僕が話せる相手はやはり斜め前の剣持のみとなる。しかし省略。よって、この席は僕にとって最悪の席だと今しがた決定したわけだ。よし、とりあえず日照時間の長い南アフリカあたりに引っ越して目を焼こう。南アフリカに引っ越した時点で席の悩みなんて吹き飛んでるわ。
ということで、この席で僕ができることなど一つくらいのものだと確定してしまったわけだ。
僕は見せつけるように大あくびをこいて、大きく伸びをしながら涙を拭い、そして机に伏せた。我ながら見事な演技だ。机に伏せるという行為は一歩間違えれば非リア認定されかねない危険な行為だが、ここまで見事に眠たいアピールをすれば、気まずさを誤魔化すため机に伏せているとは隣の小早川も思わないだろう。
「ねえ、風間先生可愛すぎじゃない? 教師ってことは最低でも二十二歳だよね?」
と、前から明るい女子の声が聞こえてきた。顔を伏せたまま隙間から前方をみる。腕が邪魔ではっきりとは見えないが、どうやら江藤が体を捻ってこちらを向いているようだった。そのポージングによって豊かな胸が強調されることになって、やっぱりこの席は僕が座るべきだと思った。アホか。大木の尻大木の尻。
盗み見していることがバレてキモがられたら困るので、僕はすぐに視線を腕の中に戻す。体はこちらを向いているが、僕に話しかけたわけじゃないのはわかりきってるしな。僕は今寝てるわけだし(寝てない)、隣の小早川に話しかけてんだろう。どうやら早速江藤と小早川のリア充特急が開通しそうだ、恐ろしい。
「先輩に聞いたんだけど、めっちゃ優しいらしいよ。風間先生の前でスマホ構っても、全然注意されなかったってー......ん、あれ?」
江藤の声が戸惑いを示したかと思うと
「えっ、嘘、ちょっと待って!?」
すぐさま興奮を帯びた。小早川の美少女っぷりに驚いているのだろうか。だとしてもちょっと興奮しすぎじゃなかろうか。まさか本当に百合なのか。捗るなぁ。
しかし、僕の下世話な妄想は、あっさり打ち砕かれる。
「あたしだよあたし! 江藤文香! 小学生の時一緒だった江藤文香!」
......なんと、言うことだ。小学生の頃なんらかの理由で進学先を分かった同級生と、高校で再会したと、そう言うわけか?......まあない話じゃないが、こういうイベントを引き当てるところを見ると、やはりリア充は僕と違って神様に愛されているらしい。ていうか江藤の小学校、レベル高いなぁ。
「いや、ほんと久しぶりだよね! ていうかごめん、なんで気づかなかったんだろ!」
それに関しては僕も完全同意だ。座席表......は苗字しか書いてなかったからわからないにしても、掲示板のクラス表にはしっかりフルネームで小早川可憐と書かれていたぞ......ま、基本知らない名前ばかりだから、それを舐め回すように見ていた僕の方が、どっちかというとおかしいのかもしれない。
ともかく、これで江藤文香と小早川可憐が親交を深めるのは確定だろう。割とマジで席移動を考えなくちゃいけないかもしれない。はぁ、これが噂に聞くぴえんってやつか。これで僕もJKの仲間入りだ......ん? なんだこの違和感は。
その違和感の原因は、すぐに判明する。僕はまだ、小早川可憐の声すら聞いていないのだ。
もし万が一、僕が小早川の立場だったら「ねえ、風間先生って可愛すぎじゃない?」と聞かれた時点で「あ、確かに」と返すし、「先輩に聞いたんだけど〜全然注意されなかったってー」なんかは「あ、そうなんだ」なんて言うところだろう。「あたしだよあたし!江藤文香! 小学生の時一緒だった江藤文香!」なんて言われた暁には「あ、それな」と返す......うーん、なんか、無言の方がまだマシな気がしてきた。
「......あ、あれ? ごめん、人違いだった? それともあたしのこと忘れちゃった? そうだよね、あんま話したことなかったし」
いや、そんなことはない。江藤の声からは戸惑いが滲んでいる。しかし、それに対して一体どうしたんだ、小早川。高校生活初日、緊張しているんだろうか。いやでも、江藤とは旧知の仲なんだろ?......いや、ちょっと待て。これ、本当に小早川に問いかけてるのか?
僕は、江藤がこちらを振り返っているのを確認した時点で、小早川に話しかけているものだとばかり思っていた。しかし、もう一人、江藤に話しかけられている可能性がある人間がいる。それがなんと僕だ。江藤が僕に話しかけているのなら、小早川が返事をしないのも当たり前の話だ。
僕は誓って江藤と同じ小学校出身ではない。しかし、まだ親が僕に対して教育熱心だった頃、僕は学区外の評判のいい塾に通わされていた。その時、同じクラスに江藤がいたのだ。江藤はその頃から髪の毛こそオレンジじゃなかったが立派な
いや、無茶があるだろ。僕寝てる(寝てない)から、顔が見えない状態なんだぞ。ただ、学区外で知らない人しかいない塾だったから、その時もこうやって寝たふりしていたから、そこから思い出したとか? いやいや、そんな馬鹿な話が......いや待て、僕が机の上においた諸納金納入袋。それに僕の名前が書いてなかったか? それを見れば、僕が緒方啓介であることがわかる。それを見て思い出したとか?
ひとまず、僕寝てるし(寝てない)、そんな僕に普通話しかけるか?......いや、
「お、おーい。もしかして体調悪い? 保健室行く?」
江藤が続けてそう言う。体調悪い......確かに、こうやって顔を伏せていたら、そう見えるかもしれない。
僕は寝返りを打つふりをして、なんとか小早川さんの方を見る。小早川さんの表情までは伺えなかったが、そのすらっと伸びた背筋は、病人のそれではない。なら僕か? 僕なのか?
もしそうなら、今僕は、このクラスで一番嫌われちゃいけない江藤文香相手に、無視を決め込んでいるのか......いやいや、でも僕寝てるし(寝てない)、そんなの仕方ないじゃないか......いや待て、江藤が席に着いたのはついさっきのことだ。つまり、ついさっきまでお目々ぱっちりだった僕を、江藤は見ているはず。江藤が 僕をのび太くんと空目してない限り、まだ眠りについてないと考えるのが自然だ。だから話しかけたけど返事がないから、体調が悪いんじゃないかと思っているんじゃなかろうか。
ああ、まずいぞ、どうする、今からでも顔をあげるか? いや、あげるべきだろうが、問題はそっからどうするかだ。「んぅ〜」みたいな今起きましたよ感満載の声あげて、「ん、何か言った?」とか。
いやいや、ここは素直に、「あれ、もしかして僕に話しかけてた?」でいこう。変な嘘をついて自分を追い込むのが僕の悪い癖だ。よし、そうと決まればさっさと顔をあげることにしよう。
僕はゆっくりと顔を上げた。江藤が、困ったように眉を八の字にしているのが見えた。近くで見るとやはり可愛い。こんな可愛い女子に話しかけられたら、大抵の男が喜ぶことだろう。
しかし、僕は全く喜べないどころか、冷や汗をかくはめになった。江藤の視線が、僕ではなく隣の小早川に向けられていたからだ。
僕はすかさず目をこすりこすりポケットからスマホを取り出し「全く、眠いのになんだよー」みたいな感じで、眠りかけていたのにポケットのスマホのバイブレーションで起こされた演技をする。実際にはなんの通知もきていない。今頃僕抜きのグループラインができていることだろう。
うわぁ。多分僕、今世界で一番ダサいよなぁ。どう考えても自分が話しかけられたと勘違いして顔あげたもん。確実にバレてるよなぁ死にたい。
このまま窓から飛び出してしまいたい衝動に駆られたが、グッと堪えた。死にたい死にたい言ってるけど結局死にたくないのもそうだが、今の状況がとにかく気がかりだ。
僕は、スマホを構うふりをしながら、ちらりと小早川さんの方を伺った。少し俯いている彼女の横顔は、髪の毛に隠されて見えないが、やはり背筋はピンと伸びていて、健康体に見える。それに、先ほど教室に入ってきたときの彼女は、とても体調が悪いようには見えなかったけど......どのみちこのままじゃ、感じが悪いと取られてしまうかもしれないので、返事くらいはした方がいいんじゃないだろうか。他人事ながら、心臓がきゅぅっと縮み上がってしまう。隣にいる男がノミの心臓だということも考慮してくれたら嬉しい。
そんな小早川を、江藤は心配そうに覗き込んだ。
「あ、保健室の場所わからないよね? よかったらあたしがついてくよ」
「いえ、結構です。体調は悪くありません」
ここで、僕の望み通り、小早川が口を開いた。凛と美しい声は彼女にぴったりで、感動を覚えたいところだったが、そうもいかなかった。同時にその声は、触れるもの皆傷つけるような拒絶感にあふれていたからだ。日本刀を突きつけられているとき、その美しさに目がいかないのと一緒だ。あ、これいい例えかも。機会が訪れたら使おう。くるわけないか、そんな時。
言ってる場合じゃない。小早川は一体どういうつもりなんだ。人違いをされているのは間違いないとして、それでも態度をとっちゃ、優れた容姿という諸刃の剣の諸刃を握りこんじゃっているようなものだ。意図的なのか、緊張のあまりそうなっちゃったのか、どちらにしろ、すぐに立て直さないと、小早川のこのクラスでの立場は、危ういものになってしまうに違いない。
「あ、そっかそっか。それはよかった!......うん、やっぱり、でも、えー......そっか、うーん」
しかし、江藤は本気で小早川さんの体調を案じていたようで、まずパァッとその場を照らす日差しのように笑った。しかし、すぐに眉を八の字にして小早川さんをジロジロと見始めた。そしてブツブツと何か呟いた後、
「やっぱりカレンちゃんにそっくりだなぁ」
とボソリといった。僕は思わず声を出しそうになった。
いや、本当になんなんだ小早川可憐。まさか江藤のこと、本当に忘れちゃったのか? 江藤を忘れる? 小学生の頃のほんの一時期、塾で一緒になった僕が鮮明に覚えてたくらいだぞ。信じられない。
......いや、もしや、その小学生時代、江藤と小早川の間で何かあったのではないか? 江藤はそんなそぶり一切見せないが、それこそ忘れているのかもしれない。加害者側なんてだいたいそんなもんだ。
「ね、小早川? さんってどこ中出身なの?」
無言。マジで勘弁してくれ。このままじゃ胃に穴が開きまくって前衛芸術のようになってしまう。
僕が助け舟を出すべきはないか、との考えが脳裏を掠めた。小早川が江藤の溢れんばかりの生命力に萎縮しているのなら、俺のゾンビ並みの生命力に安心するだろうし、江藤としても、このまま一人で喋り続けているよりかは、僕が加わったほうがマシなのではないだろうか......いや、辞めておこう。僕が出した助け舟なんて泥舟で、皆沈没するに決まっている。
「うーん、ま、言いたくないもんなのかな......あ、下の名前。下の名前教えてよ。どうせバレちゃうしいいよね。それに、このクラス、桃姫なんて名前の娘いるから、どんな名前でもそのインパクトには勝てないって!」
少なくとも江藤には僕の助け舟など必要としていないようで、すでに小早川の無言に慣れ始めたみたいだ。やはりあの噂は本当のようだ。
「............」
対して小早川さんも負けない。なんだこれ、すごいな。新学期そうそう、目の前でドン・フライvs高山善廣並みの激戦を観戦できることになるとは夢にも思わなかった。僕は思わずスマホを構うのもそこそこに、彼女たちの動向を伺った。
「......あ、じゃあ先生が置いてった名簿見よっと。そしたら名前わかっちゃうね」
江藤がいたずらっぽい笑みを浮かべる......どうやら噂にたがわぬ、というレベルじゃないらしい。僕だったらこの時点で吐血している。
すると、小早川が小さくため息をついたのが聞こえた。
「可憐、です」
「ほらぁ!!」
ユーレカ! ってきっとこんな感じで言ったんだろうなというテンションで江藤が言う。
「やっぱり可憐ちゃんだ! やっぱりね、こんな美人二人いてたまるかって思ってたんだよ!......あっ、ごめんごめん。あたしのこと覚えてないんだよね。末永小学校出身の江藤文香です、よろしく!」
自己紹介をすると、江藤はタハハと一切嫌味なく笑う。
「いやー、しかし忘れられちゃってたか。あ、いやいや、全然いいんだよ。一回も同じクラスになったことなかったし、正直友達ではなかったもんねー。あ、でも今回はせっかく同じクラスになれたんだし、友達になろうよ」
「お断りします」
その声は、たとえその内容が「うんっ、よろしくっ」だったとしても、「お断りします」と空耳してしまいそうなくらいに、拒絶感に満ちていた。僕の内臓全般の調子を崩し、今度はちゃんとした再び机に倒れこみたくなった。
しかし、もうここまできたら意外でもない。やはり二人の間になんらかの問題があったんだ。この小早川の態度を見るに相当のことがあったみたいだ。もしかしたらガチのリアルファイトが目の前で繰り広げられるんじゃと、背筋が凍る。
しかし、そんなものはもちろん始まらなかった。というか、始まりようがなかった。
「私は、友達なんてものを作るつもりは一切ありません。なので、江藤さんとも友達にはなれません。というか、私はクラスの方と無駄に関わる気がありません。なので、これからは喋りかけないでください」
「..................」
ここまでスターを取ったマリオかのような無敵っぷりを見せていた江藤も、目をまん丸にしてポカンしている。きっと僕も同じような表情をしているに違いない。
その時、ガラガラと音を立てて教室の引き戸が開いた。風間先生が、大欠伸をしながら入ってきて、蚊でもいたかのようにパンと両手を合わせた。
「プリントは明日配るんだったわ。もう時間だから、とりあえず各自体育館に向かってくれー」
その言葉を聞いた途端、僕は勢い良く立ち上がり、逃げるように、というか普通に逃げて、教室から飛び出た。
とりあえず、なんとかあの激ヤバ空間から抜け出すことができた。本当に助かった。ありがとう風間先生。どうか家族共々、幸せになってください。
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