第2話 運命のクラス分け


 しかし、いくら自分が望んだとして、居場所というのは時に簡単に奪われてしまうものだ。


 僕たちは一年生用の駐輪場へ自転車をとめ、階段を登り始めた。大木が誰かに潰された芋虫を踏みかけて「うぇー気持ちわるっ」と悲鳴をあげた。俺は最後尾でその光景に笑い声をあげながら、大木に感心していた。合流してからここまで、会話の中心は大木であり続けていたからだ。

 

 僕たちの関係性でいうところ、辻、後藤、高橋、僕は中二の頃から親交があり、大木と坂本と松田と八乙女が、同じ高校を受けるとなってから仲良くし始めた中途組だ。その中でも大木はクラスが違うにも関わらず、今やサッカー部の後藤を抜いてこのグループの二番手の位置についている。後藤がその鋭い目をさらに鋭くして大木を見ているところを何度か目撃したことがあるので、後藤の認識もそれに近いんだろう。ちなみに僕は不動の最下位だ。我ながら惚れ惚れする金魚の糞っぷりである。


 階段を登り終えると次は坂道だ。ほぼ山の中と言っても過言ではないこの高校の通学は相当面倒なものになりそうだ。皆も不平の声をあげながら坂道を登る。坂道を登り終えると、昇降口に人垣ができているのが見えた。どうやらガラス張りの玄関入り口に、クラス分けの表が貼ってあるらしい。


 クラス分け。これほど重要な学校行事を、僕は知らない。クラスを隔てる壁は、実際の壁よりも何倍も厚く、友情(笑)の間にそびえ立つのだ。


 柏葉高校の一学年のクラス数は八つ。このグループを一人一人バラバラに配置してちょうどだ。といっても、一つのクラスに同中を三、四人配置するのが、生徒を孤立させたくない学校側として当然の配慮だと思うし、それが同性だったらなおさらいいのはわかった話だ。僕の記憶では、この柏葉高校を進学先に選んだ同中の男子は十二人。つまり四分の三がこのグループの男子な訳だから、一緒のクラスになる確率は、そこまで悪いもんじゃないんじゃなかろうか。ていうか女子から同中《おなちゅー》って言葉を聞けるチャンスなんだな、意識しておこう。


 もちろん、辻と一緒のクラスになれるのならそれが一番だ。が、まあ、そんな上手い話はないだろうな。


「あ、緒方の名前あるぞ。ほら、一組のところ」


「え?」


 すると、いかにも目に悪そうな前髪してるくせに目のいい辻がそう言った。


 目を凝らしてみると、確かに一組に僕の名前があった。覚悟を決めてたわりにはあっさりと見つけてしまった......しかし、端のクラスか。幸先が悪い。両はしが他クラスに面していた方が、それだけ人の流通が盛んで、交流もしやすいし単純に盛り上がる。逆に端のクラスは、どうも活気がなく寄りつきにくいイメージだ。


 まあそれも、辻がクラスにいてくれれば問題ない。僕ぐらいのマイナス思考になると、自分の望んだことは全部叶わなくなってしまうと思っているので隠していたが、実はバリバリに辻と同じクラスになることを願っていたのだ。どうか頼む、辻を一組に!


 そう思いながら、”つ”で始まる苗字のところに目を滑らせていく途中で、背中に衝撃が走る。


「うわ、お前一人じゃん! マジドンマイ!」


 その衝撃に見合う野太い声がする。大木だ。


 ちなみに大木の下の名前は薫というのだが、本人はそのずんぐりむっくりな見た目に似合わない名前にも一切のコンプレックスを示さず、むしろ嬉々としてネタに使っている。とにかく、図太いやつなのだ......現実逃避はやめよう。大木との逃避行なんてロマンティックでもなんでもない。


「ひ、一人?」


「マジマジ! ホラ見てみろって!!」


 デリカシーの無さからなのか、僕のことが相当嫌いなのか、少なくとも前者は間違いない、テンションの高い大木に促され、一年一組の名前たちに視線を滑らせる......大木の言う通り、見知った名前こそあったものの、知り合いと呼べる人間は一人もいなかった。


「うわ、本当だ。キツイな、せめて二組に誰かいたらいいけど......」


 辻の言う通りだ。ここまでは可能性として考えていた。そうなってくると、お隣の二組の面子が重要になってくる。合同授業で頻繁に一緒になる二組に辻が入れば、そこから友人の輪を広めていくことは可能だ。頼む金魚の糞の神様、辻を二組に入れてくれ! そんな神いるか!



  ⁂



 リュックのサイドポケットにしまっていたミネラルウォーターを取り出し、一気に飲むと、乾いた口内が潤った。流れの中で買ったものだったが、今日の僕には必需品だったようだ。


「..........マジか」


 口の中が潤うと、言葉が漏れ出した。どうやら僕は、金魚の糞の神様に嫌われているらしかった。確かに「生きてるなら、神様だって殺してみせる」的なこと、窓ガラスに映る自分を眺めながら言ったことはあるが、アレはあくまで真似事であって、本気で言ったわけじゃない。神様なら型月作品くらいチェックしておいてほしい。


 一年八組。それが辻の所属クラスだった。


 対岸。その時点で十分にキツイんだけど、しかし、それだけじゃない。百鬼夜行も土下座で道を開けるほどの、なんとも恐ろしい怪奇が俺を待ち受けていたのだ。


 まず、大木と松田と高橋が八組に所属。この時点でもうほぼほぼアウトなのだが、後藤と坂本と早乙女、この三人が、なんと七組に所属することとなった。


 いや、本当にマジで最悪だ。神様を恨む前に学校側に文句を言うべきだな、これは、嫌がらせとしか思えない。僕みたいないじめがいすらない男に嫌がらせするやつなんて妹くらいのものなので、もしかしたら柏葉高校って僕の妹なのかもしれない。それじゃあ今から僕は妹の中に入っていくのか......ゴクリ。言ってる場合じゃない。


 鬱になりながら他の連中に視線をやる。彼らは僕ことなど完全に忘れて、この奇跡に大盛り上がりだ。よし、死のう。


 手頃な縄が落ちていないか探していると、そんな僕に気づいた辻が、僕の肩をぽんぽんと叩いた。

 

「いや、それにしても緒方かわいそうだな。安心しろよ、俺たち、一組行くからさ」


「...............」


 こんな死体より死に体の俺を気遣ってくれるなんて、さすがは辻だ。しかし僕はというと、その辻のありがたいお言葉に、胃が重たくなってしまった。


 辻は、自分がこのグループのリーダーであることを強く意識しているように思う。だからか、グループの端の端、面倒を見ても何のメリットもない僕みたいなやつすらしっかりと相手をしてくれる。


 しかし、あえて彼の欠点を一つあげるとするなら、その意識が強すぎることだろうか。彼はよく、グループ内で特に多数決もとっていないのに、”俺たち”という一人称複数系を簡単に使う。


 彼がこのグループのリーダーだということ自体、全く異論はない。実際このグループの動向のほとんどは辻が決める。しかし、だからといって、全員が辻と同じ意思を持っているかと言うと、そういうわけではないのだ。


「ええー!? 一組まで行くの、めんどくさくねー?」


 馬鹿でかい声で大木が俺たちの会話...といってもまだ僕は一言も発していないので会話と言えるか怪しいが...に割って入ってきた。さすが大木、皆が言えないことを平然と言ってみせる。そこに痺れる憧れない。


 そんな大木に、辻は眉を潜めた。


「おいおい、それ冷たくないか? 俺たち仲間だろ? ちょっとクラスが離れたくらいで見捨てるのか?」


「いやいや、見捨てるとかじゃねぇってー。緒方がこっちこればいいじゃんって思っただけだって」


「いや、それじゃ啓介が来づらいだろ。それに、いちいちこっち来てたんじゃ啓介が教室で友達できないだろうし」


 彼らの会話に、顔がかぁっと熱くなっていくのがわかる。辻としては僕のために言ってるんだろうし、もちろんその気持ちはありがたい。が、しかし、善意とは時々悪意なんかより人に傷を負わせることがあり、現に大木の言葉なんかより、僕にはだいぶ効いてしまっている。


 これから数日間は、クラス内で自分の地位を確立するために非常に重要な期間と言える。せっかくとんでもなくいいスタートを切ったのに、これから疎遠になって行く男のために時間を使いたくはないだろう。何も一組に来たくないのは、大木だけではないのである。今の辻の提案によって、僕は彼らにとって一気に邪魔な存在になってしまった。


 金魚にとって何でもない存在だからこそ、糞は金魚のお尻にくっつくことができていたのだ。糞が邪魔になり金魚にとって負担になったら最後、金魚は体をグネってでも糞を切り離すだろう。


 しかし、大木以外は提案者の辻の手前、そんな大げさなリアクションはできない。だから目に出る。


「.............」


 無言であるにも関わらず、彼らの視線は、悲しいかな、今までの僕の経験がないくらい、僕に語らいかけているように思われた。


 「なんでこいつのために......」「わざわざ一組まで行くとかめんどっ」「辻って良い奴すぎるわ」「なんでこいつのために......」「自分のクラスで友達作れよ」「断ってくんないかなぁ」


 彼らの視線は確かにそう言っている。非常に居心地が悪い。あと後藤と松田、内容かぶってるから話し合いして、どっちが「なんでこいつのために......」にするか決めてきなさい。


 くだらないことを考えているうちに、気分がマシになって来た。僕は金魚の糞をやっているうちに身につけた無色透明のため息をついてから、無理やり笑みを浮かべる。


「真斗、大丈夫だよ」


「ん?」


 辻が眉を潜めたままこちらを見る。


「いや、みんなに迷惑かけるわけるわけにもいかないし、だいたい他のクラスの友達来てると、自分のクラスで友達できにくそうだし。行くときはこっちから行くわ」


 いや、絶対に来てもらった方が友達は作りやすいと思う。そして、僕が彼らのクラスに行くことはないだろう。全部嘘っぱちだ。


 なんで僕が彼らと一緒にいれたかというと、単純な話、ずっと一緒にいるからだ。辻含め、男子高校生というのは所詮見栄の塊だ。学校で行動する時は少しでも大きな群れを形成したい、周りを威圧したいと思っている。僕のような文句も言わずただ後をついて来るだけの、それなりに容姿に気を使っている人間は、それはそれで案外使い道があるのだ。


 逆に言えば、クラスを大きく離れ一緒に行動することが難しくなった僕になど、彼らはなんの価値も抱かないのだ。


 ということで、僕はもう彼らの友達ではなくなってしまった。そんな人間たちの元にわざわざ出向いても、なんで来たんだという顔をされるのがオチだ。なんともあっけない幕切れだが、金魚と金魚の糞をつなぐのはその程度の絆なのだ。


「いやほんとそうだわ! マジで緒方の言う通り! な?隼人」


 早速大木が僕を切りにかかった。下手に気を使われるよりかはそっちの方がありがたい。


「......まあ、啓介がそう言うんだったら、いいんだけど」


 対して辻は、しかめっ面のまま頷く。が、僕にはその表情が、どこか安堵しているようにもみえた。僕が思うに、辻は大木がこう言うことを言い出すのを待っていたんじゃないだろうか。


 あくまで僕の考えだが、辻だって言ってしまえばただの男子高校生なのだ。本心では僕のことを邪魔に思っていたとして、何を責めることがあるだろうか。しかし、一応”人格者”で通っている辻が、皆の前で僕を見捨てることは、立場上できない。


 そういう場面で役に立つのが、デリカシーのかけらも持ち合わせていない大木の存在だ。辻が言いたくても言えないことを平然と言う大木は、辻にとって都合のいい存在で、だからこそ辻は、大木を気に入っているんではないだろうか。


 まあ、辻が望んでいようが望んでいまいが、皆の足を引っ張るような真似は僕にはどのみちできないのだ。よって、選択肢はこれしかなかった、これでいい。


「よし!じゃあとっとと教室行こうぜ!俺花粉症だからあんま外いるの嫌なんだよなー」


 そういって、大木はずんずんと昇降口へと向かっていく。皆も大木のあとに続く。一人突っ立つ僕と、彼らの距離がどんどん離れていく。辻は少しこちらを気にしている気配はあったものの、それ以外の連中は特に何のリアクションもない。再び僕のことを忘れて盛り上がり始めた。


(ただの糞になっちゃったね)


 ああ、また東堂の声だが、こちらはさっきまでの幻聴とはちょっと違う。さっきまでの幻聴は、記憶がまるで今起こっているかのようによみがえる「フラッシュバック」というやつのはずなのだが、こんなことを言われた記憶はない。いつ頃からだろう、東堂が勝手に喋り出したのは。高校一年生になって二種類の幻聴を聞くようになるとは、僕もなかなか闇の深い男になったものだ(暗黒微笑)。恥ずかしい限りだ。

 

 しかし、東堂の言う通りだ。金魚から切り離された僕はただの糞になった。このままでは僕はコポコポと音を立てて、水底へと沈んで行くことだろう。


 周囲のざわめきが膜を張ったようにぼんやりと聞こえ、僕は何とも言えない浮遊感に襲われた。もし、金魚の糞的生き方をやめたいからと言う理由で、僕が東堂を呼び出したとしたら、しばらくの間東堂とはお別れかもしれないな。

 

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