第五話―⑧ ごめんなさい
妹たちと別れ、私と
本当は、晴斗くんも家に帰してあげたかったのだけど……。遠慮する私の言葉も、彼は頑として聞き入れず──話を聞いてしまった負い目もあり、私はそれを断る事ができなかったのだ。
そうして、会話のないまま、歩き続けていると──不意に、晴斗くんが立ち止まった。
「……ごめん。隠すつもりは、なかったんだ」
「え?」
「その、
「聞いてたんですか……?」
驚きのあまり、心臓が止まりそうになる。だったら、どうして謝るの?
人の秘密を勝手に暴き立てたのだ。むしろ、彼には怒る権利があるのに。
「俺、耳が良いんだよ。話し声も大きかったしさ。ああ、妹さん達は多分気付いてないだろうから、安心し──」
「今まで、無神経でした、よね……ごめんなさい!」
涙が出そうになる。自分という人間が、心底嫌になった。
「晴斗くん、あんなに
「若葉さん……」
「こんな根暗で無神経な女の子……嫌いに、なったでしょう?」
そうだ、私みたいな女を、誰が好きになるのか。
今だって、彼を傷付けるばかりで、何もしてあげられないのに。
申し訳なさ過ぎて、晴斗くんの顔を見る事さえできなかった。
「私、私なんて──」
「若葉さん!」
「え……?」
驚いて顔を上げると、晴斗くんがヘラヘラと笑っていた。
「なーに、いつまでも暗い顔してるんだよ。ははーん? さては、そうやってまた俺をからかうつもりでしょ?」
その手にはのんないよ、と彼がそっぽを向く。
「そ、そんなつもりじゃない! ひどい、私は
「マジメな話ぃ? ちゃんちゃらおかしくて、ヘソで鍋が沸くぜ!」
「な、何がそんなにおかしいのよ!」
「俺の中じゃ、もう二年も前に終わった話だよ。それを、今更言われてもなあ。ああ、そんな事もあったね、くらいにしか思わないって」
やれやれ、と
「そ、そんなはずは……!」
「勝手に考え込んで、勝手に落ち込んでりゃ世話ねーよ。俺がそんな事くらいで、
ガハハハハ、とお
「大体、俺みたいなニブチンが、そういつまでも過去の傷を引きずるわけがない、ない! そんな事で参るような男だったら、入学式でエロゲー談義をぶちかまし、一発退場を
俺の築き上げた伝説を
「ま、ここはほら。俺も黙ってた事だし、そっちも勝手に聞いた事だし、でイーブンという事で一つ! まだ申し訳ないと思うなら、お弁当のおかずを更に豪華にしてくれると
……彼の
そんな事もあったね? 過去の傷を引きずらない?
だったら、あの初デートの日。
どうして、あんなに切なそうな顔をしたの?
彼の優しさに戸惑っているのを悟ったのか、晴斗くんが、ふと真面目な顔付きになる。
「俺は、家族の話をしている若葉さんが、好きだよ」
「え……?」
「本当に嬉しそうにお父さんやお母さん、それに妹さんの事を話す……その笑顔が、大好きなんだ」
な──!
「だ、だから! なーんも気にする必要なんてないんだよ! むしろ、もっと家族の話を聞かせて欲しいんだ! 俺は、そんな若葉さんを、ずっと、ずーっと見ていたい!」
「はると、くん……」
彼の優しさが、染み入るように胸の中へと広がってゆく。
それは、熱く激しい切なさを伴って、私の心を強く揺さぶった。
「……ありが、とう」
「しかしなんだなあ。前々から思ってたけどさ、
「むう……そ、そうでしょうか?」
「ほら、そのデスマス口調とかさ。付き合い始めの頃はともかく、今も続けてるでしょ。少し、無理してないかなあって。いや、最近はだいぶ砕けてきたとは思うけど」
言われてみれば、そうかもしれない。何かあれば、その場で謝ってやり過ごす。
そんな癖が、いつの間にかついてしまったのかな。
敬語だってそうだ。お母さんに憧れて、と言えば聞こえが良いけど、それは裏を返せば自信の無さの表れだったのか……。
『お姉ちゃん、最近は何だか口調が柔らかくなったね』
ああ、そうだ。
「ほら、俺の母ちゃん見たろ? あれくらいになれとは言わないけど、あの図太さは見習ってもいいと思う。あ、でも間違っても
い、いったいどんな妹さんなんだろう。少し、興味が出てきた。
「あ、そうだ。お母さんと言えば──っと!」
慌てて口を閉じるが、どうやらそれだけで彼は察してくれたようだ。
「ああ、
「あ、そうですよね! 私ったら、変な勘違いをしちゃって……」
「ま、あの話の流れなら誤解するのも無理ないよなあ。実際、俺も二年前に美冬に会うまでは、母ちゃんは死んでるんだろうって思ってたし。ったく、父ちゃんもさ、もっと詳しい事情を教えといて欲しかったよ」
──
お母さん……
名家の娘として生まれたものの、窮屈な暮らしを嫌った奈津樹さんは家を飛び出し、逃げたその先で晴斗くんのお父さんと出会ったらしい。
そうして彼らは結ばれ、晴斗くんが生まれた──のだが。
幸福な生活も長くは続かず、晴斗くんが生まれた直後に、お父さんは友人に
それを肩代わりしてもらう代わりに、
そして彼女は元の
二年前、父親を亡くした彼の前に妹さんが現れ、母親がまだ生きているという事を……
彼に会いたいと願っている事を、告げたのだと言う。
「んで、
ただ、妹さんはどうやら弱冠十四歳にして天才の部類だったらしく、たまに実家に戻っては家業を手伝っている、とか。だから彼も頭が上がらないらしい。
そんな事を、サラッと彼は説明してのけた。
まるで、漫画かドラマのような話だ。めでたしめでたし、と彼は言っていたが、そんな言葉で片付くようなものなんだろうか。
きっと、私なんかでは想像もつかないような苦労がそこにあったに違いない。
「ま、あれだよ。終わり良ければすべてよし、ってやつだ。父ちゃんはもういないけど、教えてくれたものはちゃーんと残ってるしね。体の鍛え方に、
「そういえば、晴斗くんのお父さんって英語の先生だったんですよね? もしかして、前に言ってた夢って、もしかしてお父さんと同じ職業に就く事、とか?」
初デートの時の会話を思い出し、私は何気なくそう言ってみた。
「い、いやその。それも将来の選択肢ではあるんだけどさ、俺の夢ってのはそういう、努力次第で実現できそうなものじゃなくて……」
「あれ、そうなんですか? じゃあ、晴斗くんの夢って……」
照れた表情から察するに、もっと彼らしい願いなのだろうか。
キスとか、その…‥も、もっとえっちな事とか!
そんな失礼な事を考えていた私の心も知らず、晴斗くんは声を張り上げた。
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