第7話 葉山の真実

 誰かに愚痴りたかったが、佐名木くらいしか、相手は思いつかなかった。

 そして、佐名木と話すとなると、おそらく修平が一言しゃべると、向こうはベルト給弾式のマシンガンよろしく、ずっと途切れなく話し続けて、結局、佐名木の問題はすべて語り尽くされたが、肝心の修平の方の事情は一つも伝わらずで終わる可能性があった。


 話し相手として、松木もいるにはいるが、何かまずい話を聞かされる気がした。


 葉山がらみで、ろくなことはないだろう。


 松木は何も言わなかったけど、夕べの調子では、松木もものすごい目に合っているかも知れなかった。想像するだに、恐ろしい。



 土曜、日曜とバイトはなかったし、もう、そんな話は忘れたかった。

 気分転換に映画を見に行こうかと思ったが、金がなかった。葉山のせいだ。猛烈に腹が立った。


 その日一日、修平は仕方なくて、家でゲームをしたり動画を見ていた。

 そして、初めて気が付いた。

 その中の広告だった。


 いい絵だった。

 かわいい女の子の画だったが、エロくない。

 わざとらしくない。

 でも、きれいだ。女性の体つきがこんな美しさを持っていただなんて、その画を見て、初めて気づいた。こんな視点があっただなんて。新鮮で美しい。

 そして、気が付いた。これは葉山の画だ。


 狭い下宿の、ベッドの中で彼は向きを変えた。


 葉山……お前ってやつは……いったい何なんだ。




 何事もなかったように、月曜日、修平は出社した。

 葉山は静かだったが、いつもと同じようにパソコンの前に固まっていた。


 気を付けて探してみたが、三日前の惨状を思い起こさせるようなものは、何一つ残されていなかった。

 修平が最も気になったのは、例のエルネスチーヌさんとウージェニーさんから、お借りしたドレスだが、それもなかった。


 修平は黙って、いつもの仕事にとりかかった。

 修平の机には小さなメモが張り付けられていて、社長の字で「ありがとう、修平ちゃん」と書かれていた。

 修平はなんとなく胸がいっぱいになった。


 彼は黙ったまま、そのメモをしまうと、葉山には一言も声をかけずに、配達の仕事に出た。


 そのまま、夕方まで帰ってこなかった。



 事務所に戻ると、社長はまだ帰ってきていなかった。


「東京だよ」


 葉山がぽつりと言った。


「東京?」


 修平が聞き返すと、葉山が答えた。


「出張だよ」


「そう。じゃあ、俺は帰るわ」


 葉山に話すことなんかない。


 修平はさっさと荷物を取って、事務所から出て行こうとした。

 葉山は黙って、その様子を見つめていたが、修平の後を追って来た。

 事務所を出て、エレベーターまで着いてきて、一緒に乗った。


 修平は葉山を睨んだ。


「なんか用事かよ」


「え……いや、用事じゃないけど」


 そのまま黙り込んだ。


 二人は一階で降りたが、葉山が言った。


「公園行こう。いつものとこ」


 修平は葉山を睨んだ。まっぴらごめんだという意味だった。


「俺はバイトを止めてえよ」


 修平が言った。


「社長は好きだよ。仁義をわきまえてるよ。だけど、お前はダメだ。人間の屑だ」


 言い過ぎだと思ったが、葉山には腹が立っていた。


 葉山は無表情だった。


 だいぶたってから彼は答えた。


「そうかもな」


 これが修平が初めて聞いた、葉山の初めてのまともな答えだった。


「事務所に鍵かけるから」


 待っててくれという意味らしい。


 待ったものかどうか、修平は悩んだが、建物の入り口のところに、とにかく立っていた。


 戻ってきた葉山は、修平がまだいるのを見て、ちょっとホッとした様子だった。


 二人は公園に向かって歩き出した。

 この公園にはよく行った。

 二人でブランコに乗って、さぼってしゃべっていた。子供が遊んでいないときは。


「社長とあれから話したのかよ?」


 沈黙に耐えられなくなった修平が聞いた。


「うん」


 その後が続かないので、修平が促した。


「で、どうなったの」


「結婚してほしいって」


 はああ?


 そんな条例あったっけ。ここ、適用あったっけ?




 隣でうつむき加減にブランコをこぐひょろい男のシルエットをながめながら、修平は、ちょっぴり葉山が気の毒になった。


 葉山は、あんまり社長が好きではなさそうだ。


 いろいろ世話にはなっているけど。


 いや、ものすごく世話になっているけど。



「それで、どうすんの?」


 修平は聞いてみた。


 葉山は珍しく黙っていた。


 彼は大抵、即答だったのに(たとえ、その返事が短すぎて、意味が分からないことが多いとしても)黙っていた。


「いやだな」


「あ、そうなの」


「(修平は)ヤスナリの味方だよね?」


「違うよ?」


 ちょっとびっくりして修平は答えた。


 だが、思い直して付け加えた。正確なところをわかってほしかったからだ。


「ああ、確かにお前はハチャメチャだ。社長は、誠実な人だよね」


 ずっと考え込んだ末に、ゆっくり葉山は答えた。


「どこかにハチャメチャなところがあるかな?」


 修平は困った。自分のことをハチャメチャではないと信じているヤツに、そうではないことを納得させるのは難しい。ていうか無理だろう、これは。


「ヤスナリは一生懸命だ」


葉山が言った。


「うん」


「でも、好きじゃないんだ」


 修平は驚いた。


 葉山が説明しようと頑張ってる。


 突然、変な音がして、修平は仰天した。


 葉山が泣いていた。



 修平はブランコを降りて、葉山の横に立った。


 通りすがりのおばさんや子供が、異様なものでも見るような目つきで、横を通って行く。


 いえ、ほんとに異様な者ですけど。


 またか。

 また、こんなことに。

 事務所で泣けばいいのに。


 大体、何で泣いてるのか、理由がわからない。


 そのままどれくらい経ったかわからなかったが、やがて葉山は泣き止んで、下を向いたまま静かになった。


「何、泣いてるんだよ」


 イライラして修平は聞いた。こんな訳の分からない男の大泣きに付き合いたくない。もう、自分の家に帰りたい。


「金が欲しい」


「え?」


 金をせびる気か、こいつ。そういえば、この前の東通りの支払いはどうしてくれるんだ。忘れてんのか。


「金さえあれば!」


 突然、葉山が叫び、今度は、そろそろ暗くなりかけた公園の中を通って、家路を急ぐサラリーマンをビビらせた。


「金があれば、出てける」


 修平はあっけにとられた。どこかに出て行きたいのか? 社長がそんなに嫌いなの?


「そうだろ? 修平」


「いや、待て。お前の給料はどうなった?」


 社長、給料を払っていないのか?


 葉山は尻ポケットから、ぼろぼろの財布を取りだした。


 ビニール製で、何か昔の漫画のキャラクターが印刷されていたが、表面がもろくなっていたので、ところどころ剥げ落ちていた。


 中には万札がびっしり入っていた。


 思わず、修平は葉山の顔を見た。


「カネ、あるじゃん」


 金があるのに、金が欲しいとか何言ってんだ。


「あ、もしかして…それ……」


 あわてて携帯のこの前見た女性の画の広告を探した。でも、出てこなかった。どんどん別な広告に入れ替わって行くのだ。


 修平が携帯の広告を探しているのを見て、葉山は冷淡に言った。


「そんなのもある。いろいろ。」


 二人は晩御飯を、(金がないと叫ぶ葉山のおごりで)食べに行くことになった。



 なんで、こんなことになるんだろう。


 葉山はふらふらと天満の狭い通りに入って行った。


 道幅が1メートルしかないような場所もあり、雑貨屋や食料品店、焼肉屋に混ざってスペインバルがあった。とても小さい、カウンターしかない店だった。


 ビールを飲みながら、修平は聞いた。


「なあ、俺が働き始める一月前に梅田で社長に拾われたって?」


 葉山はそれには答えなかった。別なことを答えた。


「あんたが来たとき、社長は、あんなじゃなかった」


「え? 変わったの?」


「だんだん」


 ビールと生ハムとトルティージャが出てきた。


「頼むから、あんまり飲まないでくれよ?」


 心配そうに修平が頼んだ。葉山には前科がある。


「俺には、社長はいつも同じに見えるけど?」


「こんな大人を……探し回るって(異常だろ)」


葉山が答えた。


「異常かどうかは……」


 それに、葉山が大人とか言われても……。年齢的には大人かもしれなかったが、葉山の普段の行動は大人と言う概念からかけ離れている。下手をすると、人間じゃないかも。


「あんた、いくつなの?」


 修平は葉山に聞いた。


「二十二」


 修平は頼んだ皿一杯のフリッターを受け取りながら、葉山の顔をまじまじと見た。


「え? 同じ年?」


「修平、いくつ?」


「二十二」


「それから、修平、言っとくけど、私、女だよ」


 修平は皿を取り落とし、真下にあったビールのコップを割った。


 すさまじい大音響が響き渡ったが、こんな店では日常茶飯なのだろう、慣れた様子で店員がやって来た。


「すみません、すみません」


 修平は大慌てで店員に謝った。その隣で葉山はすまして、

「コレ、もう一つ」と、店員に自分の空のビールのジョッキを振って見せていた。


 女……


「男ではない」


 別の意味で冷や汗が出た。


「男でない……」


 修平は繰り返した。


「フリッター、も一つ頼む?」


 修平が答えないと、葉山は聞いた。


「これ、ビール浸しになった」


 修平は葉山の顔を懸命に眺めた。


 そうかもしれない。

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