第五話―⑨ 夕暮れに、手を繋ぎ



「わ、笑わない、かな?」

「もちろん、笑ったりしませんよ」


 内容によっては引いちゃうかもしれないけど。


「さっき、母ちゃんは俺が生まれた直後に実家に戻されたって言ったよね。だから、あの人は赤ん坊だった俺をロクに抱く事もできなかったんだよ。母ちゃん、あれで結構、その事を気にしているらしく、寝言で俺に謝ってた事があるんだ」


 だから、と晴斗くんは空を見上げた。


「いつか、好きな人と結婚して、家庭を作って……それで、子供が生まれたらさ。母ちゃんに、その子を思う存分、抱かせてあげたい。俺は、母ちゃん達のおかげで、こんなにも幸せになれたよ、って。そう、言ってあげたいんだ」


 ざあっ、と。一陣の風が、私達の間を通り抜けてゆく。

 それは、私の心の中へと吹き抜けた、純粋なおもいだったのかもしれない。


「それが、はるくんの……夢?」

「そ、そうなんだよ。平平凡凡な夢だけど、マザコンだって言われるのが恥ずかしくて、まだ誰にも話した事が無かったんだ……!」


 そう言うと、晴斗くんは両手で顔を覆ってしまう。


「わ、笑わないかな!? 改めて口に出すと、すごく恥ずかしいやつだ、これ!」

「そんな、笑うなんて! とっても素敵な夢じゃない。私も応援します…‥って、うん?」


 あ、そう言えばあの時! 私は確か、彼に──




『他にも何か夢があるんですか? 私でかなえられることなら、叶えてあげますよ?』




「うきゃああああ!?」

「え、ど、どうしたの?」

「う、ううん! なんでもないの! ただ、この前のことを、おもいだしただけでひゅ!」


 わあ、何を口走ってるの、私は!?

 晴斗くんも、動転する私を不思議そうに眺めていたが──


「この前って確か──あっ」


 どうやら、思い当たってしまったらしい……!


「あ──う、うん」

「えっと……そ、そのぅ」


 二人とも、何も言えずに黙り込んでしまう。彼の顔はもう真っ赤を通り越して、真紅である。多分、私も同じだろう。

 ち、沈黙がこれほど気まずいなんて、思わなかった。

 恥ずかしい、恥ずかしすぎてもう、穴があったら入りたい!


「あ、その……」

「う、おう……」

「……帰り、ましょうか」

「……そ、そうだな! 寒くなってきたし!」


 そうして、私達はいつも通り隣に並び、歩き出す。


「……」


 やがて、どちらからともなく──


「……」




 ──手を、つなぎ合った。




 帰り道での会話は、ない。言葉なんて要らなかった。とても不思議で、心地良い空気が私達の間に漂っていたから。

 繋いだ手のひらから、彼のぬくもりが伝わってくる。

 心臓の音がやかましく鳴り響き、それが彼にまで聞こえやしないかと、冷や冷やする。

 既に、日は傾きかけていた。夕日の光が私達の姿を包み、影法師がその背に伸びていく。

 今日一日で──ううん、今日だけじゃない。

 私は、はるくんと出会い、彼という人間を知る機会に恵まれた。

 時に、お調子者で。かなり、エッチで。お世辞にも、イケメンとは言えない。

 でも、どんなつらさも笑い飛ばせる強さと、いつも皆を笑顔にしてくれる、そんな優しさを併せ持った──まるで、お日様みたいな、男の子。

 その事を自覚した時。私の胸の中で、何かがはじけた。

 それが、どこから来た、どういうものなのか、今の私の中に、その答えはあった。

 ──やっと、気付いた。そうか、私は、彼の事が……





 ……好き、なんだ。




 かすかに残されていた男性への苦手意識が、恐怖心が。れいサッパリ溶け落ちてゆく。

 代わりに湧きあがってきたのは、温かくて、決して手放したくないと願う……心の芯までってくるようなおもい。それは、生まれて初めて味わう──恋心であった。

 私は、心の中に芽生えた情熱の赴くままに、つないだ手のひらを、ぎゅっと握りしめた。

 それに気付いたのだろうか。彼もまた、私の手を優しく握り返してくれた。

 その感触が、どうしようもない程にあたたかくて、心地良くて……

 私は、顔を真っ赤にしてうつむいたまま、彼に手を引かれるようにして、歩いて行った。





 ──やがて、家の前に辿たどく。何だかんだで、あっという間だった気がする。

 もう少し、彼と一緒にいたかったのに……

 家に上がってもらおうかな? あ、でも。部屋をまったく片付けていない!

 別に、散らかっているわけじゃないけど、第一印象はなるべく良くしておきたい。


「そ、それじゃあわかさん。今日は、この辺で……ちょっと、名残惜しいけど」

「は、はい……その、今日は色々、ありがとう」


 彼には、どれだけ感謝をしてよいかわからない。言葉にして伝えたいのだけど、くちな私では、到底無理な話だ。


「お礼を言われるような事なんて、なーんにもしてないよ。むしろ、こっちがお礼を言いたいくらいだし」


 だから、せめて……私の大好きなこの人に、お返しをしたかった。


「でも、それじゃあ私の気が済みません。色々迷惑をかけちゃったおびもしたいですし、ちょっとだけ横を向いてもらえますか?」


 私の今の、精一杯を心に込めて。ほんの少しだけ、勇気を振り絞った。


「ん、こうかな?」

「──ッ」


 爪先を伸ばし、顔を近付け……彼のほおに、唇を押し当てた。


「え……」


 ほうけた声と共に、はるくんがこちらを振り向く。彼は、信じられない物を見た、というように目をき、口をぽかんと開いている。


「──お礼、だよ。ほっぺたでごめんね?」

「──あ、え?」


 彼の体が、ゆっくりと横に傾いていく。倒れ込みそうになる寸前で踏みとどまり、晴斗くんはほおに手を当てた。そのまま、振り返りもせず、ふらふらと来た道を歩き出してゆく。


「おーれのほっぺに、柔らかっチュッ、そーら、どんとこ、ほい……」


 うわ言のようにブツブツと謎の歌を口ずさみながら、はるくんの姿が夕闇の彼方かなたへ消えていく。……ちょ、ちょっとやり過ぎたかな?

 その背を見送りながら、私はぺろり、と舌を出した。



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