第6話 こんな飲み会はイヤだ
あんな無責任な奴のどこが、そんなに大事なんだ。
東通りに向かって、速足で歩きながら、修平は考えた。
日はもう暮れて、金曜日の晩は賑やかだった。
確かに、あそこまで、わからない人間はいなかった。
彼はいつでもどこか物憂げだった。そして、変なことばっかり言っていた。
画だけはすごかった。一度、彼がいないときに、彼のコレクションを見たことがある。
葉山とは全然違う顔立ちの女の画だったが、素晴らしい体の線と、貪欲そうな目とゆがんだ唇をしていた。
修平が驚いて、その絵をじっと見つめていると、葉山が気づいた。
「あッ」
葉山は叫んだ。
「見たな」
その時、葉山は本気で怒っていた。
「見たよ。絵、うまいな」
修平は穏やかにほめた。
「あんまりうますぎて、びっくりした」
葉山はその絵を取り上げて、どこかにしまい込んだ。
「どこに出す絵なの?」
「この絵は遊びで描いたやつ!」
子どもみたいな返事だった。
あんな奴を本気で、こんな梅田みたいな場所で、探すだなんて、何をしてるんだ、俺は。
客引きが大勢いいて、そしてみんなが修平に声をかけるが、誰一人として修平に関心はなかった。通り過ぎる人々は、みんな、もう誰か、恋人か友達が、職場の同僚だったり、学生時代の友達だったり、出来上がった関係の者が飲む場所を求めて来るだけの場所なのだ。
こんなむなしい空間はない。
修平は、たった一人だった。
それに店の中をのぞき込むことは、ちょっと危険だった。
深入りすると、入って一杯飲むことになるからだ。時間がかかりすぎる。
「意味なかったな……」
通りを二周したが、ただ人ごみをかき分けていただけだった。
「帰ろう……」
何のために来たんだろう。どうしてきたんだろう。
その時、ショートメールが来た。社長だろうか。
『おーい、今、下を通ったろ』
誰やねん。
『葉山でーす』
どきーんとした。
下? 下ってことは、葉山は上?
二階の店にいるの?
思わず見回した。上を見上げた。
「へ、へー。見つけたー、シューヘイー」
後ろから、抱き着かれた。ものすごく驚いた。おかまに抱きつかれた。
葉山だった。葉山は通りの真ん中で、修平に抱きついていた。
修平は葉山を見て、凍り付いた。
正直、葉山には、さまざま驚かされていた。
しかし、今回ほど、驚かされたことはなかった。
葉山はべろんべろんに酔っぱらっていた。
それはいい。だが、修平が驚いたのは、葉山の衣装だった。
どこかの結婚式場の花嫁のお色直しのドレスだ。
「これ、着てみたかったんだ」
金と紫のタフタだと彼は説明した。
「ウージェニーが貸してくれたんだ」
「誰?」
「ウージェニー。エルネスチーヌの友達」
知らん。外人?
外人にしても、そのネーミングはおかしくないか。
誰が何を着ていても、たいして問題にならないはずのここで、絶望的なまでに目立つのは、その服がすばらしく裾広がりで、この混雑の中では、とりあえず恐ろしく邪魔だったからだ。
裾が、通りすがりの人や、外に出された待合用の小さな椅子や、通りに置かれた看板や、得体の知れない路上のごみを拾って歩く仕様になっていた。
こんな狭い汚い通りでは、何を引っかけるかわからない。
見たところ、しっかりした生地でキラキラ輝いていた。安くはないだろう。修平は本気で心配になってきた。
「それ、返して来いよ」
「イヤだ!」
彼は大声で叫んだ。
「着てたいんだ。今晩、貸してくれるって。ねえ、だから、修平、付き合おう」
止めてくれ。
こんな目立つ男? 女と一緒に居たくない。
「俺、用事あるんで……」
修平は葉山の手を振り払った。
携帯で社長を呼ぼう。おかまとゲイの修羅場になるのかもしれなかったが、どうでもいい。お互いにお互いしか、目に入らないだろう。
修平はシラフだ。それに正気だ。さらにノーマルだ。葉山はアブノーマルだ。
葉山を見ていると、わざとやっているのか、天然なのか、もう訳が分からなくなった。
わざとやってるんだとしたら、その意味を教えてくれ。
天然だったなら、天然で済むのかどうか。境界線と言う言葉が胸に浮かんだ。
だが、彼はとても迷惑そうな店員と目が合った。
「すみません。入るなら入ってください。お二人様って聞いてるんですよね。お待ちの方がいるもんで…」
「すみませーーーん、行きまあす」
金と紫の裾広がりのドレスが、床に置かれた他人のカバンをなぎ倒しながら、店員が指し示す椅子めがけて修平を引きずっていく。
止めてくれ。誰か。
差し向かいで座って、周りの視線に凍り付く思いだった。
視線が痛いというのは、こういう場合を指すのだろう……
「ねえ、何飲む?」
葉山は楽しそうだった。
「一度、自由に飲んでみたかったんだ」
自由?
「だって、社長、あれダメ、これダメって言うんだもん」
そら、そうだろう。俺だって、このドレスを着たいと言われたら止めるわ。
てか、止めてもらって正解だろう。
こんなヤツに、自由にされたら、たまったもんじゃない。大体、本人が破滅する。
だが、グラス越しに、眺める葉山の顔は、とてもきれいだった。
おかしい。
この前は、ケバイだけだったのに。
「だって、エルネスチーヌ、プロなんだよ、お化粧の。めっちゃ美人に見えるだろ?」
だから、エルネスチーヌって、誰だ。
細面の白い顔が、興奮で紅潮していた。酔って目が潤んで、修平は彼が透き通るような二重瞼と長いまつげ、キラキラした目と、独特な形の唇をしていることに、ようやく気付いた。
美しいものには心を惹かれる……細かい顔の作りを、いちいち確認していると、葉山が急に照れてにっこり笑った。
痛々しいほどの色白で、社長の言葉が思い出された。
『髪に雫が垂れて、それがネオンの光を受けてきらきら輝いていた……』
そうだ。社長だ。帰らなきゃいけない。
「葉山、帰ろうよ?」
「カラオケ行こう!」
「帰らないの? 社長、待ってるよ?」
修平の一言の中に含まれていた何かが、ハイになっている葉山の何かに引っかかったらしい。
葉山がだまった。
彼は、突然、立ち上がった。
修平は葉山を見上げた。(ウェディングドレスを着た大女がすっくと立ちあがると、飲み屋の周り中の客も、あわてて彼を見た)
今、やっと、思い出したのだろうか? 彼のヤスナリのことを……
次の瞬間、葉山はトイレを探して突進していき、進路上にいた店員に体当たりをかまして、トイレのドアをぶっ壊しにかかった。寸刻を争うらしい。察した別の店員が危ういところで、ドアを開けてくれたが、今度は彼がドアを通れなかった。彼ではなく、彼の衣装がドアを通れなかった。
幸いトイレが狭かったので、ドアを閉めなくても済んだ。
葉山は、でかかったので、足と入室を阻んでいるスカートはドアの外でも、胴体を伸ばせばトイレに届いたのだ。
その代わり、トイレ近くの客が音声を聞かされる羽目に陥った。
「………泥酔してトイレを汚した場合は、五千円を申し受けます……」と言うトイレの貼り紙を、怒りに震える店長が指し示し、修平はおとなしく言われるがままに金を払った。
汚した場合の五千円は、もしかしたら安いかもしれない。トイレの近くにいた客に殴られないで済んで、本当に良かった。
なぜ、俺がこんな目に……俺も五千円くらいは申し受けたいくらいだ。
店からは無事に出られたが、素直に家路につける健康状態ではなかったので、思いつく限りの公園や、道端や、下水やいろんなところにお世話になりながら、わずか15分の距離を1時間近くかかって、事務所に近づきつつあった。
「いろいろあったけど……」
少しは酔いがさめた態の葉山が、黙って横を歩く修平にとりなすように言いだした。
「俺はバイト、やめよっかな……」
修平はつぶやいた。いい社長だったが、愁嘆場はイヤだ。葉山なんか、死ねばいい。
もう12時を回っていた。
タクシーに乗りたかったが、乗せてくれなかった。葉山が汚すぎる。
二人は、正気とは思えない格好で、ふらふら薄暗い通りを歩いていた。
ほんとは社長に電話したかったのだが、次から次に事件が起きて、電話どころではなかった。
それに社長に電話したら、きっと社長は半狂乱ですっ飛んでくるだろう。
ゲイとおかまの感動の愁嘆場になる恐れが十分にあった。
これ以上人目を引きたくなかった……今日は十分に疲れた。もういい。
今なら電話はできるが、もう5分くらいで、事務所に着く。
見上げると、ビルの部屋には、まだ灯が点っていた。
ピンポンを押すと、少ししてから人の動く気配がして、疲れ切った社長の声がインターフォン越しに「誰?」と聞いた。
「金田です。葉山さん、見つけました」
すぐにドアが開き、修平はドアの中に葉山を突き出した。
そして、そのまま、逃げた。
後は見たくない。俺は関係ない。
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