第10話 行ってしまったはずなのに

 今回の一件で、唯一、修平にとって収穫だったのは、女子に関して、大進歩を遂げたことだ。


 これで、大手を振って、どのような話題、事態にも自信満々で対応できる。


 佐名木ほか女子大生三人組に、取り囲まれてお茶をするという体験もできた。


 この何年間かを考えると、人生の上での大収穫と言っていいのではないだろうか。


 まあ、メインは葉山で……あの葉山で、何がなんだか良く分からない、いつも社長のお古を着ていたという女だけど。


 葉山が服を自前で買いだすようになって、初めて、少しだけ彼が、否、彼女が見えてきた。


 全然甘くない、ちょうど佐名木たちとは対極にあるような服しか、買ってこなかった。


 でも、着ると似合っていた。決まっていた。かなり厳しい、鋭い感性の持ち主だった。特に色の合わせ方が細かかった。


 それはそうだ。あの画を描くのだから。



「私も、服は買ってって、何回も言ったのよ。私のお古じゃ、あんまりじゃない。そもそもサイズが合わないし」


 社長は言った。


「でも、あんたが気になったみたいだったの」


「僕ですか?」



 彼らは社長行きつけのバーで飲んでいた。


 社長が誘ったのだ。


 葉山は、行ってしまった。もう、会うこともないだろう。




「あの格好じゃないと、普通に接してくれないんじゃないかと思ったみたい」


 修平は顔をしかめた。あの格好が好きだと言う男なんか、この世に存在するはずがない。


「普通?」


「男への接し方と女性への接し方は、やっぱり違うでしょう。あんたは男だと信じてたから、なんのてらいも意識もせずに、葉山に接していた。自然で、楽だったんだと思う」


 細マッチョな社長の友達が、カウンターの向こうで静かにグラスを磨いていた。細身の体に黒いエプロンを巻き付け、頬髯と黒ぶちのメガネの無口な男だった。


「あの子の画だけは、ほっとけなくて」


 ほかに客はいなくて、ジャズだかボサノバだか、物憂げな曲が流れていた。


「あたしなんかの出番はなかったんだけど。そして、営業に駆けずり回ることなんかなかったんだけど、もったいなくて」


 社長はクスリと笑った。


「全部かなぐり捨てて、一人で来ちゃう、あの神経に惚れたのかもね」


 修平は黙って、グラスをなめた。塩が付いていたのだ。


「あんまりにも、裸一貫なんだもん。笑っちゃうわ」


 寒さに震える子猫を拾った気持だった。でも、猫は猫なので、助けてくれた人のことなど、気が付いてもいないようだった。


「どうして、あんなにそっけなく、行っちゃったか、知ってる?」


 修平は意外に思った。葉山って、いっつもあんな調子だろう。いつだって、訳がわからない。そして、執着心と言うものが、全くなかった。飄々としている。何も考えていなさそうだ。


「あんたの答えを聞くのが、怖かったんだと思うわ」


 修平はびっくりした。

 答え?

 それって、修平の気持ちのことか。フラれるのか、それとも………


 社長の言葉の意味を理解すると、彼はドキドキした。ほんとに、本気だったんだ。フツーの女の子のフツーの恋。


 社長は修平の心の中の動きを見透かすように睨んでいた。

 それから、修平が理解して、びっくりして、顔の表情が変わるのを確認すると、忌々し気に唇をゆがめ、黙っているカウンターの向こうに向かって、「これ、も一つお願い」と言った。



 葉山に関しては、修平より社長の方がよっぽど被害者だった。


 でも、修平は社長の被害者だった。


「葉山に契約書、持たせたけど、読んでくれた?」


「いいえ? だって、社長が結んできた契約書だったら、問題ないでしょう。学生の僕より、社長の方がずっと詳しいと思ったので」


 社長は苦笑した。


「ああ、それで……」


「な、なんですか?」


 修平は戸惑った。


「必要な情報なんじゃないかなって思ったんだけど……読まなかったんなら、仕方ないわね」


「何の話?」


 社長が気まずそうに笑った。


「あの時の相手先の会社、あなたの就職先だったのよ。契約書の社名を見れば分かったと思うんだけど」


「えッ?」


「まあ、大きな会社だから、関係はないと思うけど……」


 修平は真っ青になった……ような気がした。


 社長がふふっと笑った。今度は、悪魔の微笑みだった。


「葉山をよろしくね」






 後日


 真相を佐名木に話したものか、修平は悩んだ。ゲイに関する佐名木の妄想が、木っ端みじんになってしまう。


 そもそも言う必要なんかないだろう。


 でも、会えば、葉山の話になるし、たまに今でもラインはくる。


 だが、ある日、例の三人が有無を言わさず乗り込んできて、全部、葉山がペラペラしゃべっていたことが判明した(ラインで)。


「まあ、ちょっと、あんたねえ……」


 どこまで話したのか、気になった。葉山は加減というものを知らない。


「ほんとに下衆野郎だわ」


 なぜ、俺がこうまでののしられなくちゃいけない。あれは社長の仕掛けた罠だったんだ。


「あたしたち、彼氏いることにしといてよかったわ」


 なに?


 なんだとう?……そりゃそうか、こいつら、男の影もなかったもんな。なーんだ、俺たちと一緒のレベルか。


 でも、知っていると思うけど、俺は、今、抜きんでてるからね。


「彼氏いませんなんて言ってたら、どうなってたかわかんないわよね、こんなやつ」


 修平は内心、憤慨した。君たちは勘違いしている。


 ああ見えても、葉山は美人なんだ。そりゃ、もう、手遅れになってから気が付いたが、まず手に入らない級の美人なんだ。そいつが俺にべたぼれで泊めてくれと言ってやって来たんだ。真相はそういうことだ。君たち、なにか勘違いしてませんかね。


「でも、もう、いなくなっちゃたのね」


 修平は、ドキッとした。





 四月になって、修平は自分の配属先が大阪本社になったことを知った。


 修平は葉山のことなんか忘れていた。下宿を変えなくて済んでよかったくらいのことしか考えなかった。


 いや、むろん完全に忘れていたわけではない。


 ラインだけはつながっている。夜、家で一人で、修平は、ほの青く光るケータイの文字をたどることがあった。


 ウサギが踊ってたり、セリフを吐いたりしているわけでもない、むしろ、つたない葉山の言葉……


 ちょっと、指が動きそうになる。「どうしてんの?」と。


 いやいや、どうせ、ロクなことをやってないに決まってる。疫病神を呼び込むだけだ。


 彼は今、新入社員で、もっと他に覚えるべきことがたくさんあるのだ。




「金田君」


 呼ばれて、修平は主任の元に駆け付けた。


 常識的で控えめという彼の特性は、学生時代には、全くモテないと言う結果をもたらしただけだったが、社会人としては悪くなかった。控えめだが、要領はいいので、なかなか好評価を得ていた。


「でさ、この商品のイメージキャラの原画なんだけどね」


「はい」


 修平は、ラフ画をのぞき込んだ。


 そして、絶句した。


 間違いない。


 葉山だ。


 それは、若い男子の画だった。

 かっこいい。Tシャツにパンツと言う、何の変哲もないフツーのカッコだが、むしろ、そのさりげなさが魅力だった。

 どこにでもいそうな、でも、世界中でたったひとりのひと。


「描いてる人は若い女性なんだ。なので、若い男性が担当にはいいかなってことになって、んで金田君に担当してもらおうかって……」


「僕、女性はどうも無理かも」


 上の空になって、修平は答えた。なぜなら、その絵のモデルが自分だってことに気が付いたからだ。


 ああ、こんな風に、見てたのか。


「恥ずかしながら、彼女もいないんですよね。も、全っ然、モテなくって。女性、どう接したらいいかわからなくて」


 がんばれ、修平。

 ここが踏ん張りどころだ。

 どんな恥だって、かまやしない。モテないダメ男……。いいんだ、それで。


 葉山なんかとご縁ができたら……ご縁は有るけど、仕事まで、ご縁ができちゃったら……


 葉山がまともな商談をしているとは、とても思えなかった。フツーの会話だって難しいんだ。


 どこかで、モメ始めるに違いない。担当者の責任になるのは目に見えている。新人の俺が、悪いことになったらどうしてくれるんだ。俺はこの会社を辞めたくない。


「でも、この人、今、すごいんだよ? 個性があるでしょう? 個性があって、万人受けする画って、貴重だよ。ちょっと難しい人だって聞いたんでさ。でも、うまく使いたいんだ」


 修平の口が勝手に返事した。


「ちょっと難しい女性ですかー? それは、余計、自信がないです。万一、ご機嫌を損ねたりしたら、まずいですよね」


「ビジネスなんだから、大丈夫だよ。こっちの要望をキチンと理解してもらうためには、若い人同士の方が話しやすいかなって思っただけなんだ」


 葉山に、そんな無理難題を吹っ掛けてどうする。ビジネスとか、ヤツの理解を超えてるだろ。


 ここは黙っているに限る。沈黙は便利だ。


「んー、そうか。じゃー、若山くーん」


 良し、行った!



 しかし、その時、机に置いた修平の携帯がチラと光り、新しいラインのメッセージが点った。


「そっち行くから、泊めて」


 修平は息をつめた。葉山だ。




 修平の物語は、最後のシーンから始まって出会いのシーンへ、逆戻りしていく。

 もし、もう一度会ったら、ドキドキするのは、修平の方だろう。

今度は、本当の出会いだ。ひとりの女の子と。とってもきれいで才能に恵まれてて……でも、ちょっと変な……


……いや、もう、超絶変だけど。

 いや、あれ、ダメだ。身近に置いとくわけにはいかない。

 本人、俺には惚れきってて、来いって言ったら、仕事も何もほっぽり出して、やって来ちゃう……


 ダメだ…… 

 常識的で控えめで、女性には超初心者ってことになってんだよ。今、自分でそう言ったとこだよ!


 とんでもない。

 あの葉山が黙っててくれるはずがない。

 業界内で有名になりつつある、新進気鋭の美人イラストレーターを食っちまって、仕事を滞らせた、とんだ肉食野郎と、社内中にその名をとどろかせてしまったら……でも、俺のせいじゃないし!


 葉山なんか、死ね! 本当に死ね!

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バイトに行ったら、ある意味モテた。ただし、本人は、納得できない模様 buchi @buchi_07

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