第8話 修平、いきなり主人公に抜擢される

 いや、そうじゃないかもしれない。


 社長が明らかにゲイだ。


「社長はゲイだよね?」


「そういう意味で(拾われたん)じゃない」


 社長は葉山を子猫のようだと言っていた。


「いい人なんだよ。拾ってくれた。だけど……」


「だんだん、君のことを好きになった?」


 自分の口ぶりが変わって行く。女性に対する話し言葉に……修平は自分でも、気がつかずにはいられなかった。


「違う」


「いつから、どんな風に変わったって言うんだよ?」


(なんか、いつも話している調子に戻った)


「画を描いた時から、おかしくなった」


 ああ。

 そうか。


 性別なんかどうでもよかったのか。

 あの画か。


 修平はプロじゃないから、何がどう売れるのかさっぱりわからなかった。

 画に値打ちがあるかどうかもわからない。


 でも、とにかく、絶対に忘れられない、特長のある画だった。そして、柔らかく美しく新鮮だった。


「もうすぐ、こっから出て行く」


 修平はびっくりした。


「もう、いられない」


 それはわかった。


 結婚してくれとまで言われたら、出て行くか、そういう間柄になるしかないだろう。


 いや、ちょっと待て。じゃあ、今までのあれはどうだったの?


「ちょっと、お尋ねしますけど、大変失礼かもですが、社長とあんたは……?」


 葉山は首を振った。(どういう意味だ。関係ないのか?)


「関係ないんですかね?」


 葉山は首を振った。(……あんのか)


 信じらんねえ。何? こいつ。



「服ね? 服なんだけど、これ社長の服じゃないの?」


「そうだよ」


「なんで? なんで、社長の服なんか着てるの?」


「自分のがないから」


「だってね? 今、財布に金、入ってましたよね? なんで、社長のお古なの?」


「最初は、社長のお金」


「社長のお金を使うの嫌だったの?」


 葉山はうなずいた。


「そう」


「でも、今、財布に入ってる金は社長のお金じゃないんだね?」


 葉山はうなずいた。


「銀行がくれた」


 銀行の金じゃない。葉山の画の金なんだろう。


「それは、あんたのお金だから、使えばいいんじゃない?」


 葉山は黙っていた。




 翌日、社長が東京から、嬉しそうに戻ってきた。


「葉山クン、どこ行っちゃたのかしら? また、公園かな?」



 事務所の中にいたのは、修平だけだった。


 修平は葬式のような顔をして、社長に答えた。


「ぼくんちにいるんです」


 社長が、振り返った。



 あの社長が、修平を見据えた。鬼のような形相だった。


「な、なぜ?」


「出てってくれないんです」


「金田クン……」


 社長は落ち着こうとしながら、言った。


「あの子、女の子よ? 知ってるわよね?」


「夕べ、本人がそういってました。」


「夕べ? あんた、何したの?」


「何もしてませんよ。だって、俺、ずっと男だと思ってましたから」


「でも、でも、夕べ、いったのよね?」


 修平は社長を鎮めようとした。


「僕がここに泊まりましたよ。僕の下宿を取られたんです」


 社長は修平を見据えながら、言った。


「あんたは知らなかったろうけど」


「な、なにをですか?」


「あんたが来たばっかりに……」


 修平は社長がなにを言い出すのかわからなくて、でも、その口ぶりに恐怖を感じていた。


「何もかも、狂いだして……」


 俺? 俺、なんかした?


「葉山は、あんたが好きなのよ」


 ゲッ


「俺はゲイじゃないです」


「葉山は女でしょう!」


 あ、そうか。


「あたしじゃないのよ、あんたなのよ」



 ややこしいフレディ・マーキュリーがこちらを見つめている。


 俺を好き?


 修平は、混乱した。


 変な男に好かれる……もとい……変な女に好かれる……


 どうする、これ。


 どうしたらいい? これ。


「どうせ、あの子はここからすぐに出て行く運命だった。あたしだって、梅田で拾ってきた時、あんな子だなんて知らなかった。でも、画を描かせたら、こんなとこにいる子じゃないんだって、思ったの。いろんなとこに売り込んだわ。合う仕事も合わない仕事もあったけど、仕事はどんどん入ってきて、お金も入ってきて、だからすぐに出て行くと思ってたのに……」


 社長が詰め寄ってくるので、修平はどんどん後じさりした。


 もう、窓際まで追い詰められて、後がない。


「あの晩だって、見て欲しかったんだと思うわ」


 あの晩?


「ウージェニーんとこから借りてきたドレスよ」


 もしかすると社長はウージェニーの知り合い?


 てか、ウージェニーって、ほんとに誰? 知らないの、俺だけ?


 修平は自信を無くした。俺の常識は世界の非常識?


「違うわよ。あんたの常識は普通の常識。エルネスチーヌとウージェニーは堂山町の常識なだけよ」


 社長はめんどくさそうに訂正した。


「ウージェニーとエルネスチーヌは、店やってるのよ。あの子をスカウトしたかったのだと思うわ。あの子なら、売れるから」


「売るんですか?! あれをですか! なんの店ですか?!」


「女子専用バーよ。言っとくけど、お話しするだけのバーよ。外に出たら知らないけど」


「ウージェニーさんとお知り合いですか?」


「あたしが入れるわけないじゃないの」


「出禁なんですか?」


「行ったこともないのに、出禁になんかならないわよ。レズバーでも、女しか入れないバーなのよ」


 え? 女子用なの? 女子好き? 今、男好きって言わなかった?


「ええ、この鈍感バカ男」


 社長の顔が三〇センチまで迫ってきた。


「葉山を返せ」



 返します! 返しますとも!


 そもそも、俺は要らないし。あんな、一歩手前みたいな男……ではなくて、女。


 そうか、あの晩、俺を呼んだのは、それで呼んだのか?


 え? マジ?


「美人でしょう」


「そ、そうかも」


 ウージェニーにうまく化粧してもらった葉山は確かに女装した女に見えた。佐名木があれを着たら……いや、全然ちんちくりんだ。おかしすぎる。でも、葉山は……確かに全く自然だった。


「でも、女に見えない」


「ええ、全く」


 それどころか、まともな人間に見えない。


「そこがいいのよ」


 よくねえよ。ゲイじゃあるまいし。あ、ゲイか。


 ああ、どこに落としどころがあるんだ。




 ガチャと音がして、背の高いひょろっとした男が入ってきた。


 違う。女だ。葉山だ。



 もみ合っていた二人の男は、あっけに取られて、その姿に見入った。


「服、買ってきた」


 いつもと同じ調子だった。だが、服が違ってた。


 サイズの合ったGパンと、サイズの合ったシャツを着ていた。


 普通の服を着て、普通に立っていると、普通の人間に見えた。



 今になって、やっと気がついたのは、いつも着ていた、社長のお古が、いろいろな誤解の原因の一つだったってことだ。


 服飾の専門家の佐名木が一目で看破した「サイズ違い」の服は、それだけで目を覆うような異様さがあって、彼女の体の線を隠していたし、男が選ぶ男物は性別を疑う余地を与えなかった。



 彼女は、当たり前のようにパソコンの前に座ると、いつものようにだらしない様子で、仕事にとりかかっていた。



「葉山……」


 社長が呼びかけた。


 葉山が目を向けた。


 これはダメだ。


 その目つきを見て、二人の男は悟った。


 まるで、冷たい目だった。


 もう決めたんだな……ここを出て行くことに。



 最初から、落としどころなんかなかったんだ。誰かのものになんか、絶対にならない。危うい生き方を修正することも、愛してつなぎとめることもできない。

 たとえ、修平に惚れ込み、彼に抱かれたとしても、多分、なんか普通と違うことを考えている。


 生きたいようにしか生きない。


 それはそうだ。葉山の運命だ。彼……いや、彼女が決めるのだ。


 でも、葉山、お前が求めてるものって、いったい何なんだ?

 



「葉山、東京のね、東京の話、決まったから」


 葉山は静かに社長を見つめた。


「だから、ここで仕事をしてもいいし、どこかへ行ってもいいし。作品さえメールで送ってもらえればいいって。契約書はこっちになるから、目を通して。ねえ、葉山……」


 フレディ・ヤスナリ、がんばれ……がんばってくれ、俺には面倒見切れない。

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