第29話 完・鎌倉良い所ぜひおいで※平日に

「ゆっいがはまー!」

 

「やっほーのノリで叫ばないでください恥ずかしい」




 江ノ島鉄道、通称江ノ電は一日乗車券がある。

 お値段にして650円。鎌倉から江ノ島を往復するだけなら、普通に乗車をしたほうが安いのだが、途中下車一回でもするとこの一日乗車券のほうが安くなる。

 鎌倉から江ノ電に向かう際、予め二人分の一日乗車券を購入し、センパイにも渡していた。




 駅を降りてすぐの綺麗な海なら江ノ島や七ヶ浜より、由比ヶ浜だと俺は思っている。

 しらす丼を食べ、江ノ島を軽く散歩した後、江ノ電で由比ヶ浜駅で途中下車をした。


 


 波の音、潮の匂い。トンビの甲高い鳴き声。砂場に足を取られる感覚。

 由比ヶ浜には海のいいところが全て揃っていると俺は思う。




「夏になったら、泳ぎに来たいね」


「俺、海で泳ぐの嫌いなんですよね」


「なんでさ。もしかして泳げないの?」


「水着になると、この潮風がベタつくし、そもそも海水が嫌いなんす」


「じゃあなんでここに誘ったの!? もうキミ完全に海が嫌いな人だよ!!」


「それ。海は泳ぐものとか、夏に来るものとか、そういうの嫌いなんすよ、そもそも。今この景色、どう思いますか?」


「……綺麗。人気も少ないし、凄く安心できる」


「俺はそういう海が好きです。遊ぶ場所ではなくて、こう、ぼーっと眺めてて安らぐ場所だと思ってます」


「そっか。うん、そう言われるなんかわかる気がする」


「近場でいつでも楽しめる海、鎌倉と江ノ島のいい所です」


「キミが鎌倉詳しいのよくかったよ。キミらしい。不器用だけど、自分が好きなものに一途ってところが」


「まあ純粋に近いっすから。横浜から片道三十分ですからね」


「横須賀まで行くと意外と遠いし、観光場所あまりないしね」


「まあ俺は三笠で半日過ごせますが」


「時々キミがよくわからなくなるよ」


「俺だってセンパイのこと全然わかってないっす。人間、そんなもんでしょ」


「付き合ってる事になってるのに?」


「付き合ってませんからね。それに付き合ったからと言って、相手のことがわかるようになるなんて、人間そんなに薄っぺらくないっす」


「確かに。それこそ、熟年の夫婦とかでやっとって所だよね」


「いや、人間は常に何かを考えて、新しい知識を得て、知らない何かに興味を持ちます。長年一緒にいたって、お互いがずっと同じままのはずがないです。だから、きっと人間はお互いをすべて理解できる時なんて一生ないと思ってます」


「……悲しい考えだね」


「どこがです? だってそれって、相手のことをずっと知りたいと思わないと長年一緒になんていられないってことですよ。相手のこと、相手の気持ちをずっと知りたいと思うほどに好きになれるから付き合ったり結婚したりできるんですよ。それって、凄い事だと思いませんか?」


「キミ、今言ってる事さ、ちょっと恥ずかしいって思わない?」


「なんでですか? 好きな人のことをずっと想い続けるってそういうことですよね。自分の好きだけを押し付けたり、自分を全部理解されたつもりなんて傲慢です。ずっと相手の事を知りたい、相手に好きでいて欲しい。その欲求が、恥ずかしいだなんて微塵も想いません」


「ねえもし私はキミの事、ちゃんと知りたいって思ってたら、どうなの?」


「俺もセンパイのこと、ちゃんと知りたいと思ってますよ。センパイは、俺に一歩をくれた恩人です。多分、昔の事をずっと引きずって高校生活を送ってましたが、今では純粋にこの瞬間を楽しんでます。それは、全部センパイのおかげですから」


「じゃあ、このままキミの事を知りたいと思い続けていいのかな」


「相手を知りたいと言う思いを、相手の判断で辞めてはいけません。だって自分が知りたいって思ってるんでしょ? 行動に移して迷惑をかけなければ、それは自由です」


「そう、そっか」


 センパイは潮風になびく、その黒くて長い綺麗な髪を押さえながら。

 少し子供っぽい笑顔を浮かべて、ゆっくりと俺に近づいてきた。


「普段のお礼」


 センパイは俺の右頬に軽く口付けをした。


「してもらってばかりだし、一回ぐらい私がしても、まあ許されるよね?」


「……。プラマイゼロで」


「額の分残ってるから。あと胸触ってもらう約束、まだ忘れてないから。それと、一緒のベッドで寝たのに何もされなかったの、女としてちょっと傷ついてるから」


「頼む、もうちゃんと彼氏作ってくれ」


「そうね。作るよ、彼氏。絶対に良い男、絶対に振り向かせて告白させてやるんだから」

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