第9話 修平、うっかりモテる
だが、夕方、修平が疲れ果てて、自宅に戻って、片づけをしていると(葉山は出しっぱなし、飲みっぱなし、散らかしっぱなしの男……ではない女だった)カギを回す音がして、ひょろっとした男が中へ入ってきた。
葉山だ……
修平は気色ばんだ。
「出てけ」
「えー、なんでー?」
葉山は照れ笑いを浮かべて、堂々と入ってきた。
「なんでー? じゃないわ。巣へ戻れ」
「す?」
「なんで、片付けしないんだ」
葉山は渋い顔をした。
「ヤスナリならしてくれるのに」
「だから帰れよ、そのヤスナリのとこへ」
「イヤなんだよ」
葉山はさっさと入ってくると、修平気に入りの椅子に当たり前のように座った。
「俺んちに泊まるなら、金を払え」
修平は思わず、すごんだ。
「じゃあ体で……」
修平は思わず、かっとなった。
葉山は平気な顔をして、笑っている。
「冗談だよ、冗談。修平、好きだよ。そういうとこ」
「金は払え」
修平はかろうじてそう言った。
「大丈夫だよ。ホテル取った」
修平は、一瞬、どうしたらいいかわからなくなった。
だって、ほんのわずか……いや、かなり?がっかりした自分に気が付いたからだ。
しばらくして、修平は聞いた。
「じゃあ、何しに来た」
「なあ、契約書ってこれでいいの?」
葉山はなんだか難しそうな、紙を何枚か出してきた。
「葉山、それは俺にはわかんないよ。社長が大丈夫って言うなら、大丈夫なんじゃないの?」
「それと、家探したい」
「家?」
「東京に引っ越すから」
「自分で探せよ」
「わからんもん」
「社長は……」
社長に居所を知られたくないのかもしれなかった。
しかし、自分では探せないと。
葉山に生活能力はなかった。
修平は携帯とパソコンでアパートを検索し、何社かにメールを送った。
葉山は、注文を付けるだけだった。
「まあ、4月とかじゃないから、どうにか空きがあるだろ。金はあるんだよな?」
葉山は不動産に飽きて、テレビを見ていた。
「こら、葉山! 東京行ったら、不動産屋、行くの忘れんなよ?」
「うん。ねえ、晩御飯どうする?」
「勝手にどっか行けよ。早くホテルに行けよ」
「ホテルって、東京のホテルだよ?」
「え?」
修平は、大阪のホテルの話だと思っていたので、意表を突かれた。思わず、時計を見た。7時に近い。東京行の新幹線の終電は8時くらいのはずだ。
「新幹線、新大阪だよね? 切符はとったの?」
「まだ」
「どうすんだよ。早く出ろよ。終電に間に合わなくなるぞ」
「ホテルは明後日から。今日と明日はここで泊まる」
何だと?
「おい」
修平はテレビのスイッチを切った。
「なにすんだよ」
葉山が怒って言った。
「それはこっちのセリフだ!」
「東京のホテル取る時、なんで大阪も一緒に取っとかなかった」
「だって、取ったのヤスナリだもん」
え?
「仕事がまだ少し残ってるって」
「大阪のホテルも取ってもらえ。そっから仕事に行け」
「でも、修平んとこにしとけって」
……え……
どういう意味?
あっけに取られて、ぼっとしていると、テレビのリモコンを取り返された。
葉山はテレビを付けなおして、修平に言った。
「なー、ご飯にしようよー。お金出すからさー」
暗闇の中では、葉山は確かに女の子だった。
当たり前のように、修平に寄り添ってきた。
松木にしだれかかっていたあの時と、たいして変わりはないようだった。
抵抗がないのか、低いのか……
どうせ、明日からは東京に行ってしまう……。
だが、修平の首筋を唇でなぞりながら、耳元で「好き」とささやかれたとき、ようやく彼も真実に突き当たった。
マジで、マジで、好きなんだ……(どうしたらいいんだ……)
もう、返品できない。社長のところへ。
いや、最初から返品できなかったんだ。
そんな仕様じゃなかった。
葉山には本気しかない。
あんなに飄々として見えたのに、全く違うんだ。そして、社長が徐々に葉山に惹かれていったその同じ時、葉山は修平にのめりこんでいたらしい。
最初から女の子だとわかっていたらどうだったろう?
朝になって、寝ている葉山を陽光の下で見た時、修平は、自分が間違っていたことを感じた。
とても、きれいな女の子だった。手足が長くて細い。
気が付いた。
あの画だ。あの画のモデルだ。
ちっともエロくない、でも、惹きつけられたあの画。何で見たんだっけ。
もう、二度と葉山を男として見ることはできない。
一方、どうして、社長は、大阪のホテルを取らなかったのか、修平んちに泊まれとい出したのか。
葉山なんか、言い聞かせても、諭しても、絶対に言うことを聞かない。人のいうことを聞くようにはできていない。
それならどうするか。
修平を変える方が簡単だ。
葉山は生活力が欠落している。
誰かに見ていてもらわないと、社長は心配だったのだろう。
でも、葉山は、社長を拒否した。
葉山が拒否しない、わずかな人間……修平しかいなかったのだろう。
社長は、いろいろ仕事をさせてみて、修平が常識的で、そつがないことを知っていた。
一方、ドライで、ややこしい人間関係なんか大嫌いで、葉山になんか関わりを持ちたがらないに決まっていた。
これは社長のワナだった。多分。
修平がとことん嫌がったら、葉山は泊めてもらえない。
修平が、受け入れたら……少なくとも、ラインに返事くらいもらえるだろう。
何かの場合、アドバイスくらいはしてもらえる。そして、修平のアドバイスなら、葉山は聞くだろう。
そして、葉山は全然わかっちゃいない。
「このバカ」
修平はつぶやいた。
「喜んで、飛びつきやがって」
葉山のことか、自分のことかよくわからなかった。
彼らは……と言うか、修平は、まんまと社長の掛けたワナにはまったのだ。
とってもキレイな女の子だった。修平のことが好きで仕方ない……まるで、人間爆弾だ。どこに触ってもいいそうです……
葉山はどこか謎のような人間だった。抜群の画の才能と、画以外のことは、全く構いつけない、どこかふっ切れた生き方は、妙な潔さを感じさせた。
だが、社長は普通の人間で、そして、葉山のことが大切で、その生き方に危うさを感じ、自分を捨てて、修平に賭けた。
「タダな上に、翌日からは、もういない。ホント、後腐れなくていいわよねえ」
翌朝、嫌味たらしく社長は言った。
「本人はウキウキだしね。アンタなんかのどこがいいんだろう」
社長は続けた。
「ま、所詮、葉山がバカだってだけの話なんだけど。ところで、アンタ、クビだからね」
さすがに修平はびっくりした。そんなことでクビ? 社長にしては、ずいぶん感情的なやり方だ。
葉山も遠くのパソコンの前から、驚いて、社長の様子をうかがった。
「バカねえ……」
社長は、修平に向かって、ようやく微笑んだ。
「バイト、もう、要らないのよ。だって、葉山がいないんだもん。もう、注文が増えすぎて、手が回らないなんてことないわ」
ガタンと音がして、社長と修平はその音の方をあわてて見た。
葉山が、椅子から落ちていた。
「残りの仕事、やるよ」
いつも、変な座り方をしているので、振り向いた途端バランスを崩して、椅子から落ちたらしい。
「あんた、断ったでしょう。もう、嫌になったって」
穏やかに社長は葉山に向かって言った。
「だから、仕事なくなったのよ。仕事がなければ、修平がここに来る必要は、もうないのよ。世の中の掟よ」
それから、ちょっとして、厳しい口調で付け加えた。
「義理を通すくらいの仕事はやったらどうなの? 添付ファイルで送るか、クラウドにのっけといてくれたらいいから」
不審そうな葉山に、社長は解説した。
「修平に聞いたら教えてくれるから」
げ。これ以上、葉山の面倒を見るのはイヤだ。
明日からは、葉山は東京だ。よかった。……よかったのか?
これは運命だ。葉山が選び取った。
だから、修平には何もできない。
修平も社長もいない東京で、葉山はどうやって生きていくのだろう……。
葉山は、案の定、気にもしてないような顔をして、行ってしまった。
予想していたような愁嘆場はなかった。
もう二度と会えないというのに?
彼らの間に、もう接点はない。
唯一、ラインだけがつながっている。
ラインが来て……寂しいとか、会いたいとか……そんなことを書いてくる葉山が想像できなかった。
よくわからないやつだ。明日のことしか見えてないんだろうか。
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